学位論文要旨



No 111688
著者(漢字) 新井,則義
著者(英字)
著者(カナ) アライ,ノリヨシ
標題(和) 4価セリウム化合物を酸化剤に用いるラジカル種の生成とその炭素骨格構築への活用
標題(洋)
報告番号 111688
報告番号 甲11688
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3052号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 岡崎,廉治
 東京大学 教授 友田,修司
 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 助教授 川島,隆幸
内容要旨

 炭素ラジカル種はカルボニルなどの極性基に対するよりも,無極性な炭素-炭素二重結合に対し高い反応性を示すなどイオン種とは異なる性質を持ち,有機合成における反応活性種としての利用が注目されている。しかし,ラジカル種を用いる反応では水素引き抜きや多量化などの副反応がしばしば伴うため,これらを抑制しながらオレフィンへの付加反応など目的とする結合生成を選択的に行うことは難しい。筆者は,4価セリウム化合物の強い一電子酸化力をラジカル種の生成とともに,オレフィンなどへの付加反応後に生成するラジカル種の捕捉にも利用することによって,選択的な炭素-炭素結合生成反応を行わせることを考え,博士課程において検討を行った。

1-(アリールアゾ)トリフェニルメタンの一電子酸化によるアリールラジカルの生成およびアレーン類,オレフィン類との分子間付加反応

 筆者は,2-トリブチルスタンニル-1,3-ジチアンの一電子酸化で生じるカチオンラジカルから,炭素-スズ結合が開裂しカルボカチオン活性種が生成することを明らかにし,これを電子豊富オレフィンへ付加させることによってオレフィンの形式的ホルミル化法を開発した(式1)。

 

 次に,このようなカチオンラジカルの開裂を利用して炭素活性種を生成させる手法を,アリールラジカルの生成に応用することを考えた。-(フェニルアゾ)トリフェニルメタン(1)は,その熱分解によりフェニルラジカルを生成することが知られているが,このような加熱による方法を用いた場合,フェニルラジカルとともにトリフェニルメチルラジカルも同時に生成する。一方,アゾ化合物1を一電子酸化すれば,生じるカチオンラジカルから窒素分子とトリフェニルメチルカチオンが脱離することにより,フェニルラジカルが生成するものと考えた。アゾ化合物1に対し過剰量のアレーン類の存在下,硝酸アンモニウムセリウム(IV)(CAN)を作用させると,対応するビフェニル化合物が得られることを見出した。またアゾ化合物として-(4-ニトロフェニルアゾ)トリフェニルメタン(2)あるいは-(4-プロモフェニルアゾ)トリフェニルメタン(3)を用いると,無置換体1に比べ収率良くビフェニル化合物が生成することもわかった(式2)。

 

 さらに,ラジカル受容体としてスチレンなどのオレフィン類も用いることができ,この場合には付加生成物が硝酸エステルとして得られた(式3)。

 

 また,本酸化反応はトリフルオロメタンスルホン酸の添加により著しく加速される。-(4-ニトロフェニルアゾ)トリフェニルメタン(2)とベンゼンとの反応では,添加剤を加えないと原料の消失までにほぼ一日要するのに対し,トリフルオロメタンスルホン酸を添加することにより2時間で反応が終了し,付加生成物である4-ニトロビフェニルが77%の収率で得られた。

2-(ヒドロキシイミノ)カルボン酸の酸化による1.3-双極子の生成

 1,3-ジカルボニル化合物の一電子酸化によるラジカル種の生成に関しては多くの報告があるが,これらの反応では1,3-ジカルボニル化合物のエノール型と金属原子との相互作用により酸化が進行すると考えられている。そこで筆者は,1,3-ジカルボニル化合物のエノール型と等価な構造を有する-ヒドロキシイミノカルボン酸を金属酸化剤で酸化すれば,二酸化炭素の脱離を伴いイミドイルラジカル(アシルラジカル等価体)が生成するのではないかと考え,検討を行った。-ヒドロキシイミノフェニル酢酸(4)に対し,オレフィン類の存在下CANを作用させ反応を行ったところ,付加生成物としてイソオキサゾリン誘導体5が得られることがわかった(式4)。

 

 機構的にはイミドイルラジカルがオレフィンに付加した後環化する可能性もあるが,電子不足,電子豊富いずれのオレフィンに対しても同様に反応することから,イミドイルラジカルがもう一電子酸化されてニトリルオキシドが生成し,これがオレフィンと反応していると考えられる。

3ニトロナートアニオンの酸化による-ニトロアルキルージカルの生成とオレフィン類への付加反応

 カルバニオン種を直接一電子酸化して対応するラジカル種に変換する手法は簡便な炭素ラジカル生成法であるが,自己二量化反応などの副反応を抑えつつ交叉付加反応を行うことは難しい。筆者は,酸性度が大きく容易にアニオンを生じるニトロアルカン類に着目し,これを一電子酸化すれば求電子性の大きい-ニトロアルキルラジカルが生成して,電子豊富オレフィンとの間で選択的に分子間付加反応を行えるのではないかと考えた。1-ニトロ-4-フェニルブタン(6)をメタノール中水酸化カリウムで処理しニトロナートとした後,シリルエノールエーテル7の存在下-78℃でCANを作用させたところ,速やかに反応が進行して対応する-ニトロケトン8が得られることを見出した。さらに,これを精製することなくトリエチルアミンで処理することにより,,-不飽和ケトン9が良好な収率で得られた(式5)。

 

 次に,この反応を分子内環化反応に利用することにより,環状化合物の合成を試みた。ニトロ化合物10に対し同様な条件下で反応を行ったところ,予期したように環化反応が進行し,5員環生成物11が良好な収率で得られることを見出した(式6)。生成物の相対立体配置は,ブロモフェニル体13のX線結晶構造解析を行い,決定した。

 

 また,この環化反応は上記のような5員環形成のみならず,通常ラジカル付加反応では形成しにくい6員環形成にも有効であり,上記11に対応する環化生成物が53%の収率で得られることがわかった。

 以上のように,分子内環化反応を効率よく行えることがわかったので,天然有機化合物合成に有用な合成中間体の生成に応用した。3-メチル-2-シクロヘキセン-1-オンから4段階で合成されるニトロ化合物14に対し上述の環化反応を行ったところ,62%の収率で目的とする生成物15を単一の立体異性体として得ることができた(式7)。化合物15,16はeu des mane骨格を有するセスキテルペン類の合成に有用な合成中間体と考えられる。

 

審査要旨

 本著者は、硝酸アンモニウムセリウム(IV)(CAN)の一電子酸化力を利用して炭素ラジカル種を発生させ、それを利用する炭素-炭素結合生成反応の開発を検討した。炭素ラジカル種は有機合成に頻繁に利用される炭素イオン種とは異なる性質を持つため、反応活性種としての利用が注目されている。しかし、ラジカル種を用いる反応は水素引き抜きや多量化などの副反応を伴うことが多く、目的とする結合生成を選択的に行うことは難しい。著者は、4価セリウム化合物の強い一電子酸化力をラジカル種の生成とともに、ラジカルがオレフィンなどへ付加して生じるラジカル種の捕捉にも利用することによって、選択的な炭素-炭素結合生成反応を開発することを考え、その内容に関し3章にわたって述べている。

 第一章 -(アリールアゾ)トリフェニルメタンからの酸化的なアリールラジカルの生成と分子間付加反応: アリールラジカルは求電子的なアリール化剤として有用な活性種であるが、溶媒などからの水素引き抜きをはじめとする副反応を起こし易く、目的とする結合生成を選択的に行わせることは難しい。そこで、著者は適当な前駆体を一電子酸化することでアリールラジカルを発生させ、このラジカルが付加反応後に生じるラジカルを再び酸化して反応停止を行うことを考えた。その前駆体として、アリールアゾトリフェニルメタンに着目した。すなわち、アリールアゾトリフェニルメタンを一電子酸化すれば、生じるカチオンラジカルからトリフェニルメチルカチオンと窒素分子が脱離することにより、アリールラジカルが生成すると期待される。実際、アリールアゾトリフェニルメタンに対しアセトニトリルーベンゼン混合溶媒中CANを作用させると、アリールラジカルが生じて溶媒のベンゼンに付加したと考えられるビフェニル化合物が得られることを見出している。電子求引性置換基が導入されたアリールアゾ化合物の反応では、付加生成物が収率良く生成する(式1)。さらに、この酸化反応はトリフルオロメタンスルホン酸を添加すると著しく加速されることも明らかにしている。

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 また、ラジカル受容体としてベンゼンなどのアレーン類に代え、スチレンなどのオレフィン類を用いることもでき、対応する付加生成物が硝酸エステルとして得られる。

 このように、本反応は芳香族化合物やオレフィン類にアリール基を求電子的に導入する手法として有効に活用できることを明らかにしている。

 第二章 金属酸化剤を用いる-ヒドロキシイミノカルボン酸からのイソオキサゾール誘導体の合成: 著者は-ヒドロキシイミノカルボン酸に対して一電子酸化剤を作用させれば、下式に示すようにニトリルオキシドが生じると考え、-ヒドロキシイミノフェニル酢酸に対しオレフィン類の共存下CANを作用させたところ、付加生成物として4,5-ジヒドロイソオキサゾール誘導体が得られることを見出している(式2)。

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 本手法でニトリルオキシドの前駆体として用いている-ヒドロキシイミノフェニル酢酸は、ベンゾイルギ酸のナトリウム塩に室温でヒドロキシルアミンを作用させるだけで簡便に調製でき、従来の塩化ヒドロキシイミノイルなどからの発生法に比べて出発物質を容易に調製できる。

 第三章 ニトロナートアニオンの酸化による-ニトロアルキルラジカルの生成と炭素-炭素結合生成反応への活用: カルバニオンを一電子酸化すれば炭素ラジカルに変換でき、これを炭素-炭素結合生成反応に効率良く活用することができれば、有用かつ簡便なラジカル的炭素-炭素結合生成反応となると期待される。ところが、これまで行われてきた手法では自己二量化や分子内環化反応にしか利用できず、分子間交差付加反応についてはほとんど報告例がない。著者は、ニトロアルカン類のアニオン(ニトロナート)を一電子酸化し求電子性の大きい-ニトロアルキルラジカルを生成させれば、電子豊富オレフィンとの付加反応が効率良く進行すると考えた。1-ニトロ-4-フェニルブタンのニトロナートに対し、シリルエノールエーテルなど電子豊富オレフィンの存在下CANを作用させ反応を行うと、付加生成物である-ニトロケトンが得られることを見出している。さらに、この-ニトロケトンに対しトリエチルアミンを作用させると、容易に脱亜硝酸を起こし、対応する,-不飽和ケトンがシリルエノールエーテルに対して良好な収率で得られる(式3)。

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 さらにこの反応は分子内環化反応に適用して環状の炭素骨格の構築を行うこともでき、高い立体選択性で収率良く環化生成物が得られることを明らかにした(式4)。このような化合物を他の手法で得ることは困難であり、ヘテロ環構築手法としても興味が持たれる。

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 この手法は種々のニトロアルカンと電子豊富オレフィンとの反応に広く利用できることを明らかにしている。

 以上、本著者は4価セリウム化合物を一電子酸化剤として用いるラジカル種の生成手法を炭素-炭素結合生成に有効に活用できることを明らかにし、汎用性のある手法を開発している。この業績は有機合成化学の分野に貢献すること大である。なお、本研究は数名による共同研究であるが論文提出者が主体となって開発研究を行ったものであり、論文提出者の寄与は十分であると判断する。従って、博士(理学)を授与できると認める。

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