学位論文要旨



No 111596
著者(漢字) 北,明子
著者(英字)
著者(カナ) キタ,アキコ
標題(和) 記号と経験 : メーヌ・ド・ビラン研究
標題(洋)
報告番号 111596
報告番号 甲11596
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第140号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松永,澄夫
 東京大学 教授 坂部,恵
 東京大学 教授 天野,正幸
 東京大学 教授 高山,守
 東京大学 助教授 一ノ瀬,正樹
内容要旨

 記号の問題は、十八世紀フランスの思想界で、とてもホットな話題のひとつでした。このことを次に説明しましょう。当時当地の思想界で指導的役割を果たしていた人達、それはフランスアカデミーのイデオロジストと呼ばれる人達でした。(イデオロジストというのは、コンディヤック哲学の継承者達のことです。彼らに共通な思想を知るためには、このフンディヤックの継承者達がなぜイデオロジストと呼ばれたのかということを理解することが、最も適当な方法であるとは思われますが、説明は省きます。)さて、イデオロジストならびに彼らの先達コンディヤックは、経験論者でした。経験論の立場を取るとき、人間の知識はすべて、過去の様々な経験の積み重なりとしてとらえられます。となれば、知識を形成していくためには、まずは過去の様々なより単純な経験を、それらの複数のものを積み重ねて複雑な知識を形成しようとする今現在、もういちど取り戻さなければなりません。そこで、知識を形成していく人間の活動の中で、過去の経験を再生する働きが大きくとりあげられることになるのです。

 ところで、真に自由に知識を形成していくためには、まずこの再生の働きが自由に行われるのでなでればなりません。つまり、好きなときに思いのままに過去の経験を再生することができるのでなければなりません。ところがコンディヤックは、人間が過去の経験を自由に意のままに再生することができるのは、ある種の記号を通してのみであると、すなわち、その種の記号と結ばれた経験のみが自由に再生されうると考えたのです。こうして記号は、知識形成の中心的役割を果たすものとして、皆の関心を集めることになります。

 以上が、ビランが何ほどか哲学的思索にとりかかろうとしたときの背景です。ですから、アマチュア思想家メーヌ・ド・ビランが、コンディヤックの著作を読み、そしてアカデミーの出す懸賞課題に応募しようとすることによって初めて体系だった本格的な思索を始めたとき、過去の経験の再生と記号という問題に関心を持ったのは、自然のなりゆきでありました。ただし、ビランのこの問題への関心の持ち方は、認識の問題を中心に据えたコンディヤックやアカデミーの人達のそれとは違っていました。というのも、彼にとっては、感情の問題が先に中心的なものとして立てられていたので。彼は、感情の転変と幸福とのかかわりこそ、自分が半生をかけても追及すべきテーマだと考えていたのです。それで、ビランが、彼をとりまく思想的状況にあって、感情の問題を扱うとき、彼に筋の通った考察の指針を与えたのは、記号について考えることであったというわけです。

 このようにコンディヤックの記号論から出発したビランではありましたが、やがて彼は、コンディヤックの記号論の問題点を解決しながら、自分自身の記号論を確立します。そこでは、記号が過去の経験を呼び戻すというコンディヤックの経験論の基本的テーゼには同意しながらも、そもそも、経験の違いが記号の違いをもたらすことを指摘します。つまり、ビランは、様々な種類の経験についても十分な考察を展開することになるのです。とりわけ、認識経験と感情経験との違いと、それぞれにかかわる記号の違いについて、納得のいく議論が得られます。

 さて、ビランは、最初は感情と意志との問題に関心をもって記号論に取り組んだのですが、記号論を深めていく過程で、次第に、知識形成にあずかる記号の成立と維持との条件に、より多くの目を向けるようになっていきます。ここで彼は、諸学の基礎付けという伝統的な哲学の問題を共有することとなります。そうして、諸学の基礎付けとしての形而上学、ビランの言葉でいえば心理学、この学と諸学との関係や、また、それぞれの学において用いられる記号の違いが明らかにされます。

審査要旨

 論文「記号と経験--メーヌ・ド・ビラン研究--」は、メーヌ・ド・ビランの初期から円熟期にかけての哲学の進展を、人間の経験の構造の解明の深まりとしてとらえ、しかも、経験の成立における記号の役割の大きさをビランが明るみに出したとの観点のもとでビランの仕事を再構成したものである。この観点は従来のメーヌ・ド・ビラン研究にはなかったユニークで優れたものである。

 論者は、コンディヤックによって形を与えられた一八世紀フランスの経験主義の思想風土のもとで、メーヌ・ド・ビランがいかにして独自の哲学を築いていったか、その始まりを、ビランによるコンディヤック記号論との対決として描き出す。そして、記号の問題は、その後のビランの表の主題としての習慣論や知覚論、心理学などにおいても、人間の経験の豊かさとダイナミズムとの秘密をなすものとして重要な位置を占め続けさせられていることを示した。とりわけ、人間の感情生活やモラルの存立との関係で記号がどのような働きをするかについてのビランの洞察を、諸著作の様々の箇所にいわば断片的に散らばった仕方での叙述から救い出し、共感をもって浮き彫りにしたことは、ビラン研究から離れて一般的哲学研究としても、大きな功績である。

 本論文は、信念の理説を中心にしたビラン解釈上の論争に対し論者独自の解釈を打ち出してはいるものの、この点に関しての他の解釈者達の議論の吟味の表だった叙述に不足する点、そして、それと連動することであるが、ビラン哲学の或る側面に関してはそれを概念史的な哲学研究の文脈で位置づける努力が足りない点等の欠点はある。しかし、その大部な論述を挙げて、己の考察の成果を一冊の著作にまとめ得ず膨大な草稿だけを遺して逝ったメーヌ・ド・ビラン哲学の全体像を提示することに努め、一定の成果をあげたものと認められる。よって本審査委員会は、本論文が博士(文学)論文として十分評価に値するとの結論に達した。

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