内容要旨 | | 一般相対論によると,ブラックホールや中性子星などのまわりの非常に強い重力場中を運動する天体の軌道運動は初期にほぼ定常的な状態にあっても,その軌道半径が時間とともに減少して最終的には中心天体へ落下してしまう.この様な現象は天体の運動によって重力波が放出され軌道のエネルギーが減少するために起こる. 近年,アメリカのLIGOやフランス+イタリアのVIRGOなどの実用的な重力波観測装置の建設が進んでおり,強い重力場の現象のうちでも,とりわけコンパクトな天体の連星の進化の最終段階である合体過程での重力波放出の観測がその主要な対象となってきている. 天体が重力波を放出しながら進化していく状況を扱う方法としては、大きく分けて二つの方法がある. 一つは,相対論の基礎方程式であるアインシュタイン方程式を何の近似もせずに直接解いてしまう方法である.アインシュタイン方程式は非線形偏微分方程式で解析的に解くことは大変困難なので,計算機による数値計算が行われている.しかし,問題が3次元の対称性のないものとなるため,現存する計算機の能力不足があったり,座標条件の選び方の任意性とそれによる数値計算の難易度の違いとか,初期値をどう選ぶかとか初期値の満たす束縛条件の解法の問題などがあり,まだ十分な成果が得られているとはいえない. 二つ目は,ある知られた解に対して摂動展開をする方法である.この方法の中でも二つのやり方がなされている.その一つで最も成果をあげている方法は,ポストーニュートン近似である.これは天体が(1)弱い重力場中で(2)遅い運動をしているという2つの仮定をし,その重力場の強さ(弱い重力をあらわす微小パラメータ)で展開をする.それは具体的には,ニュートン理論に1/c^2の展開で補正項を入れたことになる.この仮定から明らかなように,連星の運動では軌道半径がある程度小さくなるとポストーニュートン近似は精度が悪くなる.一方で,ポストーニュートン近似はフラットな時空に対する摂動なので,あらゆる質量比の連星系に対して使うことが出来る.実際,観測可能な連星はほぼ同程度の質量を持っていて,軌道半径が十分大きい場合,中性子星の連星の軌道を非常に高い精度で予測することができる.このことは連星パルサーPSR1913+16の観測の結果と理論の比較によって確認されている. 別の摂動展開の方法としては,強い重力源の天体の質量に比べて非常に軽い天体の運動を考えて,その質量比をパラメータとして摂動展開をする方法がある.この方法のメリットは,ポストーニュートン近似とは異なり非常に強い重力場を扱うことが出来るという点にある.このことは同時に天体の軌道速度が光速に近い場合にも使えることを意味する.しかし,この強い重力場中での摂動展開では重力波を放出した場合の反作用をどのように取り入れるべきかよく解っていない.現在行われている唯一の方法は,Tanaka et al.とCutler et al.によもので,重力波の反作用が働く時間尺度が軌道周期に比べて非常に長いという断熱的な変化を仮定している.つまり,数周期に渡って軌道はほとんど変化しない場合に限って正しい方法である.このため,粒子の軌道変化が激しいところや質量比が1に近くなる時(この時には必然的に反作用の効果が強くなる)には,断熱近似が破れるので正しい答えを与えるとは限らない.具体的には,エネルギーの保存する系で重力波の計算を行い.その重力波が運び去ると考えられるエネルギーと角運動量を見積り,それを粒子が失うエネルギーと角運動量に等しいとして粒子の運動の変化の傾向を調べるというものである.つまり,本当の意味で反作用が入った運動を解いているわけではない. 以上のように,現在までになされた強い重力場中の現実的な天体の運動の解析にはいくつかの限界があり,何らかの方法でこうした限界を超える解析を考える必要がある. そこで本研究では,上で述べた強い重力場に対する摂動展開の手法に従うが,断熱近似によらない直接的な方法を考え,それにより天体の運動を解析する.この方法は前に述べたように,連星系を考えた場合,厳密にはその質量比が小さい場合にしか適用できない.しかし,質量比が1に近い場合であっても,重力波放出の最低次の影響を含んでいるため半定量的な結果が得られると考えられる.また,銀河中心にあるような非常に大きい質量を持つブラックホールが恒星やコンパクト星を捕獲する現象では,この方法が適切なものとなる.その際,重力波を考慮した場合に捕獲率がどの程度上がるのかといったことを知ることができる.このことから,巨大質量のブラックホールの進化についても基礎的なデータを与えることができると期待される. 次に,本研究の具体的な方法について述べる.本研究では,シュワルツシルト・ブラックホールの周りの粒子の運動について解析を行う.前述の様に,粒子の質量がブラックホールの質量に比べて非常に小さいという仮定を置く.この仮定から,時空の計量はシュワルツシルト計量から微小な変化をしたものとなる.粒子は自らの存在の影響で摂動の加わった計量中を重力波を放出しながら運動するので,粒子のエネルギー・運動量テンソルを使ったアインシュタイン方程式と粒子の運動方程式を同時に解くことで,粒子の運動と重力場の変動を知ることが可能となる. 重力場としては,シュワルツシルト・メトリックに対する一次の摂動のみを考える.したがってアインシュタイン方程式を線形化して考える.一方,粒子の運動方程式としては,測地線の方程式をとり,非摂動の項以外に重力場の一次の摂動の項を入れたものを考える.ここで,重要なことは粒子の軌道と運動に対しては微小パラメータによる展開をしないということで,これは運動の変化が断熱的でなくなるとき,つまり,粒子に対する重力波放出の影響が微小ではなく有限になる状況も考慮できることを意味する。 ところで,粒子の運動方程式として測地線を考えることは,粒子を点粒子として考えることと等しい.点粒子では粒子が1点にあってその密度が無限大になるので,その位置でアインシュタイン方程式の物質項が発散しており,メトリックに発散をもたらす.このことは物理的には有り得ないことで,粒子を点と見なした仮定に問題がある.しかし,実際に計算するには何らかの方法でこの発散の問題を解決しなければならない.本研究では,デルタ関数で表わされる密度を「点」に有限の大きさを持たせることで有限な関数で置き換えて,この問題を回避する.将来的には点粒子ではなく完全流体への拡張を行う予定である.こうすることで計量の発散という問題は回避され,物理的な状況を正確に再現できるからである.さらに,完全流体を用いるとブラックホールに天体が近づいた時に重要になる流体力学的効果や変形の様子も知ることができる. 実際の定式化では,非摂動解は球対称なので,線形化したアインシュタイン方程式を,テンソル球面調和展開を用いることで角度変数について変数分離することができる.したがって,最終的には解くべき場の方程式は1次元の線形偏微分方程式として扱うことができる.運動方程式はこの計量の影響を取り入れて解くということになる.本研究では,特に重力波に興味があるので,重力波の反作用で最も効果の大きい四重極放射だけを考えている. 本研究では,計算コードを完成させ,初期に束縛状態にある粒子の運動について三つの異なる状況の計算を行った.一つは粒子が角運動量を持たない場合で,この場合には,粒子はブラックホールの中心に向かって真直ぐに落下する.二番目の状況は初期に円軌道を運動する場合で,この時はエネルギーと角運動量を放出してほぼ円軌道を保ちながら軌道半径を減少させて運動する.三番目は楕円軌道の場合で,円軌道の場合と同様にエネルギーと角運動量を放出して運動をするが,この場合は重力波の放出率が一定では無いことや近日点移動があることなどから複雑な変化をする.円と楕円軌道の場合については,Tanaka et al.とCutler et al.の結果とこの計算の結果を比較している.その結果は十パーセント程度の範囲で一致している.数値コードの誤差を考慮するとよい結果を得ているといえる.また,初期に円と楕円軌道の場合に,重力波を放出して最終的にブラックホールに粒子が落下する状況の計算も行った.この計算は,強い重力場の場合,本研究の方法によって初めて可能になるものである. 以上のように本研究では,点粒子に有限の大きさを持たせるという近似により強い重力場中の曲がった空間での粒子の運動を,重力波放出による反作用を直接的に取り入れて計算する新しい方法を提案するものである.今後の方針としては,この数値コードを用いて,粒子に関しての初期条件を変えた計算や,ブラックホールと粒子の質量比を変えた計算を行い、粒子の運動が重力波の放出によってどう変化するのかを天体物理的に考えられる状況の範囲で定量的に調べることがあげられる.断熱近似をして反作用を計算する方法では,軌道が束縛状態でないと扱えないが,我々の方法はこの制約がないため初期に束縛状態でないものがエネルギーを失い束縛状態へと変化する過程も原理的には考慮することが出来る.こうしてブラックホールのまわりを運動する天体の捕獲率への重力波放出の影響を明らかにでき,ブラックホールの成長を定量的に扱うための基礎データを与えることになる.さらには,前述のように,点粒子に「大きさ」を与えて扱っているという点を解消するために,完全流体が扱えるように拡張することも考えている. |