我々の銀河系(天の川)の中心部は強い星間吸収のため光では観測できないが、近年、電波、X線、赤外線などの観測が行われるようになり、そこには様々な特異な現象が生起する活動的な領域であることが明らかになってきた。本論分は、東京大学、天文教育センターの60cmミリ波望遠鏡、野辺山45m電波望遠鏡によって、一酸化炭素の回転線の高励起(J=2-1)成分の観測、並びに同位体(13CO)成分の観測を行うことによって、新たな知見を加え、従来、いくつかの矛盾を持っていたこの領域の分子雲の物理状態、運動状態に関して統一的描像を与えたものである。 論文は、5章から成っており、第1章では、従来の銀河系中心部の研究成果のまとめと問題点の整理が行われている。 第2章は、銀河面内のCO(J=2-1)線の観測から銀河中心部の運動学的構造について論じたもので、より高密度の分子雲の特性を反映するJ=2-1線の強度分布が中心に対して極端に非対称的であることから、銀河中心部のガス雲は力学的平衡になく、このような構造は一時的なものであること、また、J=2-1線とJ=1-0線の強度比が大きい領域が存在することから、銀河中心部の分子雲には高温で高密度の領域が塊として存在していると結論している。 第3章は、観測を二次元的に拡張して得られたCO(J=2-1)線の広領域マップをもとに、銀河中心部の分子雲の全体的な構造を論じたもので、中心部の分子雲が数多くの巨大分子雲に分解されること、それらの分子雲は多くの場合重力的にではなく、むしろ高温ガスや磁場などの外圧によって束縛されていること、そのため、銀河中心部の分子雲の総質量が従来virial原理から推定されていたものに比べて大幅に減ることになり、中心から400pc以内に含まれる総質量は2-6×107Moどまりである。このことは、もう一つの観測結果である、中心部のJ=2-1線とJ=1-0線の強度比の小さい(0.65)こと、ガス温度が高い(30-60K)ことからガス密度が従来の推定に比べて大幅に下がることからも納得できることであると結論している。 第4章は、高解像度を誇る野辺山45m電波望遠鏡を用いて得られた、銀河中心部の12CO(J=1-0)線,および13CO(J=1-0)線の高分解マップから、中心部における微細構造を論じている。観測結果は、分子雲がfilament状の微細構造を持っていること、大きさが数pc程度のshell構造が多数見られること、電波連続波や軟X線と空間的に逆相関を持った直径50pcの高速で膨張するリング構造が存在することを示している。これらの事実は、この領域で最近(107年以内)、多数の超新星爆発が起き、その結果放出された高温プラズマが銀河風を引き起こし、分子雲形成に少なからず影響を与えたことを示したものであると結論している。 第5章はこれらの結論をまとめたものである。 以上見てきたように、申請者は、これらの一連の研究によって、銀河中心部の分子雲の構造的、運動学的特性を物理状態とともに総合的にまた、統一的な描像として提示した。その結果、銀河中心の分子ガスが、diffuseなものと、clumpyなものとが広く共存して分布していること、特にdiffuseな成分の温度が従来考えられていたものより著しく高く、また、密度が低いことを明確にし、その結果、銀河中心部の分子雲の総質量が従来の推定値より大幅に下がらなければならないことを示した。この結果によって、従来、ガンマ線観測から推定された銀河中心の総質量との大きな矛盾を解消し、また、銀河中心部での星の生成率が銀河円盤部に比べて異常に低かった不自然さもなくなった。一方、銀河中心部の分子雲の複雑な構造を明らかにし、これが、中心部における過去の活発な星形成活動の証であることを示すなど、銀河中心部における構造、運動、物理状態、さらにその進化の過程に総合的、統一的に説明できるようになったことは高く評価できる。 尚、本研究は長谷川哲夫、林正彦、半田利弘、坂本成一、佐藤文夫、坪井昌人氏らとの共同研究として行われたものであるが、観測、データ解析、論文製作において主要部分はすべて申請者の寄与であったと認められ、これらの共同研究者から提出論文を学位論文として使用することに同意する旨の承諾書が提出されている。 以上の理由により、審査委員会は全員一致で申請者に博士(理学)の学位を授与できると認定した。 |