学位論文要旨



No 111617
著者(漢字) 吉田,至順
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,シジュン
標題(和) ブラックホールのまわりを運動する粒子に対する重力波放出の影響
標題(洋) Effect of Gravitational Radiation Reaction on the Orbital Motion Around a Black Hole
報告番号 111617
報告番号 甲11617
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第80号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江里口,良治
 東京大学 教授 杉本,大一郎
 東北大学 教授 二間瀬,敏史
 東京大学 助教授 蜂巣,泉
 東京大学 助教授 牧野,淳一郎
内容要旨

 一般相対論によると,ブラックホールや中性子星などのまわりの非常に強い重力場中を運動する天体の軌道運動は初期にほぼ定常的な状態にあっても,その軌道半径が時間とともに減少して最終的には中心天体へ落下してしまう.この様な現象は天体の運動によって重力波が放出され軌道のエネルギーが減少するために起こる.

 近年,アメリカのLIGOやフランス+イタリアのVIRGOなどの実用的な重力波観測装置の建設が進んでおり,強い重力場の現象のうちでも,とりわけコンパクトな天体の連星の進化の最終段階である合体過程での重力波放出の観測がその主要な対象となってきている.

 天体が重力波を放出しながら進化していく状況を扱う方法としては、大きく分けて二つの方法がある.

 一つは,相対論の基礎方程式であるアインシュタイン方程式を何の近似もせずに直接解いてしまう方法である.アインシュタイン方程式は非線形偏微分方程式で解析的に解くことは大変困難なので,計算機による数値計算が行われている.しかし,問題が3次元の対称性のないものとなるため,現存する計算機の能力不足があったり,座標条件の選び方の任意性とそれによる数値計算の難易度の違いとか,初期値をどう選ぶかとか初期値の満たす束縛条件の解法の問題などがあり,まだ十分な成果が得られているとはいえない.

 二つ目は,ある知られた解に対して摂動展開をする方法である.この方法の中でも二つのやり方がなされている.その一つで最も成果をあげている方法は,ポストーニュートン近似である.これは天体が(1)弱い重力場中で(2)遅い運動をしているという2つの仮定をし,その重力場の強さ(弱い重力をあらわす微小パラメータ)で展開をする.それは具体的には,ニュートン理論に1/c^2の展開で補正項を入れたことになる.この仮定から明らかなように,連星の運動では軌道半径がある程度小さくなるとポストーニュートン近似は精度が悪くなる.一方で,ポストーニュートン近似はフラットな時空に対する摂動なので,あらゆる質量比の連星系に対して使うことが出来る.実際,観測可能な連星はほぼ同程度の質量を持っていて,軌道半径が十分大きい場合,中性子星の連星の軌道を非常に高い精度で予測することができる.このことは連星パルサーPSR1913+16の観測の結果と理論の比較によって確認されている.

 別の摂動展開の方法としては,強い重力源の天体の質量に比べて非常に軽い天体の運動を考えて,その質量比をパラメータとして摂動展開をする方法がある.この方法のメリットは,ポストーニュートン近似とは異なり非常に強い重力場を扱うことが出来るという点にある.このことは同時に天体の軌道速度が光速に近い場合にも使えることを意味する.しかし,この強い重力場中での摂動展開では重力波を放出した場合の反作用をどのように取り入れるべきかよく解っていない.現在行われている唯一の方法は,Tanaka et al.とCutler et al.によもので,重力波の反作用が働く時間尺度が軌道周期に比べて非常に長いという断熱的な変化を仮定している.つまり,数周期に渡って軌道はほとんど変化しない場合に限って正しい方法である.このため,粒子の軌道変化が激しいところや質量比が1に近くなる時(この時には必然的に反作用の効果が強くなる)には,断熱近似が破れるので正しい答えを与えるとは限らない.具体的には,エネルギーの保存する系で重力波の計算を行い.その重力波が運び去ると考えられるエネルギーと角運動量を見積り,それを粒子が失うエネルギーと角運動量に等しいとして粒子の運動の変化の傾向を調べるというものである.つまり,本当の意味で反作用が入った運動を解いているわけではない.

 以上のように,現在までになされた強い重力場中の現実的な天体の運動の解析にはいくつかの限界があり,何らかの方法でこうした限界を超える解析を考える必要がある.

 そこで本研究では,上で述べた強い重力場に対する摂動展開の手法に従うが,断熱近似によらない直接的な方法を考え,それにより天体の運動を解析する.この方法は前に述べたように,連星系を考えた場合,厳密にはその質量比が小さい場合にしか適用できない.しかし,質量比が1に近い場合であっても,重力波放出の最低次の影響を含んでいるため半定量的な結果が得られると考えられる.また,銀河中心にあるような非常に大きい質量を持つブラックホールが恒星やコンパクト星を捕獲する現象では,この方法が適切なものとなる.その際,重力波を考慮した場合に捕獲率がどの程度上がるのかといったことを知ることができる.このことから,巨大質量のブラックホールの進化についても基礎的なデータを与えることができると期待される.

 次に,本研究の具体的な方法について述べる.本研究では,シュワルツシルト・ブラックホールの周りの粒子の運動について解析を行う.前述の様に,粒子の質量がブラックホールの質量に比べて非常に小さいという仮定を置く.この仮定から,時空の計量はシュワルツシルト計量から微小な変化をしたものとなる.粒子は自らの存在の影響で摂動の加わった計量中を重力波を放出しながら運動するので,粒子のエネルギー・運動量テンソルを使ったアインシュタイン方程式と粒子の運動方程式を同時に解くことで,粒子の運動と重力場の変動を知ることが可能となる.

 重力場としては,シュワルツシルト・メトリックに対する一次の摂動のみを考える.したがってアインシュタイン方程式を線形化して考える.一方,粒子の運動方程式としては,測地線の方程式をとり,非摂動の項以外に重力場の一次の摂動の項を入れたものを考える.ここで,重要なことは粒子の軌道と運動に対しては微小パラメータによる展開をしないということで,これは運動の変化が断熱的でなくなるとき,つまり,粒子に対する重力波放出の影響が微小ではなく有限になる状況も考慮できることを意味する。

 ところで,粒子の運動方程式として測地線を考えることは,粒子を点粒子として考えることと等しい.点粒子では粒子が1点にあってその密度が無限大になるので,その位置でアインシュタイン方程式の物質項が発散しており,メトリックに発散をもたらす.このことは物理的には有り得ないことで,粒子を点と見なした仮定に問題がある.しかし,実際に計算するには何らかの方法でこの発散の問題を解決しなければならない.本研究では,デルタ関数で表わされる密度を「点」に有限の大きさを持たせることで有限な関数で置き換えて,この問題を回避する.将来的には点粒子ではなく完全流体への拡張を行う予定である.こうすることで計量の発散という問題は回避され,物理的な状況を正確に再現できるからである.さらに,完全流体を用いるとブラックホールに天体が近づいた時に重要になる流体力学的効果や変形の様子も知ることができる.

 実際の定式化では,非摂動解は球対称なので,線形化したアインシュタイン方程式を,テンソル球面調和展開を用いることで角度変数について変数分離することができる.したがって,最終的には解くべき場の方程式は1次元の線形偏微分方程式として扱うことができる.運動方程式はこの計量の影響を取り入れて解くということになる.本研究では,特に重力波に興味があるので,重力波の反作用で最も効果の大きい四重極放射だけを考えている.

 本研究では,計算コードを完成させ,初期に束縛状態にある粒子の運動について三つの異なる状況の計算を行った.一つは粒子が角運動量を持たない場合で,この場合には,粒子はブラックホールの中心に向かって真直ぐに落下する.二番目の状況は初期に円軌道を運動する場合で,この時はエネルギーと角運動量を放出してほぼ円軌道を保ちながら軌道半径を減少させて運動する.三番目は楕円軌道の場合で,円軌道の場合と同様にエネルギーと角運動量を放出して運動をするが,この場合は重力波の放出率が一定では無いことや近日点移動があることなどから複雑な変化をする.円と楕円軌道の場合については,Tanaka et al.とCutler et al.の結果とこの計算の結果を比較している.その結果は十パーセント程度の範囲で一致している.数値コードの誤差を考慮するとよい結果を得ているといえる.また,初期に円と楕円軌道の場合に,重力波を放出して最終的にブラックホールに粒子が落下する状況の計算も行った.この計算は,強い重力場の場合,本研究の方法によって初めて可能になるものである.

 以上のように本研究では,点粒子に有限の大きさを持たせるという近似により強い重力場中の曲がった空間での粒子の運動を,重力波放出による反作用を直接的に取り入れて計算する新しい方法を提案するものである.今後の方針としては,この数値コードを用いて,粒子に関しての初期条件を変えた計算や,ブラックホールと粒子の質量比を変えた計算を行い、粒子の運動が重力波の放出によってどう変化するのかを天体物理的に考えられる状況の範囲で定量的に調べることがあげられる.断熱近似をして反作用を計算する方法では,軌道が束縛状態でないと扱えないが,我々の方法はこの制約がないため初期に束縛状態でないものがエネルギーを失い束縛状態へと変化する過程も原理的には考慮することが出来る.こうしてブラックホールのまわりを運動する天体の捕獲率への重力波放出の影響を明らかにでき,ブラックホールの成長を定量的に扱うための基礎データを与えることになる.さらには,前述のように,点粒子に「大きさ」を与えて扱っているという点を解消するために,完全流体が扱えるように拡張することも考えている.

審査要旨

 本論文では、シュバルツシルトブラックホールと軽い粒子からなるシステムに関して、重力波の放出とそれが粒子に及ぼす影響(反作用)とを、世界で初めて矛盾なく計算していると認められる。

 ブラックホールのような強い重力源のまわりを別の天体が運動している場合、その運動にともなって重力場は時間変動をするので重力波が放出される。この重力波はエネルギーと角運動量を無限遠に持ち去るため、天体の運動状態が変化する。従来、この状況では、天体の運動による重力場の変化に関心が持たれ、無限遠に到達する重力波のエネルギーと角運動量のみが計算されてきた。つまり、重力波の放出の結果として天体の運動がどう変化するかに関しては、厳密な計算がなかった。それに対し、本論文では、メトリックに関して線形化したアインシュタイン方程式と、摂動を受けたメトリック中での粒子の運動方程式を連立させて解を得ることに成功している。それによって、従来の方法では知ることのできなかった粒子の運動の変化と、その変化の影響も考慮に入れた重力波放出の振舞いが明らかにされており、重力波とその反作用に関して新たな知見をもたらしたものといえる。さらに、粒子の質量がブラックホールの質量に比べて十分小さいときには、本論文で開発された定式化と計算法はあらゆる状態に適用できるので、様々なシステムや状況における重力波放出とその反作用を解明するのに役立つと考えられる。

 本論文は7章からなる。第1章では、これまでになされてきた重力波放出に関する理論的研究が概観されている。それには、二つの流れがあり、一つは重力場が弱いとしてポストニュートン近似を使うもので、もう一つは強い重力場中での軽い粒子の摂動により生じる重力波を扱うものであることが述べられる。しかし、弱い重力場の近似では、ブラックホールのまわりの現象や中性子星の合体過程のような重力波の源として最も可能性の高い状況を扱うことは不可能であることが論じられる。それに対し、強い重力場中での軽い粒子の運動として扱う近似は、中性子星合体のような過程に適用できないとはいうものの、強い重力場の影響を定量的、に取り入れて研究するには適切な第一歩であると述べられているが、これは妥当な研究方針であると判断できる。

 第2章では、球対称時空における摂動論が展開されている。バックグラウンドからのメトリックの微小なずれに関して1次のオーダーでのアインシュタインテンソルの計算がなされ、それに関連して基礎方程式系を簡単化するゲージのとり方が議論されている。さらに、アインシュタイン方程式の物質項から導かれる運動方程式に重力波放出の反作用がどのようにして取り入れられるかが示されている。第3章では、第2章での一般論がシュバルツシルト時空に適用される。その際、時空の対称性によって2つのモードがあらわれ、それぞれの場合に、メトリックの摂動が重力波の自由度に対応する2つの関数の波動方程式に帰着することが示されている。本論文では、その方程式を積分表示して扱っているが、それは曲がった時空での因果律を明確に取り入れるのに有効であると評価できる。

 第4章では、粒子の運動方程式に関する定式化が議論されている。アインシュタイン方程式に現れる点粒子のエネルギー・運動量テンソルは発散しており、重力場の発散をもたらす。そのため、点粒子のエネルギー・運動量テンソルから導かれる運動方程式を解くことは不可能であることが議論され、それを回避する手法が提案されている。もともと摂動的な扱いをすることの前提には、粒子による重力場は小さいという仮定があった。このことは、粒子の大きさが粒子の質量に対応する重力半径よりかなり大きいことを要求していると言い替えることができる。したがって、対象とするシステムを物理的に矛盾なく扱うには、粒子に大きさを持たせることが適切であるとされ、変形を考慮しない有限の大きさを持つ粒子の運動を考えるという立場が選択されている。もちろん変形を考慮しなければ物質の運動は正確に求められないが、物体の代表的な運動とその運動によって発生する重力波に対しての影響は小さいと考えられる。実際、粒子の有限性が結果にどのように影響するかは、第6章と第7章で議論され、上記のように粒子の重力が弱いという仮定の範囲内では、結果にほとんど影響しないことが明らかにされている。粒子の大きさという新たなパラメータを導入することの不利益はあるものの、発散の存在のために解けなかった問題が解けるようになり、重力波放出の反作用の定量的な議論が可能になることの意味を考えると、本論文提出者の方策は適切なものであると評価できる。

 前章までに定式化された方程式系の数値計算法とメトリックの摂動に対する境界条件が第5章で説明されている。その計算法を用いて得られた数値結果が第6章に示されている。計算は大きく分けて3つのグループについてなされている。第一としては、粒子がブラックホールに向かって動径方向に落下していく運動とその時に放出される重力波が計算されている。第二には、粒子がブラックホールにあまり近付かないで「円軌道」や「楕円軌道」を運動する場合が扱われている。第三には、「円軌道」や「楕円軌道」上を運動していた粒子が、重力波を放出することでブラックホールのまわりの不安定軌道に到達し、ブラックホールの地平線へ落下していく状況が求められている。第一と第二の場合については、重力波により系から放出されるエネルギーの変化率と角運動量の損失率は、従来なされてきた計算によっても求められるが、本論文の計算法で得られた値は、それらの結果をほぼ再現することが示され、計算法のチェックともなっている。第三の場合は、従来の計算法では扱うことができない領域を含んでおり、本論文の定式化と計算法によって初めて求められた計算であると評価できる。これまで、Regge-Wheeler方程式とZerilli方程式に現れる有効ポテンシャルの山の位置より外側と、粒子の不安定軌道の間にある場合に粒子から放出される重力波のエネルギーの変化率が大きいことが予想されていたが、本論文はそれを初めて定量的に示したものである。そして、第7章では本論文の結果がまとめられている。

 以上を要するに、論文提出者はブラックホールとそのまわりを運動する粒子からなるシステムにおける重力相互作用に関し、重力波の放出とその反作用を含めて矛盾のない解を世界で初めて得ることに成功している。このように論文提出者は天体物理学における重力波研究の分野で重要な寄与をしている。よって、本論文は博士(学術)の学位論文としてふさわしいものであると、審査委員会の全員の意見が一致した。

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