学位論文要旨



No 111698
著者(漢字) 福岡,宏
著者(英字)
著者(カナ) フクオカ,ヒロシ
標題(和) 遷移金属リン酸塩の研究
標題(洋) Study on Transition Metal Phosphates
報告番号 111698
報告番号 甲11698
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3062号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,太郎
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 助教授 上田,寛
内容要旨

 遷移金属のリン酸塩は、比較的共有性の高い金属-酸素結合を持つ非分子性固体化合物を形成する。これらのリン酸塩には、四面体のリン酸イオンが単独で含まれるオルトリン酸塩や、その四面体単位が脱水縮合することにより生じる縮合リン酸塩が知られている。近年、新規構造を有する4d、5d遷移金属のリン酸塩が多数合成され、混合原子価化合物、不定比化合物などの新しいタイプのリン酸塩が見いだされるようになった。これらの欠陥構造および混合原子価状態の結晶化学的解明は、固相化合物における構造化学の1テーマとして興味深い。また、4d、5d遷移金属のリン酸塩には、第一遷移系列元素のリン酸塩とは異なる独自の結晶構造をもつものが多くみられる。そこで私は4d,5d遷移金属を中心として、遷移金属リン酸塩の合成研究を行った。

第1章 新しいリン酸ルテニウムの合成と構造

 一般に、白金族化合物は反応性に乏しく、また適当な出発化合物がないために、リン酸塩があまり知られていない。初めてのリン酸ルテニウムRuP3O9(1)は1989年にリン酸と塩化ルテニウムとの反応によって合成された。これは直鎖のポリリン酸イオンを含むリン酸塩であり、意外なことに、四価ではなく三価のルテニウムのリン酸塩であった。本研究では、ルテニウムとリン酸の反応を更に研究することによって、様々なリン酸ルテニウムを合成し、その結晶構造の研究を行った。

 まずはじめに、扱いやすくて反応性に富んでおり、組成が一定しているルテニウムの反応試剤を探索した。その結果得られた非晶質リン酸ルテニウムは、組成が一定で安定であり、また多くの酸化剤と反応して様々なリン酸ルテニウムを生じることがわかった。

1.1RuP3O9の組成式をもつ新しい多形、Ru2P6O18,Ru(PO3)3の合成と構造解析

 塩化ルテニウムとリン酸の反応を金ボート中、400から500℃の温度領域で行ない、二つの新しいリン酸ルテニウムを得た。単結晶構造解析によって、それらは、6個のリン酸基が環状に縮合してできたシクロヘキサリン酸イオンを含むリン酸塩、Ru2P6O18(2)と、リン酸基が直鎖状に無限に縮合したポリリン酸イオンを含むリン酸塩、Ru(PO3)3(3)であることがわかった。3は八面体6配位のルテニウム(III)が、直鎖のポリリン酸イオンと三次元的に結合した新構造をもつ。それぞれの結晶構造を図1に示す。

図1、リン酸ルテニウムの結晶構造(a)Ru2P6O18 (b)Ru(PO3)3

 1,2,および,3はいずれもRuP3O9の組成式をもつ多形である。合成条件次第ではこれら1〜3の多形が同時に生成する。これら3つのリン酸塩の生成条件を詳しく検討した結果、各イオンの生成には組成比、温度のほかに、速度論的な要素が重要であることがわかった。例えば同じ温度で生成する1と3は、加熱時の昇温速度が速いと3が、遅いと1が主生成物となる。また、すばやく750℃以上に加熱すると、2,3は生成せず、1が単相で生成する。

1.2トンネル構造を持つ混合原子価リン酸塩、ARu2(P2O7)2A=Li,Na,Ag,□,and Cuの合成と構造

 3価と4価のルテニウムを含む混合原子価リン酸塩,NaRu2(P2O7)2(4)を合成し、粉末法によって構造を解析した。4は、RuO6とP2O7からなる基本骨格をもち、トンネル構造を有する。ナトリウムイオンはこのトンネル内に入っている。結晶構造を図2に示す。また、Li,Ag,およびCuについて、4と同形のリン酸塩を合成した。これらのトンネル内にはナトリウムの代わりに各金属イオンが入っており、この系は1価だけでなく2価のイオンもトンネル内に取り込めることが明らかになった。

 更にナトリウムの系では、欠陥構造を持つ同形化合物5が存在することがわかった。4軸X線構造解析により、5はルテニウムとナトリウムが部分的に欠損した構造を持つことが明らかになった。とくにルテニウムの欠損量は大きく、構造解析より得られた組成はNa0.88Ru1.75(P2O7)2である。これよりルテニウムの平均酸化数を計算すると4.1価となる。

 基本骨格を作るルテニウムの平均酸化数は、欠陥構造の系で約4価、1価のカチオンの系で3.5価、2価のCuの系では3価である。以上より本系はルテニウムの酸化数が変化することによって、非常に輻広いカチオンを同一構造内に取り込むことのできることが明らかになった。

1.3Ru-Si-P-O系における新しいリン酸ルテニウム

 石英とリン酸ルテニウムの高温での固相反応により、新化合物RuP3SiO11(6)、および(Ru,Si)P2O7(7)の単結晶を得た。6はP2O7とSi2O7単位が網目状に無限につながり、その網目構造がつくる八面体サイトにルテニウム(III)が位置した構造をもつ(図3)。SiO4単位はアニオンの一部となり、PO4単位と共にケイリン酸イオンを形成している。これに対して、7はケイ素がルテニウムとともに八面体サイトに入ったリン酸塩である。4価のルテニウムが、同じく4価のケイ素とともにピロリン酸イオンと結合し、ZrP2O7(Pa3)とほぼ同じ構造を形成している。

図表図2、NaRu2(P2O7)2の結晶構造 / 図3、RuP3SiO11の結晶構造
第2章リン欠陥構造を持ったリン酸ニオブ、リン酸タンタルの研究2.14価のニオブを含む立方晶ピロリン酸ニオブの合成と、そのリン欠陥構造の研究

 四価のニオブを含んだピロリン酸ニオブを初めて合成した。粉末X線回折により、これはピロリン酸ジルコニウム型と呼ばれる構造を有することがわかった。磁化率の測定によって、本化合物にはニオブの平均酸化数が異なる試料があることがわかり、何らかの不定比性を有することが確認された。たとえばニオブの平均酸化数が4.68価である試料は、真空下800℃で加熱することによって4.88価になり、更に酸素気流中で加熱することで5.0価のピロリン酸ニオブへと変化する。このニオブの酸化過程において、化合物の基本的な構造が保たれていることが粉末X線回折測定によって確認され、このことから、トポタクティックな酸化反応が生じていることがわかった。本化合物の不定比性は、この酸化過程に生じる変化によって引き起こされる。そこで、粉末X線回折を用いたリートベルト解析によって、この酸化過程の構造変化を説明するモデルを求めた。その結果、酸化にともなってリン原子が欠損してゆくモデル(リン欠陥モデル)が最もよく実測のパターン変化に対応することがわかった。欠損したリンは、おそらく五酸化二リンとなって系外に飛散したと思われる。リン酸塩において、リンのサイトが欠損することは、きわめて珍しい現象と言える。そこでこのモデルの妥当性を更に検討するために、ピロリン酸ニオブの酸化を窒素ガスフロー下で行い、導入したガスを全て蒸留水に通した。この蒸留水中のリン酸イオンを定量分析したところ、先のモデルより予想される値とほぼ同程度のリン酸イオンが検出された。以上の実験から、ピロリン酸ニオブの不定比性の原因は、リンの欠陥によるものであること、更にそれがトポタクティックに結晶中より抜けてゆくことを結論した。

2.2ピロリン酸ニオブの単結晶構造解析

 2.1で考察したピロリン酸ニオブの還元相の単結晶を合成し、4軸X線回折測定を行い、構造解析をした結果、リンが一部欠陥していることが確かめられた。

2.3新しいオルトリン酸ニオブ、オルトリン酸タンタルの合成

 Nb2(PO4)3の組成式を持つリン酸塩には、結晶構造が異なる二つの多形が存在する。それらはN-型、および欠陥B-型と呼ばれる結晶構造を持っている。

 このうち、欠陥B-型リン酸塩は5価のニオブのリン酸塩であるが、低酸化数の塩化ニオブを出発化合物にすることによって、欠陥のないB-型構造を持つリン酸ニオブを得ることができた。この化合物には4価のニオブが含まれている。いずれのリン酸塩も基本的にはB-型構造を持っており、このリン酸ニオブは不定比化合物であると考えられる。

 また、4価と5価のニオブを等量含むN-型リン酸ニオブを酸素中で加熱することによって、基本的にはN-型構造を持つが、5価のニオブのみを含む同形化合物が得られた。結晶構造が変わらずに、このような酸化数変化を示すことから、このリン酸ニオブはリン、またはニオブの欠陥を伴うと考えられる。タンタルの系でも、同様の欠陥構造を有すると思われるリン酸塩が得られた。これは欠陥構造を持つ初めてのリン酸タンタルである。

まとめ

 これまでリン酸塩がほとんど知られていなかったルテニウムの系について、様々な構造を持つ新しいリン酸塩を合成し、それらの結晶構造を解析した。また、ニオブ、タンタルの系において不定比、あるいは欠陥構造を示す化合物を見いだし、それらの構造を結晶化学的に解明した。以上の研究により、4d,5d遷移金属リン酸塩では欠陥構造や不定比性が系の理解において重要であることがわかった。

審査要旨

 本論文は2章からなり、第1章は新しいリン酸ルテニウムの合成と構造について述べられている。

 第1章の研究対象化合物であるリン酸ルテニウムは、本研究以前にはわずか一例しか報告されていない。 一般に白金族化合物はリン酸との反応性に乏しく、また適当な出発化合物化合物がないために、リン酸塩の合成は困難である。 リン酸ルテニウム合成を目的とする場合、取扱いが容易で反応性に富んだ、一定組成を有する出発化合物を得ることが肝要である。 種々検討の結果、塩化ルテニウムとリン酸の反応により生成する非晶質リン酸ルテニウムが組成が一定で安定であり多くの酸化剤と反応して新規結晶性リン酸ルテニウムを与えることが明らかになった。

 これらは既知のリン酸ルテニウム1と同組成Ru(PO3)3を有する2と3である。2は6個のリン酸基が環状に縮合してできたシクロヘキサリン酸イオンを含むものであり、3はリン酸基が直鎖上に無限に縮合したポリリン酸イオンを含むものである。 3は八面体6配位ルテニウム(III)が直鎖のポリリン酸イオンと三次元的に結合した新構造を持つ。 1、2、3は同じ組成の多形であり、合成条件次第では3種の混合物として生成するが、反応条件を詳細に検討した結果、反応物の組成比、温度、反応時間の適切な制御により、各化合物を単相として得ることが可能になった。

 カチオンA(Li,Na,Ag,Cu)が共存する反応系からは,ARu2(P2O7)2の組成の新リン酸塩が生成した。 NaRu2(P2O7)24はRuO6とP2O7から成る基本骨格を持ち、トンネル構造を有する。 ナトリウムはトンネル内にあり、3価と4価のルテニウムを含む混合原子価化合物である。 ナトリウム以外の金属の誘導体も同形である。ナトリウムとルテニウムが部分的に欠損した化合物Na0.88Ru1.75(P2O7)25も生成することが分かった。

 非晶質リン酸ルテニウムと石英を高温で反応すると新化合物RuP3SiO116および(Ru,Si)P2O77の単結晶を得た。 6はP2O7とSi2O7単位が網目状に無限に連結し、その網目構造の八面体サイトにルテニウム(III)が位置する構造を持つ。 これに対し7はケイ素がルテニウムと共に八面体サイトに入ったリン酸塩である。 ZrP2O7とほぼ同じ構造を形成している。

 第2章ではリン欠陥構造を持ったリン酸ニオブ、リン酸タンタルの研究が記述されている。

 4価のニオブを含むはじめてのピロリン酸ニオブを合成し、粉末法x線回折により、ピロリン酸ジルコニウム型構造であることを明らかにした。 磁化率の測定から、ニオブの平均酸化数が異なる不定比性の存在を推定した。 ニオブの平均酸化数が4.68価の試料は、真空下800℃に加熱すると4.88価になり、更に酸素気流中で加熱すると5.0価のピロリン酸ニオブに変化する。 ニオブの酸化過程において、基本構造は保持されることから、トポタクテイックな酸化反応が起こることが明らかになった。 粉末x線回折を用いたリートベルト解析によって、この酸化過程の構造変化を説明するモデルを提案した。 この結果リンが欠損するモデルが最適であることから、酸化過程においてP2O5として系外に出ることが推定され、実際飛散気体の分析から欠損リンを定量した。 単結晶解析も合わせておこない、リンの一部欠損を確認した。

 新しいオルトリン酸ニオブおよびタンタルを合成してこれらの構造解析から初めての欠陥構造のリン酸タンタルの存在を確認した。 この結果は4d,5d遷移金属リン酸塩では欠陥構造や不定比性が重要であることが示された。

 以上は、遷移金属リン酸塩化合物の化学において、特筆すべき重要なものであり、博士(理学)取得を目的とする研究の成果として十分であると審査委員会は全員一致で認めた。

 なお、本論文は、井本英夫氏、齋藤太郎氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって合成および構造解析をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク