X線観測衛星によって、銀河団中の高温ガスの温度や質量分布、さらに、その重元素量分布などの情報が蓄積されつつあり、銀河団の構造や進化について現実的な研究が可能になってきた。これらの観測から、銀河団中のガス質量は銀河質量よりも数倍多く、そのガスに含まれる鉄の組成比は太陽のわずか2〜4割程度でしかないことが明らかとなった。また、銀河団のX線強度分布の観測から、これまで規則的で等温だと思われていた銀河団の多くは静水圧平衡にはなく、動的進化の途中であることも明かとなった。 このような観測事実を受け、本論文の第一部では銀河団を構成する個々の銀河から銀河団ガスへの鉄の供給過程を、第二部では静水圧平衡にない銀河団ガスの密度や温度の非一様性がガス質量、重力質量、ハッブル定数の評価に与える影響を考察している。本論文を通読することで、銀河団の全体像について理解が深まるよう、論文構成に著者の工夫がこらされている。 第一部では、銀河団内を運動する銀河からの鉄の放出過程として、楕円銀河からの銀河風の発生と、銀河団ガスの動圧による銀河の星間ガスのはぎ取りを主要な放出過程とし、その相対重要度を、放出されるガスの量とそれに含まれる鉄の量を目安として詳細に検討した。まず、星の初期質量関数や星生成率など合理的な仮定に基づいて楕円銀河と渦状銀河それぞれの化学進化モデルを構築し、銀河の星間ガスの質量や鉄の存在量の時間変化及び銀河風発生時期を計算した。一方、銀河団ガスの動圧が星間ガスの圧力より大きくなる時期を求め、銀河風とはぎ取りとどちらの原因で銀河から鉄が放出されるかを決定した。 その結果、楕円銀河では銀河風よりも早い時期に星間ガスのはぎ取りが起こることが明かとなり、はぎ取りの効果を無視した場合に比べて、銀河団ガスの鉄の存在量が2〜4倍程度増えることを示した。このはぎ取りは渦状銀河でも起こるが、楕円銀河に比べて銀河団ガスへの鉄供給の寄与は進化の時間スケールが長いため無視できる。銀河団ガスの鉄の組成比は、個々の銀河の化学進化モデルで仮定した星の初期質量関数に強く依存し、星生成率にはあまり依らないことも明かにした。また、銀河から放出される星間ガスの量は非常に少なく、銀河団ガスの大部分は銀河になり損なった鉄を含まない原始ガスであり、そのため銀河団ガスの鉄の組成比が2〜4割程度であることを説明した。これらの結果は、銀河団全体の化学進化を考察するにあたって極めて有用である。 第二部は、第一部で得た知見を発展させ、銀河団全体のガス密度や温度の非一様性の効果を集中的に考察した。特に、これまで銀河団ガスを等温、球対称の静水圧平衡系と安易に仮定して求められてきた銀河団中の暗黒物質の質量や、スニヤエフ・ゼルドピッチ効果に基づくハッブル定数の値が実際の値とどれだけずれるかを詳細に検討した。まず、銀河団ガスの非一様性を、視線方向に並んだ2つの異なるガス塊で表現し、解析的方法及び数値シミュレーションによる詳細な研究から、以下の一般的結果を導いた。すなわち、1)重力質量は温度の非一様性によって過大評価される、2)ハッブル定数は密度の非一様性によって過大評価、温度の非一様性によって過小評価される、3)重力質量、ハッブル定数のいずれも銀河団の視線方向の延びによって過小評価される、等々である。 著者は、まず、かみの毛座銀河団の観測を再現しうる数値モデルを構築し、実際の銀河団ガスの分布や温度が、通常採用されているモデル(-モデル)と、どのていどずれているかを定量的に調べた。その結果、上の解析的方法で得た結論を単一の銀河団について定量化した。さらに同一の銀河団の衝突過程を数値シミュレーションし、非一様性の時間経過を追いつつ、このような一般的傾向を確認すると共に、実際に過大評価・過小評価される値を定量的に求めた。特に、現実的な状況下で、ハッブル定数の値は常に過小評価されるとの著者の結論は、スニヤエフ・ゼルドピッチ効果に基づくハッブル定数決定法に系統誤差(バイアス)が存在することを明確にした。 以上述べたように本論文は、銀河団の進化とハッブル定数の決定に関する研究の発展に大きな貢献をしたものと評価できる。本論文は共同研究の成果であるが、すべての内容について申請者が中心的な役割を果たしていると判断できる。よって審査員は全員一致で、本論文は申請者が博士(理学)の学位を取得するための要件を充分満たしていると判定した。 |