学位論文要旨



No 111602
著者(漢字) 工藤,達也
著者(英字)
著者(カナ) クドウ,タツヤ
標題(和) 形象と歴史 : ヴァルター・ベンヤミンのイメージ〈批評〉
標題(洋)
報告番号 111602
報告番号 甲11602
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第146号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 浅井,健二郎
 東京大学 教授 池内,紀
 東京大学 教授 松浦,純
 東京大学 助教授 藤井,啓司
 東京大学 教授 臼井,隆一郎
内容要旨

 この論文は、二十世紀前半に活動し、今日でもなお影響を与え続けているドイツの批評家・作家であるヴァルター・ベンヤミンの批評作品全般をイメージと〈批評〉という二つの要素を軸に、包括的に解釈したものである。

 ベンヤミンの批評作品におけるイメージ(Bild、像あるいは形象)という概念は、かれの批評活動の関心の推移により、その意味を変えている。初期の『ゲーテの親和力』においてベンヤミンは自身のイメージ〈批評〉の原型を確立し、それが、これまた初期の作品である『ドイツ悲劇の根源』の「認識批判的序論」の思想的内容に受け継がれていくと考えられる。しかし、後期ベンヤミンのボードレール論や『パッサージュ論』、また.『複製技術時代の芸術作品』やブレヒト論においては、イメージ概念の意味するところは違ってきている。初期のイメージ概念が言葉によって呼び起こされた文学的なイメージであるのに対して、たとえば『バッサージュ論』で十九世紀〈モデルネ〉を扱うときにイメージは商品が担うイメージ(例、広告)であり、また『複製技術時代の芸術作品』においてイメージはいわゆる映像イメージである。要するに、ベンヤミンのイメージ概念は三段階を踏んでおり、それぞれの時代の特徴を負っている。

 初期ベンヤミンのイメージ〈批評〉は、いわば「テクストの形而上学」に根ざした志向を持つものである。つまり、初期のイメージ〈批評〉は芸術作品におけるイメージを仮象と否定しつつ、それを〈批評〉という言語空間に翻訳する作業であった。ベンヤミンはイメージを哲学的真理に奉仕するものに位置づける。ベンヤミンの〈批評〉の言葉はいわばイメージを穿ち、そのことにより作品から飛び出してくる美的イメージをして、真理の全体像(イデアール、理想)を暗示するトルソーにする。ベンヤミンは、その暗示を観照するに留まる。ベンヤミンのイメージ〈批評〉は、いわば美が真理に縋る瞬間に、美を観照するという姿勢をとる。〈批評〉はその時点ではもう、イメージに問い尋ね、それを公式化することを止める。

 この初期で確立したイメージ〈批評〉の姿勢が後期の著作において変化する。たとえば『複製技術時代の芸術作品』では、イメージの観照という、瞑想ともとれる姿勢が斥けられ、むしろ映像イメージに積極的に関与するモンタージュという技法が肯定される。ベンヤミンはそこでまた、複製芸術によるアウラの崩壊ということも述べているが、そのこととイメージ〈批評〉概念の変遷とは関連がある。アウラは「遥けさの一回限りの現象」であるが、モンタージュという技法は、イメージがそのような〈遥けさ〉のなかにあることを許さない。それは、初期ベンヤミンのイメージ〈批評〉がイメージの観照の必然を強調していたのと対照的である。

 後期ベンヤミンの十九世紀パリ〈モデルネ〉諭や複製芸術論に関して、前者が商品イメージ、また後者が映像イメージに関するものであるから、イメージをめぐる今日のわれわれの状況に通じるものがそこにあるのだ、とも言える。しかし、ベンヤミンの時代からゆうに半世紀経ったわれわれの現在において、その言説のアクチャリティーを説くことは本論の目指すところではない。ベンヤミンという思索者の、歴史に刻み込まれた像をめぐり思索すること、そのことが本論では重要と考えた。

審査要旨

 本論文は、今日多方面にわたってますます大きな影響を与えているドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin,1892-1940)の思想を、ヨーロッパ近代が生み出した「イメージ」(Bild[像、形象])についての批評(Kritik[批判])として捉える、という観点から再構成しつつ包括的に論じたものである。

 ベンヤミンが批評(批判)の対象としたヨーロッパ近代の展開は、概ね三段階に区分されるが、その三つの時期を論者は次の三種類の「イメージ」によって特徴づける。すなわち、(1)詩的言語が担うアウラ的な美のイメージ(近代前期―ゲーテの時代)、(2)資本主義的市民社会が生み出した商品のイメージないし商品のファンタスマゴリー(19世紀中葉から世紀転換期、もしくはモデルネ―ボードレールおよび商品美学の時代)、(3)複製芸術ないしはモンタージュ技法が担う映像イメージ(20世紀前半[ベンヤミンにとっての現代]―映画やブレヒトの叙事演劇の時代)、である。

 この区分を構成の柱として、本論文は、第1章でまず、「イメージ」概念を「物質性」と「アウラ」の両極から定位したのち、上記の三種類のイメージについてのベンヤミンの批評(批判)がもつ意味を、彼の主要著作―ゲーテ論、パサージュ論およびボードレール論、複製芸術論およびブレヒト論、等―の叙述に即して検証し(ただし第III章では、ボードレール論の方法上の前提をなすバロック論、とりわけそのなかのアレゴリー論が吟味される)、その全体において、ベンヤミンが捉えたヨーロッパ近代の構図の批判的意味を、なかんずく現代のメディア論との関連において取り出すことに成功している。

 本論文の論証が、包括的たらんと意欲するあまり、逆に平板さに陥った叙述を所々に含む点、また映像イメージのもつ批判的可能性のみを見て、それによる大衆操作の危険性が考慮されていない点、等に問題がないわけではない。とはいえ、本論文は今後のさらなる展開を期待させる成果を充分に達成しており、これにより本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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