学位論文要旨



No 111646
著者(漢字) 後藤,敦
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,アツシ
標題(和) 銅酸化物高温超伝導体におけるスピンギャップ異常の核磁気共鳴法による研究
標題(洋) NMR Studies of the Spin Gap Anomalies in High-Tc Cuprates
報告番号 111646
報告番号 甲11646
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3010号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 教授 毛利,信男
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 小林,俊一
 東京大学 助教授 加倉井,和久
内容要旨

 銅酸化物高温超伝導体の発見から9年が経過し、その基本的かつ一般的な特徴はかなり明らかになってきている。しかし、最も重要な、超伝導の発現機構に関する理解は、未だ不満足な状態にある。そして、その最大の原因は、転移温度以上の常伝導相を記述する難しさにあるということは現在広く認識されている。

 超伝導の舞台となるCu-O2層は、典型的な2次元モット(CT)系であると考えられている。超伝導は母物質であるモット(CT)絶縁体にキャリアーを導入した金属状態に現れるが、その金属状態(異常金属相)は通常の金属とはかなり異なった振る舞いを示すため、電子相関が顕著に現れている金属として多くの研究者の興味を引いている。特に、多くの銅酸化物超伝導体では系が金属化して直ちに超伝導を示しているため、超伝導と電子相関の関係は非常に興味深い。

 異常金属相が示す多くの異常の中で、いわゆるスピンギャップ的現象は異常金属相を理解する上で重要なものとして認識されている。この現象は、スピン励起の低エネルギー部分が超伝導転移温度よりもかなり高い温度から抑制される現象である。核磁気共鳴法(NMR)では、高温域でキュリー=ワイス(CW)則に従っている銅サイトのスピン-格子緩和時間(T1)と温度との積の逆数、1/T1TがTcよりかなり高い温度(以下、Tsgとする)でピークを作り、それ以下で逆に減少する振る舞いとして現れる。高温域のCW則は、一般化された帯磁率x(q,)の反強磁性モード(x(q=(,)≡Q))がCW的な振る舞いをしている事を示しているが、低温でCW則からずれて減少する現象は、NMRでみている低エネルギーでのスピン励起が抑制されていることを意味する。

 この現象は、超伝導を示す銅酸化物すべてにおいてみられるわけではない。これまで調べられた系では、スピンギャップ現象は、1)モット転移及び超伝導の舞台となるCu-O2層が二枚向き合った構造を持つ(bi-layer系)、2)ホール濃度が、超伝導転移温度(Tc)を最適にする最適ホール濃度に比べて少ない領域(低ホール濃度領域)、という条件下で生じている。多くの理論的研究においてはこの2つの両方、あるいは一方を必要条件として課しているが、これらの条件が限られた系での実験によって導かれたものであるため、確実に必要条件であるかどうかはこれまで定かではなかった。

 本研究は、典型的なスピンギャップ系であるYBa2Cu3Oy(Y123)系、及び、Y123と構造的には近いが異なる相図を持つLaBa2Cu3Oy(La123)系の低エネルギースピン励起、特にスピンギャップ的振る舞いを、核磁気共鳴法(NMR)を用いて系統的に調べたものである。第1章では、銅酸化物超伝導体とスピンギャップに関する一般的な特徴をまとめている。第2章は、試料及び実験条件に関する説明を行っている。第3,4章では、上記出現条件2)について調べるため、Y123系及びLa123系に対し、酸素量(y)を系統的に変えて低エネルギースピン励起のホール濃度依存性を調べた。また、第5章では、1)についての知見を得るため、Spin Echo Double Resonance(SEDOR)法を用いて、典型物質YBa2Cu3Oy(Y123)及び、YBa2Cu4O8(Y124)の交換相互作用の構造を調べた。以上をまとめ、第6章結論としている。

 本研究で用いた試料のうち、YBa2Cu3Oy(Y123)及びLaBa2Cu3Oy(La123)は、東大物性研究所の越智健二氏、上田寛助教授によって、SEDOR測定において用いたYBa2Cu4O8(Y124)は、超電導工学研究所にて町敬人氏らによって作製された。NMR測定は、東大物性研究所安岡研究室において、主に干渉型パルスNMR装置、及び12Tの超伝導磁石を用いて行った。

 La123系に関しては、その相図が確定されていなかったため、核四重極共鳴(NQR)スペクトルなどの測定によって、越智健二氏、上田寛助教授、安岡弘志教授と共同で相図の確定を行った。その結果、La123系は、Y123系と比較して以下のような特徴を持つことがわかった。1)広い反強磁性相を持つ(y<6.6,Y123ではy<6.42)。2)Y123系でみられるTcが酸素量yに対して一定値になる、いわゆる60K相が存在せず、Tcはyに対して単調に増加している。3)yが7.00を超えた組成が存在し、その領域はTcがy〜7.0に比べて減少する、過剰ホール濃度領域となっている(Y123では、y6.98)。NQRスペクトルの測定から、これらは、Cu(1)-O層における酸素の秩序度の違いに起因するものであることがわかった。

 Y123系とLa123系のNMRの結果から以下のようなことが明らかになった。Y123系において、1/T1Tのピークを示す温度Tsgは、酸素量yに対してTcが一定値となる60K相で一定値を持つ。一方、60K相を持たないLa123系では、Tsgは、yの減少に対して単調に増加している。Y123系の60K相は、ホール濃度がこの領域で一旦飽和していることから生じていると考えられており、ここでのNMRの結果は、Tsg、即ちスピンギャップのエネルギースケールがホール濃度の単調関数であることを示唆している。一方、La123系においては、スピンギャップ相が超伝導に対する最適ホール濃度域においても観測された。このことは、スピンギャップ現象が、必ずしも超伝導に対して定義された低濃度領域に固有のものではないことを示している。

 スピンギャップ的振る舞いは、一様帯磁率(q=0)にも現れることが知られており、q=Q(反強磁性モード)でのスピンギャップとの関係が不明であった。また、c面内の抵抗が低温で高温域での温度に比例した振る舞い(T-linear)からずれることが知られているが、この現象とスピンギャップとの相関が指摘されている。Y123系におけるこの抵抗のT-linearからのずれる温度(Tcp)を酸素量yに対してプロットすると、Tcがy〜6.6で一定になるにも関わらず、yの減少に伴って単調に増加する。この依存性は、Tsgの振る舞いと明らかに異なっている。このy依存性と一様帯磁率におけるスピンギャップ的振る舞いを比較するため、各サイトにおける一様帯磁率に対応するナイトシフト(K)を測定したところ、抵抗にみられるT-linearからのずれとKの温度依存性に対して、一定の対応関係がみられた。このことは、q=0(一様帯磁率)とq=Q(反強磁性モード)におけるスピンギャップは、直接の相関を持たない独立の現象である可能性を示唆している。

 Cu(1)-O鎖の構造の異なる、Y123及び、Y124に対してSEDORを用いて、Cu(1)-O鎖とCu(2)-O2面の間の交換相互作用の大きさを見積もった。その結果、これらの物質中では、Cu(1)-O鎖とCu(2)-O2面の間の交換相互作用は非常に弱いことがわかった。このことは、互いに向き合った2つのCu(2)-O2層は、磁気的にみて他のCu(2)-O2層やCu(1)-O鎖から実質的に孤立したbi-layer系であるとみなせることを示している。

 スピンースピン緩和時間の二乗T2G2は、反強磁性モードX(Q)に対応するものであることが知られている。T2G2は、高温域においてCW的な振る舞いを示しているが、Y123系に対してそのワイス温度のy依存性を測定したところ、最適ドープ域では負だが、y=6.85付近でその符号を変え、低濃度域では正の値をとることがわかった。このことは、もし、スピンギャップが存在しなければ、その基底状態は低濃度領域で長距離秩序を持つ反強磁性金属であることを示している。Cu-O2層が2枚ある場合に各面内のX(Q)が面間の交換相互作用を増強させ、その面間相互作用がスピンギャップの原因であるという理論的な予測があるが、低濃度域において反強磁性モードが非常に増強されているという事実は、このシナリオを支持している様に思われる。

 スピンギャップが、well-definedな秩序変数に支配されているかどうかは、この現象を理解する上で非常に重要な意味を持つ。例えばスピンー電荷分離のシナリオでは、スピンギャップ相においてwell-definedな秩序変数を持つsinglet-RVB状態が予測されている。秩序変数が存在する場合、その対称性は系の対称性に合致しているはずであるので、超伝導の場合と同様に、s,dなどの対称性を持つことが期待される。そのような秩序変数は、NMR緩和率に特徴的な温度依存性をもたらすものと考えられる。Y123系とLa123系の1/T1Tの温度依存性は、もし秩序変数が存在するならば、その対称性はs的であることを示唆している。一方、1/T2Gの温度変化は、むしろd的な様相を示していて、1/T1Tの結果に矛盾している。このことは、スピンギャップという現象を秩序変数で記述することができないこと、即ち、擬ギャップであることを示唆している。

 以上の結果をまとめると、スピンギャップ現象はwell-definedな秩序変数を持たない擬ギャップでホール濃度の単調関数であるが、必ずしも超伝導の相図と対応関係を持つわけではない。こうしたことは、bi-layer系のフェルミ液体にもとづくシナリオを示唆しているように思われる。

審査要旨

 本論文は6章からなる.第1章は序章で,本研究の背景となる高温超伝導の研究の流れを磁気的性質に関係する部分を中心にまとめられてている.第2章は実験手法の記述に当てられ,試料の作成とキャラクタリゼーション,核磁気共鳴および核四重極共鳴の実験手法に関する記述がある.第3章から第5章にわたって実験結果の記述とそれを基にした議論が展開されている.第3章ではYBa2Cu3Oy系,第4章ではLaBa2Cu3Oy系におけるスピンギャップ現象を核磁気共鳴の方法で調べた結果が考察されている.第5章では層間の交換相互作用の強さに関する知見を得る手段であるSEDOR(Spin Echo Double Resonance)法を用いた実験の結果が記述されている.最後の第6章は本研究を通して得られた,銅酸化物高温超伝導物質系における磁気的性質に関する知見がまとめられている.

 銅酸化物系の高温超伝導が反強磁性モット絶縁体の近傍において出現することから,その発現機構に磁気的な性質が本質的な重要性を持つのではないかとの認識は研究の初期段階から持たれていた.特に,核磁気共鳴や中性子散乱の実験により明らかにされてきた"スピンギャップ"すなわち低エネルギーのスピン励起が抑制される現象は,高温超伝導が発現する"異常金属相"に深く関わるものとして注目を集めている.本研究の主要な目的はこの"スピンギャップ"に関して,それが銅酸化物系高温超伝導物質に普遍的な性質であるか否かなどの基本的な問題に実験的にアプローチすることにある.

 具体的な研究対象として,典型的な高温超伝導体としてもっとも多くの研究が行われているYBa2Cu3Oy系とこれと類似の系で以下に述べるようないくつかの特徴をもつLaBa2Cu3Oy系を選び,酸素量の制御によって正孔濃度をさまざまに変えた一連の試料についてCu核の核磁気共鳴の測定を行い,ナイトシフトK,核スピン格子緩和率1/T1,核スピンスピン緩和率1/T2G,などを広い温度範囲にわたって調べることによって,系統的なデータを得た.以下,本論文の中心をなす,スピンギャップに関する研究成果を述べる.

 YBa2Cu3Oy系においてはスピンギャップ現象は超伝導転移温度Tcが最高値をとる最適濃度(optimum doping)よりも低濃度側(underdoped region)においてのみ見られる,スピンギャップの兆候が見られる温度TsgはTcよりもかなり高く,optimum dopingにおいて両者が一致するように見える.また,いわゆる60K相においてTcとともにTsgも,ある範囲で酸素量に対して一定値をとることから,TsgもTcと同様,正孔濃度の関数と考えることが妥当であることが示唆された.

 一方,LaBa2Cu3Oy系におけるスピンギャップ現象はこれとは様相を異にし,超伝導に関する最適濃度の領域においてもスピンギャップのふるまいが観測される.このことは,スピンギャップ現象が必ずしも超伝導に関して定義されたunderdoped領域にのみ固有の性質ではないことを意味し,一部の理論に対して重大な制約を課す実験結果である.

 Cu核スピン格子緩和率1/T1から得られる情報は主として反強磁性モードq=(/2,/2)のスピン励起に関するものであるが,スピンギャップ現象はq=0の一様帯磁率にも観測されることが知られている.また電気抵抗のT-linearからのずれをスピンギャップとの関連も指摘されている.論文提出者は一様帯磁率に対応するナイトシフトKの温度依存性の測定を行い,電気抵抗のT-linearからのずれとの間に一定の関係を見いだし,このことからq=(/2,/2)のスピンギャップとq=0のスピンギャップとは直接の相関を持たない独立な現象ではないかとの指摘を行っている.

 また,スピンギャップ現象がある種の秩序変数で記述されるようなものであるとすると,超伝導の場合と同じようにその秩序変数の対称性が問題となるが,そのような考え方を採ると1/T1と1/T2Gの温度変化のふるまいが対称性に照らして互いに矛盾することが見いだされた.このことから論文提出者は,いわゆるスピンギャップなるものが,明確な秩序変数で記述されるものというよりは,むしろ擬ギャップと考えることが適当であると提案している.

 このように本論文は銅酸化物の異常金属相の中心課題について重要な新しい実験結果を提示しており,この分野の発展に寄与すること大であると認められるので,博士(理学)の学位を授けるに十分な内容をもつものであると審査員全員一致で認定した.なお,本研究は指導教官をはじめとする研究室のメンバーおよび試料を作成した無機化学の研究グループとの共同で遂行されているが,本論文の中核をなす実験の遂行およびその解析については論文提出者が主体的に行ったものであると認められる.

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