2.原子状水素吸着 Cl/Au(001)での超格子像のスポット強度は強い(図1(a))。そのため、この超格子は下地のAu表面原子の変位による可能性もある。そこで次に、Au(001)-5×20上へ水素原子を吸着させ、そのときの表面構造の変化を観測した。H/Auの系はこれまでにほとんど研究されていない。
水素原子は室温では吸着しないので、実験は100Kで行った。また水素分子は100Kでも吸着しない。指向性のよい原子状水素は、加熱したタングステン管中に水素ガスを通すことによって得た。この水素源については、タングステン温度と水素圧に対しての原子状水素の生成効率を予め調べてあり、測定上都合の良い条件を選んで本実験を行った。吸着水素の被覆率は、TDSピークの積分強度と、同時に再開発を行ってきた固体内部の水素の定量ができる共鳴核反応(RNRA)、1H(15N,)12C、によって見積もった。RNRAでは、1原子層分解能での水素の深さ分布を測定することを目標にしていたが、現時点では15Nのイオンビームのカレントが充分ではなかったので、今回はビームのエネルギー幅を広げ、表面から10層分をまとめて観測している。水素の被覆率の絶対値を決めるため、表面Si原子が水素原子で終端されているSi(111)-1×1の標準サンプルを作成し、これを1原子層吸着(1ML)とした。水素吸着による表面構造変化はLEEDで観測し、その他に水素のTDSおよび仕事関数変化の被覆率依存性を測定した。
図表図1(a)被覆率〜0.6での超格子構造:-R45°(100K:Ep=60eV)(b)その構造モデル。 / 図2塩素原子のTDS。分子のフラグメント()と原子からの成分()からなる。 Au(001)清浄表面へ原子状水素を照射したときの、水素の照射量(ex-posure:L=s・Torr)に対する回折スポットの強度変化を図3に示す。水素の照射直後から、同時に、LEED像の整数次スポットは強度を増し、分数次スポットの強度は減少している。このことは塩素吸着のときと同じく、原子状水素の吸着によってAu(001)は5×20から1×1状に相転移していることを示している。そして最終的に不完全な1×1像となった。水素原子の吸着では、c(2×2)で修飾された超格子構造が現れてないことから、Cl/Au(001)で観測されたさまざまな超格子像は塩素原子の周期構造であると結論できる。図3では、整数次のスポット強度が約160OLで飽和している(矢印)。仕事関数も単調に減少するが、同様に約160OLで飽和する。これらの結果から、Au(001)上の水素が約160OLで飽和いていると解釈できる。
質量数2(H2)のTDSでは、170Kでピークを観測した。このピークの積分強度から見積もった被覆率を、水素の照射量に対してプロットした結果を図4に示す。TDSによると300OLの吸着で、被覆率は0.15MLとなる。脱離水素の量は水素の照射量の増加に伴い単調に増加しており、上述から期待される1600Lでの飽和は見られない。H/Au(001)の3600LでのTDS中のLEEDスポットの強度変化(図5(a))では、図3とは異なり、整数次スポットの強度が減少する温度と分数次スポットの強度が増加する温度がずれている。3600LでのH/Au(001)のTDSの結果(図5(b))と見比べたとき、整数次スポット強度の減少は水素の脱離とほぼ一致している。これは水素吸着でできた1×1領域が、水素の脱離で消えるためと判断できる。しかし、分数次スポットの強度の増加がより高温側で始まっていて、水素の脱離後に1×1から5×20構造への転移は起こっていないようにみえる。
図表図3 LEEDの回折スポット強度の水素照射量依存性。 / 図4 TDSから見積もられた被覆率の水素照射量依存性。 図5(a)の△印は整数次スポットの半値巾(FWHM)の変化を示す。整数次のスポット強度が減少しているにもかかわらず、WFHMも減少している。これは超格子5×20構造の整数次スポットを反映していると考えられる。つまり、1×1の消失によって5×20構造の"核"はできているが、5×20のコヒーレント長が大きいため、それに見合った結晶が成長しだすまでLEEDに反映されないだけだと考えられる。その温度が200Kである。
TDSピークの積分強度の変化とLEEDスポットの強度変化、および仕事関数変化が一致しないことについては、照射された原子状水素が固体内部に吸収されているためと考えられる。RNRAでは、定性的にそれを示唆する結果が得られている。それによると、15000Lまで測定したところ、ほぼ水素の照射時間に比例して吸着・吸収水素の量は増えていった。今回のRNRAでは表面下10層ほどの水素をみているので、少なくとも10層以上は水素が潜っていると見積もれる。TDSの結果(図5(b))で、高温側のレベルが上がっているのは内部に潜った水素が脱離しているためと考えられる。また(図5(a))で、250Kで突然分数次スポットの強度が減少している。これは、TDSでのピーク後、表面下の水素の脱離によって再度5×20構造が壊れだしているためと考えられる。つまりこの系に対しては、TDSでは水素の定量はできないということがわかる。
図5 360OLの水素照射後の(a)回折スポット強度の温度依存性と(b)その時のTDS。△は(10)スポットの半値巾の変化を示す。 [1]M.Okada,H.Iwai.R.Klauser and Y.Murata,J.Phys.:Condens.Matter,4(1992)L593.