この論文の主旨は六方晶窒化ボロン基盤上における酸素モノレイヤー結晶の磁性と結晶構造の解明であり、実験手法としては磁化率及び帯磁率測定と高輝度放射光を利用したX線回折が用いられている。 本論文は5章からなり、第1章は序章で本研究の背景となるモノレイヤー物理について、特に二次元モデル系としての意味(重要性)を特に酸素分子による六方晶のグラファイト基盤上のモノレイヤー結晶の結果を中心にまとめている。第2章では実験手法が紹介され、六方晶窒化ボロン基盤上における試料の作成、X線回折及び磁化率による測定手法について記述されている。第3章及び第4章ではこれ等の手法による実験結果とその解釈、すなわち六方晶窒化ボロン基盤上における多数の酸素モノレイヤー結晶相の磁性と結晶構造の解明、及び議論が記述されている。最後の第5章は本研究を通して得られた知見及び将来の展望がまとめられている。 これまで多数の単原子及び分子は六方晶のグラファイト基盤上のモノレイヤー結晶として典型的な2次元系モデル系として研究の対象となってきた。特に酸素分子はスピン(S=1)を持ち、分子間の直接交換相互作用によりそのモノレイヤー結晶は数少ない理想的な2次元反強磁性体としてその結晶構造と磁性が詳細に調べられてきた。そしてモノレイヤー結晶には表面密度に応じて2つの相が存在する事が明かになった。それらは酸素分子軸が基盤表面に垂直な高密度相と酸素分子軸が基盤表面に平行な低密度相である。相ではスピン格子相互作用によって低温で反強磁性秩序相相が現われる。最近の中性子磁気散乱実験の結果から相でのスピンの縮みは39%にも達し、量子効果が大きい事が明かになった。また2層領域での帯磁率、中性子磁気散乱の結果から1層目では磁気秩序が存在するにもかかわらず、2層目は磁気秩序がないことから、基盤が磁気秩序に影響を与える可能性が示唆されてきた。 本研究で使用された六方晶窒化ボロン基盤はグラファイトと同じ結晶構造を持つが、その電子構造は異なり絶縁体である。論文提出者はこの基盤の電子構造の違いが酸素分子のモノレイヤー結晶の磁性と結晶構造をどのように変化させるかを興味の対象として、帯磁率、磁化測定及び高輝度放射光を使用したX線回折実験を駆使してこの新しい系における被覆率と温度に対する相図を広範囲において決定し、各々の相の結晶構造及び磁気的な性質を解明した。 六方晶窒化ボロン基盤上においても被覆率に応じて2つのモノレイヤー結晶相、低密度相と高密度相が観測された。グラファイト基盤のときと同様、X線回折の結果から相は基盤表面に分子軸が平行である面心長方格子をとり、相は基盤表面に分子軸が垂直である三角格子をとることが判明した。最も低密度では相と二次元ガスの共存相で、相の融解転移は一定温度25.5Kで起こる。被覆率1.0から1.7では相の単一相であり密度の増加と共に融解温度が上昇する。この相の結晶構造では分子の向きは互いに平行ではなくヘリングボーンになっていることをX線回折のピーク強度の考察から導出している。 特筆すべき結果としてこの相の低温相としてグラファイトの基盤上では観測されなかった相が現われることである。-転移点は被覆率の増加と共に20Kから27Kへと上昇する。この相の結晶構造の対称性は相と同じく面心長方格子であるが、相では分子の向きは互いに平行になり最近接距離が一次元方向に縮む。その結果酸素分子間の次近接と最近接交換相互作用の比が非常に小さくなることが予想でき、擬一次元構造が実現していると考えられる。 相の特徴はa)帯磁率の温度依存性が指数関数的に急激に減少すること、及び b)-転移は対数に従う遅いカイネティクスを持つこと である。この特徴は上記の一次元性によるものであると指摘している。酸素分子はスピン(S=1)を持っているので一次元ハルデン相が実現されていると考えると、ギャップエネルギーの存在によりa)を説明できる。またb)の観察は一次元ドメイン成長過程によるものと考えられる。この相における磁性の解釈はまだ推測の域を出てはいないと思われるが、二次元的モノレイヤー物理に一次元的要素を取り込む斬新的な試みである。 高密度相はグラファイト基盤の場合と同様三角格子をもち、格子歪みを伴って低温で反強磁性相である相に転移することも解った。 実験技術的に特筆されるべきことは高輝度放射光のX線回折でモノレイヤー結晶の実験に初めてimaging plate(IP)を使用した事で、この手法はこれからもこの二次元系のように強度の弱い系の回折実験において重要な役割を果たすことが予想され、非常に先駆的である。この手法を用いることにより上記のカイネティクスの研究が初めて可能になった。 この様に本論文は六方晶窒化ボロン基盤上の酸素モノレイヤー結晶における被覆率と温度に対する相図を広範囲において決定し、その磁性と結晶構造を解明しており、これはモノレイヤー物理の分野の発展に大きく寄与したと認められるので、博士(理学)の学位を授けるに十分な内容を持つものであると審査委員全員一致で認定した。なお、本研究の一部は指導教官をはじめとする研究室のメンバーとの共同で遂行されているが、本論文の中核をなす実験の実施およびその解析については論文提出者が主体的に行ったものである。 |