本論文の課題は、ハイデガーの「自己」論を、近代の「自己意識」論と対比させつつ、再構築することである。その要点は、ハイデガーの「自己了解」と「自己隠蔽」の理論を、その「世界」と「時間性」の概念を手がかりとして、捉え返すということにある。本文は六章からなる。 第一章では、本論文のタイトルである「自己の現象学」という言葉の由来とその方向性が、ハイデガーの初期フライブルク講義を手がかりに明らかにされる。続く、第二章、第三章で、デカルト以来の「覚知」の理論を継承するフロイトの「精神分析」論によって、「自己」の「隠蔽」という近代意識論の主題が、体系的に呈示されたこと、および、ブレンターノ、フッサールの志向性理論と、ディルタイの「生」の理論が、ハイデガーの「自己隠蔽」論の先駆であることが、示される。これを踏まえて、第四章では、ハイデガーの「自己隠蔽」論を、「自己」と「世界」との関係論を通して捉え返し、第五章で、それをさらにハイデガーの「非本来来的」な「自己解釈」論の解釈を通して展開する。最後に第六章で、「時間性」の概念に即して、ハイデガーの「自己了解」論を展開する。 ハイデガーの哲学を論じるというと、しばしば、ハイデガーの用語でその論議を反復するのみに終わりがちだが、本論文は、ハイデガー哲学の中心思想を、近代思想史の展開を追うなかで的確に捉え、しかも、こなれた用語で説得的に解明している。その点で、近代の自己意識論およびハイデガーの「自己」論に、新たな一石を投じえよう。審査の過程では、あまりにも周辺の思想に配慮しすぎて、肝心のハイデガーの思想の議論がやや散漫になっているなどの批判もなされたが、総じてその独創性は認められた。 以上により、審査委員会では、本論文が博士(文学)を授与するに値するものとの結論を得た。 |