学位論文要旨



No 111672
著者(漢字) 岡,朋治
著者(英字)
著者(カナ) オカ,トモハル
標題(和) 銀河系中心領域の分子ガスの観測的研究
標題(洋) MOLECULAR GAS IN THE GALACTIC CENTER : AN OBSERVATIONAL STUDY OF THE NEAREST GALACTIC NUCLEUS
報告番号 111672
報告番号 甲11672
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3036号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 奥田,治之
 国立天文台 教授 中野,武宣
 東京大学 助教授 中田,好一
 国立天文台 教授 笹尾,哲夫
 東京大学 助教授 長谷川,哲夫
内容要旨 背景

 銀河系中心領域の特異性が最初に認識されたのは、1932年のJanskyによる銀河系中心方向からの強い電波の発見である。彼の観測した長波長域では銀河系中心は全天で最も明るい―太陽よりも明るい―天体であった。それに引き続き、銀河系中心は可視域(星間ダストの吸収により観測できない)を除くあらゆる波長で、しかも数百パーセクの広い領域にわたって明るく輝いていることが明らかになってきた。さらに一酸化炭素(CO)の輝線観測により、この領域には大量(107-108)の星間分子雲が集中していることも明らかにされた。それらは銀河系円盤上の分子雲に比べて極めて広い速度輻(30-80km s-1)を有し、その運動も回転運動とは程遠い極めて乱れた運動をしている。言い換えるならば銀河系の中心数百パーセクの領域は、重力・磁場・宇宙線・星間物質の全てが銀河系円盤上のそれに比べて著しく高いエネルギー密度を持つ、銀河系内で最も特異な領域である。

 この領域では、近い過去(106-7yrs前)の爆発的な星形成活動の痕跡と思われる構造が数多く発見されている。銀河面から垂直方向に伸びる百パーセクスケールの「電波ローブ」構造、数百パーセクにわたって広がった高温(Tk≡108K)プラズマの存在等である。それに加え、力学的中心の位置には、約106の巨大プラックホールの存在が示唆されている。つまり、我々の銀河系の中心は、最も近くにある銀河中心核という観測的有利性のみならず、スターバースト直後の(post-starburst)銀河核、そして活動銀河核の縮小版という観点からも極めて興味ある天体であるといえる。

 中心数百パーセクの領域に集中した星間分子雲は銀河系円盤上のそれとは著しく性質が異なることが知られている。その中には半径200パーセクの"膨張分子リング"を初めとする種々の特異構造が含まれる。物理状態は一般に高温(Tk=30-60K)であり、高密度(n(H2)=104-5cm-3)領域が広く存在する一方で、現在の星形成率として意外なほど低い値が導かれている。同領域に存在する分子ガス質量(-108)で規格化した星形成率(星形成能率)の値は5×10-9yr-1、これは太陽系近傍の高々3倍程度、そして銀河系内域(R=4-6kpc)の約半分の値でしかない。

 星間分子雲は星形成活動の場であり、将来の星形成活動を支配する重要な成分である。しかもその形態は超新星爆発等の外乱を敏感に反映することから、星形成の履歴を追う上でも有用な情報源であるといえる。これまで、この銀河系中心の分子雲複合体に対して種々の輝線による観測が様々な分解能で行われてきた。しかし観測装置が大型化し、分解能が向上するにつれて観測領域が特定の範囲に絞られていった事は否めない。

観測

 この特殊な環境下におかれた分子ガス全体の性質を調べる目的で、我々は以下の二種類の観測を行った。一つは銀河系内の分子ガスの大局的な物理状態の分布を調べる目的で建設された東京大学-NRO 60 cm Survey Telescopeを使用した、CO(J=2-1)輝線による銀河系中心領域の広域サーベイ観測(分解能9’)。もう一つは、現在ミリ波の単一鏡電波望遠鏡としては世界最高の分解能を誇るNRO 45 m Telescopeを使用した、12CO(J=1-0)および13CO(J=1-0)輝線による高分解能・広域サーベイ観測(実質分解能34")である。双方の観測とも銀河系中心の分子雲複合体のほぼ全域(b=3°×1°)をカバーしている。

 複数の輝線を観測する動機は、それらの輝線比(強度相関)から星間分子ガスの物理状態を推測することにある(図参照)。我々はこれら各々の分解能での多輝線データを、自らが開発した輻射輸送コードを用いて解析した。この博士論文は、これらの観測によって得られた輝線データとこれまでに行われた様々なデータを総合し、この領域の分子ガスの空間構造、運動、そして物理状態を手がかりに、観測的に導かれた銀河系中心という特異領域に関する新たな描像を報告するものである。

図)一酸化炭素回転準位
結果

 以下に、我々の観測によって導かれた結論を列挙する。

[1]分子ガスの運動

 銀河系中心領域の現在(106年以内)の星形成活動は半径約100pcのリング状構造(星形成リング)の上の分子ガスに集中しており、その星形成活動は108年以上前から行われていることが見いだされた。この星形成リングと膨張分子リングをそれぞれ2つのinner Lindblad共鳴に付随する構造として認識することにより、それらのガスの軌道運動と共鳴する重力ポテンシャルの二回対称成分(bar potential)のパターン速度を求めることが出来、その値は約0.25kms-1pc-1、ガスの回転速度とパターンの回転速度が等しくなる半径(corotation radius)は約1kpcとなる。理論からの予測によれば、このcorotation radiusとbar endはほぼ一致するという報告があり、これを適用するならば我々の銀河系の中心には既に報告されている4-5kpcスケールのlarge-scale barに加えて1kpc程度のsmall-scale barが入れ子になって存在している事が示唆される。実際、衛星やバルーンを使用した遠赤外線観測の結果から、銀河系中心方向に半径約1kpcのbox-shape bulgeの存在が報告されており、我々の結論はそれがlarge-scale barの約5倍の角速度で回転していることを示す。

[2]分子雲の物理状態

 銀河系中心の分子雲全体のCO(J=2-1)/CO(J=1-0)輝線強度比(R(2-1)/(1-0)は0.65であった。これは銀河系中心から4-8kpcの間の領域で観測されたR(2-1)/(1-0)が銀河系中心に向かって単調に増加していく傾向には全く沿わないものである。CO輝線の強度比(強度相関)から推測される銀河系中心のCO輝線放射領域の物理状態は、n(H2)≡102[cm-3],Tk=30-80[K]となる。この温度はNH3輝線比からの結果と全く矛盾しないが、密度はこれまでCS輝線等の観測から言われていた値に比べて著しく低い。この一見矛盾する観測事実は、この領域では少なくとも二種類の密度成分―低密度かつ"diffuse"な成分、高密度かつ"clumpy"な成分―が広く存在することを意味している。CO輝線でトレースされる"diffuse"成分の分子ガスは、意外なことに銀河系円盤上の密度(n(H2)≡102.5[cm-3])に比べて明らかに密度が低い。

[3]分子雲の微細構造

 45m望遠鏡によって取得された大規模な高分解能COデータからは、以下のような微細構造が明らかになった。1)分子雲の極めてfilamentaryな構造。高速度側ではまるで風にたなびいているような形態を示す。2)多数の数pcスケールの分子ガスshell構造。3)電波連続波および軟X線と空間的にきれいな逆相関にある直径50pcの高速(Vexp150km s-1)で膨張する分子リング構造。これらの事実は、この領域でつい最近多数の超新星爆発が起きたこと、およびその結果放出された高圧の高温プラズマが小規模な銀河風(galactic wind)を形成し、それが現在の分子雲の形態に影響を及ぼしていることを示す。

[4]分子雲の平衡状態

 CO輝線強度から導かれる分子ガス質量とビリアル質量の比較から、銀河系中心の分子雲(直径30パーセク以上のもの)は少なくとも重力平衡ではあり得ず、むしろ高温のambient gasとの圧力平衡にあることが示された。これに従って計算された銀河系中心領域の分子ガス総質量は2×107、これまで採用されてきた標準値の約1/5に過ぎない。この値を正しい分子ガス総質量として採用することにより先に述べた星形成能率の異常性が解決され、銀河系中心領域の星形成能率の正しい値として銀河系内域(R=4-6kpc)の約2.5倍という高い値が導かれることになる。

総合的解釈

 以上の事柄を総合して、本博士論文では以下に示すような銀河中心の描像を提唱する。

 [1]銀河系中心における星形成活動は、主に二つのinner Lindblad共鳴に付随して形成されるarm及びring状構造の上にガスが溜まることによって活性化される。現在、内側のringは重力的に安定であるが、これが成長して自己重力崩壊を起こしたとき中心への急激なガス供給が行われ、爆発的星形成が起こる。

 [2]形成された大量のOB型星は、超新星爆発や星風により大量の高温プラズマを供給し、星間物質中の乱流を活性化する。

 [3]その星間物質へのエネルギー供給率は、爆発的星形成の約5×107年後にピークに達する。それによって分子雲は激しい外乱を受け、"diffuse"成分は撹乱されてより低密度に、"clumpy"成分は圧縮されてより高密度になる。

 [4]供給された高温プラズマは、磁場・宇宙線等を介して分子雲に圧力を伝える。強い乱流状態を示すこの領域の分子雲は、この高圧によって支えられている。

 今後に残された重要な課題は、銀河系各領域の分子ガスに含まれる"diffuse","clumpy"成分の割合を定量的に評価して、その割合を決定する物理、そして星形成との関連を明らかにすることである。これにはHCNを始めとする高密度トレーサーの広域観測が貢献するであろう。さらに、分子雲の性質を決定する要因としての外圧の役割を観測的に確立することも重要である。その目的のために、信頼度の高い分子雲同定アルゴリズムの開発が急がれる。

審査要旨

 我々の銀河系(天の川)の中心部は強い星間吸収のため光では観測できないが、近年、電波、X線、赤外線などの観測が行われるようになり、そこには様々な特異な現象が生起する活動的な領域であることが明らかになってきた。本論分は、東京大学、天文教育センターの60cmミリ波望遠鏡、野辺山45m電波望遠鏡によって、一酸化炭素の回転線の高励起(J=2-1)成分の観測、並びに同位体(13CO)成分の観測を行うことによって、新たな知見を加え、従来、いくつかの矛盾を持っていたこの領域の分子雲の物理状態、運動状態に関して統一的描像を与えたものである。

 論文は、5章から成っており、第1章では、従来の銀河系中心部の研究成果のまとめと問題点の整理が行われている。

 第2章は、銀河面内のCO(J=2-1)線の観測から銀河中心部の運動学的構造について論じたもので、より高密度の分子雲の特性を反映するJ=2-1線の強度分布が中心に対して極端に非対称的であることから、銀河中心部のガス雲は力学的平衡になく、このような構造は一時的なものであること、また、J=2-1線とJ=1-0線の強度比が大きい領域が存在することから、銀河中心部の分子雲には高温で高密度の領域が塊として存在していると結論している。

 第3章は、観測を二次元的に拡張して得られたCO(J=2-1)線の広領域マップをもとに、銀河中心部の分子雲の全体的な構造を論じたもので、中心部の分子雲が数多くの巨大分子雲に分解されること、それらの分子雲は多くの場合重力的にではなく、むしろ高温ガスや磁場などの外圧によって束縛されていること、そのため、銀河中心部の分子雲の総質量が従来virial原理から推定されていたものに比べて大幅に減ることになり、中心から400pc以内に含まれる総質量は2-6×107Moどまりである。このことは、もう一つの観測結果である、中心部のJ=2-1線とJ=1-0線の強度比の小さい(0.65)こと、ガス温度が高い(30-60K)ことからガス密度が従来の推定に比べて大幅に下がることからも納得できることであると結論している。

 第4章は、高解像度を誇る野辺山45m電波望遠鏡を用いて得られた、銀河中心部の12CO(J=1-0)線,および13CO(J=1-0)線の高分解マップから、中心部における微細構造を論じている。観測結果は、分子雲がfilament状の微細構造を持っていること、大きさが数pc程度のshell構造が多数見られること、電波連続波や軟X線と空間的に逆相関を持った直径50pcの高速で膨張するリング構造が存在することを示している。これらの事実は、この領域で最近(107年以内)、多数の超新星爆発が起き、その結果放出された高温プラズマが銀河風を引き起こし、分子雲形成に少なからず影響を与えたことを示したものであると結論している。

 第5章はこれらの結論をまとめたものである。

 以上見てきたように、申請者は、これらの一連の研究によって、銀河中心部の分子雲の構造的、運動学的特性を物理状態とともに総合的にまた、統一的な描像として提示した。その結果、銀河中心の分子ガスが、diffuseなものと、clumpyなものとが広く共存して分布していること、特にdiffuseな成分の温度が従来考えられていたものより著しく高く、また、密度が低いことを明確にし、その結果、銀河中心部の分子雲の総質量が従来の推定値より大幅に下がらなければならないことを示した。この結果によって、従来、ガンマ線観測から推定された銀河中心の総質量との大きな矛盾を解消し、また、銀河中心部での星の生成率が銀河円盤部に比べて異常に低かった不自然さもなくなった。一方、銀河中心部の分子雲の複雑な構造を明らかにし、これが、中心部における過去の活発な星形成活動の証であることを示すなど、銀河中心部における構造、運動、物理状態、さらにその進化の過程に総合的、統一的に説明できるようになったことは高く評価できる。

 尚、本研究は長谷川哲夫、林正彦、半田利弘、坂本成一、佐藤文夫、坪井昌人氏らとの共同研究として行われたものであるが、観測、データ解析、論文製作において主要部分はすべて申請者の寄与であったと認められ、これらの共同研究者から提出論文を学位論文として使用することに同意する旨の承諾書が提出されている。

 以上の理由により、審査委員会は全員一致で申請者に博士(理学)の学位を授与できると認定した。

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