学位論文要旨



No 111666
著者(漢字) 山崎,祐司
著者(英字) Yamazaki,Yuji
著者(カナ) ヤマザキ,ユウジ
標題(和) HERAにおける光生成反応による2ジェット事象の研究
標題(洋) Study of Dijet Processes in Photoproduction at HERA
報告番号 111666
報告番号 甲11666
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3030号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 教授 藤川,和男
 東京大学 助教授 西川,公一郎
 東京大学 助教授 鈴木,洋一郎
内容要旨

 この論文では、電子・陽子衝突型加速器HERAにおける、衝突の重心系エネルギー約300GeVでの包含的な2ジェット事象の散乱断面積d/dETd1d2およびを、光生成反応の領域、すなわち移行運動量の自乗Q2についてQ2<4、および光子の電子に対するエネルギー比率yについて0.2-1の衝突データから求めた。2ジェット事象の選出には、ジェットの横方向エネルギーETについてET>8、ジェットのラビディティについて-1<<2の両条件を満たすジェットが2つ以上あることを要求した。

 HERAは、ドイツのDESY研究所に建設された周長6.3kmの世界初の電子・陽子衝突型加速器である。電子のエネルギーは30GeV、陽子は820GeVで、陽子を加速することにより、これまでの電子を陽子の固定標的に入射する方法の電子・陽子散乱実験に比べ約10倍の重心系エネルギーの300GeVを達成している。

 HERAでの物理課程は主に次の2つ、すなわち(1)深非弾性散乱(2)光生成反応に分けられる。深非弾性散乱は電子などのレプトンと、核子中の構成要素であるクォークとの間に電弱相互作用を媒介するゲージ粒子を仮想的に交換する事象で、仮想ゲージ粒子と陽子との散乱とみなせる。電子の散乱の情報から、クォークの核子中での運動量の分布をあらわす構造関数の測定が行なえる。一方光生成反応は、実光子と核子との散乱現象である。HERAにおいては、この現象は電子から電子とほとんど同じ運動量の向きに放出される準実光子と、陽子との散乱として実現される。

 光生成反応のうち、散乱の横運動量が大きいものは、ハードな光生成反応とよばれる。核子や中間子などのハドロン粒子は、クォークやグルーオンなどのパートンと呼ばれる量子色力学(QCD)における基本粒子で構成されている。ハドロン粒子の関係したハードな散乱は、パートン同士の散乱とみなすことができ、散乱断面積はQCDによって記述される。光生成反応のハードな散乱はさらに2つの過程に分けられる。第一の過程では、光子は真空の偏極によってクォーク・反クォーク対を生成し、さらに発展方程式に従って多くのパートンを生成する。このパートンと陽子からのパートンが散乱して起こる過程は、分解光子過程と呼ばれ、光子の運動量の一部が散乱に関与する。第二の過程では、光子がハードな散乱におけるクォークと直接反応し、直接光子過程と呼ばれる。この場合、光子の運動量の全てがハードな散乱に寄与する。どちらの過程でも、ハードな散乱の終状態には、摂動の第一次近似では大きな横運動量をもつ2つのパートンが放出される。これらは実験的には2つのジェットとして観測されるため、2ジェット事象はハードな散乱における基本的な事象である。2ジェット事象では、両方のジェットの運動量を測定することにより、始状態の散乱に関与したパートンの運動量を同定でき、特に光子中のパートンの運動量比()を測定することにより直接および分解光子過程を区別することができる。この論文では、>0.75の条件により、直接光子過程を分離した。

 実際の散乱では、数個以下のハードなパートン(パートンレベル)から摂動の高次効果により多くのパートンが生成される。この高次効果は計算が困難なため、パートンシャワーとよばれる、パートンからのパートン放出の繰り返しによりそれをシミュレートするモデルが広く用いられている。こうして生成された多くのパートンは、さらに非摂動的にハドロン化してジェットとなる(ハドロンレベル)。この論文では、最低次の摂動計算にパートンシャワーおよびハドロン化を組み合わせたモデルであるPYTHIAおよびHERWIGプログラムパッケージを用いて事象のシミュレーションを行ない、比較するモデルの対象とした。

 HERA以前の光生成反応の実験では重心系のエネルギーが18GeVまでと低かったため、光生成反応におけるジェットはHERAで初めて観測された。HERAではこれまでに包含的なジェットの生成断面積や2ジェット事象の散乱断面積がが測定された。このうち包含的なジェットの散乱断面積d/dETdjetは、ジェットが陽子方向(前方)近くに生成された場合に現在のモデルに比べて超過がみられているが、その事象のもう一つのジェットの分布は調べられていない。また2ジェット事象の散乱断面積は、ラピディティ分布や横運動量分布が測定されたが、ラピディティ分布の横運動量依存性などの詳しい分布は測定されていない。このため、この論文では、運動学的に測定可能な全ての2ジェット事象の事象分布を詳しく調べるため、包含的なジェットの散乱断面積に2番目にETの大きいジェットの情報を加えた、包含的な2ジェット事象の散乱断面積d/dETd1d2およびを求めた。

 この論文ではHERA上の実験グループの一つであるZEUS実験の検出器によって取得されたデータを用いている。汎用的検出器であるZEUS検出器は、ビームのエネルギーに合わせて非対称であり、また全立体角の99.8%を覆いエネルギーのもれが少ないという特徴を持っている。特にウランを吸収体、プラスチックシンチレータを検出体とした高分解能カロリメータは、ハドロンシャワーと電磁シャワーとの応答の比e/h=1.00±0.03を達成し、これによりハドロンシャワーのエネルギー分解能も最高水準で(35%/E(GeV))、ジェット生成の物理の観測に適している。

 散乱で生成されるジェットの運動量は、カロリメータで検出されたエネルギーの流れをもとに再構成される。測定されたエネルギーは、検出器の応答のシミュレーションに基づいて、実際に生成された粒子の運動量に基づくジェット(ハドロンレベルのジェット)の運動量に補正される。補正されたジェットの運動量を基にした散乱断面積に事象選出効率の補正を加えることにより、ハドロンレベルの散乱断面積が求められた。この論文ではパートンシャワーおよびハドロン化の影響を補正することによる散乱断面積のモデル依存性を避けるため、パートンレベルまでは補正されなかった。

 光生成反応からのハードな散乱の選出においては、まず電子・陽子散乱によらない事象が排除され、次に深非弾性散乱によるものが除去され、最後に2つの-1<<2,ET>8を満たすジェットが要求された。HERAにおける光生成反応では、実光子を放出した電子はほとんど散乱されず、中央検出器で観測されない。この性質を利用し、深非弾性散乱(Q2>4)は、(1)終状態に散乱された電子が観測されないこと(2)電子が検出器の外に持ち去ったエネルギーが大きいこと、によって除かれる。後者の条件はy<0.85の制限を光生成反応の運動学的領域に与える。散乱断面積は、事象選出効率で補正した事象数を積算輝度で割ることによって求められた。

 結果を前述のモデルによる予想と比較して、次のことがわかった。

 1.全体的には、散乱断面積はモデルによる予想とよく合致している。特に、横運動量の高い領域までモデルが事象を記述していることが確かめられた。

 2.2つのジェットのエネルギー相関やジェットの数は、摂動の最低次より高い次数の効果であるが、これをパートンシャワーで近似的に説明したモデルとの一致が見られた。

 3.包含的ジェット生成断面積ですでに観測されていた、ジェットが前方に近い場合に超過がある現象は、2ジェットの両方が前方に生成された場合にのみ観測された。

 4.観測した運動学的領域のほぼ全体で、直接光子過程のモデルに対する超過が見られた。

 (1)および(2)より、光生成反応における2ジェット生成はQCDによった現在のモデルで高次の効果まで説明可能なことがわかった。(3)の2ジェット事象の前方の超過については、その説明として、複数のパートン散乱が1回の光子・陽子散乱中で起きるモデル(multiple interaction model)と比較された。このモデルでは前方の散乱断面積は増加するが、データを説明するまでには至っていない。このモデルは光子の構造関数による影響が大きく、事象を説明するためにはモデルの最適化を行なう必要がある。また、(4)の直接光子過程の超過に関しては、直接光子過程の最低次より1次上の摂動計算(NLO)による散乱断面積は定性的には最低次に比べて約1.2倍増加することが最近の計算によって報告されている。したがって、分解光子事象に対するNLOの計算と合わせて、NLOの計算が観測された散乱断面積を説明できる可能性を示唆している。

審査要旨

 論文の構成は全10章からなる。第1章序論では、粒子の内部構造の発見の歴史、およびその理論的説明であるパートンモデルと光生成反応との関係などを述べている。第2章では、まずHERAにおける光生成反応について説明されている。これは、電子から放出されたほぼ実光子とみなせる光子と陽子との散乱である。重心系のエネルギーは約300GeVに達し、ハードな光生成反応では高いエネルギーのジェットが生成される。また、光生成反応で包含的な2ジェット事象の散乱断面積を測定する物理的な意義が述べられている。この散乱断面積では、光子の運動量のうち散乱に関与した割合を測定して分解光子過程と直接光子過程を分離可能で、また断面積のそれぞれのジェットの運動量に対する依存性を見ることができる。本論文の主な目的は、この測定を通してハードな光生成反応が摂動論的量子色力学で記述されるかを調べることである。

 第3章ではHERA上の実験ZEUSの検出器、特にジェットを探索するために用いたカロリメータ、および事象を選択するトリガーシステムについて説明されている。第4章では光生成反応事象のモデルとシミュレーションについて述べられている。現在の標準的モデルは量子色力学に基づいており、行列要素計算には最低次の計算を用い、高次効果はパートンシャワーによって近似している。光子・陽子それぞれの散乱に関与しなかった部分が相互作用する多重散乱モデルでは、複数の散乱がジェットのまわりのエネルギーの流れを増加させ、散乱断面積が大きくなる。

 第5章では光生成反応事象の選別および背景事象の排除の方法について説明している。第6章ではジェットの探索に関して述べられている。探索には円錐アルゴリズムが用いられた。散乱断面積は検出器の情報からバートンの破砕化が終わった状態、つまりハドロンレベルへ補正されて求められるが、その過程でジェットのエネルギー補正が行なわれた。

 第7章では2ジェット事象が選別され、その性質が調べられた。その結果、以下のような結果を得た。

 (a)2つのジェットのエネルギーの関係、および3つ以上ジェットの存在する割合は、標準的モデルで記述されている。

 (b)ジェット周辺のエネルギーの流れについて調べた結果、2つのジェット両方の方向が陽子の入射方向(前方)に近い場合に標準的モデルに対して超過がある。多重散乱モデルは超過を定性的に再現するが、超過の量が十分でない。

 続いて第8章では包含的2ジェット事象の断面積が求められ、そのモデルとの比較では、次のことがわかった。

 (c)全体的な散乱断面積の形は高い横運動量(50GeV)まで再現されている。

 (d)2つのジェット両方が前方に近い場合に超過がみられる。多重散乱モデルでは同じ領域に超過が見られるが、量が十分でない。

 (e)モデルは全体的には散乱断面積を低く見積もる。

 上2章の結果は第9章で以下のように論じられた。まず(c)により、ハードな光生成反応が摂動論的量子色力学によって記述されていると結論される。また、(a)より、摂動の高次効果はバートンシャワーで再現されている。一方、(d)で見られた超過は、(b)で観測されたエネルギーの流れの超過とジェットの運動学的領域が一致していることから、この2つの現象の連関が示唆される。実際多重散乱モデルは両者を定性的に説明しているが、超過の量は十分でなく、モデルの改良が必要である。最後に(e)についてはモデルの断面積を増加させるいくつかの可能性(光子の構造関数に対する依存性、摂動の高次効果など)がある。以上の内容は10章結論で簡潔にまとめられている。

 本論文は、光生成反応で初めて包含的2ジェットの散乱断面積を測定している。これは、1994年にHERAの積算輝度が高まり、断面積の3つの変数の依存性を十分な統計精度で見られることに着目したものである。最近直接光子過程についてこの定義の断面積による高次の計算が行なわれるなど、本論文の結果は理論的にも意義あるものである。また、散乱断面積およびエネルギーの流れの超過が両方のジェットの方向に依存するなど、多くの興味深くかつ重要な結果を得ており、博士(理学)の学位論文してして十分評価される。

 なお、本論文は東大核研グループを含むZEUS国際共同実験のデータを用いているが、論文提出者は共同実験において初段トリガーの設定およびシミュレーションのソフトウェアを3年以上にわたり担当し、また光生成反応に関する他の投稿論文の解析の確認を行なうなど、その寄与が十分であると判断され、また共同研究者の承諾を得ていることも確認した。さらに提示された解析は全て論文提出者によるもので問題ない。従って、博士(理学)を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54500