水素原子のようなミクロな系に対して量子力学の妥当性を疑う人はいない。一方、我々が日常目にする巨視的な世界では、古典力学が物体の運動を記述する非常に良い近似となっており、量子効果が出現することは通常はありえない。「これら2つの領域の違いが何によって規定され、どのように記述されるか。」という問いは量子力学の誕生以来議論され続けてきた問題である。しかしながら、実験との関連からこの問題が取り扱われるようになってきたのはようやく最近のことである。 上の問題の本質は、無限の自由度をもつ外界とマクロな自由度の結合によって引起こされる散逸が、量子力学的なコヒーレンスをどのように壊すのかという点にある。このため、ジョセフソン接合における超伝導位相変数のトンネル効果、微小磁性体の磁化の反転、電荷密度波、スピン密度波などの現象における量子核生成など非常に広範囲の物理に現われる問題となっている。なかでも、ジョセフソン接合系に関してはその理論的、実験的取り扱いの容易さからさかんに研究が行われてきた。 ジョセフソン接合では二つの超伝導体のオーダーパラメーターの位相差、、が重要な巨視的変数である。この変数に対する有効作用は微視的ハミルトニアン、 より導かれる。ここで、HL、HR、HT、Hemはそれぞれ左右の超伝導体のBCSハミルトニアン、超伝導体間の電子のホッピング、電磁場の効果を表わしている。式(1)のハミルトニアンから電子系を消去することにより、ジョセフソン接合の有効作用、 が得られる。ここで、Cは接合のキャパシタンス、は温度の逆数である。式(2)の第一項は静電エネルギーの、第二項は準粒子のトンネリングの、第三項はクーパー対のトンネリングの寄与をそれぞれ表わしている。ここで、積分核、()、()、は超伝導のギャップ、、の効果を反映して短時間の相互作用となる。すなわち、(),()〜(→∞)である。このため、位相の運動の特徴的時間スケールが、1/に較べて長い場合には位相変数を時間に関して、 のように展開することが許される(断熱近似)。この近似により、式(2)の第二項はCの繰り込みとなり、また、第三項はジョセフソン結合項、及び、Cの繰り込みの二項となる。したがって、有効作用は繰り込まれたキャパシタンス、Cを用いて、 と表わされる。ここで、であり、バイアス電流、j、の効果を加えた。 ところが、超伝導-金属-超伝導(SNS)接合の場合には低エネルギー励起にギャップが存在しない。このため、積分核、(),()に対応する項に長時間相互作用が現われることになる。この場合には上述の断熱近似は正当化されず、長時間相互作用の効果が位相の運動に現われることが予想される。この効果が位相の運動にどのような影響を与えるかは未だに明らかにされていない。特に位相の揺らぎが大きい場合には、長時間相互作用の効果は顕著に現れることが期待される。本研究の目的は、このような長時間相互作用の効果が、位相の準安定状態からのトンネル確率にどのような影響を及ぼすかを理論的に明らかにすることである。とくにバイアス電流が臨界電流に近い場合に重点をおき調べた。 まず、微視的なハミルトニアンから出発し、SNS接合系の位相変数に対する有効作用をもとめた: ここで、m=1/2EC、=RQ/RN、EC≡2e2/Cは接合の静電エネルギー、RQ≡h/4e2は量子抵抗であり、RNは接合のノーマル抵抗である。また、積分核、K()、はN領域での対伝播関数で与えられる。本論文では、実験との関連からN領域が拡散的な二次元電子によって形成されている場合を考察する。この場合、積分核の時間依存性は拡散係数、D、で特徴づけられる。また、ドルーデ公式よりDはに比例する。便宜上、積分核をK()=EJOk()のように、D依存性を持つ部分、k()、とそれ以外の因子、EJO、に分離し、パラメータ、とEJOを変化させ、位相のダイナミクスへの影響を議論する。 式(5)の有効作用はSIS接合の有効作用と、オーミックな散逸が存在する点、及び、ジョセフソン結合項が長時間の相互作用を持つ点で異なっている。後者の理由により断熱近似を適用することは許されない。 トンネル確率の計算のため、まず、セルフコンシステント調和近似により有効質量、mtr有効的な散逸の強さ、tr、有効試行振動数、tr、ポテンシャルの底の位置、0、に対する方程式を求めた。これらの方程式を数値的に解くことにより、各変数の繰り込みの様子を調べた。さらに、繰り込まれた変数を用いてトンネル確率、、の評価を行った。 結果 1、バイアス電流がない場合(j=0)のEJOとの空間での相図を図1に示した。白塗の領域は位相がコサインポテンシャルの極小点の一つに局在している状態(tr≠0)である。一方、斜線の領域では位相はコサインポテンシャル中をコヒーレントに運動している(tr=0)。黒塗の領域は<0となり我々の近似が適用できない領域である。まず、自明な極限として、EJO=0の場合と=0の場合がある。これらの場合はK()=0であるのでポテンシャルが存在しない。このため、mtr=m,tr=、tr=0となり、位相は局在しない。これらの非局在状態は、<1の有限の領域にも広がっている。局在、非局在領域の境界は、EJOが小さい場合には〜1付近に存在し、EJOの増大にともない=0に近づく。これはポテンシャル障壁が高くなり、量子ゆらぎが抑えられるためである。一方、局在領域ではコサイン項の効果は有効質量を大きくし、散逸を小さくする。EJOが大きくなるにつれ、散逸はついには0まで繰り込まれる。これは我々の理論の破綻を意味している。さらにEJOの大きい領域は我々の理論では扱えない。 2、図1の線A上での、変数、mtr/m,tr/,tr/Jの依存性を図2に示した。ここで、である。パラメータの小さい領域では、量子効果がコサイン項の効果を消し去るためmtr→m、tr→,tr→0となる。一方、の大きい領域ではK()の時間依存性が短時間になることを反映して、mtr→m、tr→,tr→Jとなる。中間の領域ではコサイン項の効果のため、mtr>m、tr<となる。 3、図3aに、mtr/m,tr/,tr/J、0/(/2)のj依存性を図1中の点d(EJO=1.0、=120)について示した。バイアス電流、j、が大きくなると、0が増加する。このため、K()の効果は小さくなる。さらに、ポテンシャル障壁が小さくなるため、コサイン項の効果は量子揺らぎにより抑制される。したがって、mtr→m、tr→、tr→0へと近付く傾向が見られる。さらに、バイアス電流を大きくすると、変数、mtr,tr,tr、0に虚部が現れる。これは、ポテンシャルが低くなり、井戸の底での準安定状態のエネルギーが虚部を得ることを意味する。我々はこの虚部が出現する臨界バイアス電流の大きさを有効臨界電流、jceff、と定義する。バイアス電流がさらに大きい場合にはポテンシャルは障壁とならず、状態は不安定になる。点dにおけるトンネル確率のj依存性を図3bに示した。さらにトンネリレ確率のj依存性を半古典論、K()の時間依存性を無視した理論と比較し議論した。 以上のように、本研究では、SNS接合における超伝導位相のダイナミクスに、積分核、K()の時間依存性が与える影響を考察した。その結果、積分核の時間依存性は位相の有効質量、mtr、散逸の強さ、trの繰り込みにもっとも顕著に現れることを見い出した。時間依存性が短時間である場合にはこれらの変数は繰り込まれないのに対し、時間依存性が長時間になるとjに依存した繰り込みが見られる。このj依存性は交流ジョセフソン効果の実験などで検出される可能性がある。しかしながら、jceffの値については、積分核の時間依存性による違いは定量的にわずか(数%)である。同様にjceff近傍でのトンネル確率にも積分核の時間依存性による違いはあまりみられない。 図表Figure1:パラメータ,EJO,の空間での相図の概略図。白塗の領域は局在相、斜線の領域は非局在相である。黒塗の領域では我々の近似は破綻している。線Aの各点は論文中で議論する点である。 / Figure2:図1の線A上における、mtr/m、tr/、tr/Jの依存性。 / Figure3:(a)点d(Ej0)=1.0,=120)における、mtr/m、tr/、tr/J、0/(/2)のj依存性。実線は実部を破線は虚部を表している。(b)トンネル確立、、のj依存性。 |