学位論文要旨



No 111651
著者(漢字) 島田,賢也
著者(英字)
著者(カナ) シマダ,ケンヤ
標題(和) 鉄カルコゲナイドおよびマンガンプニクタイドの光電子分光 : 遍歴磁性体における電子相関
標題(洋) Photoemission Study of Iron Chalcogenides and Manganese Pnictides : Electron Correlation in Itinerant Magnets
報告番号 111651
報告番号 甲11651
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3015号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,恒昭
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 安岡,弘志
 東京大学 助教授 山本,智
内容要旨

 本研究では、NiAs型あるいは欠陥NiAS型の結晶構造を持ち、局在電子磁性と遍歴電子磁性の中間に位置すると考えられる鉄カルコゲナイドおよびマンガンプニクタイドについてその電子状態を正・逆光電子分光により系統的に調べた。光電子スペクトルとバンド計算やクラスター計算などの理論計算とを比較することにより、とくに遷移金属とカルコゲンの組み合わせが変わる場合、結晶構造が変化する場合、規則的な格子欠陥によって電子数が変わる場合にわける電子構造の違いを系統的に議論した。また本研究では初めて化合物磁性体についてスピン角度分解光電子分光を行い、多数スピンおよび少数スピンバンドのバンド分散を個別に観測した。

1、鉄カルコゲナイドの光電子分光

 FeSは反強磁性で常温で半導体であるが、鉄サイトに規則的に欠陥が入ったFe7S8はフェリ磁性を示す金属であり、硫黄をセレンに変えたFe7Se8も同様にフェリ磁性を示す金属である。またFe7Se8においてFeをCoに変えたCo7Se8はパウリ常磁性を示す。FeSは電子相関の強い局在モーメント系として考えられている。一方、金属的な電気伝導性を示すFe7S8やFe7Se8について、その磁気異方性についてはスピンハミルトニアンによる解析が成功しているが、中性子散乱などでは磁気モーメントが縮んでおり、Fe3d電子の遍歴性が強いことを示している。Fe7S8とFe7Se8の電子比熱係数をバンド計算と比較すると有効質量が増強されており電子相関の影響を示唆する。特にその度合は硫化物において顕著である。

 Fe7S8とFe7Se8の内殻スペクトルには明瞭なサテライト構造は見られない。FeS、Fe7S8およびFe7Se8の価電子帯の共鳴光電子分光においてFeSわよびFe7S8のサテライト構造が共鳴増大し、また定始状態スペクトルにおいてフェルミ準位直下の構造とFe3dバンドのピークとで共鳴曲線が異なった。これらの結果は、セレン化物に比べ硫化物におけるFe3d電子の局在性が強いことを示し、電子相関が重要であることを示す。正・逆光電子分光の結果、FeSではフェルミ準位におけるスペクトルの強度は弱く、半導体的な電気伝導性を反映し、Fe7S8やFe7Se8ではフェルミ準位での状態が大きく金属的な伝導性を反映した。Fe7S8、Fe7Se8の価電子帯についてスピン分解光電子分光を行ったところフェルミ準位近傍の構造は、負にスピン偏極していた。これはフェルミ準位において少数スピンの寄与が大きいことを示し、Fe3d-t2g↓バンドがフェルミ準位近傍で大きな強度を持つことを示す。

 FeSとFe7S8の違いについては、バンド的な見かたと鉄の欠陥によりホールドーブされたモット絶縁体という見かたの双方から論じた。局所スピン密度近似(LSDA)によるバンド計算ではFeSのバンドギャップは開かず半金属的な電子構造を示す。共鳴光電子分光でサテライトが観測されたことから、電子相関がFeSの狭いバンドギャップを開けるのに重要であると考えられた。電子構造を詳細に検討するためにバンド計算による状態密度と光電子スペクトルとの比較を試みた。Fe7S8やFe7Se8の光電子スペクトルにおけるFe3dのバンド幅は、理論に比較して約70%程度に狭まっており、高結合エネルギー側では実験スペクトルの強度は理論に比べて強かった。一方、フェルミ準位近傍ではバンド計算の状態密度に比較してFe7S8やFe7Se8のスペクトル強度は抑えられていた。これは電子相関を考えない場合に電子比熱係数が増強しているということとは矛盾し、電子相関が重要であることを示している。

 Co7Se8とFe7Se8比較すると、Co7Se8の方がunit cellの体積が小さく軌道の重なりが大きくなる。バンド計算と実験スペクトルとを比較すると、Co3dバンドの幅も実験でより狭まっており、電子比熱係数がFe7Se8よりもCo7Se8において強く増強されていることと一貫していた。

 FeSについて配置間相互作用を考慮したクラスター計算を行った結果、FeSは電荷移動型の絶縁体となった。クラスター計算を行うと、高結合エネルギーに電荷移動サテライトが現われ、一電子的には説明できない実験スペクトルの構造を説明する。しかし全体としてバンド計算の方がスペクトル形状をよく説明し、このことはクラスター計算の方がバンド計算よりも実験スペクトルを説明したNiSとは対照的である。FeSの電子構造を記述する上でバンド描像の方がよい出発点を与えることが示された。

 今回のサンプルの中で最も遍歴性が強いFe7Se8についてLSDAによる状態密度に対して自己エネルギー補正を行った。自己エネルギーを導入することにより、多体効果を考慮することができる。本研究では、局所的な自己エネルギーのモデル関数を仮定してスペクトル関数を計算し、実験スペクトルをあわせた。その結果バンド幅が狭まり、高結合エネルギー側にはインコヒーレント部分としてスペクトル強度が移り、実験スペクトルとの一致がかなり改善された。しかしフェルミ準位近傍で実験スペクトル強度が抑えられていることについては、局所的な自己エネルギーでは説明できない。

2、マンガンプニクタイドの光電子分光

 遍歴強磁性体MnSbおよびMnAsは、強磁性と結び付いた構造相転移や大きな磁気光学効果を持つことなどで知られてきた。本研究では分子線エビタキシーで作成したMnAs/GaAs(001)、MnAs/GaAs(001)、MnSb/GaAs(001)およびMnSb(0001)/GaAs(111)の薄膜単結晶について、スピン角度分解光電子分光を行った。サンプルの磁化は、超高真空槽中でサンプルの磁気光学Kerr効果(MOKE)を測定し、ヒステリシス曲線を描くことで確認した。

 MnSb(0001)において-A方向の測定を行った結果、点からA点に向かってフェルミ準位近傍の少数スピンバンドの強度が減少した。これはバンド計算との比較から、点においてフェルミ準位の下にあった少数スピンバンドが-A方向においてフェルミ準位を横切って非占有状態に移るためと考えた。バンド計算によると占有状態において多数スピンバンドの本数が少数スピンバンドより多い。実験でも占有状態は正にスピン偏極しており、多数スピンの構造の方が少数スピンの構造に比べてスペクトルの幅が広い。計算によるバンドの結合エネルギーと比較すると観測されたバンドはより深い結合エネルギーのところに位置していた。

 MnAsにおいて、Mn3p→3dの光吸収共鳴の近くでスピン偏極度が増大し、Mn3dの共鳴増大が多数スピンにおいて顕著に起こっていることを示した。これは内殻ホールを埋める価電子帯のMn3dが強くスピン偏極しているためと考えられる。MnAsにおいては、アニールを行った結果LEEDパターンが観察された。-L方向で観測された多数スピンおよび少数スピンのバンド分散と計算されたバンド分散とを比較すると、一致がかなり良い。とくにL点近傍のフェルミ準位直下に少数スピンの顕著なピークが観測されたが、これはバンド計算によるバンド構造と一致した。交換分裂を実験的に見積もり、バンド計算による交換分裂と比較したところ実験値が大きくなった。

 Mn3pの内殻レベルにおいて多数スピンのスペクトルと少数スピンのスペクトルとで交換分裂が見られたが、As3dの内殻レベルにおいては明瞭に見られなかった。

 スピン角度積分で価電子帯の共鳴光電子分光を行うと、サテライト構造はいずれの化合物についても見られなかった。これは、両化合物においてMn3d電子の遍歴性が強いことを示す。MnAsとMnSbとを比較するとMnAsにおけるMn3dの位置はMnSbに比較して深くなった。またMn3p→Mn3dの光吸収共鳴領域においてMnAsとMnSbのふるまいが異なっており、MnAs中の3d電子の遍歴性はMnSbに比べて弱いことを示していると解釈した。

審査要旨

 本論文は4つの章と要約の章からなり、第1章と第2章は研究の目的と背景および光電子分光の原理の紹介に当てられている。3d化合物磁性体は局在電子磁性体と遍歴電子磁性体の両極限の中間に位置し、非常に多様な磁性を示すが、その詳細なメカニズムは不明である。これらメカニズムの解明には、電子構造を明らかにすることが重要な課題となっている。

 本論文では、3d化合物磁性体として、NiAs型叉は欠陥NiAs型構造を持つFeカルコゲナイド(FeS,Fe7S8,Fe7Se8)およびMnプニクタイド(MnAs,MnSb)を取り上げ、それらの電子構造を正・逆光電子分光法を用いて研究した。FeSは反強磁性を示す半導体であるが、Feサイトに規則的に欠陥の入ったFe7S8はフェリ磁性を示す金属である。さらに硫黄をセレンに変えたFe7Se8もフェリ磁性を示す。すなわち、上記カルコゲナイドは、結晶構造、電子数およびカルコゲンの種類を系統的に変えた物質群であり、多彩な磁性を示す。本論文では、これらの変化によって生じた光電子スペクトルの変化を系統的に測定し、測定結果を主にバンド計算から得られている電子構造や電子比熱の実験結果と比較し検討した。一方、Mnプニクタイドの研究では、スピン角度分解光電子スペクトルを測定し、バンド計算の結果と比較した。

 第3章では、Feカルコゲナイドの物性と測定方法の紹介の後、これらの物質の正・逆光電子分光の測定結果と考察が述べられている。硫化物の価電子帯の光電子スペクトル中にサテライトの存在を確認し、硫化物中のFe3d電子の局在性がセレン化物に比べ強いと結論した。また正・逆光電子分光によって、FeSではバンドギャップが存在すること、Fe7S8とFe7Se8ではギャップが閉じていることを見い出した。

 バンド計算によると、FeSは半金属的な電子構造を持つ。上記の実験結果は、電子相関がFeSのバンドギャップ形成に重要な役割を演じていることを示唆している。実験から得られたFe7S8とFe7Se8のFe3dのバンド幅は、バンド計算に比べて狭まり、高結合エネルギー側の光電子スペクトル強度は計算に比べて大きくなっている。一方、フェルミ準位近傍の強度はバンド計算に比較して弱い。この結果は電子比熱係数が増強しているという実験結果と一見矛盾し、電子相関が重要な役割を演じていると推論した。

 FeSについて配置間相互作用を考慮したクラスター計算を行なった。この結果はFeSが電荷移動型の絶縁体であることを示し、高結合エネルギー側にはサテライト構造が現れる。しかし、全体としてはバンド描像がFeSの電子構造を記述する良い出発点を与えることを明らかにした。

 最も遍歴性の強いFe7Se8について、バンド計算に電子相関の効果を取り入れるため局所的なモデル自己エネルギーを導入し、実験スペクトルを再現するようにスペクトル関数を決定した。その結果、実験スペクトルとの一致はかなり改善されたが、フェルミ準位近傍での一致は良くなく、局所的なモデル自己エネルギーの改善の必要性を指摘した。

 第4章では、MnSbとMnAsの物性の紹介とスピン角度分解光電子分光の結果と考察が記載されている。いずれの化合物も光電子スペクトルの解析から、Mn3d電子の遍歴性は強く、MnSbの遍歴性がMnAsに比べて強いと結論した。MnSbのスピン角度分解光電子スペクトル中に多数の構造を発見し、逆格子空間の点とA点の間で、少数と多数スピンバンドの分散を実験的に決定した。計算によるバンドの結合エネルギーと比較すると、観測されたバンドはより深い結合エネルギーのところに位置する。また、MnAsの測定でもスペクトル中に多数の構造を観測し、点からL点の間で、少数と多数スピンバンドの分散を実験的に決定した。観測したバンド分散は計算によるバンド分散と良く一致する。さらに、交換分裂を実験的に見積り、その値が計算値に比べ、大きな値を持つことを見い出した。

 最後の要約の章は、論文全体のまとめに当てられている。

 以上に述べたように、本論文では、FeカルコゲナイドとMnプニクタイドを用い、結晶構造、電子数およびカルコゲンの種類を系統的に変えた時の化合物磁性体の電子状態の変化を光電子分光法によって明かにすると共に、化合物磁性体対して初めてスピン角度分解光電子分光の観測に成功した。本論文は固体物理の分野に対する貢献が大きく、博士(理学)の学位論文として相応しい内容をものとして審査員全員が合格と判定した。

 なお、本論文の相当部分は、指導教官を含む9名の研究者との共同研究であるが、論文提出者が主体となって測定や結果の解析を行なったものであり、論文提出者の寄与が充分であると判断した。

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