学位論文要旨



No 111678
著者(漢字) 福本,淳司
著者(英字)
著者(カナ) フクモト,ジュンジ
標題(和) X線銀河団の進化
標題(洋) Evolution of X-ray Clusters of Galaxies
報告番号 111678
報告番号 甲11678
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3042号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉井,譲
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 助教授 有本,信雄
 大阪大学 教授 池内,了
 国立天文台 助教授 福島,登志夫
内容要旨 第一部X線銀河団における銀河間ガスの熱的・化学的進化

 (はじめに)X線観測衛星によって、多くのX線銀河団のX線光度、銀河団内ガスの温度およびその重元素量が明らかになってきた。また、これらの観測によって銀河団内ガスの質量が銀河の質量よりも数倍多いことから、銀河団内ガスの大部分が銀河になり損なった重元素を含まない原始ガスであることが予想される。しかしながら、そのガスの鉄の組成比を観測すると、太陽の2〜4割程度であるということから、銀河からかなり組成比の高いガスが進化の途中において銀河間へ供給されたと考えられる。この放出過程としては、主に2つが考えられる。1つは、楕円銀河からの銀河風であり、もう1つは銀河の運動によって生ずる銀河団内ガスの圧力によって、銀河の星間ガスがはぎ取られる場合である。そこで、渦巻き銀河と楕円銀河の化学進化モデルを用いて、それに含まれるパラメータ(銀河風の発生時期、星の初期質量関数、星生成率など)が銀河団内ガスの熱的・化学的進化にどのような影響を与えるのか、また観測事実から、許される化学進化モデルのパラメータ領域を調べた。これらのことから、銀河の化学進化に対して非常に重要な情報が得られるとともに、銀河団内ガスと銀河との関係を明らかにすることができる。また、すでに銀河から銀河間へガスを放出する過程として、はぎ取りだけを考慮した場合(Himmer and Biermann)あるいは銀河風だけを考慮した場合(Matteucci and Vettolani)が調べられているが、どちらの過程が銀河団内ガスに対してどれほど影響を与えているかということは明らかではない。これに対する答えを得ることも重要な目的の1つである。

 (計算方法及びその結果)まず最初に、銀河のパラメータ(銀河風の発生時期、星の初期質量関数、星生成率など)を決定するために、化学進化の計算結果と観測とを比較する。このときの化学進化モデルでの仮定は、1)銀河の初期は、重元素を全く含まないガスだけとする。2)空間分布は考慮しない、いわゆるone-zone modelとする。3)銀河の周りの環境は考慮しない。つまり、銀河団に属していない、孤立銀河を対象とする。よって、比較すべき観測も孤立銀河のものである。これらの仮定を元にして、星の初期質量関数、星生成率をパラメータにして、星生成や星からの質量放出、超新星爆発などを取り入れて、銀河の星間ガスの質量や組成比、星の質量の時間変化を計算した。また、特に星生成率が大きい銀河、つまり楕円銀河に対しては、銀河風の発生時期もパラメータの1つとした。その結果、渦巻き銀河に対してはパラメータはユニークに決まるが、楕円銀河に対しては観測量よりもパラメータの数が1つ多いため、許されるパラメータの組が得られた。また、渦巻き銀河の場合には星間ガスに含まれる鉄の量が重要である。なぜなら、もし渦巻き銀河が銀河団の中心近くを通過する場合、先に述べたように銀河団内ガスによるはぎ取りによって、星間ガスを失い、銀河団内ガスの鉄の起源となりうるからである。また、同様に、楕円銀河の場合には、銀河風によって銀河間へ放出される鉄の量が重要である。計算結果では、楕円銀河よりも渦巻き銀河の方が、期待される鉄の放出量が初期質量関数に強く依存することが分かった。次に、このようにして得られた化学進化のモデルを使って、銀河団内ガスの熱的・化学的進化を計算する。銀河が銀河団内にある場合には、銀河団内ガスによる星間ガスのはぎ取りという過程を考慮する。実際、銀河団の中心では、渦巻き銀河は孤立した渦巻き銀河よりも星間ガスの少ないものが多いことが観測によって確かめられている。そこで、この計算では、銀河の運動による圧力が星間ガスの圧力よりも大きい場合に、その星間ガスを失うとする。また、銀河団社孤立系とし、ここでもone-zone modelとする。また、銀河風による熱エネルギーによる加熱、制動輻射による冷却を考慮する。その結果を以下に述べる。まず1つめは、楕円銀河において銀河風よりも早い時期にはぎ取りが起こり、その結果銀河団内ガスの組成比がはぎ取りの効果を無視した場合に比べて、2〜4倍程度増えること。渦巻き銀河でもはぎ取りは起こるが、楕円銀河に比べて銀河団内ガスへの鉄の寄与は無視できる。2つめは、銀河団内ガスの鉄の組成比は、星の初期質量関数に強く依存し、星生成率にはあまり依らないこと。3つめは、銀河から放出されるガスは、原始銀河団内ガスに比べて非常に少ないこと。4つめは、銀河形成効率はより大きな銀河団ほど小さい。これは、大きな銀河団ほど高温なガスを持っているために、より多くの星間ガスが銀河からはぎ取られ、組成比が増加する。しかしながら、観測によって大きな銀河団ほど組成比が小さい傾向があるため、先の結果と矛盾する。したがって、もしこの観測が事実なら、銀河に対する原始銀河団内ガスの割合が、大きな銀河団ほど大きいことが予想される。よって、先の結論が期待される。

第二部X線銀河団の進化

 最近のX線観測衛星によって、銀河団中の銀河や高温ガスの質量分布に2重またはそれ以上のピークが存在することが明らかとなってきた。例えば、X線強度分布の観測から、銀河団の3割程度に高温なガスの2重またはそれ以上のピークが存在していたり、銀河の観測から銀河の分布にピークがあることが指摘されている。また、これまで規則的で等温だと思われていた銀河団がそうではないことも明らかにされている。これらの観測事実から、銀河団とは静水圧平衡にはまだ達していない天体であり、現在まだ進化の途中にある可能性が高い。

 これまで銀河団中の高温なガスやそれを閉じこめておくために必要なダークマターの質量などを評価する時にはガスが等温、球対称であり、また静水圧平衡という仮定がなされていた。また、非常に遠方でのハッブル定数を評価するためにスニヤエフ・ゼルドビッチ効果とX線観測のデータの両方を利用した方法が提案されている。この手法を用いる際にも等温と球対称という仮定が必要である。しかしながら、先の観測結果はこのような仮定が間違っており、ガスやダークマターの質量、およびハッブル定数の決定に大きな影響を与える可能性がある。そこで、本論文ではこれらの仮定によって質量やハッブル定数の決定に与える不確定性がどれほどかをしらべる。そこで、最初に解析的なアプローチで定性的に調べ不確定性の傾向を理解し、その後数値シミュレーションで定量的に不確定性の大きさを評価した。

 解析的なアブローチでは、密度や温度の非一様性がガス質量、重力質量、ハッブル定数の評価に与える影響を調べた。そのために、視線方向に並んだ2つの異なるガスの塊を置き、それを観測したときに得られる質量またはハッブル定数が実際の値とどれだけずれるかを考える。その結果、以下のことが明らかとなった。1)ガス質量は、密度や温度の非一様性によって常に過大評価される。2)重力質量は、密度の非一様性による効果はないものの、温度の非一様性によって過大評価される。3)ハッブル定数は、密度の非一様性によって過大評価、温度の非一様性によって過小評価される。4)ガス質量、重力質量、ハッブル定数のいずれも視線方向の延びによって過小評価される。また、視線方向に並んだガスの塊を銀河間ガスとみなすことで2つの銀河団が視線方向に並んだ場合にどれほど質量などの評価に誤差が生じるかを議論できる。その結果、並んだ銀河間ガスの密度と温度が全く等しい場合にもっとも値を過小評価してしまうことが明らかとなった。

 次に数値シミュレーションによって、ガス質量、重力質量およびハッブル定数の不確定性を議論した。数値シミュレーションでは、もっとも激しい衝突の場合にその不確定性が大きくなることが期待されるので、全く同じ銀河団2つを正面衝突させる場合について詳しく調べた。この場合、衝突直後ガスの強度分布が衝突軸に対して垂直方向の面内に広がるレンズ型になり、その後再びガス全体が膨らむ。そして、力学的タイムスケールでほぼ静水圧平衡に達し、1つの銀河団とみなされるようになる。このシュミレーションの各時刻で本当の質量とX線強度分布から評価される質量との比較やハッブル定数の不確定性を計算した。その結果以下のことが明らかとなった。5)1Mpc以内の領域で評価されたガスの不確定性は高々10%と小さいものの、重力質量ではそれが50%ほどとかなり大きいことが分かった。6)ほぼ球対称な銀河団でもハッブル定数を常に過小評価している。銀河団同士の衝突の際にのみ過大評価となることがある。

 これらのことから、銀河団内での全質量に対するガスの占める割合の不確定性を評価できる。最近の宇宙論的な初期条件から始めた銀河団の数値シミュレーションでは、銀河団内の全質量に対するガス及び銀河(いわゆるバリオン)の質量の比は、宇宙全体のバリオン比にほぼ等しいことが示されている。これは、ガスのエネルギー散逸の効果が小さい場合に期待されることである。このことから、銀河団内のバリオン比を求めることは、宇宙のバリオン比を決めるための重要な手がかりとなる。さらに、宇宙初期の元素合成から期待されるバリオン密度を与えることによって、宇宙の密度パラメータを決定できる。そこで、これまでの銀河団内のバリオン比の不確定性を議論することで、宇宙の密度パラメータの上限を得ることができた。その結果、仮にハッブル定数が50km/s/Mpcであったとしても0.33であることが分かった。

審査要旨

 X線観測衛星によって、銀河団中の高温ガスの温度や質量分布、さらに、その重元素量分布などの情報が蓄積されつつあり、銀河団の構造や進化について現実的な研究が可能になってきた。これらの観測から、銀河団中のガス質量は銀河質量よりも数倍多く、そのガスに含まれる鉄の組成比は太陽のわずか2〜4割程度でしかないことが明らかとなった。また、銀河団のX線強度分布の観測から、これまで規則的で等温だと思われていた銀河団の多くは静水圧平衡にはなく、動的進化の途中であることも明かとなった。

 このような観測事実を受け、本論文の第一部では銀河団を構成する個々の銀河から銀河団ガスへの鉄の供給過程を、第二部では静水圧平衡にない銀河団ガスの密度や温度の非一様性がガス質量、重力質量、ハッブル定数の評価に与える影響を考察している。本論文を通読することで、銀河団の全体像について理解が深まるよう、論文構成に著者の工夫がこらされている。

 第一部では、銀河団内を運動する銀河からの鉄の放出過程として、楕円銀河からの銀河風の発生と、銀河団ガスの動圧による銀河の星間ガスのはぎ取りを主要な放出過程とし、その相対重要度を、放出されるガスの量とそれに含まれる鉄の量を目安として詳細に検討した。まず、星の初期質量関数や星生成率など合理的な仮定に基づいて楕円銀河と渦状銀河それぞれの化学進化モデルを構築し、銀河の星間ガスの質量や鉄の存在量の時間変化及び銀河風発生時期を計算した。一方、銀河団ガスの動圧が星間ガスの圧力より大きくなる時期を求め、銀河風とはぎ取りとどちらの原因で銀河から鉄が放出されるかを決定した。

 その結果、楕円銀河では銀河風よりも早い時期に星間ガスのはぎ取りが起こることが明かとなり、はぎ取りの効果を無視した場合に比べて、銀河団ガスの鉄の存在量が2〜4倍程度増えることを示した。このはぎ取りは渦状銀河でも起こるが、楕円銀河に比べて銀河団ガスへの鉄供給の寄与は進化の時間スケールが長いため無視できる。銀河団ガスの鉄の組成比は、個々の銀河の化学進化モデルで仮定した星の初期質量関数に強く依存し、星生成率にはあまり依らないことも明かにした。また、銀河から放出される星間ガスの量は非常に少なく、銀河団ガスの大部分は銀河になり損なった鉄を含まない原始ガスであり、そのため銀河団ガスの鉄の組成比が2〜4割程度であることを説明した。これらの結果は、銀河団全体の化学進化を考察するにあたって極めて有用である。

 第二部は、第一部で得た知見を発展させ、銀河団全体のガス密度や温度の非一様性の効果を集中的に考察した。特に、これまで銀河団ガスを等温、球対称の静水圧平衡系と安易に仮定して求められてきた銀河団中の暗黒物質の質量や、スニヤエフ・ゼルドピッチ効果に基づくハッブル定数の値が実際の値とどれだけずれるかを詳細に検討した。まず、銀河団ガスの非一様性を、視線方向に並んだ2つの異なるガス塊で表現し、解析的方法及び数値シミュレーションによる詳細な研究から、以下の一般的結果を導いた。すなわち、1)重力質量は温度の非一様性によって過大評価される、2)ハッブル定数は密度の非一様性によって過大評価、温度の非一様性によって過小評価される、3)重力質量、ハッブル定数のいずれも銀河団の視線方向の延びによって過小評価される、等々である。

 著者は、まず、かみの毛座銀河団の観測を再現しうる数値モデルを構築し、実際の銀河団ガスの分布や温度が、通常採用されているモデル(-モデル)と、どのていどずれているかを定量的に調べた。その結果、上の解析的方法で得た結論を単一の銀河団について定量化した。さらに同一の銀河団の衝突過程を数値シミュレーションし、非一様性の時間経過を追いつつ、このような一般的傾向を確認すると共に、実際に過大評価・過小評価される値を定量的に求めた。特に、現実的な状況下で、ハッブル定数の値は常に過小評価されるとの著者の結論は、スニヤエフ・ゼルドピッチ効果に基づくハッブル定数決定法に系統誤差(バイアス)が存在することを明確にした。

 以上述べたように本論文は、銀河団の進化とハッブル定数の決定に関する研究の発展に大きな貢献をしたものと評価できる。本論文は共同研究の成果であるが、すべての内容について申請者が中心的な役割を果たしていると判断できる。よって審査員は全員一致で、本論文は申請者が博士(理学)の学位を取得するための要件を充分満たしていると判定した。

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