学位論文要旨



No 111671
著者(漢字) 大野,洋介
著者(英字)
著者(カナ) オオノ,ヨウスケ
標題(和) 銀河団ガス中を運動する銀河に作用する抵抗力
標題(洋) Drag Force Exerted on a Galaxy Moving Through Intracluster Gas
報告番号 111671
報告番号 甲11671
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3035号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 柴田,一成
 国立天文台 助教授 小笠原,隆亮
 東京大学 教授 近田,義広
 東京大学 教授 杉本,大一郎
 東京大学 助教授 蜂巣,泉
内容要旨

 銀河団に高温のガスが存在することが確認されている。銀河団ガスの数密度は102m-3から105m-3程度、温度は107Kから108K程度、音速は1000kms-1程度であるといわれている。総質量は1013(=2×1030kg、太陽質量)から1016程度と考えられ、銀河団中の銀河の総質量より大きい。このような大質量のガスと銀河の相互作用は、銀河団の進化に大きく影響する可能性がある。1つは、銀河から銀河団ガスへの物質の供給である。銀河が銀河団ガス中を運動する際に銀河中のガスが剥ぎとられて銀河団ガスになる過程などで、銀河団ガスの組成を説明する研究が行なわれている。もう一つは、銀河から銀河団ガスへのエネルギーの移動である。銀河団ガスが銀河に抵抗力を及ぼすのなら、銀河の運動エネルギーが銀河団ガスの熱エネルギーになる。この効果は、銀河団ガスの熱的進化や、重力多体系として見た時の銀河団の力学的進化に影響を与える可能性がある。流体中を運動する物体に抵抗力が働くことは一般的な現象であるが、銀河の場合は硬い表面が存在せず重力場のみで銀河団ガスと相互作用する点で、通常の物体の場合とは異なる。超音速の場合、すなわち、銀河の運動速度が銀河団ガスの音速に比べて速い場合は、線形化理論で密度分布が計算されている。銀河を頂点とし銀河の後方に広がる円錐状の衝撃波が形成され、衝撃波面の後方のガスの密度が大きい。銀河の後方に高密度領域が存在する密度分布を持ったガスとの重力を積分することで、抵抗力が運動速度の自乗に反比例することが導かれる。この結果は数値計算によっても確かめられている。また、係数も含めて、動力学的摩擦(多数の無衝突粒子中を運動する質点が重力散乱の重ね合わせで受ける抵抗力)の速度が速い場合の極限と一致する。実際の銀河団では、銀河の速度は、音速と同程度か亜音速である場合が多い。したがって、亜音速の場合の方が重要となる。亜音速の場合は、粘性に依存する。非粘性の場合は、線形化理論によると前後対称な密度分布になり、抵抗力は働かない。これは、ダランベールのパラドックスと同じ結果である。一方、速度が小さい極限での動力学的摩擦は速度に比例する。無衝突粒子系は平均自由行程が長いが有限の場合なので、粘性が非常に大きい流体に相当すると考えられる。通常の粘性流体として扱った場合の密度分布は求められていない。銀河に束縛された高密度のガスが存在する場合に、2種類のガスの境界を表面として、粘性による抵抗力が速度と粘性係数に比例するとしている例もあるが、明確な境界面(密度の不連続面)を設定していることや、銀河中のガスに働く力を銀河そのものに働く力としていることなどの問題がある。また、ガスが乏しい銀河には適用できない。

 この論文の目的は、銀河団ガス中を運動する銀河に作用する抵抗力の評価である。亜音速の場合について、ガスと銀河の相互作用が重力相互作用しがないことに注意して、ガスの密度分布と銀河の重力場から抵抗力を計算していることが特徴である。

 銀河団ガスは、密度が10-24kgm-3、音速が106ms-1、比熱比5/3の、断熱気体であるとした。これは、数密度が6×102m-3で、温度が4×107Kの、陽子で構成されるガスに相当する。銀河の重力場は、Plummerモデル、

 

 であるとした。Gは万有引力定数、Mは銀河の質量で、2×1011とした。bは数倍が銀河の大きさに相当する長さで、8.1kpc=2.5×1020mとした。銀河とガスの相対速度はマッハ数で、0.2、0.5、0.8、0.9、1.1、1.5、2.0、4.0、8.0の場合を計算した。超音速の場合は、非粘性とした。亜音速の場合は、非粘性の場合と、ガスの密度、音速、計算に使った単位長さで規格化した粘性係数が0.01、0.1、0.5、1.0の場合を計算した。計算は、人工粘性を組合せた陽的差分法で行なった。差分法は、Lax-Wendroff法、人工粘性は、Davis’s TVD(Total variation Diminishing、全変分量減少)を使った。銀河とガスの相対運動の方向を軸とする円筒座標で、軸対称であると仮定して、二次元の格子で計算した。格子数は、軸方向を512、同径方向を256とした。銀河は軸上の中心にあるとした。格子間隔は2.6kpc=8×1019mとした。境界条件は、上流は一様流、軸上は鏡像対称(同径方向の速度が逆符合)とした。側面は、亜音速の場合は、上流と同じ一様流、超音速の場合は、自由境界(内部と同じ物理量)または圧力は上流と同じ値に固定とした。下流境界は、亜音速の場合は、圧力のみまたは全ての物理量を上流と同じ値に固定し、超音速の場合は自由境界とした。抵抗力の計算は、長さが半径の二倍で銀河を中心とする、円柱状の領域のガスに働く重力の総和で計算した。

 図1にマッハ数0.5の場合の抵抗力Fの規格化された粘性係数への依存性を示した。重力の総和を計算する円柱領域の半径は32格子間隔とした。抵抗力Fは、質量2×1011の銀河が2×1012年で106ms-1減速される力で規格化されている。=0で抵抗力が働くのは、数値粘性などによる誤差であると考えられる。図2に速度v(音速で規格化したのでマッハ数と同じ)と計算した抵抗力Fの関係を示した。□は超音速、×は亜音速で規格化された粘性が1の場合である。亜音速では、マッハ数が0.5のあたりでは、速度の2.5乗程度に比例するように見えるが、音速に近付くと急激に抵抗力が大きくなる。超音速側の直線は、F=2.5-2の線で、動力学的摩擦の速度が速い場合の極限として得られる関係である。超音速の場合は動力学的摩擦とよく一致している。

図1:抵抗力Fの粘性依存性図2:抵抗力Fの速度v依存性

 この結果から、銀河団ガス中を運動する銀河に作用する抵抗力は、銀河の運動速度が銀河団ガスの音速程度の時にもっとも大きくなることがわかった。マッハ数が1.1の場合、抵抗力は2×1011106ms-1/(2×1012year)で、減速の時間尺度は1.2×1012年で、宇宙年齢の100倍程度で、減速の効果はあまりない。しかし、動力学的摩擦と同じ形式の場合、抵抗力は物体の質量の二乗と粒子の質量密度に比例するので、減速の時間尺度は質量と密度に反比例する。従って、ガスに富んだ銀河団や銀河団の中心部のようにガス密度の高い領域では、音速程度で運動する巨大銀河に働く抵抗力は無視できないと考えられる。

審査要旨

 本論文は、銀河団ガス中を運動する銀河に作用する抵抗力を流体数値シミュレーションの手法を用いることにより調べた結果をまとめたものである。

 論文は5章からなり、第1章は関連研究のレビューと本研究の目的、第2章は基礎方程式と流体数値シミュレーションの方法、第3章はシミュレーションの結果と解釈、第4章はシミュレーションの問題点の議論、第5章は論文全体の結論、という構成になっている。

 銀河団とは102-104個の銀河が重力によって結合した集団である。銀河団には高温のガスが存在することが知られており、最新の観測によれば、その温度は107-108K、数密度は10-4-10-1cm-3、音速は1000km/s程度である。ガスの総質量は1013-1016(=2×1033g)程度と見積られ、銀河団中の銀河の総質量より大きい。したがって、このような大質量のガスと銀河の相互作用は、銀河団の進化に大きく影響する可能性がある。例えば、銀河は銀河団ガス中を運動する際、ガスから抵抗を受ける。もし抵抗が大きければ、銀河は銀河団の中心に向かって落下し、その結果、他の銀河と衝突したり相互作用したりして銀河自身も変化するし、銀河団全体の構造も変化してゆくであろう。

 流体中を運動する物体に抵抗力が働くことは一般的な現象であるが、銀河の場合は硬い表面が存在せず重力場のみで銀河団ガスと相互作用する点で、通常の場合とは異なる。銀河の運動速度が銀河団ガスの音速に比べて速い場合は、線形摂動近似を用いることによって密度分布が計算でき、これより抵抗力が解析的に導出できる。これまでこのような場合について抵抗力が見積もられており、それによると抵抗力は運動速度の2乗に反比例する。しかし、実際の銀河団では、銀河の速度は音速と同程度が亜音速である場合が多い。亜音速の場合、抵抗力は粘性に依存する。銀河団ガスではレイノルズ数は1-10のオーダーなので、粘性の効果は大きい。亜音速の場合は、これまで、銀河を硬い表面のある物体として抵抗力が見積もられていた。しかし、上でも述べたように、実際の銀河には硬い表面などなく、抵抗力を見積もるには銀河団ガスと銀河の間にはたらく重力を計算しなければならない。そのような計算はこれまでになされていなかった。

 本論文では、銀河には硬い表面をもった物体がなく重力だけあるとする現実的な状況設定のもとで、銀河の運動速度が超音速と亜音速の両方の場合について、銀河団ガスと銀河重力の相互作用の2次元軸対称流体数値シミュレーションを行なった。この結果を用いて、銀河が銀河団ガスにおよぼす重力を計算し、銀河にはたらく抵抗力を見積もった。その結果、以下のことが明らかになった。

 (1)超音速の場合、抵抗力は速度の自乗に反比例する。これは、これまで線形摂動近似を用いることによって見積られていた抵抗力とほぼ一致する。また、これは動力学的摩擦において速度が速い場合の極限とも一致する。

 (2)亜音速の場合、抵抗力は粘性係数と、V/(1-V2/Cs2)によい近似で比例する。速度が音速に比べて非常に小さいときは、これはストークスの法則にほかならない。音速に近いと抵抗力は大きく、音速に等しいところで発散しているが、実際には超音速の場合の抵抗力につながっていく。ここで、その係数について、硬い表面をもつ剛体球が受ける抵抗というストークスの問題に比べて1/1000のオーダーという小さい値になることを示したことは重要である。すなわち、ガスに重力だけで作用する銀河の有効半径は銀河モデルの密度分布に対応する半径に比べて1/1000も小さいのである。こうして、論文提出者は、これまで、硬い表面をもつ物体と同じであるとして見積もられていた抵抗値を大きく改訂した。このことは超音速領域に比較して亜音速領域では抵抗力が1桁から2桁小さくなることを意味する。

 以上により、銀河団中を運動する銀河にはたらく抵抗力は、銀河の運動速度が音速程度の時にもっとも大きく、亜音速になると激減することがわかった。この抵抗力による銀河の減速の時間スケールは、銀河団の中心部に位置する巨大銀河(質量〜1012)の場合、宇宙年齢程度になることもわかった。この抵抗力は観測される銀河団の速度分散を説明するのに適切な値である。これは、音速程度で運動する巨大銀河に働く抵抗力は無視できないことを意味する。

 以上の知見、とりわけ亜音速の場合の抵抗力の一般的な関係式の導出は、重要な新しい知見であり、関連分野の研究の今後の発展に寄与するところ大である。

 したがって、大野洋介氏は博士(理学)の学位を授与される資格を有するものと認める。

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