学位論文要旨



No 111614
著者(漢字) 福重,俊幸
著者(英字)
著者(カナ) フクシゲ,トシユキ
標題(和) 衝突系の進化
標題(洋) Evolution of Collisional Systems
報告番号 111614
報告番号 甲11614
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第77号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 牧野,淳一郎
 東京大学 教授 杉本,大一郎
 東京大学 教授 川合,慧
 東京大学 教授 江里口,良治
 東京大学 助教授 蜂巣,泉
内容要旨

 天文学の扱う対象はおおざっぱにいってガス系と粒子系に分かれる。ガス系の代表は恒星であり、粒子系は、例えば銀河や球状星団といった恒星系がそれにあたる。

 この論文では粒子系を扱う。天文学における粒子系は、お互いの重力で相互作用している重力多体系である。重力多体系の進化はニュートンの運動方程式と万有引力の式に従う。重力多体系は非線形性に富み、奇妙な振舞いとすることが多い。また、三体以上では解析解がないことが知られているので、専ら数値シミュレーションによって調べられている。

 重力多体系は、二体衝突による軌道の変化が系の進化を支配するかどうかで、大きく衝突系と無衝突系に分けることができる。この論文では衝突系の進化を扱う。そうでない系である無衝突系の例は、銀河である。このような系では二体衝突の影響は無視でき、平均的な場の振舞いだけを考える。

 これまでの衝突系の進化に関する研究は、理想化、単純化した系の進化を扱ってきた。これは基本的には、単純化した系でも重力の非線形性のために複雑な振舞いをするため、より現実的な系を理解するためにはまず理想化した系を理解する必要があったからである。しかし、最近10年間の研究の進歩によって、理想化された自己重力多体系、すなわち等質量の星からなり、球対称で孤立して存在しているような星団の進化がどのようなものかは基本的には解明された。

 この論文では、衝突系に関する研究を二つの方向に拡張した。第一に、より現実的な球状星団の進化を調べた。実際の球状星団は、様々な質量の星からなり、恒星進化によってその質量を失う。また、親銀河からの影響を受ける。これらの影響を採り入れたモデルを構築し、それぞれのプロセスの影響を調べた。第二に、衝突系の研究で得られていた知見を光子系に適用した。具体的には、宇宙背景放射や超遠方の天体の観測における重力レンズの効果を調べた。

 まず、現実的な球状星団のコア崩壊まで進化を調べた。現実的な球状星団の進化を明らかにすることは、コア付近のミリ秒バルサーやX線連星の形成メカニズムを探るのに重要な役割をはたす。また、我々の銀河や系外銀河での球状星団の空間分布の形成過程を理解するのには、親銀河からの影響を採り入れて進化を追う必要がある。逆に、現在の球状星団の分布から親銀河の形成過程や質量分布に関する情報をえることも可能であろう。

 現実的な効果として星の質量分布、親銀河からの潮汐力、恒星進化を取り入れた。これらの効果は独立ではなく、複雑に絡み合って進化に影響を与える。各々の星はその寿命の最後に超新星爆発あるいは星風による質量放出でその質量の大半を失う。これによって、球状星団全体の質量が減る。そのため、球状星団の結合エネルギーが小さくなり、球状星団は全体として膨張する。その結果、いくつかの星は潮汐半径より外に溢れ出し、球状星団の質量は更に減少する。恒星の寿命はその質量にに強く依存し、太陽質量の10倍程度の星では100万年程度と星団の力学的タイムスケールと同程度まで短くなる。大質量星が多い場合ほどこの恒星進化の影響は大きくなる。

 このような系の進化を直接N体計算で調べた。数値計算には専用計算機GRAPE-3を用いた。それにより、中心集中度が低く初期に重い星が多い時におこる球状星団の崩壊までの時間を決定した。例えば、初期の星の分布の潮汐半径と半分の質量が含まれる半径の比が4で、初期の質量分布関数が我々の近傍の星とほぼ同じである球状星団は、約九億年で崩壊する。

 我々の得た重要な結論の一つは、従来行なわれていたFokker-Planck近似による方法では星団の進化を正しく追えない場合があるということである。Fokker-Planck近似では、星が運動する時間尺度がそれ以外にくらべて十分に短いと仮定する。この結果、恒星進化の影響を過大評価することになり、最大で10倍程度の誤差を生じていた。

 次に、初期条件の違いの指数関数的成長の理論を光子系に適用した。この現象自体は粒子系では1960年代から良く知られていた。光子間の距離が十分に小さい時は、一回の重力散乱によって、光子間距離は平均するともとの距離に比例して広がっていく。これは、光子間距離が広がるのは散乱体による重力が光子間で異なるからで、その重力差の大きさは光子間距離で決まるからである。このような散乱を何回も受けることによって光子間の距離が指数関数的に広がっていく。

 このプロセスの超遠方天体や宇宙背景放射の観測への影響を調べた。1980年の重力レンズ天体の発見以降、重力レンズの研究は天文学の中でも大きな分野となりつつある。銀河、銀河団などの構造の中を光子がどう伝搬するかというのは明らかにしなければならない重要な課題である。また、重力散乱の宇宙背景放射の非等方性に対する影響も重要な問題である。宇宙背景放射の非等方性は、現在の宇宙の大規模構造のもとになった初期ゆらぎの情報を持っていると考えられている。しかしながら、観測されている非等方性は、現在存在している構造を作るには小さすぎる。

 この困難を説明するために様々な理論が提案されているが、決定的といえるものはない。ここでは、重力散乱によって観測される揺らぎがもともとあったものよりも小さくなっている可能性について検討した。

 光子の伝搬の数値計算を行なって多重重力レンズ効果を調べた。数値計算には専用計算機GRAPE-2Aを用いた。その結果、多重重力散乱によって、十分に細いビームが指数関数的に広げられることを確認した。そのメカニズムにより、遠方天体の多重重力レンズ効果によるゆがみは、これまで見積もられているよりも大きい可能性があることを示した。また、超銀河団スケールの構造による重力レンズ効果は、宇宙背景放射の非等方性を約半分に減少させ得ることを示した。

 以下にこの研究によって新たに得られたことをまとめる。

 現実的な球状星団の進化の研究については以下の3点である。

 第一点は、比較的若い球状星団の進化を追うには、3つの時間尺度を正しく表現する必要がある、ということである。3つの時間尺度とは、星が運動する時間尺度、二体衝突の時間尺度、恒星進化の時間尺度である。具体的にいえば、星が運動する時間尺度が現実の系に比べて、短過ぎても長過ぎてもいけない。これまでの結果には、以下の二つの問題があったことがわかった。球状星団に比較的重い星が多く、星が運動する時間尺度の十倍程度(一億年弱)で崩壊するような場合、フォッカープランク近似による方法では正しく進化を追えない。フォッカープランク近似による方法では計算量を減らすため、力学的な時間尺度はそれ以外にくらべて短いという近似がもちいられている。このために恒星進化による質量放出に対する星団の力学的な反応が過大に評価され、崩壊時間を10分の1程度に短かく見積もってしまう。

 また、星の運動する時間尺度の百倍程度(十億年弱)で崩壊するような場合、これまで行なわれた粒子数の少ないN体計算(千体程度以下)では正しく追えない。これまで行なわれた粒子数が少ないN体計算では恒星進化の時間尺度と初期の二体衝突の時間尺度の比が現実と同じであるように、質量放出を取り入れている。そうすると、粒子数が少ないため星の運動する時間尺度が現実に比べると長くなり、質量放出が現実よりもよりインパルシブに起きるようになる。よって、より多くの質量を系から剥ぎとられ、粒子数が少なくなる。少なくなったことで、系の二体衝突による進化が進み、中心集中度が高くなる。その結果、現実では起こる崩壊を表現できなくなる。二つの場合をまとめていえることは、正しく表現するには粒子数の多い(五千体以上)N体計算が必要である。

 第二点は、球状星団が崩壊するのは、系が何らかの摂動に対して不安定になるからではなく、力学的平衡状態を失うからである、ということである。恒星進化による質量放出によって星の分布の中心集中度が下がり、系の重力エネルギーに比べ親銀河の潮汐力エネルギーが大きくなるからである。

 第三点は、球状星団の数値計算でも力の精度がさぼどいらない場合がある、ということである。二体衝突が系の進化を支配するときでもそうである。遠くの星との散乱は近くの星との散乱と同等の寄与を持っている。これは、遠くの星との散乱は、一つ一つの寄与は小さいが数が多いからである。定量的に見積もると、90度曲がるような近接散乱は全体の効果にはあまり寄与しないことがわかる。力の精度が必要のはこのような近接散乱なので、力の精度がなくても二体衝突の効果はほぼ正しく取り入れることができる。これが成り立たなくなるのは、連星のふるまいが系全体の進化に影響を与えるよつな、後期の過程においてである。

 光子系の多重重力散乱の研究については以下の2点である。

 第一点は、多重重力散乱はこれまでの重力レンズの理論で想定されていたものとはことなるメカニズムで起こり、その結果その効果が従来の推定よりもはるかに大きくなる場合があるということである。これまでは、多重重力散乱はランダムウオーク過程で記述してきた。しかしながら、記述が意味を持つためには、個々の散乱が独立であるという仮定が必要である。光子間の距離が十分小さい時には、散乱は光子の間でコヒーレントに起こる。よって、この仮定が成り立たず、光子間の距離の広がりはランダムウオークではなく指数関数的になる。

 第二点は、多重重力散乱の数値計算では光子の軌道を正確に時間積分する必要がある、ということである。これまでの多重重力散乱の数値計算は、軌道を時間積分せずに、散乱が同時に起こるとして曲がる角度を見積もっていた。これは多重重力散乱は互いに独立であり、したがってランダムウオーク過程であるという仮定に基づいている。この結果、この計算法では指数関数的な成長の効果は無視され、現実とは全くことなる結果を与えてしまうのである。

審査要旨

 多くの恒星が集まってできている銀河、球状星団、あるいは銀河団といったシステムは、多くの粒子が重力だけで相互作用しているシステム、すなわち重力多体系として扱うことができる。

 進化がどのようなメカニズムで起きるかによって、重力多体系は衝突系と無衝突系に分かれる。無衝突系とは、2体衝突による熱力学的緩和が無視できるようなシステムのことである。無衝突系の代表的なものは銀河であり、緩和時間は1016年以上と、宇宙の年齢よりもはるかに長い。これにたいして球状星団は衝突系の典型的な例であり、緩和時間が108ないし109年程度と短い。

 これまでの衝突系の進化に関する研究では、主に理想化、単純化した系の進化を扱ってきた。単純化した系でも重力の非線形性のために複雑な振舞いをするので、より現実的な系を理解するためにはまず理想化した系を理解する必要があった。

 しかしながら、例えば球状星団をとってみても、現実の星団は様々な質量の星からなり、またそれぞれの星は進化によってその質量を変化させる。また、球状星団は親銀河からの重力を受け、その影響は球状星団がどのような軌道で銀河の中を運動しているかによる。これらの影響がどのようなものかは、定量的にはまだよく理解されていない。

 また、球状星団についてはその進化に与える2体衝突の影響は良く理解されているといえるが、システムによっては2体衝突の効果が十分に理解されていないものもある。このような例としては、多重重力散乱によるマイクロ波背景放射の等方化の問題がある。球状星団の研究者の間では、衝突系のなかでの粒子の軌道は多重散乱のためにカオス的になるということは従来から知られていた。マイクロ波背景放射の観測でも、背景放射は銀河、銀河団、超銀河団などが分布するなかを通って我々のところに到達するのであり、これらによる重力散乱の効果を正しく評価するにはこのカオス的な性質を正しく扱う必要がある。それにもかかわらず、従来の理論的取り扱いではこの性質は無視されていた。

 論文提出者は上の2つの方向の研究、すなわち球状星団の進化の研究をより現実的な効果を考慮したものに拡張することと、重力散乱によるマイクロ波背景放射の等方化の評価を多重散乱を正しく扱ってやり直すことの2つを行なった。

 主論文は3章からなる。その一部は既に3篇の論文として印刷公表されている。これら3篇の論文は、それぞれ1名、1名および3名の共著者との連名であるが、そのすべてが論文提出者の福重俊幸が筆頭著者であるだけでなく、彼の主導で研究が進められたものであることを論文審査において確認した。なお、その論文の内容を主論文のなかに含めることについては、共著者の承諾書が得られている。

 主論文第1章は序論であり、以上のような研究の背景や従来の研究の問題点をまとめ、本研究の目的と意義を述べている。

 第2章では、現実的な球状星団モデルの進化が扱われている。現実的な効果として星の質量分布、親銀河からの潮汐力、恒星進化を取り入れている。これらの効果は独立ではなく、複雑に絡み合って進化に影響を与える。

 このような効果を採り入れた球状星団の進化の計算はこれまでに全くなかったわけではないが、本研究の画期的な点は、系の進化を直接N体計算で調べたという点にある。従来、このような現実的な効果をとりいれた進化のシミュレーションは、フォッカー・プランク近似と呼ばれる方法を使って行なわれていたが、この方法は、系が球対称の場合しか扱えない、親銀河からの重力による外場も球対称近似されるなどの制限があった。

 直接N体計算で進化を追うことができれば、上に述べたような制限はなくなる。しかし、従来は、直接N体計算で扱える粒子数が少なかったために、粒子の軌道運動の時間スケールと熱力学的緩和の時間スケールの比が現実の球状星団に比べて小さくなり過ぎるという問題が生じていた。

 本論文では数値計算に専用計算機GRAPE-3Aを用い、従来は実行不可能であった粒子数の直接N体計算を行なっている。GRAPE-3Aは無衝突系のシミュレーションのために開発された専用計算機であり、本論文で扱うような衝突系の進化の計算には使えないと考えられていたが、論文提出者は問題によっては十分な精度で計算できることを理論的、実験的に示している。

 シミュレーションの結果、様々な条件のもとで、球状星団の寿命が決定されている。これは球状星団の形成過程や親銀河の質量分布を調べる手がかりとなる重要な結果である。また、球状星団が一億年程度で崩壊するような場合は、フォッカープランク近似による方法では寿命を極端に過小評価していたということが示され、その理論的説明も与えている。

 第3章では、衝突系における初期条件の違いの指数関数的(カオス的)成長の理論を多重重力散乱によるマイクロ波背景放射の等方化の問題に適用している。

 背景放射の強度の非一様性は、ビッグバン直後の宇宙に存在した密度揺らぎの情報を残しているものと信じられている。標準的な宇宙論では、現在観測される銀河や銀河団、超銀河団などはこの密度揺らぎが重力不安定によって成長したものであるとされている。しかし、COBE衛星などによる観測から得られた背景放射の非一様性は、現在観測されている宇宙の構造を作るには小さ過ぎるということが、これまでの構造形成のシミュレーションによって明らかになっている。

 重力レンズが観測されると、この効果によって観測される背景放射の非一様性が小さくなっている可能性が指摘されたが、従来の研究結果は否定的なものであった。本論文では、従来の研究では無視されていた初期条件の違いの指数関数的(カオス的)成長の効果がこの問題の扱いには本質的であることを指摘し、非一様性が1/2程度まで小さくなる可能性があることを示している。

 カオス的成長は粒子系においては1960年代に発見された。重力多体系ではある粒子はまわりの粒子によって繰り返し重力散乱される。この散乱は、初期条件の違いを増幅する効果を持つ。これは本質的には重力ポテンシャルが上に凸であり、近くの軌道を離すような構造を持つためである。このために、初期条件のわずかな違いが指数関数的に成長する。まわりの粒子を止めて、非常に近くにある2つのテスト粒子の軌道を考えると、この2つの距離は散乱を受けるたびに広がっていく。ただし、距離がある限界距離をこえると、全体として見た重力場は上に凸でなくなるのでこの効果は効かなくなる。

 論文提出者は光子の場合について、その伝搬の数値計算を行なって多重重力散乱の効果を調べ、十分に細いビームが指数関数的に広げられることを確認している。さらに、この現象が起きるために散乱体の分布とその大きさが満たすべき条件を数値実験で求め、その結果に理論的な説明を与え、現実の宇宙において多重散乱の効果を評価している。従来の評価ではビームの幅は赤方偏移zの対数でしか増加しなかったのに対し、新しい評価ではzのベキ乗で幅が広がる。このため、従来は重力レンズの効果が無視できるとされていた角度分解能が数度程度のところでも、非一様性が1/2程度まで小さくなる可能性があることが示されている。この結果は重力散乱の背景放射への影響の理論を書き換える画期的なものである。

 以上を要するに、本論文は現実的な衝突系の進化の研究と、カオス的な軌道の不安定性の宇宙初期の観測への影響の評価という2つの重要な分野において、幾多の新しい知見をもたらすとともに、新しい発展の可能性を開くものである。よって本論文は博士(学術)の学位論文としてふさわしいものであると、審査委員会は認める。

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