幼稚園は、それまでの家庭生活を送っていた子どもがはじめて、集団の一員として扱われ、意図的かつ組織的な活動単位に組み込まれて教育を受けるという、その後の学校生活にも共通する集団経験をはじめて受ける場となる。こうした特徴をもつ幼稚園を研究対象に、教育学的研究では、民主的な人間形成を目指した班やグループなどの集団づくりの方法が検討された。また、社会心理学的社会化研究では、幼稚園での人的・物的環境が個々の子どもの社会的な相互作用のあり方に与える影響が検討された。さらに、文化人類学的社会化研究では、平等で協調的な人間関係を重視し個よりも集団の目標を優先する「日本的集団主義」の初期的な社会化プロセスが検討された。 これらの研究に対して本研究では、幼稚園で意図的・非意図的に利用される多様な集団を総合的に把握し、これらの集団が教師と子どもあるいは子どもどうしの相互交渉過程でどのように利用されているのか、という視点から幼稚園の集団生活の様相をとらえた。その結果をもとに、従来の研究では課題として残されていた問題、(1)子どもを平等かつ協調的に扱おうとする日本の幼椎園に見られる教育理念は、現実の相互交渉の中で子どもたちの差異化を促すことはないのか、(2)子どもは、個人と集団あるいは集団と集団の関係をどのようにとらえて社会規範を学習するのか、(3)幼稚園において子どもは常に社会化の受け手として存在しているのか、という幼稚園における集団の社会化機能に関する問題を検討した。 幼稚園で利用される集団の種類とその利用方法を、意図的な利用と非意図的な利用の両面から把握する方法として、本研究ではエスノグラフィの手法を採用した。エスノグラフィックな調査は、東京都内の私立S幼稚園を対象に、1991年2月から12月までの10ヵ月間行った。S幼稚園は、3歳児が在籍し、初めて幼稚園での集団生活を経験する子どもの数が、一般に4歳児から入園させる公立幼稚園よりも多い点、特殊な教育内容を取り入れていない点、長年同じ方法で子どもを集団に編成している点で、本研究には格好の研究対象となった。 調査の結果は6つの章にまとめた。第1章では、入園第1日目に焦点をあて、新入園児がどのように幼稚園に迎え入れられるのかを検討した。その結果、新入園児は、幼稚園生活の活動内容やルール等の具体的な手ほどきを受けるのではなく、幼稚園での所属集団を示すシンボルを与えられ所属集団の一員として扱われる儀式をとおして幼稚園に迎え入れられることが判明した。新入園児には一律に、名札などの物としてのシンボルや「ちゅうりっぷさん」などの言葉としてのシンボルが与えられた。これらのシンボルは、新入園児の個人差を覆い隠し、新入園児を個々バラバラの存在としてではなくひとまとまりの集団として可視化する機能と、新入園児と上級学年の園児との違いを可視化するという機能を合わせ持っていた。こうして可視化された新入園児が、やがては誰もが上級学年の園児のような態度や行動がとれるようになる「S幼稚園の年少のちゅうりっぷさん」として、幼稚園に受け入れられるプロセスを示した。 第2章では、保育過程で子どもがどのような集団単位に編成されるのか、その集団単位はどのように編成されるのかを検討した。その結果、学年や学級などの幼稚園生活の基本となる5種類の集団単位と、リトミックグループなどのカリキュラム活動を前提する5種類の集団単位との、計10種類の集団単位が確認された。これら10種類の集団単位の編成様式として、(1)属性のみを基準として同質的かつ固定的に編成する、(2)子どもの性向や能力・技能の評価を基準に集団内は混合的に集団間は均質的に編成し、一定期間固定したうえで再編する、(3)ランダムに編成し再編頻度を高くする、という3つの様式が抽出された。これらの編成様式にはいずれも、能力・技能面や性向面での個人差や集団間差を顕在化させないという教師の配慮が確認された。さらにこれらの編成様式には、これらの差異を潜在化することによって生まれる「集団の教育力」を利用して保育の効率を向上させるという、教師の意図が反映されていることが判明した。 第3章では、上記の集団単位を前提とした集団活動で、教師が子どもに知識、技能、規範などをどのように伝達しているのかを検討した。その結果、これらの伝達過程には3つの特徴が確認された。第一は、知識、技能、規範が「習うより慣れよ」という形式で伝達されることである。S幼稚園では、教師の指示や合図で知識、技能、規範を行動で示す多様なパターンが設定されており、教師の合図ですばやく指示された行動にうつす訓練が繰り返された。第二は、集団活動の過程で集団単位内の誰が正しい行動をし誰が間違った行動をしているかが可視化されることである。教師は、子どものもつ知識、技能、規範の正誤を子どもの個人名を挙げて修正する必要がない。なぜなら、子ども自身がまわりの子どもの行動を見ることでその正誤を把握することができるからである。第三は、全員がそろった動きになるまで教師が各集団単位に行動パターンの訓練を繰り返すため、逸脱している子どもを同じ集団単位内の子どもどうしで注意する「集団の教育力」が発生することである。このように、繰り返せば誰でも獲得でき、間違った子どもの個人名を上げる必要もなく、子どもどうしで指導することによって、実際には存在する知識、技能、規範の学習能力の個人差を顕在化させない教授・学習過程が形成されていることが判明した。 第4章では、子どもに対して教師がとる行為パターンの分析をとおして、10種類の集団単位がどのように利用されているのかを検討した。その結果、ある集団単位をほめれば他の集団単位をもほめるなどの方法で、教師は個々の子どもや集団単位の序列づけを意図的に避け、個人や集団単位に対して均質的かつ調和的な処遇を行うことが判明した。分析結果は一方で、子どもとの相互交渉過程には、教師が意図的に編成した10種類の集団単位以外のメンバー編成の様式をもつ集団が利用されることをも示していた。その集団は、ある共通の行為をしているとみなされる子どもを集合体として扱う、「目に見えないが処遇は受ける」集団であり、個人間や集団間を序列づけるものとして注目された。 そこで第5章では、教師と子どもの相互交渉過程で利用される集団が、活動単位として可視化されるかされないかによって、教師と子どもの相互交渉の様相がどのように異なるのかを検討した。その結果、教師は子どもに対して、方で均質的・調和的な処遇を行いつつ、他方で差異的・排斥的な処遇を行うことで教室秩序を維持することが観察された。均質的・調和的な処遇を行う場合には、教師は、境界が可視化された10種類の集団単位を利用するが、同調誘導場面や逸脱修正場面で、子ども自らの行動の修正を教師が誘導あるいは強制する必要性が高まると、教師は境界の見えない集団を多用することが判明した。 第6章では、可視性の異なる集団をとおして、均質的・調和的処遇と差異的・排斥的処遇という二重の処遇を教師から受ける結果として、子どもがどのような社会性を形成していくのかを検討した。その結果、子どもは、集団から「包摂」されているのか「排斥」されているのか、というところに幼稚園生活での行為の意味や価値があると認識することが判明した。そして、子どもが状況に応じて、自分と自分の所属する集団との関係や、自分の所属する集団と他の集団との関係を読みとり、その背後にある規範の存在を察知する様子が観察記録の中から抽出された。観察記録はさらに、子ども自身が「包摂」と「排斥」という集団関係を自分たちのあそびの過程でも形成し、メンバーの間の差異をもとに中心集団から「排斥」する集団を作り出して社会の規範をつくり出すことを示していた。 調査で得た以上の知見から、幼稚園における集団の社会化機能について以下の3つの結論を得た。第一に、子どもを平等かつ協調的に扱おうとする日本の幼稚園の教育理念は、現実の相互交渉過程では子どもの差異化を促すことになる。子どもを平等かつ協調的に扱う教育理念は、集団単位の編成様式にも、知識、技能、規範を伝達する集団活動の形態にも、意図的かつ組織的な集団単位を利用した教師と子どもの相互交渉過程にも反映されていた。しかし、逸脱行為が顕在化し混乱が予測される場面などの教室秩序を維持する必要性が高まる場面では、教師は境界の可視化されない集団を多用し、その結果として、子どもたちの差異化が促されることが示された。第二に、子どもたちが社会規範を学習するのは、個人対他者というダイアッドな関係をとおしてのみ学習するのではない。「包摂」されているのか「排斥」されているのかという視点で、個人と集団あるいは集団と集団の関係をとらえることによって、子どもたちはその場で要求される規範を察知し、それを体得することが判明した。第三に、幼稚園において子どもは常に社会化の受け手として存在するのではない。子どもたちは、「包摂」と「排斥」という集団関係を自分たちのあそびにも適用し、メンバーの間の差異を基準として中心集団から「排斥」する集団を作り出しながら、必ずしも教師にとっては自明でない規範や解釈をつくり出していた。ここに、幼稚園の集団のもつ「包摂と排斥」という二重の社会化機能が明らかになった。 |