学位論文要旨



No 111669
著者(漢字) 渡邊,正満
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,マサミツ
標題(和) アルカリ金属及びMg,Alの光電子スペクトルと発光スペクトルの形状と多電子効果の研究
標題(洋)
報告番号 111669
報告番号 甲11669
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3033号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井野,正三
 東京大学 教授 小林,孝嘉
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 助教授 藤森,淳
内容要旨

 高エネルギー光励起スペクトルは、大きく分けて三つの手法がある。それは、吸収スペクトル、光電子スペクトル、そして発光スペクトルである。吸収スペクトルは、光励起による双極子遷移の選択則を考慮した非占有準位を見ることが出来る。また、価電子帯光電子スペクトルでは全状態密度を、内殻光電子スペクトルでは内殻準位の線スペクトルをそれぞれ反映する。そして、発光スペクトルは選択則により価電子帯の部分状態密度を見ることが出来る。

 しかし、金属試料に対してこれらのスペクトルを測定すると、内殻吸収スペクトルや発光スペクトルではフェルミ端でスペクトルが発散し、「スパイク構造」と呼ばれる鋭いピーク構造を持つ。また、内殻光電子スペクトルでは高い結合エネルギー側に長い尾を引いた非対称なピークとなる。これらはMND理論によって、スパイク構造を特徴付けるパラメータであるフェルミ端異常指数は正孔ポテンシャルによる価電子の波動関数の位相シフトの簡単な関数となり、内殻光電子スペクトルの非対称性を表す非対称性パラメータも位相シフトで記述できる事が導かれた。

 この理論を元に、実験と計算の双方より盛んな研究が成されて来ている。それは、フェルミ端異常指数や非対称性パラメータが、価電子関相互作用や内殻正孔ポテンシャル形状、価電子によるポテンシャルの遮弊効果等の、多くの情報を間接的に含んでいるからである。これらの研究において未だ下記の問題点がある。

 (1) 多くの研究においてフェルミ端異常指数と非対称性パラメータの実験結果と計算結果が、定量的に一致していない。その一方で角度分解光電子分光法によるNaのバンド分散曲線は、自由電子近似の計算結果に比べてバンド幅が収縮しているという報告がある。

 (2) Ishiiらは、重いアルカリ金属の最外内殻p吸収スペクトルを測定し、フェルミ端異常指数を得ている。このスペクトルではp1/2吸収端スパイク構造が重いアルカリ金属においては見えな。この原因は未だ明らかではない。

 本研究はこれら二つの問題を明らかにするために行う。(1)に対しては、内殻光電子スペクトルを高分解能で測定し数値解析することで信頼性の高い非対称性パラメータを求める。また、光励起発光スペクトルを測定し、同様にフェルミ端異常指数を求める。更に、Na以外のアルカリ金属において価電子帯光電子スペクトルを測定しバンド幅を見積もる。(2)に対しては、内殻光電子スペクトルを数値解析することでローレンツ型関数幅を見積もる。内殻光電子スペクトルは正孔の寿命効果によりローレンツ関数型の幅を持ち、その幅は正孔寿命に逆比例する。

 内殻光電子スペクトルは、Al(001)とアルカリ金属を試料とした。また、価電子帯光電子スペクトルは、Liを除くアルカリ金属に対して測定した。アルカリ金属は、Al(001)またはCu(001)の下地の上に金を蒸着し、その上にアルカリ金属を蒸着した。これらの光電子スペクトルは、高エネルギー物理学研究所放射光施設の実験ステーションBL-18Aを使用して測定した。BL-18Aは回折格子を用いた斜入射分光器を持ち、測定装置はVG社製ADES-500である。装置の真空度は2x10-11Torrである。更に、He循環式冷凍器を用いたマニピュレータを設計製作した。これにより、試料を35K程度まで冷却可能となった。

 発光スペクトルは、Na、Mg、Alを試料とした。Naの蒸発源はアルカリディスペンサー、MgとAlはタングステンフィラメントを用いた蒸発源を使用した。試料は冷凍器を用いて冷却した。この測定は実験ステーションBL-19Bを利用した。Bl-19Bはアンジュレータを光源として持ち、偏向電磁石からの放射光に比べて二桁程度明るい。軟X線発光の分光には、回折格子を利用した斜入射分光器を使用した。

 図1にRbの4p内殻光電子スペクトルを示す。結合エネルギー15eVの二つのピークは4p3/2、16eVのピークは4p1/2であり、それぞれ約0.2eVほど深い結合エネルギー側には表面内殻準位シフトによるピークが存在する。また、内殻ピークより深い結合エネルギー側には二つの大きな山が見えている。18.5eVの山はプラズモンエネルギー損失によるものであり、17.5eVは表面プラズモンによるものである。プラズモンはより深い結合エネルギーまで複数個存在している。図に示されている実線や破線は、フィッティングによって得られたスペクトルである。

図1 Binding Energy(eV)

 フィッティングにおいて、内殻光電子スペクトル形状にはDoniachとSunjicによって導かれている関数(DSスペクトル形状)を使用している。DSスペクトル形状には、すでに内殻正孔の寿命効果によるローレンツ型関数が繰り込まれている。また、測定装置(分光器、光電子エネルギー分析器)や格子振動によるぼけはガウス型関数の形状を持つと仮定した。従って内殻光電子ピークはDSスペクトル形状をガウス型関数で畳み込んだものを用いた。フィッティングに用いる関数形状には、更にプラズモンの寄与とバックグラウンドの寄与を考慮した。フィッティングにより、非対称性パラメータ、ローレンツ型関数幅、スピン軌道分裂幅、表面内殻準位シフト等を得ることが出来る。

 図2は、得られたRbの価電子帯光電子スペクトルである。結合エネルギー0eVから1.5eVまでが価電子帯によるスペクトルである。また、2.5eVから3.5eVの幅広いピークはプラズモンエネルギー損失によるピークである。データ点に重なっている実線はフィッティングにより得られたスペクトルである。フィッティングに用いた基本的な関数はLCAO計算による全状態密度に収縮率を掛け、エネルギーに依存した幅を持つローレンツ型関数で畳み込んだ上に更にガウス型関数を畳み込んだ。エネルギーに依存したローレンツ型関数幅はバンド間オージェの効果を考慮したものである。フィッティングでは、更にプラズモンの効果と二次電子によるバックグラウンドの寄与を取り入れている。

図2 Binding Energy(eV)

 図3は、得られたAlの2p内殻発光スペクトルのフェルミ端である。エネルギー72.5eVにはLIII発光のフェルミ端が、また73eVにはLII発光のフェルミ端が見えている。LIIの強度が弱いのは自己吸収の効果である。データ点に重なっている実線は、MND理論によるスパイク構造を表す関数をローレンツ型関数とガウス型関数で畳み込んだ関数でフィッティングをした結果である。

図3 Energy(eV)

 本研究により得られた内殻光電子スペクトルの非対称性パラメータはLi、Na、K、Rb、Cs、Alに対してそれぞれ、0.21±0.01、0.19±0.01、0.194±0.004、0.197±0.004、0.180±0.005、0.058±0.002である。アルカリ金属に対しては、LiからCsへとその値が小さくなる傾向を示している。この結果は多くの理論計算結果と定性的に一致している。しかし、これらの値を定量的に再現する計算はない。

 また、内殻光電子スペクトルの解析から内殻正孔の寿命効果によるローレンツ型関数幅を得ることが出来た。図4に、Liを除くアルカリ金属に対してその幅をプロットした。図から明らかなように、p1/2ピークのローレンツ幅がp3/2ピークのそれより広く、その差はNaからCsに行くにしたがって大きくなっている。これは、p1/2内殻正孔の寿命はp3/2内殻正孔の寿命に比べて短く、その寿命は重いアルカリ金属でより短くなっている、ということを示している。この寿命効果の違いは、p1/2正孔のコスター・クロニッヒまたはスーパー・コスター・クロニッヒ崩壊によると考えられる。価電子帯にd-状態があると、スーパー・コスター・クロニッヒ崩壊による確率が大きくなると考えられる。LCAO計算によると、重いアルカリ金属ほどd-部分状態密度が大きくなっている。この効果はp3/2内殻正孔の寿命にも影響を及ぼすが、図よりKからCsへとp3/2ピークの幅も広がっていることが分かる。

図4 Alkali Metals

 ローレンツ型関数幅に対するこの結果は、重いアルカリ金属のp1/2吸収端のスパイク構造消失を説明する。内殻正孔の寿命効果は、光電子スペクトルだけでなく吸収や発光スペクトルにも寄与しているからである。

 価電子帯光電子スペクトルの解析によって得られたバンド収縮率はNa、K、Rb、Csに対してそれぞれ、35、45、36、35%である。価電子間相互作用の効果であると考えられる。価電子間相互作用が無視できない場合、内殻正孔が存在する状態ではその影響が大きくなると考えられる。それは、価電子が内殻正孔ポテンシャルを遮弊するためにその周囲で密度が高くなるからである。非対称性パラメータが理論計算結果と定量的に一致しないのは、価電子間相互作用の影響が一つの理由であると考えられる。

 更に、価電子間相互作用を陽に取り入れたDV-K法による状態密度計算によると、全状態密度に対するd-部分状態密度はLCAO計算の結果に比べてより大きくなっている。これは、スーパー・コスター・クロニッヒ崩壊による内殻正孔の寿命効果を裏付ける結果となっている。

 発光スペクトルから得られたフェルミ端異常指数はNa、Mg、Alに対してそれぞれ、0.24、0.80、0.42となった。この値は理論計算結果に比べて異なっている。その違いはMgで大きい。これは、フェルミ端近傍で状態密度が一定ではなく、フェルミ端に向かって立ち上がった構造をもっているためであると考えられる。

 まとめとして、アルカリ金属の光電子分光実験を行った。プラズモンや二次電子の寄与を矛盾なく取り入れ、信頼性の高い解析を行った。スペクトルを数値解析することでSingularity Index、ローレンツ幅、バンド収縮などのパラメータを得ることができた。Singularity IndexはLi:0.21±0.01,Na:0.19±0.01,K:0.194±0.004,Rb:0.197±0.004,Cs:0.180±0.005である。また、価電子帯収縮が重いアルカリ金属(K、Rb、Cs)で初めて測定された。この結果より、単純金属と呼ばれるアルカリ金属でも電子間相互作用は無視できない、と結論づけられる。Singularity Indexを定量的に説明するためには、電子間相互作用を正しく見積もらなければならない。また、重いアルカリ金属ほど、スピン軌道分裂ピーク間の正孔寿命の違いが大きいことが明らかになった。これは、吸収スペクトルのスピン軌道分裂ピークがスパイク構造を持たないことの要因であると考えられる。更に本研究では数値解析によって、結合エネルギー、スピン軌道分裂幅、表面内殻準位シフトを正確に見積もる事が出来た。

審査要旨

 本論文は4章からなり、第1章は研究の背景と研究目的が、第2章には実験の具体的な方法が、第3章には実験の結果について、特に測定された光電子スペクトルの形状や特徴が詳しく説明され、第4章では得られた結果の考察が述べられている。

 固体の表面に光を照射して放出される光電子のスペクトルや発光スペクトルの形状は固体内の電子状態や多体効果を反映したものであり、この形状を正確に知ることは、固体物理学特に光電子分光法の最も基礎的な事項であり非常に重要なことである。

 本研究はシンクロトロン放射光を用いた高分解能の分光器により光電子スペクトルの形状の正確な測定を行い、光電子スペクトルに見られる内殻光電子ピークの非対称性指数、ローレンツ関数巾、価電子帯の形状などを正確に求め、その解明を行ったものである。

 本実験は高エネルギー物理学研究所の放射光施設にある、角度分解光電子分光用のビームラインBL-18A及び蛍光分光実験用ビームラインBL-19Bを用いて行った。BL-18Aは10eVから150eVの真空紫外光領域の研究ができ、分解能は約40meVである。また試料を低温30Kまで冷却できる試料マニピュレーターを本人自身が設計、製作した。試料にはアルカリ金属及びMg、Alを選び、平坦なCuの上に金の蒸着膜(100A°)を作製し、さらにこの上に上記金属を蒸着し、これを用いた。

 これらの金属の光電子スペクトルを精密に測定した結果、内殻光電子ピークや表面結合に由来するピーク、さらにブラズモンによるピークなどが測定された。内殻光電子スペクトルのピークは、Liでは1s、Naでは2p1/2、2p3/2、Kでは3p1/2、3p3/2、Rbでは4p1/2、4p3/2、Csでは5p1/2、5p3/2軌道のピークが明瞭な形で測定された。また軟X線の発光スペクトルの形状も精密に測定した。これらの測定結果を解析し、次のような成果を得た。

 (1)これらのアルカリ金属の内殻光電子スペクトルのピーク形状については、この形状を最も良く表すと言われているDoniach-Sunjicの式を用いて、ピークの形状の非対称性指数(Singularity Index)を求めた。この際に、プラズモンと二次電子の寄与を取り込んだ解析を行い、信頼性の高い値を得た。得られたの値はLi、Na、K、Rb、Csについて、各々0.21、0.19、0.194、0.197、0.180であった。Kについての精度良い測定は初めてである。これらの値は理論計算値と定性的に一致している。

 (2)重いアルカリ金属では価電子帯幅の収縮効果を電子分光法により初めて測定した。アルカリ金属の電子は自由電子的であると言われているが、この収縮効果は電子相関効果がやはり無視できないことを示している。

 (3)最外殻内殻の正孔の寿命を表すローレンツ関数幅〈2:FWHM〉を、内殻光電子スペクトルを解析することによって得た。その結果、重いアルカリ金属のp1/2ピークの幅が広いことが見い出され、これが内殻正孔の寿命効果による事がわかった。従来、重いアルカリ金属のp1/2吸収端がスパイク構造を持たない理由が明らかではなかったが、本研究によって初めてその理由が明らかにされた。

 (4)アルカリ金属の最外殻内殻の結合エネルギーを内殻光電子スペクトルを数値解析することによって得た。

 (5)表面原子からの内殻光電子ピークの非対称性指数は固体内原子よりも大きい値が得られたが、これはジェリウムモデルを用いた計算結果と定性的に一致している。

 (6)アルカリ金属の正確な表面内殻準位シフト(Surface Core Level Shift)を測定した。

 以上のように本研究は光電子スペクトルの高分解能測定を行い、スペクトルピークの非対称性指数、価電子帯スペクトルの形状や吸収端構造を求め、その原因を明らかにしたもので、光電子分光学の分野に大きな寄与をしたと考えられる。本研究は共同研究であるが、本論文提出者が最も大きな寄与をしたことを確認した。よって、審査委員全員は本論文が博士(理学)論文として合格であると判定した。

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