学位論文要旨



No 111629
著者(漢字) 金田,修明
著者(英字)
著者(カナ) カネダ,ナオアキ
標題(和) 電子回折及びX線分光によるSi(111)面上での金属の成長モードと構造安定性の研究
標題(洋)
報告番号 111629
報告番号 甲11629
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2993号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 教授 小牧,研一郎
 東京大学 助教授 藤森,淳
 東京大学 助教授 青木,秀夫
内容要旨

 表面物性に関する研究手法は近年飛躍的な進歩を遂げている。表面の実像観察を容易にした走査トンネル顕微鏡(STM)などその端的な例であろう。反射高速電子回折(RHEED)や低速電子回折(LEED)は逆格子を通しての表面の構造解析に有効である。表面現象の研究には表面の組成や元素の挙動を知ることが極めて重要であり、従来主にオージェ電子分光(AES)による研究が多かった。これに対してRHEEDと全反射角X線分光(TRAXS)法を組み合わせたRHEED-TRAXSは、電子ビームの照射域全体の広範囲に渡る表面や薄膜の構造と組成とを同時にしかも成長の動的過程も含めて研究するのに威力を発揮している。この方法の最近の大きな成果としては、入射電子線の視射角を変えた場合の放射X線の強度変化を測定することによって、表面付近での深さ方向の元素の分布を測定する新しい方法の開発が挙げられる。

 RHEED-TRAXSの特性は以下の3点にまとめられる。

 (1)電子線を表面すれすれに入射させるので、電子はあまり深くまで侵入せず、表面近傍から励起されるX線のみが検出される。

 (2)表面付近で等方的に放射されたX線が固体表面から真空中に放出される際に屈折の効果により、全反射角の臨界角付近の方向にX線のフラックスが集中する。

 (3)X線の取り出し角が小さい場合はX線検出器をX線の全反射の臨界角付近に設定することにより、固体内部の深いところから出てきたX線を検出せず、表面付近より放出されたX線のみを効率的に検出することになる。

 これらの相乗効果として、高い表面感度での元素分析が可能となる。

 本研究の目的は、先ずこのRHEED-TRAXSの現象について理論的な裏付けを与えることである。次にこの方法により、Si(111)表面における金属の成長モードや表面構造及び薄膜構造の安定性について、電子回折による構造研究に加えて表面における元素の挙動や分布を調べ、成長機構を新しい観点から研究することである。

研究結果1理論的考察

 本研究においては、主として上記(1)と(2)の効果について、詳しい考察を行った。

 (1)の入射電子線のふるまいについては、入射電子を粒子とみなすモンテカルロ・シミュレーションによるモデル化の研究が行われて来ている。このモデル化によって電子線の軌跡を解析し、電子線に励起されて発生する特性X線の発生の分布(発生関数)として表すことができるようになった。

 本研究では、RHEEDにおいてSi試料中深くまで侵入する電子線の振る舞いや拡散の様子をモンテカルロシミュレーションで計算し、表面からの深さzに対するSi K線の発生強度(z)を入射電子線の視射角(g)を変えて求めた(図1)。その結果として、RHEED-TRAXSにおいて下地Siから放射されるSi K強度のX線取り出し角(t)に対する依存性を説明できることを明らかにした。gを変えた場合に特性X線の放射強度のg依存性の曲線にはピークが現れ、そのピークの位置が薄膜の成長条件により変化する現象が観察されていたが、本研究ではこの現象が表面における元素の深さ分布の違いを反映したものであることを確認した。

 (2)の屈折の効果に関連して、表面付近で放出されたX線について考察した。その結果、表面上に粒子が存在する場合、X線強度の取り出し角依存性が特徴的な振る舞いを示し、これを解析するとその粒子の形態についての情報が得られることを明らかにした(図2)。即ち、表面からの高さが0の場合には従来から測定されていた曲線に一致したが、粒子の高さが高くなるに従ってX線の干渉効果で多数の振動的なピークが現れ、ピークの位置がtの低角側にずれることがわかった。

2実験結果

 以上の理論的考察を考慮して、実験を行った。

 最初にSi(111)表面上にAu、Ag、Gaを蒸着して構造を作製し、その上に更にAg、Au、Inをそれぞれ室温で蒸着した。これらをそれぞれAg/Si(111)---Au、Au/Si(111)--Ag、In/Si(111)--Ga(1ML)と表す。これらの表面について、その成長過程及び、更にその後高温で数分間加熱を行った場合の表面構造、薄膜構造の変化をRHEEDで観察し、同時に特性X線の視射角(g)依存性の測定を行ない、組成や元素の挙動の解析を行った。

 図3は、Ag(4ML)/Si(111)---Auの系について、蒸着後の加熱によるX線強度のg依存性の変化を測定した結果である。(a)、(b)はAuMの、(c)はAgLの強度について測定した結果である。X線強度のピークの位置を比較することによって、蒸着中にAg、Au間で原子の置換は起こらず、結果として表面からAg/Au/Siの順に並んだ通常の深さ分布が形成されたことがわかる。この構造は200℃程度までのアニールによっては変化せず、300℃以上の加熱によって6×6表面超構造と微結晶粒子(S-K構造)へと変化した。

 Au(2ML)/Si(111)--Agの系では、後から蒸着したAu原子が下地表面上のAg原子と置換してAgの下に潜り込む、置換原子成長モードとなることを再確認し、Yamanaka等の成長モードを実証した。この系についても蒸着後加熱を行ったが、200℃までは合金化等の構造変化は見られなかった。従来のAuとAgの合金状態図ではAuとAgは合金化して全率固溶体を作ることがよく知られているが、上記の条件で作製した試料では200℃以下ではAuとAgは合金化せず、分離した状態の方が安定であることを初めて明らかにした。しかしながら、400℃以上に加熱するとAuとAgの合金微粒子が形成され、従来の状態図と定性的に一致した。

 In(4ML)/Si(111)--Ga(1ML)の系では、室温でのInの蒸着によって、In2GaIn2という特異な深さ分布を持った構造が形成される。アニール実験の結果、Inの層状構造は崩れ、Inが3次元的な島状微結晶粒子を形成した。図4は、同系においてInを室温で蒸着直後、及びInを蒸着後400℃に加熱した後の試料について、X線の取り出し角tに対する特性X線InLの強度変化を測定した結果である。(○)は、Inを蒸着直後におけるX線の取り出し角tに対する特性X線InLの強度変化の測定結果である。Siに対するInLの全反射臨界角t=0.54°よりも僅か低角で強度が最大となるが、これはSi表面に蒸着されたInの表面吸着原子によるものである。(●)は400℃でアニール後の測定結果である。t=0〜0.5°での強度が増し、他のtに対しては強度が減少するという変化を示した。この結果は、Si表面上に成長した3次元的なInの微結晶粒子からのX線強度のt依存性として説明できることを明らかにした。

図表図1:Si(111)表面上に15keVの電子線を幾つかの視射角gで入射させた時、表面から深さzの位置でのSi Kの発生強度(z)のMonte Carlo Simulation。 / 図2:Si(111)表面上にAgの3次元的な島状粒子があるとした場合のAg L(Ek=2.984keV)放射強度のt依存性(計算値)。 / 図3:Ag(4ML)/Si(111)---Auについて、Au M、Ag Lの放射強度のg依存性のアニールによる変化。(a)Au M:加熱前〜加熱温度300℃ (b)Au M:加熱温度400〜600℃ (c)Ag L:加熱前〜600℃。 / 図4:In(4ML)/Si(111)--Ga(1ML)について、加熱前と400℃で加熱後とにおけるIn L強度のt依存性の変化。曲線はSi表面に高さ無限大のInの島状粒子がある場合の計算値Ih=∞(t)。
結果の要約1.Ag(4ML)/Si(111)---Au

 (1)Si(111)---Auの上に室温でAgを4ML蒸着した結果、Ag原子は通常の成長モードでSi(111)-Auの上に成長し、繊維構造的な薄いAg薄膜が形成された。

 (2)200℃まで加熱しても構造に変化は起こらなかったが、300℃以上でS-K構造になり、更に400℃以上で-(Au,Ag)表面構造とAu-Ag合金微粒子が形成された。

 (3)600℃に加熱するとAg原子だけが蒸発し、--Au表面構造に戻った

2.Au(2ML)/Si(111)--Ag

 (1)室温でAuを蒸着した結果、AuがAgと置換してAuがAgの下に潜り込み、AuとAgが分離した構造になり(置換成長モード)、Yamanakaらの結果と一致した。

 (2)200℃まで構造は変化しなかったが、300℃以上に加熱するとS-K的な構造に変化し、400℃以上ではAu-Ag合金微粒子が形成された。

3.In(4ML)/Si(111)--Ga(1ML)

 (1)200℃に加熱すると、5×5、2×2等の表面構造とInの結晶粒子が形成された。

 (2)200〜600℃で、表面構造は(Ga,In)→Si-Gaによるインコメンシュレート(IC)超長周期構造→-Gaの順に変化した。

 (3)Inの3次元島状微結晶粒子は400℃のアニール温度で最も大きく成長し、600℃でInはほぼ完全に脱離した。

審査要旨

 結晶基板上で異種物質が結晶成長するヘテロエピタキシーの研究では、実験手段の制約のために、これまで主として構造のみが議論されてきた。そのため、ヘテロエピタキシーに伴う異種物質の合金化や表面偏析などの重要な現象はほとんど議論できない状態であった。最近、反射高速電子回折(RHEED)で使用する電子ビームで励起された表面近傍の原子から放出されるX線を全反射角X線分光(TRAXS)により検出するRHEED-TRAXS法が開発され、表面の構造と組成とを同時に測定することが可能となり、この方法をヘテロエピタキシーに応用し、構造変化に伴う合金化や表面偏析の研究が始められるようになった。

 本研究は、このRHEED-TRAXS法を用いて、シリコン(111)面上の金属のヘテロエピタキシーおよびその温度変化による構造安定性を調べたものである。本研究では、このRHEED測定中に発生する特性X線の放出角度依存性と入射電子の視射角依存性を、基板温度を変化させながら精密に測定し、それをモンテカルロ計算と比較することにより金属の構造と組成がどのように変化するかを調べ、表面での金属原子の移動を議論した。

 本論文は、六章からなる。第一章序論では、RHEED-TRAXS法の歴史とこれまでの研究経過、および本研究の目的が述べられている。第二章ではRHEED-TRAXS法の原理と、特定の構造モデルに対する放出X線強度の角度依存性および入射電子の視射角依存性を、モンテカルロ計算により導出する方法が述べられている。第三章ではRHEED-TRAXS法による実験装置と実験方法が記述されている。第四章では、結晶成長の様式が既に明らかになっているシリコン(111)面上に銀微粒子が成長した系を例にとり、RHEED-TRAXS法の有効性を議論した。

 第5章では、この方法により、シリコン(111)面上に2種類の金属が存在する系での結晶成長の温度依存性や表面構造と組成の温度変化を調べた結果が述べられている。以下に本論文により明らかにされた主な新しい知見を記述する。

 1.放出X線強度の角度依存性および入射電子の視射角依存性を測定し、それらをシミュレーションと詳細に比較することにより、表面上の島状微粒子の大きさを推定できることを示し、これを、シリコン(111)面上の銀微粒子の成長やその熱脱離過程を例に取り実証した。

 2.シリコン(111)-111629f17.gif金面上の銀の安定性

 室温で蒸着された銀薄膜が、温度上昇により表面上の銀微粒子として凝集し、600℃では脱離する。

 3.シリコン(111)-111629f18.gif銀面上の金の安定性

 室温で蒸着された金は銀と置換され、最外表面には銀原子が浮き上がることが知られていたが、この構造は200℃でも安定である。また、300℃以上では金と銀が合金化し微粒子として凝集する。

 4.シリコン(111)-111629f19.gifガリウム面上のインジウムの安定性

 室温で蒸着された2モノレーヤ以上のインジウムはガリウムと置換され、ガリウムが表面第3層に存在することが知られていたが、この構造は200℃で不安定となり、インジウムは微粒子として凝集する。さらに温度を上昇させると微粒子の大きさは400℃で最大となり、より高温ではインジウムの脱離がおこる。

 以上、この論文では、RHEED-TRAXSによる測定結果を、構造モデルに基づいたシミュレーションと詳細に比較する方法を確立し、シリコン(111)面上金属のヘテロエピタキシーおよびその熱安定性ついて議論した。審査委員会は、これら超高真空中における困難な測定が十分注意深く行なわれ、その解析及び考察が適切な手法でなされ、おおむね妥当な結論に達していると判断した。特に、表面上での金属微粒子の形成と合金化を定量的に測定する手段を開発し、実用化した点は高く評価できる。今後他の手法による研究と合せて、ヘテロエピタキシー現象を解明するための重要な実験事実を明らかにしたことの意義は大きい。このように、審査委員全員は、本論文が博士(理学)の学位論文として合格に相当するものと認めた。

 なお、本研究は、井野正三教授(指導教官)および長谷川修司助教授(井野研元助手)との共同研究となる部分を含むが、著者が研究計画から実験及び解析・考察のすべての段階で主導的な役割を果たしており、主体的寄与があったものと認められた。

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