学位論文要旨



No 111622
著者(漢字) 田中,元
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ハジメ
標題(和) 水溶性ポルフィリンの誘起CDスペクトルを用いたDNA-リガンド相互作用の定量的解析
標題(洋)
報告番号 111622
報告番号 甲11622
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博総合第85号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 教授 赤沼,宏史
 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 林,利彦
 東京大学 助教授 陶山,明
内容要旨

 遺伝情報を担うDNA2重らせんがAdenine、Thymine、Guanine、Cytosineというわずか4種類の塩基の配列に帰することは有名である。これら塩基の特定の配列を認識する分子が合成されるなら、生体内のある特定の遺伝子の発現を制御したり、特定の遺伝子をマッピングすることが可能となる。生体内で塩基配列を認識する役割を担う物質は、主に一群の蛋白質であり、これらに関する様々な研究が行われている。しかし現時点では、生体に由来する以上それらの塩基配列特異性は原則的には固定されたものであり、また、分子レベルでの認識の機構も明らかにしがたいという限界を持っている。DNA塩基配列を認識する物質として数種の抗生物質が知られているが、これらにヒントを得て、本研究ではDNAと低分子量ligandの相互作用を調べている。低分子量であるがゆえにligandのデザイン・合成が比較的容易であり、相互作用を解析する手法にも恵まれるのである。

 ポルフィリンは、化学的に様々な修飾を施すことができ、さらに、可視光領域にSoret帯と呼ばれる強い吸収帯を有し分光学的な解析が行いやすいという長所を持つ。一方、CDスペクトルは電子的環境に非常に敏感であり、吸収スペクトル等では区別できない相互作用様式を見分けられると期待される。ここに、ポルフィリンの誘起CDスペクトルを用いて、従来困難であったDNA-ligand相互作用の定量的解析を行える可能性がある。

 これまでに、水溶性ポルフィリンであるTetrakis-4-N-methyl-pyridyniumyl-porphine(H2TMpyP)のMn錯体(MnTMpyP)と各種合成DNAとの系に観測される誘起CDスペクトルには、DNA相互作用の様式別に特徴的な成分が現われることを示し、ここから得られた知見を基に、一般に複雑であるとされているH2TMpyPの各種DNA相互作用様式を様式別に区別して、定量的解析にとりくんだ。

 H2TMpyP、MnTMpyPの各種DNAとの系において、誘起CDスペクトルの観測をr値(化合物のDNA塩基対あたりのモル数)約0.01〜2の範囲の30点で行うことにより、計算の精度を高め、それぞれの誘起CDスペクトルを共通の基底Lorentz関数の組で近似した。これによって各相互作用様式が対応する誘起CDを示す波長位置をつきとめることができた。

 今回新たに、各様式に由来する誘起CDの旋光強度の複雑なr値依存性を解析するため、本研究独自の関数を採用した結果、DNA相互作用を代表する3種類の様式(minor groove binding、major groove binding、intercalation)を区別して熱力学的、速度論的に定量することが可能となり、それぞれの様式がr値に、あるいはDNA塩基の種類、塩基配列にどのような影響を受けるのかを考察することができた。

 本研究では特に、塩基の置換基がDNA-ligand相互作用におよぼす効果を評価することができた。purineの2位にアミノ基が存在する場合、H2TMpyP、MnTMpyP両者のminor groove bindingはおこらなくなることが確認され、、pyrimidineの5位のメチル基はDNAのrigidityを増し、major groove bindingを、場合によってはintercalationをも安定化させるとおもわれる。これまでに得られた結果には従来の研究結果と矛盾するものはなく、いくつかの新しい知見も得られている。一例として、poly(dA-dT)2系での誘起CDを観測した結果から、生化学上の研究で確かめられているH2TMpyPのTAT塩基配列特異性を再確認し、intercalationおよびminor groove bindingの熱力学的安定性から説明できた点などは興味深い(参考図)。

 DNA-ligand相互作用を解析する際、複数の様式を同時に区別して定量する手法は数少なく、ここに紹介された解析法の応用範囲は広いと考えられる。研究対象である様々なligandにポルフィリンを付し、誘起CDスペクトルを観測することによって、従来得ることのできなかった知見を得ることができると予想される。

参考図

 (a)(b)(c)は、それぞれ各系におけるH2TMpyPのminor groove binding、major groove binding、intercalationに対応するmonomer CDの旋光強度を、r値に対してプロットしたものである。図中の○がpoly(dA-dT)2系の旋光強度をしめす。minor groove binding、intercalationが両方、相当程度おこなわれていることがみてとれる。通常はAT richな塩基配列はminor groove bindingを好むとされており、実際、poly(dA)poly(dT)、poly(dA-dU)2の系では、minor groove bindingがintercalationより熱力学的に安定であるとみなされる。

図表(a) Rotational strengths’ dependances of minor groove binding on r value in compound1-each DNA polymer system. / (b) Rotational strengths’ dependances of intercalation on r value in compound1-each DNA polymer system.(c) Rotational strengths’ dependances of major groove binding on r value in compound1-each DNA polymer system.

 H2TMpyPのTAT配列特異性に直接intercalationが寄与するのか、DNAのconformation変化などの間接的な寄与をおよぼすのかは、今後の研究を待たねばならないが、poly(dA-dT)2の特殊性をつきとめることはできたと考えられる。

審査要旨

 DNA塩基の特定の配列を認識する分子が合成されれば、生体内のある特定の遺伝子の発現を制御したり、特定の遺伝子をマッピングすることが可能となる。塩基配列を認識する物質として、各種の蛋白質、核酸、抗生物質、あるいはそれらをモデルとした合成化合物が研究されており、成果をあげている。しかし、これらの塩基配列認識の機構を調べる従来の手法には様々な限界があり、特に定量的な解析をおこなうことのできる研究方法の開発が待たれている。

 本研究では、DNAと相互作用する低分子量ligandとしてポルフィリンを選び、ポルフィリンがDNAと相互作用する際に示す誘起CDスペクトルを観測することで、DNA-ligand相互作用の定量的解析を試みた。ポルフィリンは、DNAに塩基配列選択的に結合することがしられている。さらに、化学的に様々な修飾を施すことができ、可視光領域にSoret帯と呼ばれる強い吸収帯を有し分光学的な解析が行いやすいという長所を持つために、DNA-ligand相互作用の研究対象として優れている。CDスペクトルは電子的環境に非常に敏感であり、吸収スペクトル等では区別できない相互作用様式を見分けられると期待される。ここに、ポルフィリンの誘起CDスペクトルを用いて、従来困難であったDNA-ligand相互作用の定量的解析を行える可能性がある。第II章では新しく開発した誘起CDスペクトルによるDNA-ligand相互作用の定量的解析法について、第III章では、2種類のポルフィリンと異なった塩基配列の各種DNAについて得られた結果を報告している。第IV章に結果をまとめている。

CDスペクトル曲線の分解・旋光強度の定量/旋光強度のr値依存性の評価

 H2TMpyP(Tetrakis-(4-N-methylpyridyl)-porphine)、あるいはそのMn錯体MnTMpyPと各種DNAとの系において、観測された誘起CDスペクトルを波長位置・半値幅を固定した基底Lorentz関数の組で近似し、各相互作用様式に対応する誘起CDが現れる波長位置をつきとめることができた。つづいて、本研究で独自に開発された関数を用いた結果、各様式に由来する誘起CDの複雑なr値依存性を解析することが可能となり、DNA相互作用を代表する3種類の様式(minor groove binding、major groove binding、intercalation)に対応する成分を区別して定量した。

MnTMpyPのDNA相互作用

 MnTMpyP-各種DNA系に観測される誘起CDについて、抗生物質を用いた定性的な実験、および旋光強度の定量的な解析をおこなった結果、2つの独立な旋光強度のr値依存性はそれぞれminor groove binding、major groove bindingに対応し、DNAのpurineの2位にアミノ基が存在するときminor groove bindingはおこらないこと、purineの2位にアミノ基が存在せずminor groove bindingがおこなわれる場合は、major groove bindingよりminor groove bindingの方が安定な相互作用様式であることが確認された。また、pyrimidineの5位のメチル基が間接的にminor groove bindingを安定化させることが示唆された。

H2TMpyPのDNA相互作用

 MnTMpyPについて得られた結果をもとに、H2TMpyP-各種DNA系に観測される誘起CDを解析し、minor groove binding、intercalation、major groove bindingに対応する成分をつきとめることができた。また、生化学的に確認されているH2TMpyPのTAT配列特異性が、本研究により分光学的にも確かめられ、H2TMpyP-poly(dA-dT)2系のminor groove binding、intercalationがともに強くおこるためによると説明された。pyrimidineの5位のメチル基の役割についても、間接的なminor groove bindingの安定化、H2TMpyPの場合にはintercalationの安定化などを考察している。

本論文の意義

 本研究では、H2TMpyP、MnTMpyPの、r値0.01-2.0という広い範囲にわたる複数のDNA相互作用様式を区別して定量し、各相互作用様式がDNAの塩基配列によってenthalpic/entropicに影響される様子を調べることができた。DNA-ligand相互作用を複数の様式ごとに区別して同時に定量する手法は限られており、本研究のように各様式とその塩基配列依存性を比較した報告の例は数少ない。特に誘起CDスペクトルを用いた定量的解析は、本研究が初めてである。

 従来知られている現象を矛盾なく説明でき、さらに、DNA塩基の置換基が相互作用におよぼす効果、H2TMpyPのTAT配列特異性にminor groove binding、intercalationの両方が関与しているという示唆を得るなど、当分野に新しい知見をもたらした。

 解析法にはこれから解決しなくてはならない問題もあるが、DNA-ligand相互作用一般を対象としたまったく新しい解析法へと発展させることも可能である。本研究が独創性を発揮している点、また、将来の有用性が期待される手法を編み出した点で、田中 元は博士(理学)の学位を受ける資格があると審査員一同により判定された。なお、本文中の内容は一部については論文として公表済みであり、他も国際誌に論文として発表予定である。いずれも共著論文であるが、本論文提出者が研究の主要部分を担当したものである。

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