学位論文要旨



No 111637
著者(漢字) 石崎,欣尚
著者(英字) Ishisaki,Yoshitaka
著者(カナ) イシサキ,ヨシタカ
標題(和) 「あすか」による宇宙X線背景放射のスペクトルと一様性の研究
標題(洋) Spectra and Large-scale Isotropy of the Cosmic X-ray Background from ASCA observations
報告番号 111637
報告番号 甲11637
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3001号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 満田,和久
 東京大学 助教授 手嶋,政廣
 東京大学 助教授 須藤,靖
 東京大学 助教授 黒田,和明
 東京大学 教授 井上,一
内容要旨 1はじめに

 宇宙X線背景放射(CXB)は、X線天文学が始まって以来の大きな謎である。CXBは、宇宙起原の全天に広がるX線輻射であり、宇宙から来るX線の主要な成分を占める。CXBの発見は3K宇宙背景放射よりも早く、1962年のGiacconiらによるロケット実験までさかのぼる。その実験で、初めて太陽以外の宇宙X線天体であるSco X-1とともにCXBが発見された。CXBはこれまで数多くのX線検出器によって観測されており、極めて一様性が高い(HEAO-1 A2の観測では3°×3°のスケールのゆらぎは3%以下)ことから宇宙論的な現象であることが確実とされている。現在もっとも有力な説は、CXBは暗い天体の重ね合わせで説明されるとするものである。実際、Einstein、ROSATなどの〜1’の高い角度分解能を持つX線望遠鏡の観測で、〜2keV以下のCXBの半分近くが点源に分解され、その多くが活動銀河核(AGN)と同定されている。しかし、CXBの強度分布と我々の近傍(赤方偏移にしてz0.1)に見られる宇宙の構造との間に相関は見つかっておらず、かりにCXBが点源の重ね合わせであるとしても、そうした天体はz〜0.5-3という遠方のものである可能性が高い。宇宙の観測において3K背景輻射が物質から切り離されたz〜1000の時代から、クエーサーなどの初源天体が形成されたとされるz〜4の時代の間は、全く手がかりのない宇宙の歴史の空白時代となっている。CXBはこの空白時代に迫ることのできる数少ない現象の一つと考えられ、宇宙のゆらぎが10-5以下(COBE衛星による3K背景輻射の測定より)という微小なものだった時代から、極めて密度コントラストの大きい現在の宇宙がどのように形成されてきたかという情報を担っている可能性が高い。

 また、これまでの2keV以下に主に感度を持つ衛星の観測でCXBの半分近くが点源に分解されたとはいえ、残りの少なくとも半分の成分はいまだ説明できていないだけでなく「スペクトルのパラドックス」と呼ばれる未解決の大きな問題が残されている。すなわち、CXBのスペクトルが3-50 keVのエネルギーバンドにおいては40 keVの熱制動輻射のスペクトルでよく表され、特に3-10 keVにおいてはしばしば=1.4のベキ関数で近似されるのに対し、宇宙の遠方に数多く存在しCXBの主成分と考えられるAGN(セイファート銀河、クエーサーなどの活動銀河核)はいずれも=1.7-2.0とCXBより急なスペクトルを持っているのである。それ以外でCXBへの寄与が大きいと目される銀河団などの熱的X線は、さらに軟らかいスペクトルを持つ。これらの天体のスペクトルを重ね合わせてCXBのスペクトルを作ることができないことは明白である。現在、この問題の解釈として強く吸収されたAGNのもつ硬いスペクトル混ぜ合わせるというアイデアが提示されているが、確立した描像とはとうてい言えない。

 こうした中、0.5-10keVの広いエネルギーバンドでこれまでよりも圧倒的に高い感度を持つ「あすか」衛星の観測は世界的な注目を集めている。特に「あすか」XRT+GISが対応する〜1°の角度スケールは、z〜2において〜100Mpcに相当し、近傍で見られる宇宙の大規模構造との比較の点でも興味深い。

2「あすか」衛星の軌道上における較正

 「あすか」は1993年2月20日11:00JSTに打ち上げられ、現在も順調に稼働中の日本では4番目のX線天文衛星であり、多重薄板斜入射X線反射望遠鏡(XRT)とガス蛍光比例計数管(GIS)およびX線CCDカメラ(SIS)を搭載している。「あすか」は、過去の撮像能力に優れたEinsteinやROSAT衛星と比べて角度分解能では劣るものの、広いエネルギーバンド(0.5-10keV)と高いエネルギー分解能をもち、なおかつ非常に低いバックグラウンドレートを実現している。特に、XRT+GISは直径〜40’の有効視野と2keV以上にXRT+SISより優れた感度を持つことからCXBの解析に適しており、我々は主としてXRT+GISを用いて解析を行なった。

 CXBの解析では検出器のほぼ全面を使用するため、GISの検出面全体に渡って正確なレスポンスを作成することが必要になる。一方で「あすか」のXRTは入射X線の方向やエネルギーに強く依存した複雑な特性を持っており、軌道上での較正と、それらを取り込んだレスポンス作成ソフトが必要になる。また、CXBの解析においては視野外からの迷光を無視できず、レスポンスを作成する場合にこの影響も組み込まなければならない。さらに非X線バックグラウンドの正確な見積りもCXBの解析においては不可欠である。我々は、これらの較正を積極的に押し進め、「あすか」チーム全体に貢献するとともに、XRT+GISのシステムを用いてCXBの解析を行なうための基礎を確立した。

3CXBの観測および解析方法の開発

 我々は図1に示す10の観測領域において「あすか」衛星によるCXBの観測を行なった。特に「あすか」Large Sky Surve(LSS)領域は76回のポインティング観測で7.22 deg2の広い空をカバーし、我々はLSSのデータをCXBの平均的な性質を調べる目的、および4つに分割後他の領域と合わせて視野ごとのCXBのばらつきを調べる目的の2種類に使用した。

図1:CXBの解析に使用した観測領域(黒丸)の銀河系座標上での位置

 視野ごとにCXBの性質を調べる場合、そのままでは、たまたま視野内に存在した明るい(〜10-12erg s-1cm-2)X線源に大きく影響を受けてしまう。そこで、我々は複数回の観測画像を天空座標上で重ね合わせ、非X線バックグラウンドを差し引くとともに、XRT+GISで分解できないCXB成分を差し引き、有効面積や積分時間の違いを補正した画像MFLATを作成する方法を考案し、さらにその画像上で一定以上の明るさの点源をCXB強度の3%レベルまでマスクすることに成功した。これにより、〜2x10-13erg s-1cm-2より明るいX線源の影響を除いたCXBの性質を各々の観測領域の間で比較することが可能になった。

4CXBの平均的なスペクトル

 我々は、主にLSSのデータを用いて、CXBの平均スペクトルについて調べた。「あすか」XRT+GISで得られた0.6-10keVのエネルギーバンドのスペクトルは、=1.4-1.5のベキ関数で表されるハード成分と〜6のベキ関数あるいはkT〜0.3keVの熱プラズマモデルで表される極めてソフトな成分の2成分だけで完全に説明することができた(表1)。この結果は、LSS領域においては〜2×10-13erg s-1cm-2よりも明るいポイントソースを除くか、除かないかに影響されなかった。特にE1.2keVではハード成分だけでCXBスペクトルを説明することができ、その絶対強度はHEAO-1 A2の結果と誤差の範囲で一致した(図2)。

図表表1:LSSにおけるポイントソースを含んだ0.6-10 keV CXB スペクトルのフィット結果 / 図2:表1でフィットしたCXBスペクトルをモデル空間にunfoldしたエネルギースペクトルを、他の衛星の結果と比較した図。"ASCA GIS2+3"とラベルをつけたものが、本論文の結果。フィットのモデル関数は、"power-law+abs.power-law"。

 このように1-3keVのエネルギーバンドでCXBの正確なスペクトルを決めたのは世界で初めてのことである。従来、ROSAT衛星などの結果から2-3keVでCXBスペクトルが徐々にsteepになるとする描像が一般的であったが、本論文の結果からCXBの主成分であるハード成分がE〜1keV近くまで極めて正確な1成分のベキ関数で伸びることがほぼ明らかとなった。強い吸収を受けたAGNのスペクトルが切れ落ちるエネルギー(E〜4-5keV)がz=1-3の赤方偏移を受けると、観測フレームでは1-3keVのエネルギーに対応する。我々の観測からE=1-3keVのCXBスペクトルが構造のないベキ関数であるとわかったことにより、強く吸収されたAGNを用いてCXBのスペクトルを説明しようとするモデルはさらなるfine tuningを要求されると考えられる。

5CXBの視野方向による違い

 我々は上に述べた13の観測領域においてCXBのスペクトルを作成し、スペクトルフィットパラメータの比較を行なった。それにより、〜2×-10-13erg s-2cm-2よりも明るい点源を抜いた後ではCXBのハード成分の強度の視野ごとのばらつきは3.4%rmsに過ぎず、一定としても矛盾はなかった。各観測領域の画像から決定されるCXBのベースレベルののばらつきも〜2%とほぼ同様の結果を示した。したがって、〜1°の角度スケールにおける〜10-13erg s-2cm-2の点源を除いた2-10keV CXB強度のゆらぎに対して9.2%(90% confidence level)の上限値を設けることができた。ハード成分のベキについては〜0.06のばらつきが見られたが、系統誤差のより詳細な検討が必要である。この結果は、CXBに寄与する点源の分布、ひいては宇宙の大構造に対して制限を与えうる。

 CXBのソフト成分は視野ごとに有意にばらつき、〜1.2keV以下においては我々の銀河系の寄与が大きいことを確認した。特にソフト成分の強度が大きい3C368,Arp220の観測領域は、North Polar Spur/Loop Iと呼ばれる場所に位置し、ROSAT all-sky surveyの結果とも一致する。

審査要旨

 本論文は8章と8つのAppendixからなり、章立ては、第1章 イントロダクション、第2章 X線背景放射についてのレビュー、第3章 観測装置ハードウエアー、第4章 観測装置の衛星軌道上でのキャリブレーション、第5章 観測、第6章 LSS(Large Scale Survey)観測データの解析、第7章 その他の観測フィールドの結果とフィールド間の比較、第8章 議論となっている。

 X線宇宙背景放射(CXB)は、X線天文学の初期の頃からその存在が知られていたが、未だにその起源は解明されていない。しかしCXBにはz>0.5の天体が関わっていると考えられ、その正体を明らかにすることはX線天文学のみならず宇宙論的な立場からも大きな意義のあることである。CXBは点源として分解できないような微弱かつ多数の天体の集まりであると考えれている。0.5-2keVのエネルギーバンドでは、ドイツのROSAT衛星の高感度観測によりCXBの半分以上が点源に分解され、その多くは活動銀河核であることがわかっている。しかし一方2keV以上では、いわゆるスペクトルパラドックスと呼ばれる矛盾、すなわち、活動銀河核の平均的なX線エネルギースペクトルとCXBのスペクトルが一致しないという矛盾から0.5-2keVのCXBには寄与しないような天体の寄与があると推測されている。CXBの起源を解明するひとつの方法として、感度と空間分解能を上げることにより、点源に分解してゆくことが考えられる。しかし、あすか衛星の感度をもってしてもCXBを100%分解することは不可能である。もうひとつの方法として、CXBのスペクトルを広いエネルギーバンドで調べ、空の方向によるスペクトルと強度の違いを調べ、CXBに寄与している点源に制限をつけることが考えられる。これまでCXBの観測は2keV以下と以上とで異なる観測装置が用いられ、このため二つのエネルギーバンドの観測の間には矛盾があった。あすか衛星は0.5keVから10keVまでのエネルギーバンドをひとつの観測装置でカバーすることが可能であり、このようなCXBの広いエネルギーバンドのスペクトル観測にとって最良の観測装置である。

 本論文は、あすかの観測装置の中でGIS(Gas Imaging Spectrometer)とXRT(X-Ray Telescope)からなる観測系を用いて10の観測方向についてCXBのスペクトルを測定した。CXBの信頼できるスペクトルを得るには、観測の様々なシステマティックスを仔細に検討する必要がある。本論文では、非X線バックグラウンドの差し引き、視野内の観測感度の違い、X線望遠鏡の迷光の問題、たまたま視野内に存在した明るいX線源の影響などから生じる考えられるすべてのシステマティックスを補正する方法が開発され、それに伴うエラーを検討されている。その結果から、2x10-13erg/secよりも明るいX線源の寄与を取り除いたCXBのスペクトルを空の10の方向について得られた。

 これまでは、主にROSAT衛星の2keV以下の観測とその他の衛星の2keV以上の観測結果から、我々の銀河内からの成分を差し引いた後のCXBのスペクトルは、2-3keV以下ではスペクトルのかたむき(べき関数で表したときのべき)が、それ以上に比べて急になると考えられていた。しかし、本論文により、我々の銀河内の成分を差し引いたCXBのスペクトルは、少なくとも0.7keVまで2-10keVと同じべきでのびていることが明らかになった。一方、視野毎のCXB強度のばらつきにから、2x10-13erg/secまでのX線源を差し引いた後は約1度の角度スケールではCXBの強度のばらつきは90%信頼度で9.2%以下であることが明らかになった。

 以上の結果は、CXBに寄与するX線源のスペクトルと空間分布に強い制限を与える。たとえば、CXBのスペクトルパラドックッスは、低温度のガスによる強い吸収を受けたスペクトルを持つ活動銀河核が多数寄与しているためであると一般に考えられているが、このような吸収を受けたスペクトルにより0.8keVまでの低いエネルギーまで、一定のべきのCXBを得るには、X線源のzについての分布に強い制限がつく。

 本論文は、詳細なデータ解析手法の検討を通して、初めて0.7-10keVにわたる広いエネルギー範囲で信頼のおけるCXBのスペクトルを提出した。この結果はCXBの研究のみならず、宇宙論の研究にも大きな影響を与えると考えられる。以上から、本論文は論文提出者に博士の学位を与えるのに十分な内容を備えるものと審査委員全員一致で判断した。

 なお、本論文に用いられた観測データの一部は、あすか観測チームの共同プロジェクトとして観測されたものであり、その意味ではあすか観測チームとの共同研究である。しかし、そのデータ処理、データ処理方法とデータ処理システムの開発は論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者が博士論文として提出するに十分な寄与を行ったものと判断する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54497