学位論文要旨



No 111682
著者(漢字) 水田,元太
著者(英字)
著者(カナ) ミズタ,ゲンタ
標題(和) 熱塩循環に及ぼす海底地形の影響の力学
標題(洋) Dynamics of thermohaline circulation steered by bottom topography
報告番号 111682
報告番号 甲11682
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3046号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 和方,吉信
 東京大学 教授 平,啓介
 東京大学 教授 杉ノ原,伸夫
 東京大学 助教授 川辺,正樹
 東京大学 助教授 新野,宏
内容要旨

 長周期の海洋変動ないし気候変動を規定する最重要因子の一つとされる海洋の熱塩循環は全球規模の緩やかな流れであり、深層で卓越すると考えられている。しかし深層の直接観測には大きな困難が伴い表層近くで卓越する風成循環に比べるとその実態はよく知られていない。特に、深層循環が海底地形による強い制御を受けていることはしばしば論じられてきたにも拘らず、熱塩循環に及ぼす海底地形の影響の力学に対する理解は理想化された状況ですら十分には進んでいない。例えば勾配の急な海山の上のgeostrophic islandとよばれる特殊な領域内の定常循環がどのようになるかは未だに解明されていない問題である。本研究の目的は、このように理解の困難な課題に対し、拡散型reduced-gravity modelと拡散型鉛直モード展開という最近発展してきた新しい手法を適用して、熱塩循環に及ぼす単純化した海底地形の効果を理論的に明らかにしていくことにある。

 序に続く第2章では、熱塩循環が顕著となる深層の循環を記述する拡散型reduced-gravity modelを用いて、海盆南西端から流入する深層水が駆動する定常循環を孤立した海山や海谷(海底の窪み)という単純化した海底地形について調べた。特にgeostrophic contourが閉じる領域として定義されるgeostrophic island内部の循環に着目する。ここで用いるモデルは従来のreduced-gravity modelに密度の拡散項を加えたものであり、とくに水平拡散項が深層からの湧昇流の分布の決定に重要であることが知られている。数値実験の結果によると、海山・海谷とも地形直上には低圧部が発生し、海山の極側または海谷の赤道側から西へ伸びる。この特徴は定性的には地形の緩急、すなわちgeostrophic islandの有無に依らない。また、過去の研究で海盆全体で一様と仮定されてきた深層からの湧昇流の分布も拡散型reduced-gravity modelによって決定することができる。とくにgeostrophic islandの内側では外側に比べて湧昇流が非常に弱く沈降流すら出現することが示され、従来の理論研究とは異なる結果となっている。

 こうした地形の効果は斜面の緩やかな場合には、地形の高さを微小量とした摂動法によってよく説明することができる。すなわち、一定水深の場合の循環を基本場とし、その中に海山・海谷によって引き起こされる渦柱伸縮の分布とそれに対する循環場の応答を決定してゆくことにより地形が存在するときの流れを逐次近似で求めることができる。特に地形上に山・谷に拘らず低圧部が生じるのは、その部分で2次の摂動による補正が重要となるためであることが分かる。

 geostrophic islandが現れるほど地形が急な場合には上記の摂動法は適用できない。しかし渦位の式を局所的に簡単化し、高階微分の消散項が無視できる内部領域の解と、geostrophic island-の内と外の内部領域解の間の不連続を解消する境界層解とに分けると、解析解を得ることができる。内部領域解によればgeostrophic islandの外(内)では圧力が高く(低く)、これに伴い湧昇も強い(弱い)ことが示される。さらに境界層解からはgeostrophic islandの内側に弱い下降流が生じることが分かる。これは拡散型reduced-gravity modelで新たに導入された密度の水平拡散の効果によるものである。

 以上のように拡散型reduced-gravity modelを用いることにより、従来未解決であった急斜面の地形上に生じるgeostrophic islandまで含めた全体の循環像や深層からの湧昇・沈降分布を明らかにすることができた。また、急な斜面と緩やかな斜面の地形上の循環の比較を行い、geostrophic islandの有無によって定性的に大きな違いが生じないことを示すことができた。

 第2章で用いた方法は孤立地形以外にも緩やかな斜面の様々な地形に一般的に適用される。第3章では同じ拡散型reduced-gravity modelの枠組みの中で海山・海谷、海底斜面や、それらを組み合わせた地形の存在したときの循環の様子とそれを維持する力学を明らかにした。これらの地形はその形によって多様な影響を深層循環に与えるが、摂動の方法を用いると様々な循環場が統一的に理解される。

 それによると、高緯度側で深くなるような海底斜面上では極向きの基本流(海底が平坦な場合の流れ)によって渦柱が伸ばされそこに低圧循環を生じる。また、西の方が深くなる海底勾配の場合、斜面をかけ上がる(北半球で)北東向きの基本流には北向きの流れ成分を弱める効果が働き、より東向きの深層流が現れる。これは1次の摂動の効果なので、東ほど深い斜面上では逆に北向きの流れが強化される。両者はhypsometryつまり海盆の断面積の深さ方向の変化の上では同じであるが、循環の様相は全く異なる。すなわち、hypsometryによって深層流の向きを説明しようとする研究もあるが、むしろ斜面の向きの方が重要であるという結果が得られた。

 一方、海山(海谷)に対しては基本流がその上を上り下りすることにより基本流と平行に双極子状の渦柱伸縮の分布をつくる。これに対する応答として実現される循環は基本場のgeostrophic contourと基本流の成す角の大小によって二つのレジームに分けられる。低緯度域では平行レジームと呼ぶ循環が実現しやすく、このとき山・谷の上にはそれぞれ低圧部・高圧部が生じ、それらは地形のごく近くにとどまる。これに対し第2章で考察した中、高緯度域では垂直レジームと呼ぶ循環が実現されやすく、このときには地形の山・谷に依らずその上に低圧部が生じ、それが西の方へ遠くまで及ぶ。同様の議論は東西に傾いた斜面上に山・谷がある場合にも成り立つ。

 さらに、山・谷が多く集まった地形上には複雑な循環が生じるが、空間的に平均した効果で見ると起伏の激しい領域は低圧にその西側部分は高圧になる。このような地形による大域的な摂動は山・谷による渦柱伸縮の双極子モーメント分布のみから決定され地形の詳細に依らない。

 以上の章では拡散型reduced-gravity modelという様々な簡単化を行ったモデルを用いることで複雑な状況をそのままとり扱ったのでは分からないような循環の力学的仕組みを明らかにしてきた。その反面、そこで得られた圧力や湧昇流の分布がこうした簡単化のための仮定に依存していないかどうかは検証しておく必要がある。また、熱塩循環は本来3次元的な流れであるのに対し、拡散型reduced-gravity modelでは深層部分の2次元的循環しか求めることができない。このため、地形の影響がより浅い所ではどのように現れるのが、またどの程度浅くまで及ぶのかという疑問については答えられない。

 そこで第4章では、視点を深層から熱塩循環全体に広げる。先ず海洋3次元大循環を記述するprimitive方程式系を直接とり扱うmulti-level modelを用いて、第2章と同じく中緯度に孤立した海山および海谷が存在する場合の熱塩循環に関する数値実験を行った。その結果、拡散型reduced-gravity modelは深層部分の循環をよく表現できることが示された。すなわち、海山・海谷ともその上には低圧部を生じ、それが海山では極側、海谷では赤道側から西へ伸びるといった特徴が認められる。とくに、拡散型reduced-gravity modelでgeostrophic islandに相当する領域の内部で沈降流が生じることがmulti-level modelでも確かめられた。

 次に鉛直モード展開とよばれる手法により流れの3次元構造とその維持機構を明らかにした。この手法を用いるとprimitive方程式系で支配される循環場はこれまでの章で用いた拡散型reduced-gravity modelと同じ支配方程式に従う拡散型鉛直モードに展開される。この枠組みはprimitive方程式系中の非線形項や、消散項から生じる残差などを決定することができず外力項として扱う必要があるものの、密度成層と基本的な外力さえ与えられれば海底地形が存在するときの熱塩循環の3次元構造を水平2次元であるモードの合成として決定できる。はじめに海底が平坦な場合は、基本成層と境界からの流入・流出だけをmulti-level modelを用いた実験結果から与えることにより循環の基本的特徴をモードの重ね合わせとして再現することができる。次に、山・谷といった海底地形が存在する場合の循環も、平坦な場合の流れに対して海底地形が強制する渦柱伸縮に対する主要なモードの応答の重ね合わせとして表される。特に地形による斜面が緩やかな場合は、これまでの章と同じ摂動の方法を用いることにより、孤立した海底地形上の熱塩循環の3次元構造を再現し、その力学的仕組みを埋解することができる。地形の影響が浅くなるほど減衰しながら中心が西へ移動する性質があることなどはこのような解析を用いて説明することができる。

 以上の様に本研究では現実の海洋と比べればはるかに単純化した状況の下でではあるが、geostrophic island内部の循環といった未解決問題を解決し、hypsometryより海底斜面の向きが深層循環の向きを決めることを示し、鉛直モード展開を用いて海底地形の3次元的影響を明らかにするなど、海底地形の上の熱塩循環の最も基礎的な様相とその力学を明らかにすることができた。このことにより、本研究は熱塩循環に対する地形効果という複雑で困難な問題を個別の地形や状況に依らず統一的に研究していくための基礎となる有力な視座を与えたといえよう。

審査要旨

 本論文は5章からなり、第1章は序論、第2章では拡散型逓減重力モデルを用い、海山や海谷(海底の窪み)の海底の凹凸が深層循環にどのような影響を与えているかを調べている。第3章では海底斜面など、より一般的な海底地形への応用を行っている。また第4章では、海洋大循環モデルを用い、海底に海山や海谷がある場合の、熱塩循環の3次元構造を調べると同時に、前章までの簡略なモデルの妥当性を議論している。第5章は議論にあてられている。

 以下に、各章の内容について詳細に述べる。序論では、本研究の必要性や目的について述べられている。海洋の熱塩循環とは、海面で冷却した重い海水が沈降し深層循環として海底を移動し次第に表層まで戻る、表層と深層の海水交換を伴う大規模な循環である。この循環は、深層で卓越するものの流れは弱く表層近くで卓越する風成循環に比べると、その実態はよく知られていない。特に、深層循環が海底地形による強い制御を受けていることはしばしば論じられてきたにもかかわらず、熱塩循環に及ぼす海底地形の影響に対する理解は十分には進んでいない。このような状況において、本論文では熱塩循環に及ぼす単純化した海底地形の効果を理論的に明らかにしていくことを研究の目的にしている。

 序に続く第2章では、簡略な拡散型逓減重力モデルを用い、深層循環を調べている。中央に孤立した海山や海谷などの単純化した海底地形をもつ海盆を想定し、その南西端から流入する深層水が駆動する循環について調べている。数値実験の結果によると、海山・海谷とも地形の中心は低圧部になっている。著者はこの結果を、地形の高さを微小量とした摂動法を用いて説明している。平坦な海底に対して求められた0次の循環が、山・谷の存在により渦柱の伸縮を生じ1次の循環を造る。この循環では海山(海谷)の極側(赤道側)から西に低圧部が伸びている。この1次の循環と海山(海谷)が再び影響しあい、海山・海谷両方の中心上で低圧となるような2次の循環を造る。こうして、海山・海谷の中心部は2次の循環の寄与で低圧部となっていることが示された。

 基本場のポテンシャル渦度の等値線が閉じてしまう領域が現れるほど地形が急な場合は、摂動法は適用できない。しかし、このような場合も著者は渦位の式を局所的に簡単化し、高階微分の消散項が無視できる内部領域(山・谷の上部)と外部領域(山・谷の外側)の間に境界層領域を考慮して、解析的手法を用いて解いている。従来の理論研究では内部領域の鉛直流は外部領域と同程度の一様な湧昇流を仮定していたが、本研究によって内部領域では外部領域に比べて湧昇流が非常に弱く沈降流すら出現することが示された。

 第3章では拡散型逓減重力モデルの枠組みの中で海山・海谷、海底斜面や、それらを組み合わせた地形の存在したときの循環の力学を考察している。これらの地形はその形状によって多様な影響を深層循環に与えるが、摂動の方法を用いて循環場の統一的な理解を試みている。どの様な循環が実現されるかは、基本場のポテンシャル渦度の等値線と基本流の成す角度の大小によって大きく二つに分類できることを示している。両者の角度が平行に近い場合、このとき山(谷)の上にはそれぞれ低圧部(高圧部)が生じ、それらは地形のごく近くにとどまる。一方、両者の角度が垂直に近い場合は地形の山・谷に依らずその上に低圧部を生じ、それが西の方へ遠くまで続く。基本流がほぼ東向きであるような低緯度に山・谷がある場合は、前者の状況になり、基本流の北向き成分の強い中・高緯度域では後者になる。第2章で考察した状況は、後者に属する。同様の譲論は東西に傾いた斜面上に山・谷がある場合にも成り立つことも示している。

 第4章では、視点を深層から熱塩循環全体に広げている。先ず海洋3次元大循環を記述するプリミティブ方程式系を直接とり扱う海洋大循環モデルを用いて、第2章と同じく中緯度に孤立した海山および海谷が存在する場合の熱塩循環に関する数値計算を行っている。海山・海谷ともその上には低圧部を生じ、それが海山では極側、海谷では赤道側から西へ伸びるといった拡散型逓減重力モデルと同じ特徴を得ている。特に、急な山・谷の上部で沈降流が生じることも海洋大循環モデルの結果から確かめている。つまり、拡散型逓減重力モデルが深層部分の循環をよく表現できることを検証している。

 以上の様に本研究では現実の海洋と比べれば、はるかに単純化した状況の下ではあるが、海底地形の上の熱塩循環の最も基礎的な様相とその力学を明らかにすることに成功している。そして、その結果はより複雑な海洋大循環モデルとも一致する点も示している。これらの結果により、本博士論文は、熱塩循環に対する地形効果という複雑で困難な問題を研究していくための基礎となる有力な視座を与えたといえる。

 なお、本論文第2章は、増田章氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計算及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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