本論文はシリコン系ポリマーの光物性を実験的に研究したものであり、第1章は序、第2章はポリシランの1次元的励起子のレビュー、第3章はポリシランにおける電場誘起第2高調波の発生、第4章はシリコン・オリゴマー、第5章は架橋ポリシランについて述べられている。 1次元系の物質は、その低次元性により、興味深い物性が発現することが多い。代表的な1次元物質の一つは高分子であるが、通常は炭素からなる高分子がよく調べられている。これに対して本研究では、シリコン原子をつなぎ合わせた高分子物質が合成可能である。物理の分野ではシリコン系物質というと、結晶シリコンやアモルファスシリコン、ポーラスシリコンといったバルクが主流であったが、化学の分野では古くからシリコン高分子が合成されていた。近年、このようなシリコン系高分子を舞台に電子物性、光物性を中心として様々な興味深い物理現象が報告されている。本学位論文では、このシリコン系高分子に着目して、その光学物性、特に非線形光学応答を実験的に研究した。 様々な構造を持つシリコン系高分子の中で最も研究されいるのは、シリコン原子が一次元鎖をなしているポリシランである。このポリシランは吸収スペクトルとバンド計算の対応より、擬一次元的な半導体と見なせることが知られている。通常の2、3次元の半導体ではバンドギャップ直下に励起子吸収が観測されるのに対して、ポリシランでは鋭い吸収線が一本観測されるだけである。これは線形・非線形分光から一次元に特有なワニエ励起子によるものであることが明らかになっている。一次元ワニエ励起子とは光励起によって作られた正孔と電子が一次元的な水素原子のように束縛された状態である。一次元性の効果は、(i)最低励起子(量子数=1)の束縛エネルギーが非常に大きく(〜1eV)、(ii)2、3次元でのバンド間遷移や高次の励起子準位に対応する遷移の振動子強度がすべて最低励起子に集中することに現れる。高次の励起子準位は、励起状態間の振動子強度を利用する非線形光学過程によってのみ観測可能である。 第3章において導入する電場誘起第二高調波発生法(EFISHG)は、本論文の眼目の一つであるが、一次元励起子とその非線形光学応答の関係を完全に求めるために用い、具体的には非線形感受率スペクトル(3)(-2;,,0)を測定する。この測定は、本論文提出者のアイディアによる約1kHzのac場をかけることにより実現された。用いた試料は側鎖にヘキシル基をもつポリジヘキシルシラン(PDHS)である。この結果は、第三高調波発生法(THG)による非線形感受率スペクトルと共に、Sandorfy Cモデルと呼ばれる理論的模型による計算結果により統一的に説明される。 一般に、考える系のサイズを無限大から原子的サイズまで縮めたときになにが起きるか、はメゾスコピック系の物理とも関連して面白い。有限系の光学応答も特に興味深い。上の実験では一次元鎖方向の長さは無限大とみなせたが、有限の長さの分子では何が起こるであろうか。この観点からポリシランの長さを制御したシリコン・オリゴマーCH3[Si(CH3)2]nCH3(n=2,3,4,5,6,7,8,10,16)の光学応答を第4章で調べた。サイズ効果を同じ条件下で議論するために、溶液状態で液体窒素に浸して光学測定を行った。得られた吸収スペクトルでは、nの減少ににともない吸収ピークの高エネルギー側へのシフトがみられた。これは励起状態の閉じこめによると解釈される。またポリシランでは主ピークの高エネルギー側には構造は見られなかったが、シリコン・オリゴマーでは系統的にエネルギー位置の変化する構造がみられる。これは一次元励起子の高次の準位(3)が閉じこめによって振動子強度を得て、観測可能になったものと思われる。またnの増大にともなってn=2-8の領域で振動子強度の増大が観測された。また主吸収線幅に関してn-1より急激な減少が見られた。これは波動関数の広がりと並進運動による線幅の減少に関するサイズ効果であると考えられるが、これらの要因だけではたかだかn-1の依存性しか示さないはずである。これらはより高次の電子相関効果を取り入れた波動関数・エネルギー準位の計算や、側鎖基まで含めたより実際に近いモデルでの検討が必要と思われる。 シリコン・オリゴマーの発光スペクトルの測定も行った。弱励起による測定ではn7の領域でしか発光が観測されなかった。その発光スペクトルは二つのピークからなっているが、発光強度の時間分解測定より、吸収ピーク直下の共鳴発光はオリゴマー全体に広がった状態からの発光であるが、より低エネルギー側にみられる緩和発光ピークは局在した状態からの発光であると考えられる。またn=10の薄膜について電場変調吸収スペクトルの測定を行った。その結果=2と=3の励起子のカップリングがポリシランに比べ小さくなっていることが分かった。 次に、第5章では架橋ポリシランの発光スペクトルと発光強度の温度依存性を調べた。架橋ポリシランは、1次元的ポリシランが所々で架橋し、シリコンの平均配位数が2から3の間の値を取る構造である。用いた試料はポリメチルフェニルシラン(PMPS)の架橋体であるが、このPMPSはポリシランの中でも例外的に紫外域の共鳴発光と可視域の緩和発光との二つの発光帯を示す。架橋点が増加するにつれて、吸収スペクトルは連読的に変化するが、一方、発光スペクトルはわずかな架橋点の導入に伴い、紫外域の発光強度が急激に抑制される。これは紫外域の発光が自由励起子による発光であるために、わずかな架橋点の導入によって緩和発光あるいは非輻射緩和の緩和中心に捕まるためと解釈され得る。また緩和発光の発光強度は温度上昇に対して緩やかに減少し続ける。通常の緩和発光を説明する断熱ポテンシャル模型では、ポテンシャル障壁を越えられる温度までは温度変化せず、それより高い温度では急激に失活していくはずである。ところが実験結果では、低温領域から緩やかに発光強度が減少しており、この模型では説明が出来ない。この緩和過程の一つとして、非晶質シリコンに対してStreetにより導入されたのと同様な非輻射緩和中心へのトンネリング過程を考慮しその温度変化を考えた。このモデルでは低温域から緩和が始まるが、その温度変化は緩やかであり、実験結果をよく再現することがわかった。これは架橋ポリシランにおける可視域の輻射緩和過程はトンネリングによる無輻射緩和過程と競合していることを示唆する。 架橋ポリシランにおいてすべてのシリコン原子を3配位にすると、ネットワーク状の構造を取ることが知られている。第6章では、このネットワーク状の高分子の骨格原子をシリコンからゲルマニウムへ置換したときの光学応答の変化を調べた。これらの試料も側鎖にヘキシル基がついているために有機溶媒に可溶であり、溶液状態で吸収スペクトルを測定した。ゲルマニウムの含有量の増大にともない、吸収端の低エネルギー側へのシフトが観測された。その結果、適当な濃度の溶液では、透明な液体から黄色を経て深い赤色まで変化する。また、この吸収スペクトルの形状から典型的なアモルファス半導体であることが分かる。領域Aはバンド間遷移に対応し、領域Bは結合状態の乱れなどがもたらすポテンシャルの揺らぎによって生じるバンド裾と見なせる。しかしこれらの試料は、電子スピン共鳴測定では信号が観測されないことから、中性欠陥ではなく荷電欠陥の可能性が示唆される。また発光スペクトルの測定も行った。ゲルマニウムの含有量の増大に伴い発光ピークの低エネルギー側へのシフトが観測されたが、同時に発光強度の著しい減少も観測された。これは吸収スペクトルでも見られたように、置換によって増加した構造乱れが無輻射緩和を増大させたためと思われる。 このように、本論文では様々な構造を持つシリコン系高分子を対象として、様々な光学応答の観測が行われた。シリコン系高分子の多様な構造が、多彩な光学物性を生む、という知見は重要な成果であり、審査員全員の一致で、理学博士にふさわしい業績であると認定した。なお、本論文は十倉好紀、長谷川達生、岩佐義宏、国府田隆夫、橘淳昭、松本睦良、和田智之、Thi Thi Lay、田代英夫、永長直人の各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験研究を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断される。 |