重い電子もしくは価数揺動物質の多くは金属的基底状態を持つが、中には低温でフェルミ面にギャップが開き半導体もしくは絶縁体的基底状態を示すものもある。Ce化合物でこの様な半導体的基底状態を持つものとしては、CeNiSn,CeRhSb,Ce3Bi4Pt3,Ce3Sb4Pt3,CeFe4P12等がある。この中で、CeNiSnは1987年Takabatake,Nakazawa and Ishikawaにより見い出された物質で、CeRhSnと共に数K程度の非常に狭いギャップが特徴である。この狭いギャップは外的条件(例えば磁場や圧力)とギャップの相関を調べるのに都合が良い。また、CeNiSnは比較的単結晶が育成しやすい。このため、CeNiSnは多くの手法で詳しく調べられている。これらの実験の結果は、低温での種々の物理量が2つの温度スケールを用いて次のように整理できることを示唆している。1つはギャップの形成温度であり、これはおおよそ=6Kである。この温度以下で形成されるギャップは非常に異方的でかつ形成が完全でなく、このためギャップは"準ギャップ"と呼ばれている。また、フェルミ面での状態密度がT→0で有限に残るため、最近近藤半金属と呼ばれ始めた。この準ギャップは圧力下、もしくは構成元素を少量他の元素に置換することにより抑制されることが分っている。もう1つの温度スケールは、Ceの4f磁気モーメント間に何らかのコヒーレンスが発達し始める温度であり、これはおおよそTcoh=12-20K程度と考えられている。さらに同じ温度から反強磁性相関が発達することが示唆されており、このコヒーレンスは、磁気モーメント間に発達する反強磁性相関のことであろうと想像できる。準ギャップ形成は反強磁性相関が発達していると考えられる領域で起こるため、この反強磁性相関を詳しく調べることは重要な問題である。 本研究では中性子非弾性散乱の手法をもちいてCeNiSnの低温での低エネルギー磁気励起(1.56meV)を広い波数領域で詳しく調べた。これにより低温でCeの4f磁気モーメント間に発達する反強磁性相関を微視的に明らかにした。さらに圧力下および構成元素の置換により準ギャップを潰した系での中性子散乱実験を行ない、準ギャップと磁気励起の関連を実験的に明らかにした。本研究で得られた結果を以下に示す。 まず、CeNiSnに対する中性子散乱実験より次のことが分かった。 (1).各逆格子軸上のスペクトルから求められた低エネルギー磁気揺動の異方性はa軸容易軸型、すなわちその主要な成分はImaa(,)であった。我々はこの磁気揺動の異方性から、Ceの4f軌道の結晶場分裂の様子を明らかにすることを試みた。そこでは、結晶場分裂の基底状態は|±〉もしくは|±〉が主要な成分であることが示唆された。 (2).低温でもほとんどの波数で低エネルギー磁気励起は特徴のない準弾性的なものであり、その励起スペクトルは〜4meV程度の準弾性的なローレンツ型関数 で良く表されることが分った。この準弾性散乱は多結晶中性子散乱で観測されているものと一致する。 (3).=(0,1,0),(0,0,1)では=2meVに非弾性励起ピークを観測した。(例として=(0,1,0)での励起スペクトルを図1に示す。)このピークはTcoh以下で発達する。またこのピークの波数依存性は、これが有限振動数を持つ3次元的な動的反強磁性相関と見なせることを示している。 (4).=(Qa,+n,Qc),(Qa,Qcは任意、nは整数)では=4meVに非弾性励起ピークを観測した。(例として=(0,,0)での励起スペクトルを図2に示す。)このピークもやはりTcoh以下で発達する。ピークの波数依存性は、これがb軸方向に準1次元的な動的反強磁性相関に対応することを示している。また同時に、この有限振動数をもつ相関の磁気揺動の異方性がa軸容易軸型であることも分かった。これは、(1)の低エネルギー領域での磁気揺動の異方性と一致する。 (5).(3),(4)の非弾性励起ピークの波数依存性から、対応する動的磁気相関の実空間描像が導かれた。特徴的なことは(4)の4meV peakの準1次元性である。このような相関の発達は結晶構造からは考えにくく、この系のコヒーレンスを解き明かす鍵となるものと考えられる。 (6).また、(3),(4)で見られた動的反強磁性相関と類似のものは幾つかの金属的な近藤化合物でも観測されている。ただし、CeNiSnでの非弾性励起ピークのスペクトルは準ギャップ型をしており、ピーク以下のエネルギー領域(<1.5meV(2meVピーク)、もしくは<3meV(4meVピーク))の散乱関数S(,)は非常に小さい。この様な非弾性散乱ピークの準ギャップ型スペクトルは他の金属的な近藤化合物では見られる事が無く、準ギャップを持つ系に特徴的なスペクトルであると考えられる。 (7).中性子散乱で得られた磁気励起スペクトルとNMRのスピン格子緩和時間1/T1との比較を試みた。この結果、我々の観測している非弾性散乱ピークがNMRが観測しているスピンギャップに対応するものではないことが示唆された。NMRとの比較はさらに、スピンギャップがより低エネルギー領域(≪kB)、かつ広い波数領域で形成されていることを示唆している。 次に、CeNiSnのNiを小量Coで置換することにより、準ギャップの形成を抑制したCeNi0.9Co0.1Snに対する中性子散乱実験を行なった。Co置換は系に周期性の乱れと電子数の変化をもたらす。我々が得た結果は次のようにまとめられる。 (1).非弾性散乱ピークの現れない波数での磁気励起は、CeNiSnで観測された準弾性散乱と強度まで含めてほとんど同じであった。特に、逆格子軸上の(ピークの現れない)磁気励起スペクトルの強度がCeNiSnでのそれと一致することは、Co置換による異方性の変化がほとんど無いことを示している。 (2).一方、CeNiSnで観測された非弾性散乱ピークは、CeNi0.9Co0.1Snでは非常に弱くなりほとんど消失していた。(図1,2)興味深いことは、弱くなっているにも関わらず僅かに残った4meVピークがCeNiSnと同様にb軸方向に準1次元的な動的反強磁性相関に対応することである。さらにこの4meVピークの磁気揺動の異方性もa軸容易軸型であった。すなわち、Co置換は動的反強磁性相関の相関距離には影響を与えるが、次元性や異方性には影響を与えないことが分かった。 図表図1:=(0,1,0)でのconstant- scanの結果。白丸はCeNiSn(T=2K)、黒丸はCeNi0.9Co0.1Sn(T=4K)のデータ。実線はガイドライン、また点線はフォノン散乱を差し引いた磁気散乱成分。 / 図2:=(0,,0)でのconstant- scanの結果。白丸はCeNiSn(T=2K)、黒丸はCeNi0.9Co0.1Sn(T=4K)のデータ。実線はガイドライン、また点線はフォノン散乱を差し引いた磁気散乱成分。 我々はさらに、圧力下での中性子散乱実験を行ない、CeNiSnで見られた4meV非弾性散乱ピークの圧力依存性を調べた。圧力は伝導電子と4f電子の混成の度合に影響を与えるものと考えられる。我々の実験の結果は次のようにまとめられる。 (1).常圧のCeNiSnで観測された4meVの特徴的な非弾性散乱ピークは、高圧下ではほとんど消失していることが分かった。(=(0,,0),T=4Kでの励起スペクトルの圧力変化を図3に示す。)この実験結果は混成の度合と動的反強磁性相関の強い関連を示唆する。 図3:=(0,,0)でのconstant- scanの圧力変化。白丸はT=4K、黒丸はT=25K(常圧)もしくはT=50K(6 kbar)。実線はガイドライン。 (2).さらに、各圧力のスペクトルをKramers-Kronig変換をすることにより得られる波数依存する帯磁率(Q)は、圧力と共に減少していることが分かった。このことは、高圧下で系がより価数揺動的になっていることを示唆している。 我々の実験は、CeNiSnのTcoh以下で発達するコヒーレンスが、Ceの4f磁気モーメント間の3次元的及び準1次元的な動的反強磁性相関として理解できることを示した。後者の準1次元的な反強磁性相関の発達、それも有限振動数に現れるものは他の重い電子もしくは価数揺動物質では見られることがなく、この系の準ギャップ形成とコヒーレンスの発達の理論的理解にヒントを与えるものと信じる。さらに我々は、このコヒーレンスの発達が混成の度合、周期性の乱れ、さらに電子数の変化に強く関連することを明らかにした。また我々の実験の範囲内では、準ギャップ形成とコヒーレンスとの間には強い関連があると考えられる。 しかしながら、どのような起源で上の動的反強磁性相関が発達するのか、またなぜ準ギャップの形成とコヒーレンスの発達に関連があるのか等の準ギャップ形成に本質的な問題は解決されていない。今後の理論の発展が期待される。 |