学位論文要旨



No 111633
著者(漢字) 安食,博志
著者(英字)
著者(カナ) アジキ,ヒロシ
標題(和) 磁場中のカーボンナノチューブ
標題(洋) Carbon Nanotubes in Magnetic Fields
報告番号 111633
報告番号 甲11633
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2997号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寿栄松,宏仁
 東京大学 助教授 勝本,信吾
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 助教授 池畑,誠一郎
 東京大学 教授 塚田,捷
内容要旨

 カーボンナノチューブは2次元(2D)グラファイトを筒上に丸めた構造をもつ新しいクラスの1次元フラーレンで、1991年に飯島によって発見された。2DグラファイトはブリルアンゾーンのK点とK’点において伝導帯と価電子帯が接触している、ゼロギャップ半導体である。ところがナノチューブは円周方向の境界条件のために、その構造(チューブの直径等)に依存して金属的、または半導体的な性質を示すことがtight-binding modelの計算から示されていた。

 我々は磁場をかけた場合の電子状態、光吸収スペクトル、格子の歪みに対する不安定性および軌道磁性についての理論的研究を行った。以上の計算ではフェルミエネルギーをとるK点とK’点の近傍におけるk・p方程式(有効質量近似)を用いた。このk・p方程式は外場(磁場等)がかけられた場合についても非常に有力である。またtight-binding modelの計算との比較によって,k・p近似によって得られた結果が妥当であることも確かめられた。

(1)電子状態

 2Dグラファイトに対するk・p方程式はニュートリノが従う(massless)ディラックの相対論的方程式と同じ形になる。この方程式を円周方向の境界条件を考慮して解くことにより、ナノチューブの構造に依存した特徴的な電子状態を再現したのみならず、半導体のギャップが直径に反比例して小さくなることを解析的に示した。さらに図1のように磁束がチューブの軸方向に貫くと、エネルギーギャップが磁束量子0の周期で振動するというAharonov-Bohm(AB)効果があらわれることが明らかになった。

図1ナノチューブの略図

 金属のナノチューブの軸に垂直な方向に磁場Hをかけたときのエネルギーバンドを図2に示す。横軸はナノチューブの軸方向の波数で、エネルギーの単位は半導体のときのバンドギャップ4/3L(はバンドパラメータ、Lは円周の長さ)である。フェルミエネルギーは原点にとり、磁場の大きさをナノチューブの半径とサイクロトロン半径lの比L/2lで表している。このように、磁場をかけるとフェルミエネルギーで平らなランダウ準位が形成され、磁場の強さとともにその領域が拡大する。この状態における電子は、チューブの頂上(x=0)と底(x=L/2)でサイクロトロン運動している。半導体のナノチューブや、軸方向に磁束が貫いている場合でも同様のランダウ準位が生じ、バンドの様子は金属の場合と非常によく一致している。

図2エネルギーバンド
(2)光吸収スペクトル

 エネルギーギャップについての情報を得る最も代表的な実験の1つとして光吸収スペクトルをあげることができる。光の電場が軸に平行の場合にはバンドギャップに相当するエネルギーで吸収スペクトルのピークが見える。従ってAB効果は吸収スペクトルのピークの振動としてあらわれる。一方、光の電場が軸に垂直である場合には分極の効果による反電場が強く、吸収スペクトルにおけるピークは消失してしまうことが明らかになった。

(3)格子の歪みに対する不安定性

 ナノチューブは一次元性の物質なので金属の場合には格子の歪みに対して不安定であると考えられる。ここでは二種類の格子歪みについて考察した。図3(a)は面内方向のケクレ歪みの様子を伸びたボンドを細い線で、縮んだボンドを太い線で表している。面内方向の歪みのうちケクレ歪ではフェルミエネルギーで状態をもつすべてのK点とK’点が相互作用をするため、最も大きなギャップが開く。図3(b)では面外方向の歪みの様子をチューブの表面の外側に歪んだサイトを黒丸で、内側に歪んだサイトを白丸で表している。このとき黒丸と白丸のサイトのエネルギーがチューブの曲率のために異なり、エネルギーギャップが開く。これら二種類の格子歪みを同時に取り入れたk・p方程式は、電子が従う(massive)ディラックの相対論的方程式と同じ形になる。

図表図3(a)ケクレ歪み (b)面外歪みa)磁場がないときの歪み

 電子のエネルギーと、格子の歪みによるエネルギーを加えた全エネルギーを最小にする条件からギャップ方程式が得られる。このギャップ方程式はケクレ歪と面外格子歪は同時には起こらず、結合定数の大きい歪だけが実現することを示している。

 ナノチューブの軸に垂直な方向の磁場が0の場合には解析的な解が得られ、歪みに伴うエネルギーギャップは円周の長さが大きくなるにつれて減少することが明らかになった(ケクレ歪みの場合はexp(L/a)、面外歪みの場合はexp[-(L/a)3]、aは格子定数)。これはナノチューブは円周の長さが大きくなるにつれて2Dグラファイトに近づくためである。また軸方向に平行な磁束をかけると、AB効果によってエネルギーギャップはで小さくなる。ここでcはギャップEgを開かせるのに必要な磁束である。

b)磁場があるときの歪み

 軸に垂直な方向の磁場が有限のときには図2で示されているように磁場の強さとともにランダウ準位の領域が拡大する。このため格子が歪んでエネルギーギャップが開くと電子のエネルギーの減少が大きくなり、磁場が0のときよりも格子が大きく歪む。また、磁場の強さはナノチューブの表面では一定にはならないので、格子の歪みも円周の位置に依存するようになる。

 図4は格子の歪み(ギャップパラメータの実部に比例)に対する円周方向の位置の依存性を示している。金属(=0)の場合と半導体(=±1)の場合で歪みの大きさはほぼ等しい。格子の歪みはランダウ準位にある電子が大きく寄与をし、その電子はナノチューブの頂上と底の近傍で局在しているため、歪みもその位置で大きくなる。一方チューブの両側(x=±L/4)は磁場の大きさが0となるため歪みの大きさも小さくなる。 図5はk=0(この波数で歪みによって生じるギャップが最大となる。)でのエネルギーギャップを示している。磁場が0のときには歪みの大きさは直径の大きさとともに指数関数的に減少していたが、磁場をかけると直径が大きいナノチューブほどランダウ準位にある電子数が増えるために大きく歪む。また磁場が0のときには軸方向の磁束がAB効果のために格子歪みを消滅させていたのに対して、十分大きな磁場では歪みの大きさは磁束にほとんどよらなくなる。これは(1)で述べたように強磁場で生じるランダウ準位は金属や半導体、磁束に依存しないためである。ナノチューブの直径が大きくなるのに従ってエネルギーギャップの大きさは2Dグラファイトの場合に近づく。

図表(図4)格子歪みの位置依存性 / (図5)ギャップの磁場依存性
(3)磁気的性質a)一本の単層ナノチューブ

 ナノチューブの軸に平行に磁束をかけた場合にはAB効果によって磁気モーメントが生じ、磁束量子の周期で振動的に変化する。弱磁場において金属のナノチューブは常磁性を示すが、半導体のナノチューブでは反磁性を示す。ここで、金属のナノチューブの帯磁率が対数発散することが大きな特徴である。

 ナノチューブの軸に垂直に磁場をかけたときには金属的か、半導体的かによらず2Dグラファイトと同様の強い反磁性を示す。

b)アンサンブル平均

 実際に磁気モーメント、帯磁率を測定する際にはいろいろな太さの金属や半導体のナノチューブが磁場に対して様々な方向を向いて集まっているようなサンプルが現実的である。そこでこれらを考慮に入れた帯磁率等のアンサンブル平均を計算した。図6はアンサンブル平均を取ったときの磁気モーメントと微分帯磁率の磁場依存性を示している。実線は実験(Heremans et al)の結果を示し、点線と波線はチューブの直径の分布を両極端に与えたときの数値計算の結果である。弱磁場側での帯磁率(微分帯磁率)の増加は金属のナノチューブの(AB効果による)軸方向の磁場に対する対数発散的な常磁性に起因している。このほかAB効果として帯磁率の温度依存性の計算も行い低温側で帯磁率が増加することも示された。Heremans et alによる実験ではこのような特徴的な構造がみられていない。しかし最近他のカーボンからなる物質を取り除いた精製したナノチューブで低温側での帯磁率の増加が観測されている(Yumura et al)。

(図6)微分帯磁率の磁場依存性
審査要旨

 カーボンナノチューブは、2次元グラファイトシートが直径1-100nmのチューブ状に成長した物質であり、ナノメターサイズにおけるモルフォロジーの多様性とその電子構造の特異性のために、固体物理は勿論、広く物質科学や電子デバイスの分野からも強い関心が持たれている物質である。本論文は、このナノチューブの電子構造、特に磁場中における電子準位を有効質量近似(kp摂動近似)を用いて決定し、種々の物理的性質とその特異性を理論的に明らかにしたものである。

 論文は7章から成り、第1および2章ではナノチューブの構造的特徴と最近の実験結果が総括されている。ナノチューブは、円筒状に巻かれた2次元グラファイト格子からなるが、その円周方向の境界条件によって金属相と半導体相が交互に出現する。第3章では、まずナノチューブの半導体相のギャップエネルギーを有効質量近似によって求め、チューブの直径に反比例して減少することすることを示した。次に磁場をチューブ軸に並行に印加した時の磁場効果について、ギャップエネルギーが単位磁束量子の周期で振動し、半導体相と金属相が交互に現れる一種のAharonov-Bohm(AB)効果が生じることを初めて指摘した。さらに、磁場中におけるLandau準位の計算を行ない、磁場をチューブ軸に垂直に印加した場合には、フェルミ準位のエネルギー位置に殆んどエネルギーの分散を持たない特殊なLandau準位が現れることを指摘した。これらの有効質量近似の結果は、より厳密なTight Binding計算の結果と比較し、非常に高い磁場領域を除き、良い一致を示すことを証明し、この近似計算の正当性を評価した。この他、ナノチューブの特異な形状に対するLandau準位の物理的特徴、例えば、その中心座標は波数に依存して円周上での位置が異なるなど、物理的意義および描像を詳細に議論した。

 第4章では、光学的性質、特に、磁場中のナノチューブの光吸収の計算を行ない、Landau準位の分裂に伴なう吸収スペクトルの鋭い振動的変化と、特にナノチューブ軸に対する光の分極効果を明らかにした。すなわち、光の分極方向がナノチューブ軸に並行の場合には鋭いピークが現れるのに対し、垂直の場合には反電場効果のためにピークが消滅することである。

 第5章は、ナノチューブが本質的に1次元金属であることに由来する格子の不安定性に関する議論である。ここでは、グラファイト格子の面内での歪(ケクレ型)および垂直方向の歪みについて、その格子歪みによる電子系のエネルギ利得と格子変形による損失の全エネルギの最小化の条件から、ギャップ方程式を決定し、不安定性が議論された。無磁場の場合、金属相ナノチューブでは、結合定数の大きさに依存するが、上記2種の歪みのどちらか一方が格子不安定を生じること、さらに、歪みの大きさを種々のチューブ直径に対して評価し、直径の増大に対して急激に減少することを示した。

 一方、垂直磁場が印加されている時には、フェルミ準位にあるLandau準位が大きな状態密度を持ち電子の半占有状態であるため、格子歪みの効果は著しく顕著になる。この格子歪みの著しい特徴は、ギャップエネルギーがナノチューブの円周上の位置に強く依存し、磁場に対しチューブの頂上および最低部でギャップは最大となり、側面では歪みは生じない。これは、このLandau準位の円周上での電子密度分布を反映したものである。論文では、金属相および半導体相について、ギャップエネルギーの詳細な数値計算が行なわれている。

 第6章はナノチューブの磁気的性質、磁化および帯磁率が議論されている。並行磁場の場合には、AB効果のために磁気モーメントは振動的変化を示す。一方、弱磁場極限では、金属相は常磁性を、半導体相は反磁性を示すこと、さらに金属相の帯磁率は磁場に対し対数発散を示すなど、他の系にない特異な性質を持つことを明らかにした。これら理論から求められた磁気的性質については、種々のチューブのアンサンブル平均を計算し、最近の実験結果と比較し、定性的一致が得られることが示されている。第7章は結論に当てられている。

 以上、本論文は、特異な幾何学的特徴をもつナノチューブについて、その電子状態の磁場効果について、詳細な理論的研究を行ない、ナノチューブの持つ特異性を顕著に示したものであり、独創性は極めて高い。これらの研究結果は、ナノチューブの発見直後、本著者がその磁場効果の特異性にいち早く着目し、AB効果など量子効果を最初に指摘しなされたものであり、パイオニア的業績としてこの分野から高い評価を得てきたものである。

 本審査委員会は、本論文が、理論計算の結果の記述に留まらず、それぞれの結果に対する物理的描像、意義および近似計算に対する評価など、非常に注意深く詳細に吟味されたものであり、研究結果の正当性が主張されているばかりでなく、著者の物理学的見識が明瞭に現われたものと、高く評価した。よって、本論文は、本学博士(理学)学位論文として合格に相当するものと、審査員全員が認めた。

 なお、本研究は安藤恒也教授(指導教官)およびNguyen Ai Viet博士との共同研究となる部分を含むが、審査委員会は著者が研究全般に渡り主体的役割を果たしているものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53897