学位論文要旨



No 111608
著者(漢字) 朴,一昊
著者(英字)
著者(カナ) パク,イルホ
標題(和) 大伴家持研究 : 反歌を中心に
標題(洋)
報告番号 111608
報告番号 甲11608
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第71号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 延広,真治
 東京大学 教授 川本,皓嗣
 東京大学 教授 藤井,貞和
 明星大学 教授 小堀,桂一郎
内容要旨

 本論文は、今まで否定的な評価を受けてきた大伴家持の反歌がいかなる意図によるものであり、またそれはどのような文学史的意義を持つかについて考察したものである。以下、各章で考察した内容の大綱を簡略に要約する。

 まず第一章では、口誦性、推敲、虚構といった観点から人麻呂反歌と家持反歌を比較し、それぞれ異なる両歌人の反歌の特性を考察した。人麻呂は推敲という文芸的操作を通じて長歌との有機的連関をはかりつつ長歌より進展した反歌を作ろうとしたのであり、その方向は長歌より離れた独自の世界を形象しながら展開していくものであった。一方、家持反歌は推敲を通じて人麻呂反歌の方向とは逆に長歌に回帰することを目指すものである。なお、表現の上で時間軸を設けて虚構の世界を作っていく人麻呂長歌においては反歌が長歌の外に出る自由なものとなる。ところが、家持長反歌はそのような表現による虚構の世界を作らず、自己の内面を見つめて事実としての心情の多様な変相を言葉の総体として示しているのである。つまり、家持において長歌は変転する心情や事柄を放出する言葉の重層・多元化した空間であり、反歌はそれを受けて捉えかえし絞り込む心的空間であったと言えよう。

 第二章では、長反歌における憶良の特徴を検証するとともに、憶良の世界に接近しようとした家持が憶良の長歌をどのように受け入れて長反歌の制作に反映させたのか、その様相について考察した。憶良の長歌は一首の途中に視点の転換があり、また中間に切れ目があって一首がいくつかの段の総合からなるなど、立体的な構造をもって一つのテーマに対して多角的な内容を盛り込もうとしたものである。そのような憶良の長歌の特色は反歌の制作方法に反映されており、憶良は多角的に繰り広げられる長歌に対応できるように、ある種の論理によって長歌全体を総括する、いわば結論的な反歌を制作した。このような憶良の反歌は憶良の長歌の主題が主に生・老・病・死などの思想的なものであることとも関連するが、憶良独自の反歌に対する認識によるものとして見ることができる。憶良の長反歌の方法を継承した家持は、長歌を充実に要約する、いわばまとめ的な反歌を制作することによって、自分なりの方法を獲得した。家持は長歌を私的感情の吐露の手段として考え、長歌の中で繰り広げられた心情や事柄を反芻する反歌を作り出したのである。まとめ的な反歌は万葉第四期の一般的な傾向と重なる部分もあるが、家持は憶良と異なって反歌を長歌を要約しまとめるものとして認識し、彼独自の方法として発展させようとしたと考えられる。

 第三章では、同時代の長歌歌人福麻呂の反歌を宮廷歌的な性格を中心に考察し、同時代の長反歌の傾向に同調しながらもそれをさらに発展させて独自なものにした家持反歌の方法を明らかにした。万葉第四期を代表する長歌歌人福麻呂と家持は長歌に付される反歌が長歌の内容を要約しまとめるものとして認識していた。ただし、二人の反歌における相違は抒情性の問題と深くかかわっている。福麻呂の長歌は実態的で現実的な現象を理性によって客観的に叙述し、抒情性が稀薄になっているため、反歌は長歌に抒情性を補足する様式として用いられた。福麻呂の反歌は長歌十首のうち八首が反歌二首をともなっているが、長歌において叙事性が強い場合は第一反歌が長歌の内容を叙事的にまとめ、第二反歌が抒情性を補って長反歌全体を締めくくるかたちで歌われる。そして長歌が抒情性を持ち完結される場合は、反歌二首がともに長歌の内容を叙事的にまとめる。このような長歌と反歌との相関関係は叙事性の強い長歌を制作した福麻呂に見られる特徴として考えられる。叙事性の強い宮廷歌を主に制作した宮廷歌人福麻呂に対して、自己の内面を凝視し表現しようとした家持は、叙事性と抒情性の調和を考えた長歌とそれを充実に要約する反歌を試みた。また家持の新しい方法への試みは、主に反歌二首を付す形式に拘った福麻呂とは異なってより自由に反歌を付しているところにもあらわれている。

 第四章では、天平十九年二月二十九日に始まる家持・池主贈答詩歌群における反歌について考察することによって、家持反歌の特質の一面を考察した。この贈答詩歌群における家持「更に贈る歌一首并せて短歌」(巻十七・三九六九〜三九七二)の反歌三首は、家持の一般の非贈答長反歌における反歌が長歌の主題や内容をまとめることによって成り立っているのに対して、前の池主の漢文序や短歌に触発されたかたちで作られ、その池主の短歌のイメージが明瞭な映像として形成される。すなわち、前の短歌が次の長歌を作るきっかけとなって長歌に拡大され、さらに反歌によって凝縮しなおされると言えるが、このように前の短歌(=家持の反歌)によって提示されたイメージが長歌においてディフォームされ、それを反歌が凝縮したフォームに簡略化する。短歌の意味が長歌の中に陥没するのではなく、余分のイメージを捨象することによって反歌において再び生起するのであり、その時点で短歌と長歌全体のイメージが喚起されるのである。このような贈答詩歌群における家持反歌の様相は巻十三問答の反歌に似通う趣を持っていることが認められる。つまり、家持は贈答詩歌群における反歌制作において巻十三の反歌の方法に倣って新しい反歌を試みたと考えられる。

 第五章では、天平十九年三月五日の家持の漢文序における「乱」を検討して、家持反歌の変化の様相とその意味について考察した。万葉集の中でこの漢文序にだけ見られる「乱」という語の意味について、従来、短歌二首を七言詩に対する「乱」とする説と、七言詩を漢文序に対する「乱」とする説との二説が提示されてきた。漢文学における「乱」の性格に照らしてみると、ここでの「乱」は家持と池主の贈答詩歌群全体に対して短歌二首をさすものと見るべきである。家持と池主の贈答詩歌群を一つのまとまった作品と見なした場合、贈答詩歌群は、互いに関連しながら展開する四つのグループに分かれる構造となっており、それぞれのグループの主題は次のグループにつながりながら展開し最後の短歌二首によって全体が捉えかえされ、まとめられている。ところで、この「乱」は家持の反歌において重要な意味を持つ。すなわち、池主との詩歌文贈答を境目にその前後の反歌に変化が見られ、そこにおける家持の文芸的自覚を「乱」にうかがうことができるからである。越中赴任以後、特に池主との漢詩文贈答を経験してからは長歌に着実に回収される、長歌の世界を越えない反歌を制作するようになる。家持の反歌は、長歌の反復に過ぎぬ空疎で無感興のものあると酷評を受けてきたが、ここに反歌史上におけるひとつの転換を見届けるべく、長歌衰退の万葉後期において家持は、人麻呂や憶良、赤人らのような先人の歌の表現や発想を自分の作品に積極的に取り入れようとしつつも、反歌の制作において彼独自の反歌を試みたのである。また、「辞賦」における「乱」を「一篇の趣旨を捉えかえしまとめる様式」と解した家持は、「乱」の方法を反歌に当てはめ、長歌の詩世界に還元される要約的反歌を制作することによって、長歌に対して反歌だけで詩的完結性をそなえる反歌様式を意図したのである。家持の「乱」というタームの使用と「乱」の反歌への応用は、単なるペダントリーによるものではなく、家持の文芸的自覚に支えられた、新しい方法への積極的な試みであった。

 第六章では、万葉和歌史における家持反歌の意義について考察した。一見反復にすぎず新味のないように見える家持の反歌は、初期万葉や人麻呂初期長歌の反歌におけるリフレーン的音楽性(歌謡性)とは異なり、歌語の巧みなヴァリエーションと長歌の抒情の反歌への分解とにより文芸性を追究する、詩的独立性を持つものであった。まとまりがなく焦点がぼけた家持長歌の叙述は、凝縮した短歌としての反歌に分解しなおされることによって詩的緊張感を持ちうるし、そのような絡み合いの中で主題が明確に伝わるのである。この場合反歌は必然的に長歌の世界を追体験できる要約的な反歌であることが要求されるが、長歌から展開する反歌が添えられると、長反歌の構成がますます散漫になって感動の薄いものに転落してしまうからである。つまり、家持反歌は長歌の散文的叙述を取りまとめ、凝縮しなおそうとしたものであり、家持が短歌の詩的凝集力を明確に方法的に意識したところに意義を見るべきである。人麻呂が長歌の「外」に出る反歌を作ることによって反歌の独立性を意図したのに対して、家持は長歌の詩世界の「内」に止まりながら反歌の自立性を追求した。家持は長歌の詩世界に帰結する要約的反歌をあえて制作したのであり、そこに、人麻呂的とも言える自由で独立的な反歌が短歌化=非反歌化していくのを克服し、短歌の凝集力によって詩的完結性をそなえるといった反歌様式への方法的意図が認められるのである。

審査要旨

 本論文は、万葉集を代表する歌人の一人、大伴家持に対して、反歌から迫ろうとしたものである。家持の長歌作品は46首を数え(ちなみに万葉集全体では長歌は265首)、万葉集第一の長歌歌人である。家持という歌人の文学的営為に迫り、古代和歌史のなかにこの歌人を位置づけるために、家持長歌は大きな課題なのである。従来概して家持の長歌の評価は低かったが、再評価しようとする試みが近年なされつつある。しかし、長歌に付され、作品を構成する反歌に関してはなお正当な理解が及んでいるとはいいがたい。それを措いて家持長歌の把握は果たされない。本論文はそうした問題意識において家持の反歌を取り上げようとした。

 家持は、すべての長歌に反歌を付けるが、直ちに注目されるのは反歌の数の多さである。万葉集に3首以上の反歌をもつのは20首しかないうちの10首を家持が占める。そこにすでに反歌に対する特別な意識は明らかだといえよう。長歌・反歌で一つの作品を構成するのであり、構成体としての意識を見るべきなのである。しかし、その問題が正当に追求されてきたとはいいがたい。家持の反歌についてはきわめて否定的な評価のままに置かれており、方法的にとらえることに踏み込んだ議論がなされているとはいえないのである。本論文は、そのような研究の状況を打開し、家持が反歌において方法的であることを追尋して長歌歌人家持に正当な評価を与えた点に大きな意義がある。

 本論文は、六章からなる本論に序論とまとめとを付して構成される。本論は、第一章・人麻呂と家持、第二章・憶良から家持へ、第三章・同時代人福麻呂の反歌意識、第四章・贈答長反歌における家持反歌の方法、第五章・家持漢文序における「乱」について、第六章・家持反歌の意義、となっている。第六章が結論であり、家持が、長歌を短歌に分解して長歌に対応させること、つまり、長歌を分解して各々の短歌として自立させながら、長歌の主題をより明確にしつつ詩的世界を完結すること、を反歌の方法として見定める。それは、第五章において、家持が中国の「乱」を意識しながら自らの反歌を転換して方法化したことをとらえ出すこととあいまって果たされた。家持内部の転換というべき問題を見出すとともになされたその分析は、作品の明快な解析によって支えられ説得的に開示された。見るべきものがないとされてきた家持反歌がきわめて方法的であることが明確に解析されたのであり、家持反歌の核心がここに明らかにされたといえよう。その家持の方法は、人麻呂・憶良・福麻呂との対比によっても確認される。論文に即していえば、第五、第六章に示されるところが核心となり、それが、第一、第二、第三章の、柿本人麻呂、山上憶良、田辺福麻呂との対比によって補完されるという論理構造をなす。

 具体的にいえば、第一章では柿本人麻呂が長歌から離れた反歌を作るのに対して、家持の反歌は長歌にいわば回帰することを分析する。人麻呂に比して単純といわれる家持の反歌のありようを長歌との関係の問題として確かめるとともに、その差異のなかに家持の独自性を見るべきことを作品分析を通じて析出してゆくのである。第二章では、山上憶良に向かい、家持が憶良に学びながら違った境地を開いたことを具体的に見届ける。多数の反歌を付けるという点で万葉集のなかで際立つ両者において、家持の、長歌の主題に沿った反歌と、憶良の、多角的な展開を意図して長歌とは別次元で主題をにない作品を統一する反歌、という差異を見る論は、それ自体興味ある問題提起となっている。さらに、第三章では、万葉集のなかで家持と活動時期を同じくする田辺福麻呂を見合わせながら論じる。笠金村をも視野に入れた議論は発展されるべき多くの可能性を示しながら(例えば、福麻呂・金村における反歌の型の問題などはそれ自体としても論じられる意味がある)、家持の独自さとして、叙事性と叙情性との調和を見るべきことを確かにする。こうした分析を具体的に作品に即して積み重ねて(それぞれの作品をめぐる論議にも新しい問題提起が含まれている)結論に集約するのであり、万葉集を中心的な歌人を通じて見渡すかたちで家持をとらえて結論の説得力をたかめるものとなっている。

 なお、注目されるのは、「乱」に関する論である(第五章)。「乱」は元来中国の「辞賦」の終止形式であるが、反歌はこれにならって付けられるようになったと従来考えられてきた。反歌の成立の問題においてとらえられてきたのである。これを家持の方法の問題において見るべきだとして、本論文はとらえ直した。家持は、自らの反歌を、「乱」になぞらえうるものとして意識化して方法化したのだという。それを、はじめは人麻呂的な、長歌を離れて展開する反歌を作っていたのが、「乱」に学んで長歌に回帰する反歌を方法化するという、家持の反歌の転換としてとらえ出すのであり、比較的見地が家持の把握に生かされた提起といえる。また、それは、すすんで反歌史の輪郭をより明確にするものとしても高く評価される。

 以上のような点で、家持の反歌への理解とともに、歌人家持についての新しい、明確な評価が与えられたのであり、日本古代和歌史研究への多大な貢献を本論文は果たしたといえる。比較的見地を生かした、国文学の専門論文としても評価されうる労作である。ちなみに、第六章のもととなったものは国文学の権威ある学会誌『上代文学』75号に掲載されている。以上のことから、本論文は博士(学術)の学位に十分値するものと、審査委員五人の見解が一致した。

UTokyo Repositoryリンク