素粒子物理に対して重力の量子論が果たす役割は次第に大きくなりつつある。現在、素粒子の標準模型は様々な実験結果と驚くべき精度で一致しているが、それを超える物理を考える際には重力の量子論を考えなければ確実な予測ができない事柄が多い。たとえば、標準理論に現れているゲージ対称性を統一的に扱うためには1016GeVという高いエネルギー領域を考えなければならない。このエネルギー領域は、量子重力の効果が大きくなる1019GeVに極めて近い。したがって、量子重力はゲージ群の統一に対して何らかの影響を与えていると考えるのが自然である。また、標準理論を拡張する一つの理論として超対称模型がある。この超対称性は大局的な対称性であり、それをゲージ化するためには必然的に重力を含まなければならないという事が知られている。したがって、超対称模型を考える際にも重力の量子論が重要になってくる。 重力を量子化するための方法は現在までに二つ知られている。一つ目は、重力を場の理論として量子化する方法である。ところが、この場合に摂動論を適用すると無限個の発散が生じてしまい、繰り込みが不可能になる。つまり、摂動論を使うと理論的な予測をする事が出来ない。したがって、量子重力を場の理論として定式化するためには、それが構成的に定義できるかどうかが問題になる。すなわち、空間を離散化した場合の重力理論を考え、それに連続極限が存在するかどうかを調べなければならない。これはコンピューター・シミュレーションによって調べられているが、離散化した点の数が少ないために確実な結論はまだ得られていない。二つ目の方法は、量子重力を超弦理論として定式化する方法である。ここで弦理論とは、自然界の粒子が点ではなく、長さを持った弦であるとする理論の事である。この弦の運動に共形不変性があると仮定すると、この理論には重力が含まれるという事が知られている。また、この理論はゲージ粒子も含むという事がわかっている。したがって、この理論は全ての相互作用を含む無矛盾な理論であり、標準模型ではわからなかった様々な物理的予測を導ける可能性がある。 たとえば、超弦理論が無矛盾であるためには時空の次元は10次元でなければならない事が知られている。我々の時空は4次元であるから、残りの6次元は非常に小さく縮んでいるはずである。つまり、縮んでいる空間が6次元である事が予測できたならば、我々の時空が4次元である事が説明できる。また、この縮んでいる空間の性質がわかると、どのようなゲージ粒子が存在するかも予測できる。その他にも、超対称性や超重力があるかどうか、フェルミオンの質量がどうなるか、fine-tuningの問題が解決するかどうかもわかる可能性がある。ここで、fine-tuningの問題とは、量子効果で期待される量よりも極端に小さい量が観測されている問題である。たとえば、宇宙が今でも広がったままである事から、宇宙定数は(10-11GeV)4よりも小さいという事がわかっている。ところが、宇宙定数に対する重力の量子補正は(1019GeV)4程度であると考えられ、観測されている値にするためには極めて正確に元の量が決まっていなければならない。また、電弱スケール(102GeV)の量子補正は大統一スケール(1016GeV)程度であると思われるので、ここにもfine-tuningの問題がある。これらの問題も超弦理論では解決されるかも知れない。 ところが、現段階では超弦理論からこれらの事柄は導けない。なぜなら、超弦理論に摂動論を適用すると古典的な真空が無限個得られ、それぞれの真空が異なる物理を含んでいる。これらのうち、どの真空を選ぶべきかを判断する基準がないので、一意的な予測を引き出す事が出来ないのである。そこで、確実な予測をするためには、非摂動的な手法を使って量子的な真空を定めなければならない。まず、非摂動的な手法がどのように得られるかを見るために、弦を考える前に粒子の場合を振り返ってみよう。粒子の量子論を考えるために第一量子化をすると、その相互作用は他の粒子との散乱で表される。第一量子化の枠内では、この相互作用は摂動としてしか扱う事が出来ない。そこで、第二量子化、つまり、場の量子論を考えると、相互作用を非摂動的に扱う事が出来るようになる。たとえば、ゲージ理論の真空は真空である事がわかるし、格子ゲージ理論を考える事によりクォークの閉じ込めが説明できる。このように、場の量子論では相互作用を非摂動的に扱う事ができる。したがって、弦の第二量子化、つまり、弦の場の理論を構成する事ができれば、弦の相互作用を非摂動的に扱う事ができるはずである。 さて、弦の量子化は次のように記述される。輪の形をした弦が運動すると、その軌跡は時空の中の面になる。この弦の軌跡は、ある面から時空への写像によって表す事ができる。この面を世界面と呼ぶ。弦の軌跡を表す写像は、世界面上のスカラー関数で表され、その個数は時空の次元に一致する。そこで、弦の経路積分は、世界面上のスカラー場と計量の足し上げによって表す事ができる。次に、弦の相互作用がどう表せるかを考える。たとえば、一つの弦が分裂して二つの弦になり、またそれらが合体するという過程を考えよう。この場合の世界面には穴が一つあり、ジーナスが1の面になっている。つまり、弦の相互作用を記述するためには、世界面の様々なトポロジーを取り入れると良い。したがって、弦の経路積分は、肚界面上のスカラー場と世界面についての足し上げになる。世界面上の作用は古典的には共形変換の下で不変になる事が知られている。これが量子的にも成り立つ場合が臨界弦であり、ゴーストを含まない理論になっている。だが、今のところ、臨界弦には摂動論しか適用できない。したがって、まず非臨界弦の場の理論ができるかどうかを調べるべきである。 実際、時空の次元が1よりも小さい非臨界弦の理論は、世界面を離散化する事により、非摂動的に解けるという事が知られている。この離散的な世界面は行列模型によって表され、連続極限を取ると同時に世界面のトポロジーの足し上げを行なう事ができている。つまり、行列模型は非臨界弦を構成的に定義している。たとえば、1行列模型は0次元時空の弦理論になり、2行列模型は世界面にイジング・スピンが乗った理論を表し、連続極限では1/2次元の弦理論になる。 一方、これに対応する連続理論として、テンポラル・ゲージでの弦の場の理論が近年提案されてきた。テンポラル・ゲージとは、世界面上の時間を面の境界からの測地的距離として定義するゲージの事で、この時間を選んだ場合の弦の時間発展によって世界面の足し上げが実現されている。たとえば、0次元の弦の場合には次のようになる。まず、任意の世界面を考える。その境界は輪の形をしていて、それが弦を表す。それらの境界の時刻を零とし、そこからの測地的距離を時間にとる。すると、時間発展によって次の三つの過程が起こる。すなわち、弦の分裂、弦の合体、および弦の消滅である。弦の消滅は弦の長さが無限小の時にのみ起こるとする。また、任意の世界面についての時間発展を考えると、必ず有限の時刻で全ての弦が消滅しなければならない。このような条件で弦を時間発展させると、確かに行列模型と一致する結果を得る事ができる。 この弦の場の理論が正しい理論である事を確かめるためには、それを行列模型から導く必要がある。そのためには、行列模型の確率過程量子化を用いる方法や、三角形分割の連続極限を取る方法、および行列模型でのSchwinger-Dyson方程式の連続極限を取る方法がある。この論文ではこの三番目の方法、つまり、行列模型でのSchwinger-Dyson方程式の連続極限を取る方法を使う事により、テンポラル・ゲージでの弦の場の理論が導けるという事を示す。 行列模型でのSchwinger-Dyson方程式は、離散化された面の境界にある一辺を取り去った場合に、面がどのように変化するかを場合分けする式である。つまり、これは境界上の一点での微小時間発展を考える事に相当する。しかも、この式は理論を非摂動的に定義している。このSchwinger-Dyson方程式の連続極限をとると、テンポラル・ゲージでの弦の場の理論において提案された式に一致する式が得られる。つまり、提案された弦の場の理論は確かに行列模型から導かれ、正しい理論を記述している事が明らかになった。この論文では1行列模型、1行列模型の多重臨界点、および2行列模型の連続極限を取り、それらがテンポラル・ゲージでの弦の場の理論に一致する事を示した。 このように、行列模型が記述する弦の非摂動効果を扱えるような弦の場の理論を導く事は可能だという事がわかった。しかし、この方法は時空の次元が1よりも小さいという形式的な場合にしか適用できない。本当に必要なのは臨界弦の場の理論であり、しかも超対称性がある超弦の場の理論である。これらの理論はまだ非摂動的に解けておらず、何らかの非摂動的な定式化が必要である。その定式化をする際にはテンポラル・ゲージでの弦の場の理論の手法が何らかの役に立つかも知れない。特に、Schwinger-Dyson方程式は理論を非摂動的に定義するので、弦の場の理論を定式化する際に重要な役割を果たす可能性がある。 |