学位論文要旨



No 111616
著者(漢字) 宮崎,あかね
著者(英字) Miyazaki,Akane
著者(カナ) ミヤザキ,アカネ
標題(和) 土壌中での重金属イオンの固液界面反応に関する基礎的研究
標題(洋) A Basic Study on Solid-liquid Interfacial Reactions of Heavy Metal Ions in Soil Systems
報告番号 111616
報告番号 甲11616
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第79号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松尾,基之
 東京大学 教授 中村,保夫
 東京大学 助教授 瀬川,浩司
 東京大学 教授 高野,穆一郎
 埼玉大学 教授 一國,雅巳
内容要旨

 土壌は、我々の生活を支えている基盤である。陸水や大気降下物を介して土壌に加えられた物質は、土壌中の液体、すなわち土壌溶液によって移動し、植物に吸収されたり湧水と共に再び地上に現れたりする。しかし、土壌は複雑な混合物であるため、土壌中での物質の挙動について詳しいことはわかっていない。重金属汚染をはじめとする土壌の劣化が懸念される昨今、土壌における物質循環を定量的に理解することは、必須の課題である。土壌中での物質の移動、濃縮、溶解といった挙動は、主として土壌粒子と土壌溶液との間の固液界面反応によって支配されている。本研究では土壌中の物質循環のうち特に重金属元素の行動に着目し、これまで吸着現象として知られてきた重金属元素の固液界面反応を化学反応として定量的に記述する事を目的とした。

 重金属元素は土壌中で、粘土鉱物、中でも特に無定形の粘土鉱物に選択的に吸着することが知られている。特異吸着として知られるこの現象は、土壌中の重金属元素の行動を支配する主要な固液界面反応である。そこで本研究では複雑な土壌を単純化するために、土壌粒子表面のモデルとしてアロフェン様の無定形アルミノケイ酸塩を用いた。アロフェンは、日本の代表的な土壌である黒ボク土を特徴付けている粘土鉱物である。重金属元素としては、亜鉛及び鉄を選んだ。亜鉛は、動物及び高等植物に対する毒性と必須性が知られている重金属元素である。一方、鉄は土壌中に最も多量に存在する重金属元素である。無定形アルミノケイ酸塩表面とこれら重金属元素との間の固液界面反応について、本研究では以下に述べる3つの視点から検討を行った。

 まず第一に、固液界面反応を定量的に扱うための溶液化学的方法の開発を行った。粘土鉱物は、その表面に2種類の電荷を持つ。1つは、結晶格子中の同型置換に基づく永久電荷であり、もう1つは表面水酸基の解離に基づく可変電荷である。これまで粘土鉱物表面への重金属イオンの特異的な吸着は、可変電荷サイトで起こっていると考えられてきた。しかし、吸着に際して2つの電荷が同時に関与することから、可変電荷サイトにおける反応のみを独立に扱うことができず、反応の定量的な関係については実験的に証明されていなかった。本研究ではこの課題を克服するために、pH、イオン強度を一定に保ちながら、系の重金属濃度のみを変化させる吸着実験の方法を開発し、吸着反応の際の可変電荷サイトの密度変化をなくすことに成功した。この方法を用いて、無定形アルミノケイ酸塩への亜鉛イオンの吸着について検討したところ、亜鉛イオン1モルの吸着に対し水素イオン2モルが放出されているという定量的な関係を初めて明らかにすることができた。この結果から亜鉛イオンの特異吸着を、表面水酸基との間の内圏錯体形成反応として記述することができた。

 さらに、この実験方法をAlとSiのモル比の異なるアルミノケイ酸塩に適用することによって、アルミノケイ酸塩表面の2種類の水酸基すなわちアルミノール基及びシラノール基の反応性の違いについて検討した。その結果、亜鉛イオンの錯形成の活性点はアルミノール基であること、一方シラノール基においては、水酸化物の沈着と考えられる反応がゆっくりと進行することが明らかになった。さらに、アルミノケイ酸塩表面と亜鉛イオンとの間の固液界面反応は、アルミノール基とシラノール基の割合に応じたそれぞれの反応の和で表されることがわかった。このことは、複雑な組成を持つ土壌粒子の固液界面反応も、単純な酸化物表面での反応の和として表される可能性を示したものである。

 以上が溶液化学的手法によって得られた主な結果である。溶液化学的手法は定量性において非常に優れている。しかし、固液界面反応に伴う物質収支しか見ることができないという特性上、固液界面における結合状態についての直接的な情報を与えることはできない。固液界面における化学反応を明らかにするためには、界面での金属元素の存在状態に関する情報が不可欠である。そこで本研究では第二に、固液界面での重金属イオンの状態分析を行った。固液界面での物質の化学状態に関する情報は、分析方法が限られているため非常に少なく、無定形アルミノケイ酸塩表面における金属元素の状態分析を行った例はほとんど無い。本研究では、固液界面での状態分析を行うことのできる希少な手段であるメスバウアー分光法及びXAF(X-Ray Absorption Fine Structure)法を用いて、無定形アルミノケイ酸塩に吸着された重金属イオンの化学状態について分析を行った。その結果、亜鉛イオンは無定形アルミノケイ酸塩表面でアルミノール基と内圏錯体を形成していること、さらに形成された錯体の局所構造は、Zn(OH)2の構造単位である四面体に近いことが明らかになった。アルミノール基が錯形成の活性サイトであるという結果は、溶液化学的手法によって得られた結果と一致している。一方、鉄イオンについては価数による吸着機構の違いが明らかになった。すなわち、二価の鉄イオンは無定形アルミノケイ酸塩表面で外圏錯体を形成し、水和イオンのまま静電引力によって表面に保持されているのに対し、三価の鉄イオンは表面水酸基と直接結合した内圏錯体を形成することがわかった。本研究において、メスバウアー分光法およびXAFS法は、固液界面における状態分析の有効な手段であることが明らかになった。これらの分光学的手法と、先に開発した溶液化学的手法とは、その特質において相補的なものであり、今後固液界面反応を検討する上で強力な手段になると思われる。

 第三に、土壌粒子と重金属イオンとの固液界面反応に対する共存化学種の影響についての考察を行った。本研究では共存化学種として、特に炭酸水素イオンをはじめとする溶存炭酸化学種の影響を取り上げた。土壌空気中の二酸化炭素分圧は2桁にわたる範囲で季節変化することが知られている。こうした二酸化炭素分圧の変化は土壌溶液中の炭酸水素イオンの濃度を変化させるが、炭酸水素イオン濃度が重金属元素の固液界面反応に対してどのように影響するのかはわかっていない。本研究では、土壌空気中の二酸化炭素分圧が固液界面反応に対して及ぼす影響について検討するために、系の炭酸水素イオン濃度を変化させた実験を行った。その結果、二酸化炭素分圧の変化に伴い固液界面反応も変化していること、特に亜鉛及び炭酸水素イオン濃度が炭酸塩の溶解度積に達していない濃度範囲で、亜鉛イオンの吸着量が増加していることがわかった。この現象は、炭酸水素イオン及び無定形アルミノケイ酸塩の両方が存在する系においてのみ、特異的に観察された。XAFS法による状態分析の結果、反応のメカニズムとしてアルミノケイ酸塩表面に吸着した炭酸水素イオンが亜鉛イオンの吸着を促進している可能性が示された。この結果は、土壌空気中の二酸化炭素分圧の変化によって、土壌溶液もしくは湧水の化学組成が季節変化を起こしている可能性を示したものである。これまで土壌における吸着現象を扱う際に、気相の組成は無視されてきたが、本研究により土壌における固液界面反応を扱う際には気相成分の寄与も考慮に入れる必要性があることが示された。

 以上のように、本研究は土壌における重金属元素の固液界面反応について、溶液化学的な手法で定量的な関係を求め、分光学的手法を用いて界面での化学状態を分析し、さらに共存化学種の影響も含めて考察したものである。本研究の結果、無定形アルミノケイ酸塩表面での亜鉛及び鉄イオンの吸着反応は、内圏錯体の形成、外圏錯体の形成、もしくは表面における沈殿反応のいずれかの化学反応によって表されることが明らかになった。これまで吸着現象として定性的に扱われてきた土壌における重金属元素の挙動は、ここに化学反応の和として表すことができることが示された。本研究で用いた手法は、土壌における他の固液界面反応についても応用が可能である。本研究の成果は、今後土壌の重金属汚染や酸性雨の土壌に対する影響について予測し、さらには重金属元素の天然における循環及び、様々な固液界面における化学反応を解明する上で大いに貢献し得るものである。

審査要旨

 陸水や大気降下物を介して土壌に加えられた物質は、土壌中の液体(土壌溶液)によって土壌中を移動し、植物による吸収や湧水への混入を経て再び地上に現れたりする。この過程の鍵をにぎる土壌は、複雑な混合物であるため、土壌中での物質の挙動については未知の部分が多い。重金属汚染をはじめとする土壌の劣化が懸念される昨今、土壌における物質循環を定量的に理解することは、環境化学的、地球化学的に重要な課題の一つである。土壌中での物質の移動、濃縮、溶解といった挙動は、主として土壌粒子と土壌溶液との間の固液界面反応によって支配されている。本研究は、土壌中の物質循環のうち特に重金属元素の挙動に着目し、これまで吸着現象として知られてきた重金属元素の固液界面反応をいくつかの化学反応の和として記述し、分子レベルの化学状態を解析したものである。本論文は以下の6章より構成されている。

 第1章では、重金属元素の固液界面反応に関する研究の背景を概観し、従来の研究では取り扱ってこなかった諸問題を提示し、本論文の目的を述べている。

 第2章では、複雑な土壌を単純化するために用いた、土壌粒子表面のモデル物質について述べている。重金属元素は土壌中で陽イオンとなり、粘土鉱物、中でも特に無定形の粘土鉱物に選択的に吸着することが知られている。特異吸着として知られるこの現象は、土壌中の重金属元素の行動を支配する主要な固液界面反応である。そこで論文提出者は、複雑な土壌を単純化するために、土壌粒子表面のモデルとして無定形アルミノケイ酸塩を用いた。実験室内で共沈法により合成したこの物質は、天然の粘土鉱物アロフェンに組成および物性が近いものであることが確かめられている。アロフェンは、日本の代表的な土壌である黒ボク土に多く含まれており、この選択は当を得たものである。合成した無定形アルミノケイ酸塩と重金属イオンとの間の固液界面反応について、次の3〜5章で、3つの視点から検討を行っている。

 第3章では、固液界面反応を定量的に扱うため、まず第一に、溶液化学的手法の開発を行っている。粘土鉱物は、その表面に永久電荷および可変電荷の2種類の電荷を持ち、これまで重金属イオンの特異吸着は、可変電荷サイトで起こると考えられてきた。しかし、吸着に際して2つの電荷が同時に関与することから、可変電荷サイトにおける反応のみを独立に扱うことができず、反応の定量的な関係については実験的に証明されていなかった。論文提出者は、この問題を克服するために、独自の吸着実験の方法を開発し、吸着反応の際の可変電荷サイトの密度変化をなくすことに成功した。この方法を用いて、無定形アルミノケイ酸塩への亜鉛イオンの吸着について検討したところ、亜鉛イオン1モルの吸着に対し水素イオン2モルが放出されているという定量的な関係を初めて明らかにすることができた。この結果から亜鉛イオンの特異吸着を、表面水酸基との間の内圏錯体形成反応として記述することに成功した。さらに、この実験方法をAlとSiのモル比の異なるアルミノケイ酸塩に適用することによって、亜鉛イオンの錯形成の活性点がアルミノール基であること、一方シラノール基においては、水酸化物の沈着と考えられる反応がゆっくりと進行することを明らかにした。また、アルミノケイ酸塩表面と亜鉛イオンとの間の固液界面反応は、アルミノール基とシラノール基の割合に応じたそれぞれの反応の和で表されることを示した。このことは、複雑な組成を持つ土壌粒子の固液界面反応も、単純な酸化物表面での反応の和として表される可能性を示したものである。

 第4章では、固液界面における重金属イオンの結合状態について、直接的な知見を得るために、種々の状態分析を行っている。第3章で開発した溶液化学的手法は定量性において非常に優れているものの、固液界面反応に伴う物質収支を測定するという特性上、結合状態についての直接的な情報を与えることはできない。固液界面での物質の結合状態を非破壊で、化学状態を保ったまま測定する方法は非常に少なく、これまでの研究例はほとんど無い。論文提出者は、固液界面での状態分析を行うことのできる希少な手段であるメスバウアー分光法及びXAFS(X-ray Absorption Fine Structure)法を用いて、無定形アルミノケイ酸塩に吸着された重金属イオンの化学状態について分析を行った。その結果、亜鉛イオンは無定形アルミノケイ酸塩表面で、アルミノール基と内圏錯体を形成していること、さらに形成された錯体の局所構造は、Zn(OH)2の構造単位である四面体に近いことを明らかにした。アルミノール基が錯形成の活性サイトであるという結果は、溶液化学的手法によって得られた結果と調和的である。また、鉄イオンについては価数による吸着機構の違いを明らかにした。すなわち、二価の鉄イオンは無定形アルミノケイ酸塩表面で外圏錯体を形成し、水和イオンのまま静電引力によって表面に保持されているのに対し、三価の鉄イオンは表面水酸基と直接結合した内圏錯体を形成することを示した。本論文において、メスバウアー分光法およびXAFS法は、固液界面における状態分析の有効な手段であることが明らかになった。これらの分光学的手法と、先に開発した溶液化学的手法とは、その特質において相補的なものであり、今後固液界面反応を検討する上で強力な手段になると判断される。

 第5章では、土壌粒子と重金属イオンとの固液界面反応に対する共存化学種の影響についての考察を行っている。本論文では共存化学種として、特に炭酸水素イオンをはじめとする溶存炭酸化学種の影響を取り上げている。これらの化学種の濃度は土壌空気中の二酸化炭素分圧により変化するが、その変化が重金属イオンの固液界面反応に対してどのように影響を及ぼすかは、明らかになっていない。論文提出者は、系の炭酸水素イオン濃度を変化させた実験を行うことにより、二酸化炭素分圧の変化に伴い固液界面反応も変化することを初めて明らかにし、特に亜鉛及び炭酸水素イオン濃度が炭酸塩の溶解度積に達していない濃度範囲で、亜鉛イオンの吸着量が増加していることを示した。XAFS法による状態分析の結果、反応のメカニズムとしてアルミノケイ酸塩表面に吸着した炭酸水素イオンが亜鉛イオンの吸着を促進している可能性を提示した。これまで土壌における吸着現象を扱う際に、気相の組成は無視されてきたが、本論文により土壌における固液界面反応を扱う際には気相成分の寄与も考慮に入れる必要性があることが初めて示された。

 第6章では、各章で得られた結果の統合と、今後の研究の方向性が提示されている。

 以上、本論文提出者宮崎あかねは、土壌中での重金属イオンの固液界面反応について、独自に開発した溶液化学的手法と、最新の分光学的手法を縦横に駆使することにより、これまで吸着現象として扱われてきた重金属元素の固液界面反応をいくつかの化学反応の和として表すことに成功し、さらに界面での分子レベルの化学状態を明らかにした。本論文は重金属元素の天然における循環及び、固液界面における化学反応を解明する上で基礎となるものであり、土壌の環境化学的、地球化学的研究の深化に寄与するところが大である。よって、宮崎あかねは、博士(学術)の学位を授与される資格があると、審査委員会は認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54493