天文学の扱う対象はおおざっぱにいってガス系と粒子系に分かれる。ガス系の代表は恒星であり、粒子系は、例えば銀河や球状星団といった恒星系がそれにあたる。 この論文では粒子系を扱う。天文学における粒子系は、お互いの重力で相互作用している重力多体系である。重力多体系の進化はニュートンの運動方程式と万有引力の式に従う。重力多体系は非線形性に富み、奇妙な振舞いとすることが多い。また、三体以上では解析解がないことが知られているので、専ら数値シミュレーションによって調べられている。 重力多体系は、二体衝突による軌道の変化が系の進化を支配するかどうかで、大きく衝突系と無衝突系に分けることができる。この論文では衝突系の進化を扱う。そうでない系である無衝突系の例は、銀河である。このような系では二体衝突の影響は無視でき、平均的な場の振舞いだけを考える。 これまでの衝突系の進化に関する研究は、理想化、単純化した系の進化を扱ってきた。これは基本的には、単純化した系でも重力の非線形性のために複雑な振舞いをするため、より現実的な系を理解するためにはまず理想化した系を理解する必要があったからである。しかし、最近10年間の研究の進歩によって、理想化された自己重力多体系、すなわち等質量の星からなり、球対称で孤立して存在しているような星団の進化がどのようなものかは基本的には解明された。 この論文では、衝突系に関する研究を二つの方向に拡張した。第一に、より現実的な球状星団の進化を調べた。実際の球状星団は、様々な質量の星からなり、恒星進化によってその質量を失う。また、親銀河からの影響を受ける。これらの影響を採り入れたモデルを構築し、それぞれのプロセスの影響を調べた。第二に、衝突系の研究で得られていた知見を光子系に適用した。具体的には、宇宙背景放射や超遠方の天体の観測における重力レンズの効果を調べた。 まず、現実的な球状星団のコア崩壊まで進化を調べた。現実的な球状星団の進化を明らかにすることは、コア付近のミリ秒バルサーやX線連星の形成メカニズムを探るのに重要な役割をはたす。また、我々の銀河や系外銀河での球状星団の空間分布の形成過程を理解するのには、親銀河からの影響を採り入れて進化を追う必要がある。逆に、現在の球状星団の分布から親銀河の形成過程や質量分布に関する情報をえることも可能であろう。 現実的な効果として星の質量分布、親銀河からの潮汐力、恒星進化を取り入れた。これらの効果は独立ではなく、複雑に絡み合って進化に影響を与える。各々の星はその寿命の最後に超新星爆発あるいは星風による質量放出でその質量の大半を失う。これによって、球状星団全体の質量が減る。そのため、球状星団の結合エネルギーが小さくなり、球状星団は全体として膨張する。その結果、いくつかの星は潮汐半径より外に溢れ出し、球状星団の質量は更に減少する。恒星の寿命はその質量にに強く依存し、太陽質量の10倍程度の星では100万年程度と星団の力学的タイムスケールと同程度まで短くなる。大質量星が多い場合ほどこの恒星進化の影響は大きくなる。 このような系の進化を直接N体計算で調べた。数値計算には専用計算機GRAPE-3を用いた。それにより、中心集中度が低く初期に重い星が多い時におこる球状星団の崩壊までの時間を決定した。例えば、初期の星の分布の潮汐半径と半分の質量が含まれる半径の比が4で、初期の質量分布関数が我々の近傍の星とほぼ同じである球状星団は、約九億年で崩壊する。 我々の得た重要な結論の一つは、従来行なわれていたFokker-Planck近似による方法では星団の進化を正しく追えない場合があるということである。Fokker-Planck近似では、星が運動する時間尺度がそれ以外にくらべて十分に短いと仮定する。この結果、恒星進化の影響を過大評価することになり、最大で10倍程度の誤差を生じていた。 次に、初期条件の違いの指数関数的成長の理論を光子系に適用した。この現象自体は粒子系では1960年代から良く知られていた。光子間の距離が十分に小さい時は、一回の重力散乱によって、光子間距離は平均するともとの距離に比例して広がっていく。これは、光子間距離が広がるのは散乱体による重力が光子間で異なるからで、その重力差の大きさは光子間距離で決まるからである。このような散乱を何回も受けることによって光子間の距離が指数関数的に広がっていく。 このプロセスの超遠方天体や宇宙背景放射の観測への影響を調べた。1980年の重力レンズ天体の発見以降、重力レンズの研究は天文学の中でも大きな分野となりつつある。銀河、銀河団などの構造の中を光子がどう伝搬するかというのは明らかにしなければならない重要な課題である。また、重力散乱の宇宙背景放射の非等方性に対する影響も重要な問題である。宇宙背景放射の非等方性は、現在の宇宙の大規模構造のもとになった初期ゆらぎの情報を持っていると考えられている。しかしながら、観測されている非等方性は、現在存在している構造を作るには小さすぎる。 この困難を説明するために様々な理論が提案されているが、決定的といえるものはない。ここでは、重力散乱によって観測される揺らぎがもともとあったものよりも小さくなっている可能性について検討した。 光子の伝搬の数値計算を行なって多重重力レンズ効果を調べた。数値計算には専用計算機GRAPE-2Aを用いた。その結果、多重重力散乱によって、十分に細いビームが指数関数的に広げられることを確認した。そのメカニズムにより、遠方天体の多重重力レンズ効果によるゆがみは、これまで見積もられているよりも大きい可能性があることを示した。また、超銀河団スケールの構造による重力レンズ効果は、宇宙背景放射の非等方性を約半分に減少させ得ることを示した。 以下にこの研究によって新たに得られたことをまとめる。 現実的な球状星団の進化の研究については以下の3点である。 第一点は、比較的若い球状星団の進化を追うには、3つの時間尺度を正しく表現する必要がある、ということである。3つの時間尺度とは、星が運動する時間尺度、二体衝突の時間尺度、恒星進化の時間尺度である。具体的にいえば、星が運動する時間尺度が現実の系に比べて、短過ぎても長過ぎてもいけない。これまでの結果には、以下の二つの問題があったことがわかった。球状星団に比較的重い星が多く、星が運動する時間尺度の十倍程度(一億年弱)で崩壊するような場合、フォッカープランク近似による方法では正しく進化を追えない。フォッカープランク近似による方法では計算量を減らすため、力学的な時間尺度はそれ以外にくらべて短いという近似がもちいられている。このために恒星進化による質量放出に対する星団の力学的な反応が過大に評価され、崩壊時間を10分の1程度に短かく見積もってしまう。 また、星の運動する時間尺度の百倍程度(十億年弱)で崩壊するような場合、これまで行なわれた粒子数の少ないN体計算(千体程度以下)では正しく追えない。これまで行なわれた粒子数が少ないN体計算では恒星進化の時間尺度と初期の二体衝突の時間尺度の比が現実と同じであるように、質量放出を取り入れている。そうすると、粒子数が少ないため星の運動する時間尺度が現実に比べると長くなり、質量放出が現実よりもよりインパルシブに起きるようになる。よって、より多くの質量を系から剥ぎとられ、粒子数が少なくなる。少なくなったことで、系の二体衝突による進化が進み、中心集中度が高くなる。その結果、現実では起こる崩壊を表現できなくなる。二つの場合をまとめていえることは、正しく表現するには粒子数の多い(五千体以上)N体計算が必要である。 第二点は、球状星団が崩壊するのは、系が何らかの摂動に対して不安定になるからではなく、力学的平衡状態を失うからである、ということである。恒星進化による質量放出によって星の分布の中心集中度が下がり、系の重力エネルギーに比べ親銀河の潮汐力エネルギーが大きくなるからである。 第三点は、球状星団の数値計算でも力の精度がさぼどいらない場合がある、ということである。二体衝突が系の進化を支配するときでもそうである。遠くの星との散乱は近くの星との散乱と同等の寄与を持っている。これは、遠くの星との散乱は、一つ一つの寄与は小さいが数が多いからである。定量的に見積もると、90度曲がるような近接散乱は全体の効果にはあまり寄与しないことがわかる。力の精度が必要のはこのような近接散乱なので、力の精度がなくても二体衝突の効果はほぼ正しく取り入れることができる。これが成り立たなくなるのは、連星のふるまいが系全体の進化に影響を与えるよつな、後期の過程においてである。 光子系の多重重力散乱の研究については以下の2点である。 第一点は、多重重力散乱はこれまでの重力レンズの理論で想定されていたものとはことなるメカニズムで起こり、その結果その効果が従来の推定よりもはるかに大きくなる場合があるということである。これまでは、多重重力散乱はランダムウオーク過程で記述してきた。しかしながら、記述が意味を持つためには、個々の散乱が独立であるという仮定が必要である。光子間の距離が十分小さい時には、散乱は光子の間でコヒーレントに起こる。よって、この仮定が成り立たず、光子間の距離の広がりはランダムウオークではなく指数関数的になる。 第二点は、多重重力散乱の数値計算では光子の軌道を正確に時間積分する必要がある、ということである。これまでの多重重力散乱の数値計算は、軌道を時間積分せずに、散乱が同時に起こるとして曲がる角度を見積もっていた。これは多重重力散乱は互いに独立であり、したがってランダムウオーク過程であるという仮定に基づいている。この結果、この計算法では指数関数的な成長の効果は無視され、現実とは全くことなる結果を与えてしまうのである。 |