学位論文要旨



No 111638
著者(漢字) 板橋,淳志
著者(英字)
著者(カナ) イタバシ,アツシ
標題(和) 空孔状態に非局所的な影響と分散的な効果を採り入れた準弾性錯乱領域のスピン応答関数
標題(洋) Quasi-elastic Spin Response Function with Non-local and Spreading Effects on the Hole States
報告番号 111638
報告番号 甲11638
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3002号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 赤石,義紀
 東京大学 教授 大西,直毅
 東京大学 教授 酒井,英行
 東京大学 教授 石原,正泰
 東京大学 助教授 大塚,孝治
内容要旨

 運動量移行qが1fm-1を超えるような領域では,原子核との散乱のエネルギースペクトルは共鳴領域の上のエネルギー領域で広いこぶを形成する。この領域の散乱は準弾性散乱と呼ばれているが,それはそのエネルギースペクトルの形を見ると,入射粒子が原子核内を自由に運動している一つの核子と相互作用して原子核外の出射してくるように思われるからである。実際そのこぶのピークは核子の質量をMNとして,q2/2MN付近に位置し,その広い幅は核子のフェルミ運動を反映しているように見えるからである。近年,中間エネルギービームの実験施設が充実し,この領域の原子核の様子がよく分かるようになってきた。

 我々はこのエネルギー領域での原子核の応答に興味を持っている。特にスピンアイソスピンモードの応答は原子核内の核子間の有効相互作用の表式とも関係して興味深い問題を提起している。殻模型で記述される非摂動のハミルトニアンに対して,通常このモードでの残留相互作用は(++g’)模型で表されるが,この残留相互作用のテンソル成分が原子核のスピン応答関数に方向的な差異を与えているのである。1980年代の始めAlberico等は核物質で,外場としてアイソベクトルスピン縦方向のオペレーター(・q)を原子核に作用させた場合の原子核の応答関数RL(q,)と,アイソベクトルスピン横方向のオペレーター(×q)を原子核に作用させた場合の原子核の応答関数RT(q,)を計算した。そして(++g’)模型で表される残留相互作用の影響を乱雑位相近似によって評価したが,の広い範囲にわたってRLがRTに比べて十分大きいことが計算された。そしてq〜1.7fm付近の準弾性散乱領域でその影響が最大になると予測された。

 近年の偏極メーターの技術の進歩によって偏極移行実験が可能になり,いくつか反応機構に関する仮定をおくことで実験によって求められる偏極移行量から応答関数RLRTを抽出することができるようになった。実験も影響が最大になるq〜1.7fm-1付近で行われた。

 スピン横成分の応答関数RTは中間エネルギーの電子散乱によって比較的以前から実験が行われてきた。原子核のカレントは,そのアイソスカラーの部分に比べてアイソベクトルの部分の方がずっと強く磁場と結合するため,電子散乱実験によって得られる応答関数はほぼアイソベクトルの性質を持つ。また電子散乱実験では,電磁場の相互作用が弱いのであまり入射波が歪むことなく原子核内に浸入し,原子核全体の応答を引き出せるという特徴を持つ。

 これに対してスピン縦成分の応答関数RLは電子散乱によって抽出できず,代わりにハドロンをプローブにした実験が必要となる。ロスアラモスでは偏極移行量Dijを求めるのに適した中間エネルギーのビーム施設がある。ここで行われた荷電移行反応実験でRL,RTが計算されたがほぼ全てのの領域でRL/RT1となり予測と異なる結果を得た。

 (++g’)模型で原子核の残留相互作用のq-依存性を表すことがよく行われてきたため,予測との矛盾を解決するため様々な観点から説明がなされてきた。例えば,原子核の有限サイズの効果.相対論的な効果,散乱実験の時の入射波の歪みの影響,インパルス近似の検討などがなされてきた。しかしいずれも本質的な解決には至っていない。ここでは非相対論的な観点から,平均場の非局所的な影響と高次の配位を採り入れた場合の分散の効果という二つの物理的な効果が矛盾を解決するのにどのような限界をもっているのかを調べた。

 普通殻模型のポテンシャルは局所的なものであって.ハートリーフォック近似のように非局所性を当然のように含んではいない。そのため殻模型のポテンシャルに非局所性の効果を手で加え,その影響を調べた。非局所性を採り入れるためには積分の入った微分方程式を解かなくてはならないが,Perey等が考案した方法によれば非局所的な影響を空孔状態の運動量依存性とみなすことができ,非局所性のはいった方程式をそれと等価な局所的な方程式に変換することが可能となる。これにより非局所性の影響を簡単に評価できるようになる。実際の計算では非局所性を示すポテンシャルを仮定する代わりに,核子の有効質量の核内の位置依存性を仮定することで,ポテンシャルの非局所性を間接的にとりこむことにした。非局所性によって核内で核子の質量が軽く見えるようになるが,その有効質量を一般にk-massと呼んでいる。k-massの位置依存性をWoods-Saxon型と仮定し,その原子核の中央での値(=0)をパラメータとして与えることとした。

 また我々は殻模型によって原子核の単一粒子準位を決定しているが,これらの模型が物理系を記述する真のハミルトニアンであればそれによって決定される準位の簡単な配位を反映したピークが実験であらわれるはずである。しかし実際には殻模型のハミルトニアンは物理系を表すハミルトニアンの近似であり、本当の物理状態は殻模型の単一粒子準位の複雑な配位によって決定されると考えられる。Alberico等が残留相互作用の効果を見積もるために用いた乱雑位相近似は,原子核の励起についてそのうち1粒子1空孔状態のチェインだけを扱ったものであるため,ここではさらに複雑な配位の効果を採り入れ高次項の影響を調べてみた。具体的にはSmith and Wambach[Phys.Rev.C38(1988)100]の方法を使って現象論的な分散の効果を採り入れるやり方と,単一粒子状態と単一空孔状態に対して実験により求められたエネルギーの幅を挿入することで状態依存性を反映する励起の分散効果を調べる方法で計算を行った。

 数値計算としては12Cに対してq=1.7fm-1で行った。結果であるがまず,残留相互作用の影響が入らない場合では,外場について方向の差異はないので,スピン縦応答もスピン横応答もほぼ等しくなる。これに対して残留相互作用の入った場合の原子核の応答は有限核の12CでもAlberico等の計算の通り,スピン縦応答はピーク位置が小の方向に移り強度は大きくなり,スピン横応答はピーク位置が大の方向に移り強度は小さくなった。計算はその効果が最大になるq=1.7fm-1で行っているので、その影響はグラフに顕著に表れている(Fig.1).

 また非局所的な効果が入ると応答関数はピークの位置が大の方向に移っていき山は全体的に広がる。これは山の頂点の位置がq2/2,山の幅がpFq/となる粗い近似からも簡単に理解できる。すなわちが小さくなれば,それにつれて山の位置も大に移り幅が広くなるのである(Fig.2)。こうした傾向はリング近似によって残留相互作用の影響がはいっても見られる(Fig.3)。しかしスピン縦方向と横方向の応答ではその影響の仕方に違いがある。比較的スピン縦方向の応答には強く,スピン横方向の応答には弱く影響している。これは残留相互作用の影響を打ち消しながら非局所的な効果が入ってくるためである。というのも非局所性の混入により単一粒子の準位間隔が大きくなり,粒子空孔励起を起こしにくくしてしまい,残留相互作用による影響が小さくなってしまうからである。

 次に複雑な配位に基づく分散の効果を計算した。Smith and Wambachの方法によるとの小さい領域に見えていた鋭いピークは連続帯の中に隠れてしまう(Fig.4)。(p,n)反応の散乱断面積の実験結果で見えている0p3/2→0d5/2の励起のピークはこの方法では再現することができない。彼らの方法ではある励起状態の構成要素を捨象して平均的に状態の幅を計算する近似を採っているため,個々のピークの再現性よりも応答の概括的な様子を再現することに重きがおかれているからである。

図表Fig.1 / Fig.2 / Fig.3 / Fig.4

 一方分極伝搬関数の計算にあたって,単一粒子状態と単一空孔状態に現象論的な状態の幅を入れる方法では,Op3/2の状態から起こる励起のピークは消えずに残っているが,0s1/2からの励起を表すピークはOs1/2そのものの幅が大きいためほぼ連続帯の中に吸収され痕跡が残っているだけである。大の領域での寄与はSmith and Wambachに比べるとかなり控えめである(Fig.5)。

Fig.5

 Figure caption

 Fig.1 実線は残留相互作用の相関の入っていない場合の応答関数。点数と破線は入っている場合で点線ではスピン横応答を表し,破線はスピン縦応答を表す。なおFig.1〜Fig.3まで分散効率は無い。

 Fig.2 それぞれの曲線はパラメータとして与える(r=0)の値がそれぞれ上の方から,0.8,0.6の場合のスピン縦応答を表している。この応答関数では残留相互作用の効果は入っていない。は核子と残留核との換算質量。

 Fig.3 残留相互作用の効果が入っている以外はFig.2と同じ。

 Fig.4 実線は残留相互作用の相関の入ったスピン縦応答関数。点線はSmith and Wambachの方法にしたがって分散の効果を入れたもの。破線は分極伝搬関数の計算において,単一粒子状態と空孔状態のそれぞれに直接虚数の幅を導入した場合のスピン縦応答関数。Fig.4とFig.5で非局所効果はない。

 Fig.5 スピン横応答関数で曲線の意味はFig.4と同じ。

審査要旨

 本論文は、準弾性散乱領域における原子核のスピン応答関数に平均場の非局所的な影響と高次配位による分散的な効果がどのように現れるかを明らかにしたものである。内容は6章と付録から成り、第1章は序文、第2章は応答関数の定義と定式化、第3章は非局所的な影響、第4章は分散的な効果、第5章は理論的分析の結果、第6章はまとめが述べられている。

 入射粒子が原子核に与える移行運動量が1fm-1を超える領域では、エネルギースペクトルに準弾性散乱の幅広い山が現れる。この領域のアイソベクトル・スピン縦方向の応答関数とアイソベクトル・スピン横方向の応答関数には以下のように強い興味が寄せられてきた。1980年代の始めになされた理論計算で、殼模型から出発して残留相互作用を入れると、前者のピークが小さい移行エネルギーの方へずれ(ソフトニング)て強められ、後者のピークが大きい移行エネルギーの方へずれ(ハードニング)て抑えられ、かつ広いエネルギー領域で前者が後者より大きくなると予測されていた。ハドロンをプローブとした実験がロスアラモスで行われた結果は、予測に反して後者が前者より大きいというものであった。この予測との矛盾を解決するために様々な効果が検討されてきたが、いずれも本質的な解決に至っていなかった。

 論文提出者は本論文で、平均場の非局所的な影響と高次の配位を採り入れた場合の分散の効果を、非相対論的観点から考えられる物理的効果として取り上げた。非局所性は、元となる方程式をそれと等価な局所方程式に変換すると空孔状態の運動量依存性とみなすことができる。このことに着目して、核内核子の位置によって変化する有効質量を導入することにより、非局所性の効果を応答関数の計算に取り入れることに初めて成功した。非局所的な効果が入ると、応答関数のピークは移行エネルギーが大きい方へずれるが、スピン縦方向とスピン横方向ではずれの大小に違いがでることを明らかにした。複雑な配位に基づく分散の効果を採り込むためには、単一粒子状態と単一空孔状態に現象論的な状態幅を導入するという方法を新しく提案した。この方法は、従来の方法に比べて、単一空孔状態にも幅を入れることができ、かつそれらの幅に状態依存性を持たすことができる点で優れている。実際この方法で、12Cの実験の移行エネルギーの小さい領域での様相を再現することに成功した。

 論文提出者は、結果及び結論として以下のことを示した。原子核のスピン応答は平均場の非局所性に敏感であり、核の中心付近で核子の有効質量を0.7倍にとると、スピン縦方向およびスピン横方向の応答関数のそれぞれのピークの位置を再現する。この有効質量はハートリー・フォック計算で得られているものと矛盾しない。しかし、応答の強さに関して、スピン縦方向の結果はハドロンで得られた実験値に合うが、スピン横方向ではハドロンでの実験値より小さくでる。複雑な配位に基づく分散の効果については、従来の方法が平坦すぎるスペクトルを与えるのに比べて、新しい方法は、小さい移行エネルギーの領域で、より現実的な記述を与える。理論と実験の矛盾を完全に解決するには至っていないが、現段階で考慮すべき効果はすべて採り入れられており、この分野の実験的および理論的研究にインパクトを与える重要な貢献であると考えられる。よって審査員一同は本論文を博士(理学)学位請求論文として合格であると判定した。

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