本論文は、江戸時代の儒者佐藤直方(1650〜1719)の思想構造とその特質を論ずることによって、近世日本儒学史上における「道学者」の原像を描き出そうとするものである。 「はじめに」においては、朱子学正統の道学者たることを自任していた直方が、学問の根本的基盤を、「自立」した「自己」意識に置いていたことを指摘し、彼の「自」「己」「我」といった概念が如何なる過程を経て形成され、また如何なる内実を持っていたかを検討することが、本論文の基本的な主題となることを明示した。 第一章では、「理一分殊」という朱子学的世界観・存在論を直方がどのように受け容れ、自らの学の基底に据えていたかを明らかにする。すなわち、直方が、朱子の学説によって展開される世界の内に、「自」「己」「我」を定位させようとしていることを、朱子の言説を参照しつつ解明を試みている。 第二章では、「理一分殊」の世界観のもとに、自ら進んで「理」に拘束されようとする過激なありようが直方学の基本姿勢となっており、そこから、彼が、「理」を「知」ること(「格物致知」「窮理」)を最優先の課題としていたこと、さらに、そうした「知」は、万事万象の「理」を総て内包する己の「心」へと探究意識を差し向けられることによって得られると考えていたことを明らかにする。 第三章では、己の「心」を「窮理」することによって得られる境地である「靜」や、その境地にある「心」を維持する働きをなす「敬」が、靜-動、居敬-窮理といった相反する二者を偏ることなく統轄する概念として再定立されていることを明らかにする。そこから、「側隠」「愛」「誠」「忠信」といったさまざまな修養徳目が全て「敬」の働きを基礎とした「靜」なる在り方の内に醸成されていることを解明する。そしてその結果、直方学においては、全ての修養課題が、「心と理のみ」を相手に「独」りでいることの内に果たされるものであり、外物や他者はそもそも学の対象としては取り扱われていないこと、さらには、唯一の対象である絶対者としての「天」についても、それへと対峙する方途が、「理」を媒介として「心」の内部におけるものに限定されてしまっていることを明らかにする。 第四章では、相反する二者を統轄する次元に「自」「己」「我」が定位されることによって、自覚的決断をともなった「理」崇拝が形作られること、また、同時にそこに悟りから来る自由自在性が獲得されると直方が考えていたことを明らかにする。こうした思想的立場は、あらゆる他者存在を前提としないあり方にともなう世間的孤立を招くが、しかし、その孤立を経るがゆえに、万物の始源でありつつ己とは永遠に非連続である絶対的他者たる「天」と接触し、その遭遇の驚きの中で新たな「自己」を見出し続けることができる「道学者」の精神が確立するのである。 |