学位論文要旨



No 111702
著者(漢字) 渡邊,総一郎
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ソウイチロウ
標題(和) 空孔内に官能基を有するカプセル型分子を用いた新規な反応場の開発
標題(洋) Synthesis of a Novel Reaction Field Based on Capsule-shaped Molecules Having Endohedral Functionalities
報告番号 111702
報告番号 甲11702
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3066号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡崎,廉治
 東京大学 教授 小林,啓二
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 中村,栄一
内容要旨

 近年、内部に空孔を有するカプセル型分子が注目を集めている。これらの化合物に対しては、主にホスト分子としての挙動に関心がもたれており、それらの空孔は専ら包接場としてとらえられてきた。一方で、図1に模式的に示すように空孔内に官能基を固定すれば、分子カプセルの内部という興味深い環境をその反応場として利用することができると考えられ、従来のカプセル型分子にない機能を有する分子の開発が可能になると期待される。また、この"mother molecule" の官能基と骨格の間の結合を選択的に切断すれば、母体の空孔内に"daughter molecule"を遊離させることができる。これは従来にない形式でのホストーゲスト錯体形成法であり、ホスト化合物にゲスト分子を取り込ませるという方法では合成できなかったような、新規な特質をもつ錯体を作り出せると考えられる。そこで本研究では、新規なカプセル型分子として1,2を設計、合成し、その特性について検討した。

図1 カプセル型分子の模式図1.新規なカプセル型分子の設計とその合成

 分子内に空孔を有し、骨格に結合した官能基をその内側に固定できる化合物として、1,2を設計した。カプセル型分子の構成要素としては、骨格を保持するために十分な剛直さを有すると考えられるレゾルシン[4]アレーンとm-テルフェニルを、またこれらを架橋するスペーサーとしてメタ置換ベンゼンユニットを用いた。カプセル型分子1,2は、前駆体3と5あるいは4と6のカップリング反応により合成した。炭酸カリウム存在下、N,N-ジメチルアセトアミド中、65℃で3と5を反応させたところ、6-15%の収率でカプセル型分子1が得られた。1には2種類の異性体、concave型(C)およびconvex型(V)が存在し、単離可能な生成物としては1a-gではV型が、1h,iではC型が選択的に得られることがわかった。これはR2の大きさによって、キャビティ容量の異なる2種の異性体を選択的に合成できることを意味しており、興味深い結果である。1H-NMRにおいて、V型の異性体では、骨格の芳香環のしゃへい効果によってR2に由来するシグナルが大きく高磁場シフトして観測されるのに対し、C型の異性体ではそのような変化がみられないことから、二つの異性体は容易に区別される。また、同様に4と6のカップリング反応により架橋部の酸素とメチレンが入れ替わった構造をもつ2a,cを、それぞれ34%、15%の収率で合成した。2aは1aと同様V型であったが、2cは1cと異なりC型の異性体として得られた。結合の順番によって得られた生成物の配座が異なることは、このカプセル型分子が骨格の微妙な変化に敏感であることを反映した結果である。

 

2.カプセル型分子の熱異性化反応

 1aのモデル化合物(R1=H)を用いた分子力場計算の結果によると、C型よりV型の方が安定であった。1h,iにおいてC型の異性体のみが得られたのは、R2の置換基の立体障害のためV型の構造をとりえないことが原因と考えられる。一方で、1a-gにおいてV型の異性体のみが得られた原因としては、これらの分子では2種類の異性体間の相互変換が可能で、反応初期の段階では両異性体が生成しているが、最終生成物としては熱力学的に安定なV型のみが得られた可能性がある。そこで、C型からV型への異性化について知見を得るために、室温で1i(C型)にテトラブチルアンモニウムフルオリド(TBAF)を作用させ、Ph3Si基を除去したところ、1a(C型)が生成した。1a(C型)は室温では安定であるが、1の合成条件である65℃においては1a(V型)に異性化することがわかった。C型からV型への異性化は不可逆で、重クロロホルム中での異性化反応の活性化パラメータは=21.9±0.4kcal・mol-1,=-9.0±1.0cal-K-1・mol-1であった。このように、1においては、R2位にPh3Si基や4-t-Bu-C6H4基などの異性化をブロックする置換基を用いることによりC型の異性体を、それより小さな置換基を用いることによりV型の異性体を、選択的に合成できることがわかった。

 

3.空孔内に固定された官能基の反応性

 C型の異性体のR3の置換基、およびV型の異性体のR2の置換基はこのカプセル型分子の空孔内に固定された構造をしており、その位置に官能基を導入したときの反応性に興味が持たれる。そこで、まず1e,1gについて、それぞれリチウムーハロゲン交換反応および還元反応の検討を行った。1eをTHF中ブチルリチウムと反応させたところ、骨格の開裂などの副反応を伴ったが、カプセル型骨格を保ったものとしては、約40%の1eを回収したのみであり、1aの生成は確認されなかった。このことは、空孔内の置換基が極めて不活性な環境にあることを示している。一方、1gを大過剰の([(CH3OCH2CH2O)2AlH2]Na)で処理したところ、約60%の原料回収と共に収率18%で対応するアルコール1jが得られた。カプセル型構造をもたない7を用いた対照実験においては、いずれの場合も反応は速やかに進行した。以上の結果から、空孔内では官能基の反応性が阻害を受けるが、条件によっては外部試剤との相互作用が可能であることがわかった。またこのことは、カプセル型分子が空孔内にある官能基に対し、立体保護基としても機能しうることを示しているといえる。

 

4.チオメチルアセチル基を有するカプセル型分子の溶液中での構造

 次に、カルボニル基の光反応による結合開裂を利用した錯体の生成ついて検討することを目的とし、R2位にCOCH2SCH3基を有する,2k(R1=n-Hex,R3=H)を収率18%で合成した。この官能基はNorrish II型の反応を起こしチオホルムアルデヒドとエノールに開裂することが知られており、2kの光反応によりチオホルムアルデヒドが"daughter molecule"として遊離した錯体が生成するものと期待される。また、反応後の"daughter molecule"および"mother molecule"の挙動についても興味が持たれる。

 これまでに合成した化合物とは異なり、2kは溶液中で、特異な挙動を示した。1H-NMRにおいて、重クロロホルム中ではR2のメチレンおよびメチル基がそれぞれ3.79,2.19にシグナルを与えたのに対し、重トルエン中では2.73,-1.22であり、前者はC型の異性体、後者はV型の異性体に相当する化学シフトであった。この化合物の溶液中での構造についてさらに知見を得るために、差NOEスペクトルの測定を行った。重トルエン中ではR2のメチレンおよびメチル基からスペーサー部分のベンゼン環に結合したメチレンおよびレゾルシン[4]アレーンのアセタール部等へのNOEが観測されたのに対し、重クロロホルム中では対応するNOEは観測されなかった。また、2kの溶液にシフト試薬(Eu(fod)3)を加えていくと、重クロロホルム中ではR2のメチレンおよびメチル基の化学シフトが低磁場側へとシフトするのに対して、重トルエン中ではほとんど変化がなかった。これらは、いずれもカプセル型分子2kが重クロロホルム中ではC型の構造をとる一方、重トルエン中ではCOCH2SCH3基が空孔に内包されたV型の構造をとっていることを支持している。また他のいくつかの溶媒中では、1H-NMRにおいて、二つの異性体が同時に観測された。2kの重トルエン溶液にクロロホルムや四塩化炭素を滴下していくとC型の異性体が増加していくのに対して、キシレンを加えても配座の変換は観測されないことから、2kは溶媒分子の大きさを認識してその配座を変えるということが示唆された。

5.カルボニル基の光反応による結合開裂を利用した錯体の生成

 2kがV型の構造をとる重トルエン中で光反応を行ったところ、対応するm-テルフェニル8kを用いた対照実験に比べ反応は速やかに進行し、エノール2lが安定な結晶として71%の収率で得られた。2lは位無置換のsimple enolとしては初めての単離例である。1H-NMRの解析結果から2lはV型の構造をとっており、2lの安定性の要因はカプセル型骨格の立体保護効果によるものと考えられる。2lの重クロロホルム溶液にトリフルオロ酢酸を添加すると熱力学的により安定なケト体へと異性化した。同時に発生するチオホルムアルデヒドは、共存させたDanishefsky’s dieneとのDiels-Alder付加体が加水分解したエノン9として得られた。光照射停止後7秒を経過した後、捕捉剤を加えても9の生成が確認されたことから、空孔内では室温でもチオホルムアルデヒドが7秒もの寿命を有することが分った。以上の結果から、本研究で設計、合成したカプセル型分子は特異な反応場と効果的な立体保護場を提供していることが明らかとなった。

 

審査要旨

 本論文は,5章からなっている。第1章は序論であり,第2〜6章において空孔内に官能基を有するカプセル型分子の合成とその新規反応場としての活用について述べている。

 第1章では,ホスト・ゲスト化学に関するこれまでの研究を内部に空孔を有するカプセル型分子の化学を中心に総括し,本研究の位置づけを適切に行っている。特に本論文の研究対象である図1に示されるようなカプセル型分子の特徴について述べている。

 第2章ではカプセル型分子1の合成,構造および反応性が述べられている。レゾルシノール4量体,メタ置換ベンゼン,m-テルフェニル骨格の3つの部分を結合させ,R2として,H,t-Bu,Br,Ph,CO2Me,4-t-BuC6H4,Ph3Si,R3としてHまたはIを持つ多種の1の誘導体が合成された。このうちR2として4-t-BuC6H4,Ph3Siをもつものはconcave(C)型,他のものについてはconvex(V)型であることがNMRスペクトルの解析により明らかとなった。これは,R2の種類によりカプセルの大きさの異なる2種の異性体を作り分けられることを意味し,興味深い結果である。またR2がSiPh3の場合には,SiPh3をテトラブチルアンモニウムフルオリドでHに変えることによりR2がHのC型分子が合成され,それがV型に不可逆的に変化することを見出した。これにより,C型およびV型分子の生成機構が明らかとなった。

図1 カプセル型分子の模式図

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 第3章では,第2章と同様の手法により,R2として,H,t-Bu,COCH2SCH3を持つカプセル分子2を合成した。このうち,R2としてチオメチルアセチル基(COCH2SCH3)を有する2は,溶液中で特異な挙動を示すことがNMRスペクトルの検討により明らかとなった。即ち,この化合物はクロロホルム中ではC型を,トルエン中ではV型をとり,トルエン溶液にクロロホルムや四塩化炭素を加えてゆくと次第にC型異性体の増加が見られた。この異性化は,キシレンの添加では起らないことから,このカプセル分子は溶媒分子の大きさを認識して配座を変えることができることが示された。

 第4章では,カプセル内に官能基をもつ1型分子の反応性について述べている。R2としてBrをもつ1は,n-ブチルリチウムとは全く反応せず,カプセル構造を持たない類似化合物の3が容易にリチオ化されるのと著しく対照的である。またR2としてCO2Meをもつ1の[(CH3OCH2CH2O)2AlH2]Naによる還元は対照化合物3に比し著しく遅いことが見出された。これらの事実は,置換基R2がキャビティにより効率よく保護されていることを示している。

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 第5章では,チオメチルアセチル基を有する2型カプセル分子の光反応について述べている。チオメチルアセチル基は光照射によりNorrishII型反応を行い,エノールとチオホルムアルデヒドを与える可能性がある。このカプセル分子を重トルエン中光照射したところ,対応するm-テルフェニル4を用いた対照実験に比べ反応は速やかに進行し,エノール5が安定な結晶として得られた。5は-位に水素置換基をもつエノールの最初の単離例である。また,カプセル内に発生したチオホルムアルデヒドは,カプセル中で7秒もの寿命を有することが示され,このカプセル分子が極めて不安定な化学種を安定化させるのに適した反応場を提供することが明らかとなった。チオホルムアルデヒドはカプセルからぬけ出し,ジエンにより捕捉できることも示された。

 なお,本論文の第2〜6章は,岡崎廉治氏.川島隆幸氏,後藤 敬氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって合成,構造解析,反応性の検討を行ったので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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