有機分子であるBEDT-TTF(以下ETと記す)をドナーとする化合物、(ET)2X、は様々な物性を示すことで知られている。(ET)2Xは一般に層状物質であり、本論文の対象である-(ET)2X、-(ET)2I3、(ET)2MHg(SCN)4は単位格子に4ET分子を含み、伝導面はET層方向である。電気的には(ET)+1/22X-1と表され、バンド計算によると金属である事が予想される。 -(ET)2Xは二量体化した構造を持つ。X=Cu[N(CN)2]Clは27Kで反強磁性秩序を示し、スピンモーメントの大きさは二量体当たり0.4-1.0Bと評価されている。圧力下では反強磁性秩序は抑止され、200bar程度で反強磁性秩序は消えTc=13Kの超伝導を示す。更に圧力を上げていくと超伝導も消失し低温まで金属となる。-(ET)2I3は135Kで金属非金属転移を起こす。低温の絶縁層は非磁性であり、電荷密度波の出現を示唆するが、格子の長周期構造は観測されない。弱い圧力下では電気抵抗が大きく変化する特徴的な温度は残るが低温相が金属的になり、更に圧力をかけると相転移しなくなる。(ET)3KHg(SCN)4は8Kで金属スピン密度波転移を起こす。なお、-(ET)2I3と(ET)2KHg(SCN)4の伝導面の構造は同じ対称性を持つ。 このように(ET)2X系の物性は様々であるが、それらを統一的に理解する事が本論文の目的である。その際、鍵となることはET分子上の2個の電子の間に働くクーロンエネルギー(UET)がNMRの実験から0.7eVと評価されていることで、この値は上記の化合物のバンド幅と同じかやや大きい程度であり、その影響は無視できない。従って、伝導面をつくるET分子の配列からくる飛び移り積分とクーロンエネルギーを考慮にいれてこれらの物質の相転移について考察する。 クーロンエネルギー項(U)をハートリーフォック近似で考慮し単位格子中の4ET分子が持つ電荷量を各スピン成分で自由にとれるとして以下の様なハミルトニアンを考える。 ここにhoは飛び移り積分から来る項で伝導面における分子の配列に依存し、この部分だけを対角化するとバンド計算によるフェルミ面を与える。このハミルトニアンを単位格子中のスピンモーメントの和が0という空間で各サイトでの各スピン当たりの電子数、を自己無撞着に決める。考察はT=0に限る。 個々の(ET)2Xについての計算結果は以下の通りである。 -(ET)2Xにおいては、U>0.76eVで1次の金属非金属転移を示し二量体内で強磁性的、二量体間で反強磁性的な磁気秩序(AF相)を示す。-(ET)2I3ではU>0.4eVで反転対称性で結ばれた分子が作る分子列で反強磁性秩序を持つと同時に分子列の間で電荷の移動が起きる(AF相)。(ET)2KHg(SCN)4は-(ET)2I3と対称性が同じため起きる秩序は同じだが、バンド幅が-(ET)2I3より大きいため、その秩序が起きるのはU>0.85eVである。 次に上記の3種類の物質の相互の関係については以下のように考える事が出来る。図1の結晶においてtb1=tb(txはxで示された位置の飛び移り積分)として、tb1を大きくすることで2-4,1-3サイトを二量体化させられ、また、tb1=tbでtb4を小さくすることで’3’を反転中心においたままバンド幅を変えられる。従って上記の3種類の物質はtb1、tb4の2つのバラメタ空間で整理できる。 図1:仮想的なET層の結晶構造。矢印は飛び移り積分を示す。 それぞれの(ET)2Xのバンド構造を取る飛び移り積分の値をその値の近傍で変化させることをこより、tb1,tb4及びUの空間で図2の相図を描くことができる。ここで○はそれぞれの物質の常圧での位置である。(I),(M)はそれぞれ絶縁相、金属相を示す。圧力をかけると各状態はPと書いた矢印の方向へ動くと考えられる。(ET)2KHg(SCN)4においてUET程度で秩序相へ転移しないのはバンド幅が広いためである。 図2:HF近似による-(ET)2X、-(ET)2I3、(ET)2KHg(SCN)4の概略的な相図 上記によれば-(ET)2I3の秩序相は’1’-’2’分子の反強磁性状態であるが前述したように実験的には非磁性相である。この不一致は-(ET)2I3の絶縁相において’1’-’2’分子の二量体化が観測されていることからスピン一重項をその二量体上において実現しているスピンバイエルス(SP)相と考えると回避できる。また、-(ET)2Xの反強磁性絶縁相は二量体上にホールが一つづつあるモット絶縁体とみなせる。更に、銅酸化物高温超伝導体と同様にMott絶縁体の近傍の金属相で超伝導が期待される。一方、(ET)2KHg(SCN)4についてはハートリーフォック近似の範囲では非磁性状態となるが、フェルミ面には一次元な部分があり、その為ネスティングに伴うスピン密度波の発生が予想される。これらを考え合わせもtb1,tb4及びUの空間での相図は図3のようになる。この相図上の各物質の圧力依存性は実験から得られる低温での圧力に対する相図とよく一致している。 図3:予想される-(ET)2X、-(ET)2I3、(ET)2KHg(SCN)4の概略的な相図 以上を要約すると、ET分子上の電子間クーロン相互作用の効果を単位格子で全スピンモーメントが0になる空間でハートリーフォック近似を用いて調べた。その結果は、ET化合物の多様な相は二量体化の度合いとバンド幅をパラメタとした空間に整理できることが明らかとなった。このような明快な計算方針は自由度の多い化合物の示す電子物性の多様性の起源を理解する上で将来有用である事が期待される。現実の系においてはバンド幅とクーロン相互作用の大きさが同程度であり、ハートリーフォック近似の定量性については必ずしも妥当でない側面があると思われるが、(ET)2Xという単位胞に4分子ある内部自由度の大きな系が示す、一見規則性のない多様な物性の理解に明快かつ統一的な見地を与えた。 |