学位論文要旨



No 111634
著者(漢字) 阿波加,薫
著者(英字)
著者(カナ) アワカ,カオル
標題(和) SNS 接合における超伝導位相変数の巨視的トンネル効果
標題(洋) Macroscopic Quantum Tunneling of Josephson Phase in SNS Junction
報告番号 111634
報告番号 甲11634
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2998号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 教授 藤川,和男
 東京大学 教授 小林,俊一
 東京大学 助教授 勝本,信吾
 東京大学 助教授 清水,明
 NTT基礎研究所 主幹研究員 栗原,進
内容要旨

 水素原子のようなミクロな系に対して量子力学の妥当性を疑う人はいない。一方、我々が日常目にする巨視的な世界では、古典力学が物体の運動を記述する非常に良い近似となっており、量子効果が出現することは通常はありえない。「これら2つの領域の違いが何によって規定され、どのように記述されるか。」という問いは量子力学の誕生以来議論され続けてきた問題である。しかしながら、実験との関連からこの問題が取り扱われるようになってきたのはようやく最近のことである。

 上の問題の本質は、無限の自由度をもつ外界とマクロな自由度の結合によって引起こされる散逸が、量子力学的なコヒーレンスをどのように壊すのかという点にある。このため、ジョセフソン接合における超伝導位相変数のトンネル効果、微小磁性体の磁化の反転、電荷密度波、スピン密度波などの現象における量子核生成など非常に広範囲の物理に現われる問題となっている。なかでも、ジョセフソン接合系に関してはその理論的、実験的取り扱いの容易さからさかんに研究が行われてきた。

 ジョセフソン接合では二つの超伝導体のオーダーパラメーターの位相差、、が重要な巨視的変数である。この変数に対する有効作用は微視的ハミルトニアン、

 

 より導かれる。ここで、HL、HR、HT、Hemはそれぞれ左右の超伝導体のBCSハミルトニアン、超伝導体間の電子のホッピング、電磁場の効果を表わしている。式(1)のハミルトニアンから電子系を消去することにより、ジョセフソン接合の有効作用、

 

 が得られる。ここで、Cは接合のキャパシタンス、は温度の逆数である。式(2)の第一項は静電エネルギーの、第二項は準粒子のトンネリングの、第三項はクーパー対のトンネリングの寄与をそれぞれ表わしている。ここで、積分核、()、()、は超伝導のギャップ、、の効果を反映して短時間の相互作用となる。すなわち、(),()〜(→∞)である。このため、位相の運動の特徴的時間スケールが、1/に較べて長い場合には位相変数を時間に関して、

 

 のように展開することが許される(断熱近似)。この近似により、式(2)の第二項はCの繰り込みとなり、また、第三項はジョセフソン結合項、及び、Cの繰り込みの二項となる。したがって、有効作用は繰り込まれたキャパシタンス、Cを用いて、

 

 と表わされる。ここで、であり、バイアス電流、j、の効果を加えた。

 ところが、超伝導-金属-超伝導(SNS)接合の場合には低エネルギー励起にギャップが存在しない。このため、積分核、(),()に対応する項に長時間相互作用が現われることになる。この場合には上述の断熱近似は正当化されず、長時間相互作用の効果が位相の運動に現われることが予想される。この効果が位相の運動にどのような影響を与えるかは未だに明らかにされていない。特に位相の揺らぎが大きい場合には、長時間相互作用の効果は顕著に現れることが期待される。本研究の目的は、このような長時間相互作用の効果が、位相の準安定状態からのトンネル確率にどのような影響を及ぼすかを理論的に明らかにすることである。とくにバイアス電流が臨界電流に近い場合に重点をおき調べた。

 まず、微視的なハミルトニアンから出発し、SNS接合系の位相変数に対する有効作用をもとめた:

 

 ここで、m=1/2EC=RQ/RN、EC≡2e2/Cは接合の静電エネルギー、RQ≡h/4e2は量子抵抗であり、RNは接合のノーマル抵抗である。また、積分核、K()、はN領域での対伝播関数で与えられる。本論文では、実験との関連からN領域が拡散的な二次元電子によって形成されている場合を考察する。この場合、積分核の時間依存性は拡散係数、D、で特徴づけられる。また、ドルーデ公式よりDはに比例する。便宜上、積分核をK()=EJOk()のように、D依存性を持つ部分、k()、とそれ以外の因子、EJO、に分離し、パラメータ、とEJOを変化させ、位相のダイナミクスへの影響を議論する。

 式(5)の有効作用はSIS接合の有効作用と、オーミックな散逸が存在する点、及び、ジョセフソン結合項が長時間の相互作用を持つ点で異なっている。後者の理由により断熱近似を適用することは許されない。

 トンネル確率の計算のため、まず、セルフコンシステント調和近似により有効質量、mtr有効的な散逸の強さ、tr、有効試行振動数、tr、ポテンシャルの底の位置、0、に対する方程式を求めた。これらの方程式を数値的に解くことにより、各変数の繰り込みの様子を調べた。さらに、繰り込まれた変数を用いてトンネル確率、、の評価を行った。

結果

 1、バイアス電流がない場合(j=0)のEJOの空間での相図を図1に示した。白塗の領域は位相がコサインポテンシャルの極小点の一つに局在している状態(tr≠0)である。一方、斜線の領域では位相はコサインポテンシャル中をコヒーレントに運動している(tr=0)。黒塗の領域は<0となり我々の近似が適用できない領域である。まず、自明な極限として、EJO=0の場合と=0の場合がある。これらの場合はK()=0であるのでポテンシャルが存在しない。このため、mtr=m,trtr=0となり、位相は局在しない。これらの非局在状態は、<1の有限の領域にも広がっている。局在、非局在領域の境界は、EJOが小さい場合には〜1付近に存在し、EJOの増大にともない=0に近づく。これはポテンシャル障壁が高くなり、量子ゆらぎが抑えられるためである。一方、局在領域ではコサイン項の効果は有効質量を大きくし、散逸を小さくする。EJOが大きくなるにつれ、散逸はついには0まで繰り込まれる。これは我々の理論の破綻を意味している。さらにEJOの大きい領域は我々の理論では扱えない。

 2、図1の線A上での、変数、mtr/m,tr/,tr/J依存性を図2に示した。ここで、である。パラメータの小さい領域では、量子効果がコサイン項の効果を消し去るためmtr→m、tr,tr→0となる。一方、の大きい領域ではK()の時間依存性が短時間になることを反映して、mtr→m、tr,trJとなる。中間の領域ではコサイン項の効果のため、mtr>m、tr<となる。

 3、図3aに、mtr/m,tr/,tr/J0/(/2)のj依存性を図1中の点d(EJO=1.0、=120)について示した。バイアス電流、j、が大きくなると、0が増加する。このため、K()の効果は小さくなる。さらに、ポテンシャル障壁が小さくなるため、コサイン項の効果は量子揺らぎにより抑制される。したがって、mtr→m、trtr→0へと近付く傾向が見られる。さらに、バイアス電流を大きくすると、変数、mtr,tr,tr0に虚部が現れる。これは、ポテンシャルが低くなり、井戸の底での準安定状態のエネルギーが虚部を得ることを意味する。我々はこの虚部が出現する臨界バイアス電流の大きさを有効臨界電流、jceff、と定義する。バイアス電流がさらに大きい場合にはポテンシャルは障壁とならず、状態は不安定になる。点dにおけるトンネル確率のj依存性を図3bに示した。さらにトンネリレ確率のj依存性を半古典論、K()の時間依存性を無視した理論と比較し議論した。

 以上のように、本研究では、SNS接合における超伝導位相のダイナミクスに、積分核、K()の時間依存性が与える影響を考察した。その結果、積分核の時間依存性は位相の有効質量、mtr、散逸の強さ、trの繰り込みにもっとも顕著に現れることを見い出した。時間依存性が短時間である場合にはこれらの変数は繰り込まれないのに対し、時間依存性が長時間になるとjに依存した繰り込みが見られる。このj依存性は交流ジョセフソン効果の実験などで検出される可能性がある。しかしながら、jceffの値については、積分核の時間依存性による違いは定量的にわずか(数%)である。同様にjceff近傍でのトンネル確率にも積分核の時間依存性による違いはあまりみられない。

図表Figure1:パラメータ,EJO,の空間での相図の概略図。白塗の領域は局在相、斜線の領域は非局在相である。黒塗の領域では我々の近似は破綻している。線Aの各点は論文中で議論する点である。 / Figure2:図1の線A上における、mtr/m、tr/tr/J依存性。 / Figure3:(a)点d(Ej0)=1.0,=120)における、mtr/m、tr/tr/J0/(/2)のj依存性。実線は実部を破線は虚部を表している。(b)トンネル確立、、のj依存性。
審査要旨

 本論文は6章よりなるが、序章と第2章で散逸のある巨視的量子トンネル系の理論的な背景、第3章ではSNS接合系の有効作用、第4章ではこれに対する近似法、第5章では散逸・質量・トンネル確率の電流依存性について、数値結果を述べた。

 外界との相互作用に伴う散逸が巨視的自由度の量子現象をどのように規定しているかは、量子力学の根源に関わる理論物理の興味深い問題である。一方、最近の微細加工技術の進歩によって、このような現象を実験的に検証する可能性が生じてきた。例えば超伝導位相変数のトンネル効果、微小磁性体の磁化の反転などである。本研究は特に2つの超伝導体電極がノーマル状態の金属を挟んで接合されたSNS接合系について、超伝導位相変数の量子過程に散逸効果がどのような影響を及ぼすかを明らかにしたものである。

 超伝導体電極が絶縁体を挟んだSIS接合の位相変数については、Ambegaokar等、Larkin等による研究によって、その基本的な性質がこれまでに明らかにされている。ここでは絶縁体部の電子励起が超伝導ギャップに等しいギャップをもつために、断熱近似が有効で準粒子のトンネル項およびクーパー対のトンネル項はキャパシタンスやジョセフソン結合定数に繰り込まれる。その結果実現される状況は、比較的簡単である。ところがSNS接合系の場合には常伝導金属(N)内電子系の励起にギャップがなく長時間相互作用が存在するために、この効果が位相の運動にどのような影響を生じるかが興味深い問題として浮かび上がる。本論文ではこのような散逸および長時間遅延効果が、超伝導位相変数の運動、特にトンネル確率に及ぼす影響を理論的に研究した。

 はじめに微視的なハミルトニアンから出発し個別的な電子の自由度を消去して、実効的な作用を両超伝導体の位相差の関数として求める。ここでN領域は比較しうる実験との対応を考えて拡散的な2次元電子ガスであると仮定する。このときN領域のオーミックな電気抵抗は拡散定数に逆比例し、ドルーデ式で与えられることになる。この模型では位相差の運動エネルギー項にはキャパシタンスに比例する慣性エネルギーの他にN領域のオーミック抵抗に逆比例する散逸項が付け加わる。一方クーパー対の伝達できまるコサイン項では、遅延効果を与える積分核はクーパー対の拡散を表すプロパゲータに比例し、長時間的な挙動を示す。この2つの特徴は従来研究されていたSIS系と大きく異なる点である。次にこの有効作用から種々の物理量を評価するために、変分原理に基礎をおく自己無撞着調和近似を行い、実効質量mtr、実効散逸定数tr、有効試行振動数trを決定する近似式を導いた。また同様にこれらの繰り込まれた変数によって位相差のトンネル確率を与える表式を導いた。これらの関係式は比較的簡単な構造をしており、コンピュータによってこれを数値的に解くことが可能となる。これにより各パラメータおよびトンネル確率を、バイアス電流 jの関数として決定した。

 得られた結果は以下のようなものである。まずバイアス電流の無い場合、積分核の強度因子Ej0と、拡散係数 Dに比例する散逸定数のパラメータ空間で局在/非局在状態を分かつ相図を描くと、非局在状態はEj0軸に沿った狭い領域だけに現れる。Ej0が小さいときには境界は=1の近くにあるが、Ej0の増加に伴い値が小さい方に境界がずれる。これはポテンシアル障壁の増大による、量子揺らぎの減少と対応する。位相差の局在領域でが大きくなると、mtr,trおよびtrはそれぞれN領域の効果を無視した裸の値、m、およびJに近づく。ここにJは積分核の時間積分とチャージングエネルギーの調和平均に比例する。これは積分核がより短時間的な振る舞いを示すことの反映である。一方が小さくなると、mtrtrは同様に裸の値に近づくが、trはゼロまで減少する。量子効果がコサイン項の効果を消すためである。さらにこれらのパラメータ値のバイアス電流 j依存性について、以下のことが明らかになった。jの増大により位相差の平衡値が増加し、積分核の効果が小さくなる。このため、mtrtrは裸の値に、trはゼロに近づく。jがある臨界値jceffを越えると、これらのパラメータに虚部が現れる。jceffは実効的な臨界電流と理解されるべきものである。

 本論文の主要な成果は、拡散的な電子ガス系を挟んだSNS接合系における位相差の量子ダイナミクスの機構、特に散逸効果と積分核の長時間遅延効果を明らかにしたことである。遅延効果は質量と散逸定数の繰り込みにバイアス電流依存性を引き起こすが、これはACジョゼフソン効果によって、実験的に検証できると期待される。このように本論文は超伝導位相変数における巨視的トンネル効果に、新しい重要な知見を与えることに成功したのであり、博士(理学)の学位を授与するに値すると、審査員全員が判断した。

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