学位論文要旨



No 111694
著者(漢字) 相馬,貴昌
著者(英字)
著者(カナ) ソウマ,タカヨシ
標題(和) ジシアノ銀酸イオンによる多次元錯体の構築
標題(洋) Chemical Architecture of Multi-dimensional Coordination Structures Built of Dicyanoargentate(I)
報告番号 111694
報告番号 甲11694
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3058号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,振武
 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 助教授 小林,昭子
 東京大学 助教授 時任,宣博
内容要旨

 【序】架橋シアノ基により正方平面4配位のNi(II)、四面体4配位、三方両錐5配位または八面体6配位のCd(II)が様々な組合わせで連結されて形成されるHofmann型包接体ホスト錯体、及び関連ホスト錯体は、配位中心の連結様式に応じていくつかの基本骨格を有することが知られている。これは、前者のNi(II)が連続構造中に[Ni(CN)4]2-の形を保持したまま層状構造を形成し、後者のCd(II)は三次元的な連結単位として立体的なケージ骨格の形成に関与することに起因する。また、Cd(II)に配位するシアノ基以外の二次的な配位子はCd(II)を経由する架橋シアノ基の連結方向に変化を与え、多様な連続構造の生成に寄与するため、包接体ホスト骨格の開拓・設計の観点から重要な役割を担うことが示されてきた。本研究では連続構造を構築しうる新たな配位中心金属として2配位のAg(I)を用い、Cd(II)との間に形成されるシアノ基架橋錯体の構造展開の可能性を検討し、この系での包接体の設計に指針を得ることを目的とした。筆者は修士課程においてAg(I)を線形2配位の[Ag(CN)2]-の形で系に導入した結果、それ自身がCd(II)に対し単座、架橋の両方の配位挙動を示す双頭2座配位子(ambidentate ligand)として分子性錯体から1次元(1D)、2次元(2D)の連続構造に至る位相幾何学的に多様な化合物群を与えることを見出したが、博士課程では修士課程で用いた2次配位子を起点としてその選択の範囲を広げて化合物の合成および構造決定を行い、構築可能な多次元連続構造の探索と分類を試みた。

 【合成、及び構造決定】表に掲げた二次配位子を用いて概ね以下の方法で約30種の化合物の単結晶を作成した。モル比2:1のK[Ag(CN)2]とCdCl2(またはAgNO3とK2[Cd(CN)4])を水に混合して得た懸濁液にクエン酸および2-アミノエタノールを加え透明な水溶液(pH=9〜10;クエン酸とKOHを用いたときは7.5〜8.5)とした後、二次配位子を加えて5℃にて静置して単結晶を得た。また包接体の合成は、沸点が75〜180℃の芳香族化合物を中心に約40種のゲスト候補を選択して上記水溶液に接触させて試みた。単結晶のX線回折強度測定は教養学部化学教室のRigaku AFC5S、または理学部化学教室のAFC5R四軸型自動回折計により行い、構造精密化にはSHELX76を用いた。

表 用いた2次配位子(L)と生成したシアノ基架橋連結構造

 【結果】2次配位子(以下Lとする)とシアノ基架橋連結構造との対応を表に示す。NH3、ピリジン(py)誘導体やイミダゾール(imH)誘導体などの芳香族アミンの他に、15-クラウン-5(15C5)、18-クラウン-6(18C6)を加え、不連続な分子性錯体、1〜3次元の[Ag(CN)2]-架橋連続構造、及び[Ag2(CN)3]-架橋連続構造などを得た。

 1.NH3配位子と2D連続構造:trans-{Cd(NH3)2}2+を[Ag(CN)2]-が約11Aの間隔で架橋して生成した2D網目構造が3次元的に密に編み上げられている。層の褶曲により層間空間は埋められており、ゲスト分子は包接されない(図1)。

 2.py及びpy誘導体配位子と1D、及び2D連続構造:L = 3-アミノピリジン(3-ampy)の場合を除き、1と同様の2D網目構造を基本骨格とした積層構造が生成する。L=pyでは1と同様に3次元に編み上げられてた網目構造が内にベンゼン、ピロールを取り込んだ包接体が得られる一方、ゲストなしでは網目内にピリジン環を侵入させ合いながら平行に積層する。この積層様式は3-ピコリン(3-Mepy)、3,5-ルチジンや4,4’-ビピリジン、1,3-ジ-4-ピリジルプロパンのような架橋配位子を用いても得らる。後者の架橋配位子は異なる層間のCd(II)とAg(I)とを架橋して相互貫入した2組の3D骨格構造を生ずる。L=4-Mepyでは褶曲した網目構造が2枚1組で二重層構造に編み上げられ、網目内にゲストとして4-Mepyを包接するが、4-ampyを用いると平行に積層した2D網目層間に枝付1D鎖を収容した多次元構造の複合体(図2)が生成する。また、L=3-ampyでは枝付1D鎖のみからなる結晶構造が得られることを確認した。

 3.imH及びimH誘導体配位子と不連続、及び1D連続構造:Cd(II)のequatorial位に4個のLが配位したプロペラ様の{CdL4}2+に対してaxial位から[Ag(CN)2]-が単座、または架橋配位して不連続、及び負荷電1D連続構造を生成する他に、[Ag(CN)2]-が単座配位により6配位Cd(II)の1つの配位座のみを占めた分子性錯体が得られる。対イオン[Ag(CN)2]-とともに密に充填された結晶構造中、非配位シアノ基末端とimHのピロールHとの間に多数の水素結合が形成されている。

 4.m-キシリレンジアミン(mXdam)配位子が関与する連結構造と包接体の生成:架橋2座配位子mXdamを用いて0-キシレン及びクロロベンゼン包接体を得た。それぞれホスト錯体は,単座[Ag(CN)2]-架橋連結が配位したmXdamによるdouble-1D鎖(図3)、mXdamと[Ag(CN)2]-とが架橋連結して形成する2D錯体層からなる。

 5.15-クラウン-5(15C5)配位子と3D連続構造:6配位Cd(II)が[Ag(CN)2]-のみで連続架橋されて生じる負荷電3D格子骨格[Cd{Ag(CN)2}3]-は対イオンをK+としたとき三重の相互貫入構造を形成するが、15C5の存在下ではK+との錯形成によって生じたサンドイッチ型の[K(15C5)2]+を対イオンとする単一の格子骨格構造(図4)が生成する。[Rb(15C5)2]+を対イオンとしたときも同形構造が得られ、これらの陽イオン錯体間の隙間を埋めるようにベンゼン、トルエンなどの芳香族分子が包接される。KegginとMilesが推定したPrussianblue構造と位相幾何学的に同等な格子骨格は内部空間に相応の大きさの対イオンとゲスト分子を包接することにより維持され得ることが明らかになった。

図表図1 / 図2 / 図3 / 図4

 1〜5の構造に加え、[Ag(CN)2]-の縮合二量体である[Ag2(CN)3]-が関与した連続構造がL=4-Mepy、3,4-ルチジン、ピラジンのときに見出されたが、これは[Cd(CN)4]2-と同様に溶液内のシアノ基の解離平衡が骨格生成に直接的な影響を与える場合もあることを示す。以上に述べた構造は、様々な2次配位子を用いることにより[Ag(CN)2]-の形状を利用した多様なシアノ基架橋連続構造の構築と新規の包接体の開拓が可能であることを実証するものといえる。

審査要旨

 本論文は5章からなり,第1章序論は本研究の歴史的背景と本研究内容の概観,第2章は実験の部,第3章は決定された単結晶構造の記載,第4章は結果の検討,第5章は結論を述べている。

 第1章では,人類が最初に記載した配位化合物といわれるプルシアンブルーが,同じくシアノ基架橋3次元錯体の最初の例であるところから説き起こし,八面体6配位,正方平面4配位,四面体4配位などのシアノ金属酸イオンを構成要素とするシアノ基架橋多次元錯体に多くの例があるにも拘わらず,直線2配位ジシアノ銀酸イオンを構成要素とする例が極めて少ないところから,その系統的研究の重要性を指摘し,本研究の意義を明らかにしている。

 第2章では,本研究で新たに合成されたジシアノ銀酸カドミウム錯体の合成法の詳細を,利用した2次配位子8種,即ち,アンミン,ピリジン,ピコリン,ルチジン,アミノピリジン,ジピリジあるいはピラジン,イミダゾール,メターキシリレンジアミン,クラウンエーテルに従って分類し,記載すると共に,新化合物の単結晶X線回折実験の詳細を述べている。

 第3章は,決定された28種の結晶構造の詳細な記載であり,その分類と比較検討は第4章へ引き継がれる。構造要素は基本的に分子錯体あるいは単独錯イオン充填構造,1次元鎖状構造,2次元網目構造,3次元格子構造に大別されるが,個々の化合物によってそれらが組合わされた複合構造をとる。各化合物の化学組成はCd(CN)2・aAgCN・bL・cGのような比較的単純なものとなるが,複合構造には想像を絶するとでも形容できる前例を見ないものが多い。即ち,積層した2次元網目が1対互いに絡み合う3次元織物構造,一方の2次元網目の網目を他方の網目2枚が貫通し尚且つ芳香族分子を包接するゲストを含む3次元織物構造,隣接する網目上のカドミウムに配位した2次配位子が網目を貫通して積層する2次元層状構造,貫通した2次配位子の置換基が留金になって網目2枚が接着したような2次元層状構造,2枚の2次元網目が編み上げられた層の層内空間と層間空間に2次配位子が収まり,波状にうねる網目にゲスト分子が波に浮かぶ小舟のように包接される積層構造,2次元網目から突出した2次配位子が網目の上下に1次元鎖を1対抱き込んだ層状構造,3次元格子が2組互いに貫通した自己包接構造となる2重格子ならびに3組による3重格子,2次配位子が2重架橋して帯状構造をつくり,ジシアノ銀酸イオンが単座配位子として帯から突出して包接空間をつくる包接体,カドミウム原子を頂点とし,ジシアノ銀酸イオンが稜となるトポロジーとしては単純な歪んだ立方体中にビスークラウンエーテルアルカリ金属イオン錯体と1対の芳香族分子が包接される構造等,既知の無機化学及び有機化学構造には類例がほとんど見られない新規構造が得られている。また無機化学的には,ジシアノ銀酸イオンの2量体縮合イオンであるトリシアノジ銀酸イオンの固体中での存在が,本研究で初めて明らかにされた。

 これらの研究結果は,ジシアノ銀酸イオンという最も単純な棒状構造素材が,それが架橋する2次配位中心であるカドミウム原子上の2次配位子の適当な選択によって,極めて複雑であり,かつ多種多様な多次元構造を与える事実を明らかにしたものであり,結晶構造を人工的に設計合成して新固体化合物を合成するクリスタルエンジニアリングと称される材料科学の分野にも,基礎科学の分野から重要な情報を提供するものとなっている。

 以上のように,本論文はジシアノ銀酸イオン架橋多次元錯体の合成と構造解析における開拓的な研究結果を述べており,その精緻な実験と独創性を高く評価できる。よって審査委員会は,本論文提出者が博士(理学)の学位を受ける資格のあるものと判定した。本論文の内容は,一部は既に共著論文として印刷公表済みであり,他の部分も公表予定であるが,その主要部分は提出者の顕著な寄与によると判定された。

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