本学位論文は五章からなり、第一章序論、第二章スピン・角度分解光電子分光、第三章電子の遍歴性とバンド構造、第四章電子の局在性とサテライト構造、第五章まとめとして構成されている。 第一章の序論では本研究の背景にある強磁性ニッケルの電子状態と電子相関について述べている。 第二章では本研究に使用したスピン・角度分解光電子分光の実験装置の概略と我が国では未だあまりなじみのないスピン・角度分解光電子分光法について光電子分光の原理から電子スピンの検出法、バンド構造の決定について解説した。通常の角度分解光電子分光に加えて光電子のスピンを分けて測定することにより、スピンに依存したバンド構造を実験的に決定できるこの手法の特徴について述べている。特に、本研究では放射光の波長可変という特色を生かした実験を行っているため、そのことについても簡単に述べられている。 第三章では価電子帯のスピン・角度分解光電子分光の実験結果からスピンに依存したバンド構造の決定とスピンに依存した電子相関についての研究結果をまとめている。本研究で初めてニッケルのプリリアンゾーンの-K-X方向についてスピン分解したバンド構造を精度良く決定することができた。その結果、従来のスピン分解しない通常の角度分解光電子分光からスピンに依存するバンド構造を推測するといった研究から、スピンに依存したバンド構造を実験によって直接求め、理論と対応させて議論することが可能になった。観測された交換分裂の大きさはLDAやGWAの理論計算の結果に比べてかなり減少していることが分かった。また、実験で得られた結合エネルギーの値はLDAのバンド計算で得られた値より小さく、バンドが狭まっていることが分かった。このバンドの狭まりを各スピンのバンドについて比較してみると、上向きスピンのバンドの方が下向きスピンのバンドより狭まりが大きく、上向きスピン電子の方が下向きスピン電子よりも電子相関が強いことが示唆された。実際、定性的ではあるが最近の三体相関を取り入れた理論では実験で得られたスピン依存性を再現している。即ち、一電子モデルに従ってニッケルのバンド構造を理解するには、スピン依存性を考慮した電子相関を考えなければならないことが示唆された。 第四章ではニッケルの光電子スペクトルにあらわれるサテライトと呼ばれる構造が電子の局在性を反映した現象であることを明らかにした。即ち、ニッケルの価電子帯光電子スペクトルには光電子励起に伴う多電子効果によって結合エネルギー6eVにサテライトと呼ばれる特徴的な構造が現れるが、この構造は一電子バンドモデルでは説明できず、ニッケルの3d電子の局在性を反映したものとしてその起源が議論されてきた。本実験で測定したスペクトルには上向きスピン、下向きスピンの各スペクトルにそれぞれ多重項構造が観測され、これらはいずれも3d8状態の多重項として帰属でき、不純物アンダーソンモデルによる理論計算とよく一致することが示された。この実験によって、6eVサテライトの起源は3d8終状態に起因するものであり、この終状態における同一原子内の二つの正孔の間に働く強いクーロン相互作用により高結合エネルギー側にサテライト構造が現れることが分かった。また、これまでスペクトル強度が弱いために観測が困難であるとされていたさらに高結合エネルギー側に現れる13eVサテライト構造についてもはじめてスピン分解光電子スペクトルの測定に成功した。その結果、上向きスピンについては明瞭な13eVサテライト構造が観測されるのに対し下向きスピンでは殆どサテライト構造は観測されなかった。これらの結果から、13eVサテライト構造は3d7終状態の二重項に起因するものと結論した。 以上、この論文はスピン・角度分解光電子分光により強磁性ニッケルの電子状態をスピンに依存したバンド構造として実験的に決め、スピンに依存した電子相関の大きさを初めて実験的に求めた。また、スピン分解光電子スペクトルの測定によって価電子帯光電子スペクトルのサテライト構造の起源を明らかにし、強磁性ニッケルの光電子スペクトルにあらわれる電子の遍歴性と局在性を実証した。これらの研究は博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして審査員全員が合格と判定した。 なを、審査委員会は本論文の題名を「スピン・角度分解光電子分光を用いた実験」であることが分かる題名に変更するよう指示した。本論文の内容の一部は既にJ.Magn.Magn.Mat.,148(1995)74-75,Phys.Rev.B52,(1995)R11549-11552に発表され、前論文では本論文提出者がトップオーサーであり後論文ではセカンドオーサーである。また、五報の論文が印刷中である。放射光を使った実験の性質上、発表論文はいずれも柿崎明人他数名の共著者からなるが、研究は学位申請者が主体的に行なった研究であることが認められた。 |