学位論文要旨



No 111600
著者(漢字) 鍾,淑敏
著者(英字)
著者(カナ) ショウ,シュクビン
標題(和) 日本統治時代における台湾の対外発展史 : 台湾総督府の「南支南洋」政策を中心に
標題(洋)
報告番号 111600
報告番号 甲11600
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第144号
研究科 人文社会系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濱下,武志
 東京大学 教授 尾形,勇
 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 助教授 野島,陽子
 東京大学 教授 並木,頼寿
内容要旨

 本論文は、日本統治下の51年間における、台湾総督府の「南支南洋政策」を中心とした台湾の対外関係の広がり、及びこの政策のもとにおける台湾人の動向を検討しようとするものである。

 論文のタイトルは日本統治時代における台湾の対外「発展」史としたが、決して日本の台湾支配を評価するつもりはない。台湾人は日本の植民地政府により差別的統治を受け、やむをえず海外に渡ったからである。台湾人の海外への「発展」史は、同時に「棄民」「流民」の歴史でもあったのである。

 論文の分析対象となる時期は、日本の台湾領有の51年間であるが、重点が置かれるのは、華南については1937年の日中戦争に突入するまで、南洋については南進が国策とされる1940年までである。この時期は台湾総督府に「独自」の政策の余地が与えられた時期でもある。対象とする地域は、「南支」であるが、本稿では台湾と密接な関係があった対岸の福建、広東を中心とする。また「南洋」の範囲は、今の「東南アジア」とほぼ一致する地域である。

 従来の台湾の植民地時代の研究については,経済史・政治史の方面で多くの業績があるが、一方で台湾社会の動向及び変遷については、研究の蓄積は少なく検討の余地が多く残されている。また,近年、台湾における日本統治時代の台湾史研究は、旧来の「抗日史観」から解放され、台湾島を主体とする台湾史を顧みる気運が起こっている。所謂「台湾島史」の観点である。つまり、より広い視点から植民地体制下の台湾を見つめなおすことが必要であるという考え方である。51年間の植民地統治が台湾社会にいかなる変化を与えたのか、これを台湾の歴史においてどのように評価すべきか、というような植民統治の「遺産」と現在との連続性などの問題である。本論文は、このような問題関心から、具体的問題の分析を進めていく。

 本論文の構成は,大きく三つの部分に分けられる。

 第一は、第一章の「南支南洋政策」における情報ネットワーク、の分析である。ここでは所謂「対岸政策」ないし「南支南洋政策」の形成の問題を検討した。植民地政府の台湾総督府の統治史おいて、これらの政策がどのような位置を占めていたか。また、この政策を遂行するため、総督府はどのような情報ネットワークを構築し、日本の対「南支南洋」の情報中心地になったかということについて検討した。また、それぞれの情報源の特色、及び政策形成との繋がりについての分析も試みた。

 第二は、第二章の「三五公司」を中心とした「対岸政策」および第三章の「南支南洋」政策への移行、である。ここでは「対岸政策」「南支南洋政策」の実態について、分析の時期を明治期と大正期の二期に分けて検討した。その分析の過程で、「南支南洋政策」の持つ意味、政策の台湾に対する影響、及び政策と台湾人との関連について検討した。

 第三は、第四章の籍民政策の形成、第五章の「南支南洋」に於ける籍民の展開、である。ここでの検討対象は「南支南洋政策」と台湾人の海外活動との関連である。総督府は、どのように「台湾籍民」の管理策を取ったのか、「南支南洋政策」のなかで、籍民をどのように位置づけたのか、という問題である。総督府の籍民への対応を通して、籍民の実態を解明する一方、「南支南洋政策」のもとに、台湾人は主体的にどのように「発展」していったのかという問題について、一つの解釈を試みた。

 以上の分析の結果は以下のように総括できる。17世紀の清朝の支配以後は中国沿岸交易圏の一部に過ぎなかった台湾は、19世紀に入り、その地理的位置やその産出物によって、列強の注目を引くようになり、世界市場に巻き込まれていった。そのような流れの中で1895年に日本領になったことは大きな転換点であった。日本の経済ブロックの一部と位置づけられる一方、台湾は、日本の対華南・東南アジアへの中継地として機能した。それと同時に同民族の華人のネットワークを利用し、台湾を中心とする華南・東南アジアのネットワークも形成し続けていった。その結果貿易・人の流れ・情報のネットワークの形成され、台湾を中心とする貿易ネットワークが形成された。また、この域内においては、日本人と中国人との仲介役を演じた台湾籍民の移動のネットワークも形成された。そして、総督府の情報ネットワークの構成の成果として、台湾は日本の華南・南洋についての情報の中心地となった。このように様々なネットワークが交錯するなかで、台湾は東アジア世界の中で独自の地位を築いていったのである。

 残された問題も多い。台湾島内における日本人の差別から生まれた台湾人意識とは別に、海外経験は台湾人の「民族意識」「国家意識」に対し、いかなる影響を与えたかという問題や、また、南洋において華僑と共存し、土着化した台湾人等の問題については、今後の大きな検討の課題である。

審査要旨

 本論文は、従来の抗日運動の視点からではなく、日清戦争後から1940年代に至る日本の台湾統治史において、台湾総督府の対外政策であった「南支南洋」政策の遂行過程を克明に分析し、それを台湾の対外「発展」過程として位置付けることを試みている。

 従来の台湾統治史研究は、台湾域内統治史を中心として行われて来たが、それらに比較して本論文は、台湾史を華南ならびに東南アジア地域との関係史という広がりにおいて明らかにした点に、積極的な意義と特徴を見ることができる。

 本論文において示された「台湾籍民」という歴史的かつ政策的な台湾人の統治の下で、彼らが示した行動は、基本的には「棄民」としてありながらも、同時にそれを逆手に取って利用するという極めて複雑なかつ矛盾に満ちたものであった。第四章ならびに第五章において検討された「台湾籍民」に関する具体的な人々の行動記録とその分析は、台湾史と日本史研究に対してのみならず、中国史や東南アジア史研究に対しても民間レベルの研究の重要性と可能性を新たに明らかにしたものとして高く評価される。

 同時に、上述の過程を台湾の対外発展史として捉えようとしたことも、本論文が現在活発に進められている台湾における新たな台湾史研究の議論とも呼応するものであり、筆者が丹念に蒐集し、整理・分析した膨大な台湾総督府関係資料、新聞・雑誌資料・報告書・人物史資料などは、総督府と外務省との競合関係のレベル、台湾人と対岸の廈門や福州との利害関係のレベル、台湾人内部における異なる行動様式のレベルなど多様な議論を可能としており、今後の研究に対しても大きく貢献している。

 本論文において、総督府の対内的統治と対外政策との相互関係や、東南アジアに居住した「台湾籍民」のその後の活動、また戦後から現在に至る台湾史との断絶性と連続性など検討課題があると考えられるが、これらは今後の研究の中で明らかにする側面であり、本論文が学位論文としての完成度と水準を十分に満たしていると判新される。

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