学位論文要旨



No 111650
著者(漢字) 柴田,智広
著者(英字)
著者(カナ) シバタ,トモヒロ
標題(和) 酸素モノレイヤーの磁性と結晶構造
標題(洋) Magnetism and Crystal Structures of Oxygen Mono-layers
報告番号 111650
報告番号 甲11650
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3014号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加倉井,和久
 東京大学 助教授 河野,公俊
 東京大学 教授 藤井,保彦
 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 助教授 和田,信雄
内容要旨 1序論

 固体表面上に吸着した気体分子モノレイヤー結晶は数少ない2次元系のよいモデルとして20年来研究されてきた。この系に特徴的なことは

 1.吸着量を制御することにより分子間距離を変え、その相互作用の大きさを比較的容易に変化させることができることである。

 2.気体分子と基盤結晶を選ぶことにより気体分子と基盤との相互作用の大きさの違いから様々な種類の2次元システムを構成することができる。

 ことなどである。

 酸素分子はスピン(S=1)をもち、分子間の直接交換相互作用によりそのモノレイヤー結晶は理想的な2次元ハイゼンベルク反強磁性体と考えられる。基盤にグラファイトを用いた場合、モノレイヤー結晶には表面密度に応じて2つの相が存在する。それらは酸素分子軸が基盤表面に垂直な高密度相相と酸素分子軸が基盤表面に平行な低密度相である。相ではスピン格子相互作用によって低温で反強磁性秩序相相が現れる。我々の最近の中性子磁気散乱実験の結果から相でのスピンの縮みは39%にも達し、量子効果が大きいことが明らかになった。また相2層領域での帯磁率、中性子磁気散乱の結果から1層目では磁気秩序が存在するにもかかわらず、2層目は磁気秩序がないことから、基盤が磁気秩序に影響を与える可能性もあり、基盤の影響を無視することはできないと考えられる。

 本研究では、結晶構造はグラファイトと同じであるが電子構造は絶縁体である六方晶窒化ボロン(hBN)を基盤に用い、その表面上に酸素モノレイヤー結晶を育成した。x線回折から結晶構造を、帯磁率測定から磁気的性質を詳細に調べ、この系における相図(被覆率C、温度T)を決定した。

2実験方法2.1試料

 粉末状のhBNを押し固め配向をもたせたのち、800度で3日間真空中で熱処理したものを基盤として用いた。等温蒸気圧測定からT=55Kで層状成長することを示すステップを確認した。結晶性のよいモノレイヤー結晶を得るため、吸着した後、融解転移および磁気転移点で十分アニールしながら冷却した試料を用い、x線回折および帯磁率測定を行った。

2.2x線回折実験

 高輝度放射光を光源とし、従来からのシンチレーションカウンタ、最近の高分解能のイメージングプレートをディテクターに用いることによりモノレイヤー結晶のx線回折スペクトルを得た。

2.3帯磁率および磁化測定

 帯磁率はSQUID磁束計を用い零磁場冷却後温度上昇過程と磁場中冷却過程とで0.5Tの外部磁場で温度依存性を測定した。磁化過程も同時に測定した。

3実験結果3.1相図

 図1に(被覆率、温度)相図を示す。

 被覆率Cは酸素分子が×構造をとるときC=1と定義する。被覆率に応じて2つのモノレイヤー結晶,高密度相と低密度相を観測した。グラファイト基盤のときと同様x線回折の結果から相は基盤表面に分子軸が平行である面心長方格子をとり、相は基盤表面に分子軸が垂直である三角格子をとることがわかった。最も低密度では相と2次元ガスの共存相で、相の融解転移は一定温度25.5Kで起こる。1.0C1.7では相の単一相であり密度の増加とともに融解温度が上昇する。特筆することは低温で相が現れることである。相はグラファイト基盤の場合には見られずこのシステムに特有のものである。-転移は被覆率の増加とともに転移点が20Kから27Kへと上昇する。さらに被覆率を増加させた 2.2C3.6では高密度モノレイヤー相の単一相で11.9Kで磁気格子相互作用により低温で反強磁性秩序相(相)に転移する。1.7C2.2では低密度相である相と高密度相である相の共存相が存在する。C3.6ではバルク相が共存する。

3.2-転移3.2.1結晶構造

 相と相のx線回折スペクトルはともに面心長方格子の(02)(11)に対応する反射で高波数側に裾を引くワーレン型のピークが観測された。C=1.3での結晶格子は相でa=3.41A,b=7.66A、相ではa=3.22A,b=7.91Aである。酸素分子間の交換エネルギーJは分子間距離に大きく依存し、分子間距離から見積もったJの値は相で最近接Jnnは27.5K.相で12.5Kである。- 転移で 相では最近接距離が一次元方向に縮む。その結果次近接Jの最近接Jとの比が0.01となり、擬一次元構造が実現していると考えられる。図2に相の結晶構造をしめす。

図表図1:相図 / 図2:相の結晶構造

 一方、相の結晶構造は、ピーク強度の考察から分子の向きは互いに平行ではなくヘリングボーンになっていると考えられ、-転移は分子の回転を伴った構造変化がある。

3.2.2帯磁率の温度依存性

 図3にC=1.2での帯磁率の温度依存性を示す。

 帯磁率は転移点以下で、指数関数的に急激に減少し、従来の反強磁性体の平均場理論やスピン波理論では説明できない。結晶構造によって決定した分子間距離から相では磁気的に擬一次元構造をとることと、S=1であることから相はハルデン相であることが期待される。

図3:帯磁率の温度依存性
3.2.3磁化過程

 相での磁化は磁場にほぼ比例するが、わずかではあるが 下に凸である。これは常磁性に見られる振る舞いとは異なる。相がのハルデン相であると考えれば磁場による第一励起状態である3重項状態との重なりとも解釈でき、帯磁率の温度依存性の結果と一致する。ただし磁化過程からはネール秩序によるスピンフロップ転移の前兆の可能性を否定できない。

 また帯磁率の温度依存性を磁場の大きさを変えながら測定すると相での帯磁率は高磁場で零磁場冷却過程と磁場中冷却過程で異なり、磁場中冷却過程では大きな値をとる。これは高磁場の効果で-転移が抑制される結果と考えられる。

3.2.4カイネティクス

 -転移は遅いカイネティクスをもち、相での帯磁率の値は冷却速度に依存する。冷却速度が遅いほど帯磁率は小さい値をとり、クエンチ後の磁化の時間変化は対数に従う。これは川崎による1次元ドメイン成長理論で説明できる。またx線回折実験の結果からTC以下でもかなりの量の相が残り、x線回折スペクトルの時間変化から相が時間とともに減少することも確認された。

3.3高密度,

 高密度モノレイヤー結晶の相はグラファイト基盤の場合と同様三角格子をもち格子歪みを伴って低温で反強磁性相である相に転移する事もわかった。

4考察4.1ハルデン相

 最近の1次元ハイゼンベルグ鎖の研究からスピン整数の場合一重項基底状態と三重項励起状態の間にエネルギーギャップが開くというハルデンの予想以来、理論的実験的に精力的に研究がなされてきた。ハルデン相の実現には、一次元性とスピンの等方性が重要であることが指摘されてきた。一次元性についていえば、従来から一次元スピン系として調べられてきたCsNiCl3と同等のJnnn/Jnn=0.01が実現している。CsNiCl3では鎖間の交換相互作用で3次元オーダーが4.9Kで起こるが、相ではそのような兆候は2K以上では見つかっていない。これは次近接交換相互作用が3次元方向におよばず、面内にとどまることからこれらよりオーダーがおきにくいためとも考えられる。

 スピンの等方性についていえば、酸素モノレイヤーの分子間には、分子の形に起因する異方性と結晶とに起因する異方性がある。しかし、それらは交換相互作用の10%以下であり、相は弱いxy的な異方性をもつハイゼンベルグ的であるとみなせる。よってこれらの異方性はこのけいでは従来の理論やNENPなどの実験結果から見てハルデン相の実現を妨げるほど大きくはないと考えられる。

5結論

 この研究でわかったことは、

 1.酸素分子は55KでhBN上に層状成長する。

 2.モノレイヤー結晶には低密度相と高密度相がある。

 3.グラファイト基盤と異なり、相領域でハルデン相を示唆する相に転移する。

 (a)帯磁率の温度依存性は従来の反強磁性相と異なりギャップ型の温度依存性を示。

 (b) 相は擬一次元構造をもつ。

 (c)-転移は対数に従う遅いカイネティクスを持ち1次元ドメイン成長過程と考えられる。

 4.グラファイト基盤同様に相は三角格子であり、低温で格子歪みを伴った相転移で反強磁性相である相になる。

審査要旨

 この論文の主旨は六方晶窒化ボロン基盤上における酸素モノレイヤー結晶の磁性と結晶構造の解明であり、実験手法としては磁化率及び帯磁率測定と高輝度放射光を利用したX線回折が用いられている。

 本論文は5章からなり、第1章は序章で本研究の背景となるモノレイヤー物理について、特に二次元モデル系としての意味(重要性)を特に酸素分子による六方晶のグラファイト基盤上のモノレイヤー結晶の結果を中心にまとめている。第2章では実験手法が紹介され、六方晶窒化ボロン基盤上における試料の作成、X線回折及び磁化率による測定手法について記述されている。第3章及び第4章ではこれ等の手法による実験結果とその解釈、すなわち六方晶窒化ボロン基盤上における多数の酸素モノレイヤー結晶相の磁性と結晶構造の解明、及び議論が記述されている。最後の第5章は本研究を通して得られた知見及び将来の展望がまとめられている。

 これまで多数の単原子及び分子は六方晶のグラファイト基盤上のモノレイヤー結晶として典型的な2次元系モデル系として研究の対象となってきた。特に酸素分子はスピン(S=1)を持ち、分子間の直接交換相互作用によりそのモノレイヤー結晶は数少ない理想的な2次元反強磁性体としてその結晶構造と磁性が詳細に調べられてきた。そしてモノレイヤー結晶には表面密度に応じて2つの相が存在する事が明かになった。それらは酸素分子軸が基盤表面に垂直な高密度相と酸素分子軸が基盤表面に平行な低密度相である。相ではスピン格子相互作用によって低温で反強磁性秩序相相が現われる。最近の中性子磁気散乱実験の結果から相でのスピンの縮みは39%にも達し、量子効果が大きい事が明かになった。また2層領域での帯磁率、中性子磁気散乱の結果から1層目では磁気秩序が存在するにもかかわらず、2層目は磁気秩序がないことから、基盤が磁気秩序に影響を与える可能性が示唆されてきた。

 本研究で使用された六方晶窒化ボロン基盤はグラファイトと同じ結晶構造を持つが、その電子構造は異なり絶縁体である。論文提出者はこの基盤の電子構造の違いが酸素分子のモノレイヤー結晶の磁性と結晶構造をどのように変化させるかを興味の対象として、帯磁率、磁化測定及び高輝度放射光を使用したX線回折実験を駆使してこの新しい系における被覆率と温度に対する相図を広範囲において決定し、各々の相の結晶構造及び磁気的な性質を解明した。

 六方晶窒化ボロン基盤上においても被覆率に応じて2つのモノレイヤー結晶相、低密度相と高密度相が観測された。グラファイト基盤のときと同様、X線回折の結果から相は基盤表面に分子軸が平行である面心長方格子をとり、相は基盤表面に分子軸が垂直である三角格子をとることが判明した。最も低密度では相と二次元ガスの共存相で、相の融解転移は一定温度25.5Kで起こる。被覆率1.0から1.7では相の単一相であり密度の増加と共に融解温度が上昇する。この相の結晶構造では分子の向きは互いに平行ではなくヘリングボーンになっていることをX線回折のピーク強度の考察から導出している。

 特筆すべき結果としてこの相の低温相としてグラファイトの基盤上では観測されなかった相が現われることである。-転移点は被覆率の増加と共に20Kから27Kへと上昇する。この相の結晶構造の対称性は相と同じく面心長方格子であるが、相では分子の向きは互いに平行になり最近接距離が一次元方向に縮む。その結果酸素分子間の次近接と最近接交換相互作用の比が非常に小さくなることが予想でき、擬一次元構造が実現していると考えられる。

 相の特徴はa)帯磁率の温度依存性が指数関数的に急激に減少すること、及び b)-転移は対数に従う遅いカイネティクスを持つこと

 である。この特徴は上記の一次元性によるものであると指摘している。酸素分子はスピン(S=1)を持っているので一次元ハルデン相が実現されていると考えると、ギャップエネルギーの存在によりa)を説明できる。またb)の観察は一次元ドメイン成長過程によるものと考えられる。この相における磁性の解釈はまだ推測の域を出てはいないと思われるが、二次元的モノレイヤー物理に一次元的要素を取り込む斬新的な試みである。

 高密度相はグラファイト基盤の場合と同様三角格子をもち、格子歪みを伴って低温で反強磁性相である相に転移することも解った。

 実験技術的に特筆されるべきことは高輝度放射光のX線回折でモノレイヤー結晶の実験に初めてimaging plate(IP)を使用した事で、この手法はこれからもこの二次元系のように強度の弱い系の回折実験において重要な役割を果たすことが予想され、非常に先駆的である。この手法を用いることにより上記のカイネティクスの研究が初めて可能になった。

 この様に本論文は六方晶窒化ボロン基盤上の酸素モノレイヤー結晶における被覆率と温度に対する相図を広範囲において決定し、その磁性と結晶構造を解明しており、これはモノレイヤー物理の分野の発展に大きく寄与したと認められるので、博士(理学)の学位を授けるに十分な内容を持つものであると審査委員全員一致で認定した。なお、本研究の一部は指導教官をはじめとする研究室のメンバーとの共同で遂行されているが、本論文の中核をなす実験の実施およびその解析については論文提出者が主体的に行ったものである。

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