学位論文要旨



No 111647
著者(漢字) 齋藤,智彦
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,トモヒコ
標題(和) 異常な磁気的性質を示す3d遷移金属化合物の電子構造
標題(洋) Electronic structure of 3d transition-metal compounds with unusual magnetic properties
報告番号 111647
報告番号 甲11647
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3011号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 鈴木,増雄
 東京大学 教授 石川,征靖
 東京大学 教授 後藤,恒昭
 東京大学 助教授 柿崎,明人
内容要旨 1.

 電子相関は強磁性、反強磁性、金属-絶縁体転移、超伝導など様々な物性を引き起こす原因であり、今日の物性物理学における中心課題の一つである。実際に遷移金属中のd電子、f電子では電子相関が強く、遷移金属化合物は、例えば銅酸化物における高温超伝導などのような多彩な物性の舞台となる。

 本論文では、これらの遷移金属化合物が引き起こす磁気的性質を電子相関という立場から理解するために、酸化物を中心とした以下の3つの3d遷移金属化合物の系を取り上げ、その電子状態と磁性との関係を研究した。すなわち、ペロブスカイト型酸化物La1-xSrxMnO3、La1-xSrxCoO3とFeSiである。これらの系はいずれも異常な磁気的性質を持ち、またその物性はお互いに関連づけて考えることができる。La1-xSrxMnO3は古くから二重交換相互作用系として知られ、近年では巨大な負の磁気抵抗を示す物質として注目されている。LaCoO3は温度上昇と共に非磁性半導体から常磁性金属に変化する。磁化率は約100Kでのピークと500K付近での平坦部を持ち、この付近からは半導体から金属へ変化する。La1-xSrxCoO3もまた二重交換相互作用系のひとつに分類されている。FeSiは低温で非磁性の半導体だが、約500Kに磁化率のピークを持ち、それより高温ではCurie-Weiss的磁化率を示す。また、ほぼ同程度の温度で金属的伝導を持つようになる。この異常な常磁性はスピン揺らぎの理論で説明されてきたが、近年、FeSiの中性子散乱の結果と近藤絶縁体CeNiSnでの結果との類似性が指摘され、3d電子系の近藤絶縁体の候補として再び注目を集めている。本論文では、共鳴光電子分光を含む光電子分光法及びX線吸収分光法を測定手段とし、3つの系を研究した。光電子分光法は電子状態についての情報を直接的に得ることができる有力な方法である。スペクトルの解析手法には、配置間相互作用(CI)を考慮したクラスターモデルによる解析やモデル自己エネルギーをバンド計算に取り入れた解析を用いた。これらの方法は電子相関を解析に取り入れる為に有効な手段である。

2.実験方法

 試料はLa1-xSrxMnO3とLa1-xSrxCoO3は固相反応で作成した焼結体多結晶、FeSiはフローティングゾーン法によって得た多結晶である。測定はいずれの試料でも10-10Torr前半の超高真空中で行い、試料の清浄表面は測定槽内でのダイヤモンドやすりによるやすりがけによって得た。測定温度は温度変化の測定以外は液体窒素温度(約80K)である。紫外線光電子分光(UPS)及びX線光電子分光(XPS)は実験室で測定し、共鳴光電子分光及びX線吸収分光(XAS)は放射光施設を利用した。

3.結果と解析3.1.FeSiの高分解能光電子分光

 FeSiについて、価電子帯UPSスペクトル(hv=21.2eV)を40K、150K、室温、において高分解能で測定し、電子状態の温度変化を調べた。その結果、150K以下ではギャップの形成が観測され、高温金属-低温半導体の転移が確かめられた。ギャップ形成に伴うフェルミ準位(EF)近傍でのスペクトル強度の減少は、およそ0.01states/Feと見積った。これは光学スペクトルの測定結果と矛盾しない。また、hv=80eVのUPSスペクトルも測定し、このスペクトル及び40Kの高分解能UPSスペクトルの両者をバンド計算と比較、解析した。比較の際、バンド計算に電子相関の効果を取り入れる為にモデル自己エネルギーを導入し、実験結果を再現するようにモデル自己エネルギーのパラメーターを決定した。その結果、EFのごく近傍では、かなり大きな電子相関があると見積られ、幅が狭く(〜50meV)かなり重い(〜50m0)準粒子のバンドが存在すると結論した。バンド計算によると、EF上下での状態密度の形はほぼ対称なので、EFより上にも同様の狭いバンドがあると仮定すると、異常な磁化率が定性的に説明できると解釈した。

3.2.La1-xSrxCoO3の電子状態と磁性

 LaCoO3の磁化率の100Kのピークは単一サイトの局在スピンモデルの範囲では1A1(低スピン:LS)状態から5T2(高スピン:HS)状態への熱励起では説明できないことが知られているが、1A1状態から3T1(中間スピン:IS)状態への熱励起ならば磁化率のピークが説明できることが解かった。そこで、このモデルで光電子スペクトルが説明できるかどうかを測定し、スペクトルをCIクラスターモデル解析することによって中間スピン励起状態の可能性を検証した。測定はCo2p内殻XPS、共鳴光電子分光、価電子帯XPS、UPS、及びXASについて行った。その結果、Co2p内殻XPS、共鳴光電子分光スペクトル及び価電子帯XPSで電荷移動によるサテライト構造を観測した。価電子帯XPSスペクトルは、1A1-3T1混合始状態を仮定すると測定結果を再現でき、また他の文献で示されている小さい温度変化も定性的に説明できることが解かった。O1sXASスペクトルの55Kと300Kの測定結果は小さいながらも温度変化を示しているが、この変化は本論文でのCIクラスターモデルの範囲で説明することは難しく、内殻正孔の効果を取り入れた計算が必要と考えられる。

 一方、UPSの測定結果より、LaCoO3にSrをドープしてゆくと、LaCoO3で見られた2T2終状態の構造が小さくなるとともにEF方向に裾を引くようになり、価電子帯全体がEF方向にシフトし、その裾がEFにかかって金属となることが観測された。EF上のスペクトル強度は小さいがLa1-xSrxMnO3系に比べればかなり大きく、Co系がMn系より遍歴的であると解釈できる。また、共鳴光電子分光スペクトルの差分スペクトルを各組成で比較すると、xを増やしても顕著な変化は見られなかった。この結果はドープ領域で高スピンへの変化が起きていると考えると説明しにくい。

 以上の結果から、LaCoO3の磁気転移はLS-HSではなくLS-ISであると提案した。また中間組成領域ではかなり遍歴的となっていると結論した。

3.3.La1-xSrxMnO3の価電子帯光電子スペクトルの温度変化

 La1-xSrxMnO3(x=0.0-0.4)について、高分解能光電子スペクトルを30K、100K、200K、で測定した。その結果、温度上昇と共に数eVの広範囲にわたって他例のないスペクトル強度の変化が観測された。これを、横軸Sr濃度-縦軸温度の相図上で考えると、スペクトルの形状変化は強磁性-常磁性相転移の境界を横切る方向に沿っていることが解かった。また、La0.6Sr0.4MnO3のEF近傍での強度は温度上昇にともない減少した。これは他の金属伝導を示す物質では見られなかった現象である。さらにLa1-xSrxMnO3とは異なり、La0.6Sr0.4CoO3においては広範囲、EF近傍ともにはっきりした変化は見られなかった。またEFでのスペクトル強度はMn系の場合よりはるかに大きい。以上の結果から次のような考察をした。Mn系では、実効的な3dクーロン相互作用をU、egバンド幅をWとおくと、温度上昇に伴う強磁性相関の減少によって、Uが増大、Wが減少し、U/Wが増大すると考えられる。U/Wの増大はcoherent partからincoherent partへのスペクトル強度の移動を伴い、その結果EF近傍で強度が減少したと考えられる。また価電子帯全体の温度変化は強磁性相関の減少に伴うバンド構造の変化と考えられる。一方Co系においてはMn系に比較して、(i)飽和磁気モーメントが小さいこと、(ii)遍歴的であり局在モーメント+キャリアーという二重交換相互作用の描像がMn系程はっきりしないこと、さらに(iii)電子間により強い反強磁性相関が期待されることから、U/Wの増大はかなり小さく、スペクトルの温度変化が見られなかったと推測した。

4.結論

 LaCoO3とFeSiはいずれもバンド絶縁体とは違って電子相関が重要という意味で「強相関半導体」として一つの範疇にまとめることができ、FeSiはバンド極限に近く、LaCoO3は局在電子系の極限に近いと解釈できる。La1-xSrxMnO3とLa1-xSrxCoO3は共通の性質も示すが、MnがCoに変わって遍歴性及びeg電子数が増加した結果、強磁性相の振る舞いに違いが現われたと考えられる。

審査要旨

 本論文は、7章からなり、第1章から第3章までは、研究目的、背景、および測定原理・手法の紹介に当てられている。電子相関は強磁性、反強磁性、金属-絶縁体転移、超伝導など様々な物性を引き起こす原因であり、今日の物性物理学における中心課題の一つである。実際に遷移金属中のd電子、f電子では電子相関が強く、遷移金属化合物は、例えば銅酸化物における高温超伝導などのような多彩な物性の舞台となる。

 本論文では、これらの遷移金属化合物が引き起こす磁気的性質を電子相関という立場から理解するために、酸化物を中心とした以下の3つの3d遷移金属化合物の系を取り上げ、その電子状態と磁性との関係を研究した。すなわち、ペロブスカイト型酸化物La1-xSrxMnO3、La1-xSrxCoO3およびFeSiで、いずれも異常な磁気的性質を持つ。La1-xSrxMnO3,La1-xSrxCoO3は、二重交換相互作用系として知られ、近年では巨大な負の磁気抵抗を示す物質として注目されている。また、LaCoO3およびFeSiは温度上昇と共に非磁性半導体から常磁性金属に変化し、3d電子系の近藤絶縁体の候補として再び注目を集めている。本論文では、共鳴光電子分光を含む光電子分光法およびX線吸収分光法を測定手段とし、3つの系を研究した。スペクトルの解析手法には、電子相関を解析に取り入れる為に有効な配置間相互作用(CI)を考慮したクラスターモデルによる解析やモデル自己エネルギーをバンド計算に取り入れた解析を用いた。

 本論文の第4章では、FeSiについて、価電子帯UPSスペクトル(hv=21.2eV)を各温度において高分解能で測定し、電子状態の温度変化を調べた結果について述べている。150K以下でのギャップの形成が観測され、高温金属-低温半導体の転移を確かめた。また、UPSスペクトルを解析した際に、バンド計算に電子相関の効果を取り入れる為にモデル自己エネルギーを導入し、実験結果を再現するようにモデル自己エネルギーのパラメーターを決定した。その結果、EFのごく近傍では、かなり大きな電子相関があると見積もられ、幅が狭く(〜50meV)かなり重い(〜50mo)準粒子のバンドが存在すると結論した。また、観測されている異常な磁化率の結果と矛盾しないことを示した。

 第5章では、La1-xSrxCoO3の電子状態と磁性の関連について、光電子分光の結果と解析をもとに論じている。LaCoO3の磁化率は1A1(低スピン:LS)状態から5T2(高スピン:HS)状態への熱励起では説明できないことが知られているが、1A1状態から3T1(中間スピン:IS)状態への熱励起ならば磁化率の挙動が説明できることを明らかにした。そこで、観測した光電子スペクトルをCIクラスターモデル解析することによって中間スピン励起状態の可能性を検証した。価電子帯XPSスペクトルは、1A1-3T1混合始状態を仮定すると測定結果を再現でき、またスペクトルの小さい温度変化も定性的に説明できることを明らかにした。一方、La1-xSrxCoO3の共鳴光電子分光スペクトルの差分スペクトルを各組成で比較した結果は、ドープ領域で高スピンへの変化が起きていると考えると説明しにくい。以上の結果から、LaCoO3の磁気転移はLS-HSではなくLS-ISであると提案し、また中間組成領域ではかなり遍歴的となっていると結論した。

 第6章では、La1-xSrxMnO3の値電子帯光電子スペクトルの温度変化についての研究結果を述べている。La1-xSrxMnO3(x=0.0-0.4)について、高分解能光電子スペクトルを種々の温度で測定した結果、数eVの広範囲にわたって、またEF近傍で、スペクトル強度の異常に大きな温度変化を観測した。Mn系では、温度上昇に伴う強磁性相関の減少によって、実効的な電子相関強度が増大する為、値電子帯全体の電子構造が変化すると考えられるとの解釈を示した。

 本論文の第7章は、論文全体のまとめに当てられている。

 以上、本論文は、強い電子相関効果に由来する、異常な磁気的性質を示す物質系について、光電子分光の手法を用いて、その電子状態の特徴および磁性との関連を解明し、この分野の研究に新生面を開いたと評価できる。よって、本論文は、博士(理学)の学位論文として合格と認める。なお、本論文の相当部分は、指導教官である藤森淳助教授ほかとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって測定から解析にいたるまで行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク