学位論文要旨



No 111709
著者(漢字) 加納,純子
著者(英字)
著者(カナ) カノウ,ジュンコ
標題(和) 分裂酵母の窒素源飢餓によるG1期増殖停止に関する研究
標題(洋)
報告番号 111709
報告番号 甲11709
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3073号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 講師 武藤,裕
内容要旨 研究目的

 細胞は増殖に必要な条件が満たされていれば、細胞周期を回って増殖を続ける。しかし、栄養が枯渇したり増殖抑制因子が存在する場合、細胞はG1期において増殖を停止する。条件が整えば、そこから分化の過程へ移行することもある。このように様々な環境を認識して増殖をコントロールする能力は、生物が正常に生育し、存続していくために必要不可欠であると考えられる。単細胞真核生物である分裂酵母(Schizosaccharomyces pombe)は、培地中の栄養源、中でも特に窒素源が枯渇すると細胞周期のG1期において増殖を停止し(G1 arrest)、その後条件が整えば有性生殖(接合・減数分裂・胞子形成)を開始する。このG1期における増殖停止は、体細胞分裂から有性生殖へと分化する過程の最初の重要なステップであるにも関わらず、その詳しい機構は明らかにされていない。本研究では、分裂酵母の窒素源飢餓によるG1期増殖停止機構を解明することを目的とし、それに関与する遺伝子を単離・解析した。

研究結果

 まず、当研究室の大杉らによって単離されていた、窒素源飢餓によるG1 arrestが阻害されている可能性のある21株の変異株の中から、さらにスクリーニングをやり直すことにより明らかな表現型をもつgad7 mutant(gad:G1 arrest defective)を選別した。gad7遺伝子をクローニングしたところ、566アミノ酸からなるタンパク質をコードしていることがわかった。gad7遺伝子破壊株は窒素源飢餓によるG1 arrestが阻害されており、接合・胞子形成も抑えられていた。

 gad7遺伝子破壊株が窒素源飢餓によってG1 arrestできない原因を調べるため、G2期からM期への移行に異常があるwee1-50変異をgad7破壊株に導入した。gad7 wee1-50二重変異株は窒素源飢餓によってG1 arrestできるようになった。このことから、gad7破壊株は基本的にはG1期において増殖を停止する能力を備えているものの、窒素源飢餓条件下においてG2期からM期への移行に欠陥があるために正常にG1 arrestできないのではないかと考えられた。gad7 wee1-50二重変異株はG1 arrestすることはできたが、gad7破壊株と同様に有性生殖に必要な遺伝子の発現が阻害されていたため、接合・胞子形成が抑えられていた。このことから、gad7は窒素源飢餓による「G1 arrest」と「遺伝子発現」という2つの事象において重要な機能を果たしていると考えられた。

 gad7遺伝子産物の予想されるアミノ酸配列は、転写因子であるhumanのATF-2/CRE-BP1とbZIP(basic-leucine zipper)domainにおいて36.2%の相同性をもっていた。ATF-2はTGACGTCAというCRE(cAMP response element)motifに結合することが知られているので、Gad7も同様なDNA結合活性をもつかどうか調べた。ゲルシフトアッセイより、Gad7はCRE motifに特異的に結合する活性をもつことがわかった。

 分裂酵母pcr1遺伝子は当研究室の渡邊がgad7とは異なるスクリーニングにより単離したものであり、bZIP domainをもつタンパク質をコードしている。pcr1遺伝子破壊株の表現型はgad7遺伝子破壊株のそれと非常に似ており、Gad7とPcr1は類似したDNA結合特異性をもっていた。さらに免疫沈降実験より、Gad7とPcr1が細胞内で複合体を形成していることが明らかとなった。一般にbZIP domainをもつタンパク質は、leucine zipper部分を介して自分自身あるいは他のbZIPタンパク質とダイマーを形成して転写因子として機能すると考えられている。以上の結果より、Gad7とPcr1は細胞内でヘテロダイマーを形成し、CRE motifをもつ遺伝子の転写を制御していることが示唆された。

 窒素源飢餓によるgad7の発現の変化をWestem blottingにより調べた。窒素源存在下では3本のGad7タンパク質のバンドが見られたが、窒素源飢餓によりそれらのバンドは次第に減少し、代わってさらに泳動度の大きいバンドが1本現れた。フォスファターゼ処理を行うことにより、このような泳動度の変化はGad7タンパク質のリン酸化によるものであることがわかった。そこで、様々な遺伝子破壊株におけるGad7のリン酸化状態について調べたところ、Gad7のリン酸化はPkal(the catalytic subunit of A-kinase)やWisl(osmosensing MAP kinase kinase)によって制御を受けている可能性が示唆された。

 まず、pka1とgad7の関係について調べた。pka1遺伝子破壊株は有性生殖の開始が脱抑制されており、栄養豊富な培地においても接合・胞子形成を行う。gad7pka1二重破壊株の表現型はgad7破壊株のそれとほぼ同じであったことから、gad7はpka1の下流で負に制御されている、あるいは両者は独立な経路で機能していると考えられた。次に、Gad7がin vitroでPka1の基質になり得るかどうか調べた。免疫沈降したHA-Pka1とGST-Gad7融合タンパク質を用いてin vitroリン酸化アッセイを行ったところ、Gad7の466番目のセリンがリン酸化されることがわかった。しかし、この部位におけるリン酸化がin vivoでのGad7の活性制御において重要かどうかは現在までのところ不明である。

 次に、wis1とgad7の関係について調べた。wis1は細胞分裂の際の細胞長を制御していると考えられており、その遺伝子破壊株ではG2期からM期への移行が遅延し、細胞が伸長する。また、wis1破壊株は接合・胞子形成が抑えられている。gad7破壊株とwis1破壊株の表現型を比較したところ、窒素源飢餓によるG1 arrestが阻害されている、有性生殖に必要な遺伝子の発現が抑えられている、高浸透圧感受性であるなどの点において類似していた。これらのこと、およびATF-2がMAP kinase familyに属するJNKによってリン酸化されるということから、Wis1 MAP kinaseカスケードがGad7の活性を正に制御している可能性が示唆された。

考察

 以上の結果より、gad7は窒素源飢餓によるG1 arrestと有性生殖に必要な遺伝子発現において重要な機能を果たしていることが明らかとなった。分裂酵母では、これまでに窒素源飢餓によるG1 arrestに関与していると思われる遺伝子、ste13、nuc2、rum1が単離されているが、いずれもgad7と直接関係しないと思われる。従って、分裂酵母における窒素源飢餓によるG1 arrestには複数のシグナル経路が関与していることが予想される。本研究の結果より、既に単離されていたPka1とWis1がGad7の活性制御に関与している可能性が示唆された。転写因子であるhumanのc-Junは、JNKによってリン酸化されることにより正に制御され、やはりMAP kinase familyに属するERK1およびERK2によってリン酸化されることにより負に制御されることが知られている。これと同様に、Gad7はPka1によって負に制御され、Wis1によって正に制御されているのかもしれない。分裂酵母では、Pka1は主に栄養豊富な条件下において活性化されていると考えられている。従って、Pka1は体細胞分裂期においてGad7を直接または間接的にリン酸化して負に制御することにより、有性生殖の開始を阻害している可能性が考えられる。humanのATF-2はMAP kinase familyに属するJNKによってリン酸化されるので、Wis1 MAP kinaseカスケードがGad7を制御しているのであれば、Gad7はWis1の下流で機能しているMAP kinaseであるSty1によってリン酸化されるのではないかと思われる。gad7破壊株とwis1破壊株の表現型は部分的に類似しているが、他の点においては異なっている。従って、Sty1 MAP kinaseのターゲットは複数存在していると考えられる。Pka1に関しても同様に、有性生殖の開始に必要な複数のタンパク質をリン酸化して負に制御しているのではないかと考えられる。今後、Gad7の活性制御機構について解析を進めることにより、分裂酵母が増殖から分化へ移行する過程における複雑なシグナル伝達機構がさらに明らかになっていくことが期待される。

審査要旨

 本研究で申請者は、分裂酵母の窒素源飢餓によるG1期増殖停止機構を解明することを目的とし、それに関与する遺伝子を単離・解析した。

 細胞は増殖に必要な条件が満たされていれば、細胞周期を回って増殖を続ける。しかし、栄養が枯渇したり増殖抑制因子が存在する場合、細胞はG1期において増殖を停止する。条件が整えば、そこから分化の過程へ移行することもある。このように様々な環境を認識して増殖をコントロールする能力は、生物が正常に生育し、存続していくために必要不可欠であると考えられる。単細胞真核生物である分裂酵母(Schizosaccharomyces pombe)は、培地中の栄養源、中でも特に窒素源が枯渇すると細胞周期のG1期において増殖を停止し(G1 arrest)、その後条件が整えば有性生殖(接合・減数分裂・胞子形成)を開始する。このG1期における増殖停止は、体細胞分裂から有性生殖へと分化する過程の最初の重要なステップであるにも関わらず、その詳しい機構は明らかにされていない。

 申請者はまず、当研究室において先に単離されていた、窒素源飢餓によるG1 arrestが阻害されている可能性のある21株の変異株の中から、さらにスクリーニングをやり直して表現型の明らかなgad7 mutant(gad:G1 arrest defective)を選別した。常法にしたがってgad7遺伝子をクローニングしたところ、566アミノ酸からなるタンパク質をコードしていることがわかった。gad7遺伝子破壊株は窒素源飢餓によるG1 arrestが阻害されており、接合・胞子形成も抑えられていた。

 次いで申請者はgad7遺伝子破壊株が窒素源飢餓によってG1 arrestできない原因を調べるため、G2期からM期への移行に異常があるwee1-50変異をgad7破壊株に導入した。gad7 wee1-50二重変異株は窒素源飢餓によってG1 arrestできるようになった。このことから、gad7破壊株は基本的にはG1期において増殖を停止する能力を備えているものの、窒素源飢餓条件下においてG2期からM期への移行に欠陥があるために正常にG1 arrestできないのではないかと考た。gad7 wee1-50二重変異株はG1 arrestすることはできたが、gad7破壊株と同様に有性生殖に必要な遺伝子の発現が阻害されていたため、接合・胞子形成が抑えられていた。このことから、gad7は窒素源飢餓による「G1 arrest」と「遺伝子発現」という2つの事象において重要な機能を果たしている遺伝子であると考えられた。

 申請者はgad7遺伝子産物の予想されるアミノ酸配列が、転写因子であるヒトのATF-2/CRE-BP1とbZIP(basic-leucine zipper)domainにおいて36.2%の相同性をもつことを見いだした。ATF-2はTGACGTCAというCRE(cAMP response element)motifに結合することが知られているので、ゲルシフトアッセイより調べたところ、Gad7はCRE motifに特異的に結合する活性をもつことがわかった。

 分裂酵母pcr1遺伝子は、申請者と同じ研究室の渡邊が別種のスクリーニングにより単離した、Gad7とは異なるbZIPタンパク質をコードする遺伝子である。pcr1遺伝子破壊株の表現型はgad7遺伝子破壊株のそれと似かよっており、Gad7とPcr1は類似したDNA結合特異性をもつことが申請者により示された。申請者はさらに免疫沈降実験より、Gad7とPcr1が細胞内で複合体を形成していることを明らかにした。一般にbZIP domainをもつタンパク質は、leucine zipper部分を介して自分自身あるいは他のbZIPタンパク質とダイマーを形成して転写因子として機能すると考えられている。申請者は免疫沈降実験を行ってGad7とPcr1が細胞内で複合対を形成していることを証明し、それらがヘテロダイマーとなってCRE motifをもつ遺伝子の転写を制御している可能性を示した。

 申請者が窒素源飢餓によるgad7遺伝子産物の変化をWestern blottingにより調べたところ、窒素源存在下では電気泳動で3本のGad7タンパク質のバンドが見られたが、窒素源飢餓によりそれらのバンドは次第に減衰し、代わってさらに泳動度の大きいバンドが1本現れた。フォスファターゼ処理を行うことにより、このような泳動度の変化はGad7タンパク質のリン酸化によるものであることが示された。そこで、様々な遺伝子破壊株におけるGad7のリン酸化状態について調べたところ、以下のように、Gad7のリン酸化はPka1(cAMP-dependent protein kinase)やWis1(osmosensing MAP kinase kinase)によって制御を受けている可能性が示唆された。

 申請者はpka1とgad7の関係について調べた。pka1遺伝子破壊株は有性生殖の開始が脱抑制されており、栄養豊富な培地においても接合・胞子形成を行う。gad7 pka1二重破壊株の表現型はgad7破壊株のそれとほぼ同じであったことから、gad7はpka1の下流で負に制御されているか、あるいは両者は独立な経路で共通の機能を制御していると考えられた。次に、Gad7がin vitroでPka1の基質になり得るかどうか調べた。免疫沈降したHA-Pka1とGST-Gad7融合タンパク質を用いてin vitroリン酸化アッセイを行ったところ、Gad7の466番目のセリンがリン酸化されることがわかった。しかし、この部位におけるリン酸化がin vivoでのGad7の活性制御において意味をもつかどうかは結論できなかった。

 申請者は次にwis1とgad7の関係について調べた。wis1は細胞分裂の際の細胞長を制御していると考えられており、その遺伝子破壊株ではG2期からM期への移行が遅延し、細胞が伸長する。また、wis1破壊株は接合・胞子形成が抑えられている。gad7破壊株とwis1破壊株の表現型を比較したところ、1)窒素源飢餓によるG1 arrestが阻害されている、2)有性生殖に必要な遺伝子の発現が抑えられている、3)高浸透圧感受性であるなどの点において類似が認められた。wis1株ではGad7の電気泳動度が大きくなっており、リン酸化が起きていない可能性が考えられた。これらの観察、およびATF-2がMAP kinase familyに属するJNKによってリン酸化されるということとの類似性から、申請者はWis1 MAP kinaseカスケードがGad7の活性を正に制御している可能性を提唱している。

 以上、申請者の得た結果より、gad7は窒素源飢餓によるG1 arrestと有性生殖に必要な遺伝子発現において重要な機能を果す遺伝子であることが明らかとなった。分裂酵母では、これまでに窒素源飢餓によるG1 arrestに関与していると思われる遺伝子、ste13、nuc2、rum1が単離されているが、gad7はこれらのいずれとも直接関係しないと思われ、分裂酵母における窒素源飢餓によるG1 arrestにはいくつものシグナル経路が関与していると予想される。本研究の結果より、Pka1とWis1の2つのタンパク質リン酸化酵素がGad7の活性制御に関与している可能性が示唆された。転写因子であるhumanのc-Junは、JNKによってリン酸化されることにより正に制御され、やはりMAP kinase familyに属するERK1およびERK2によってリン酸化されることにより負に制御されることが知られている。これと同様に、Gad7はPka1によって負に制御され、Wis1によって正に制御されている可能性が本研究により明らかとなった。分裂酵母では、Pka1は主に栄養豊富な条件下において活性化されていると考えられている。従って、Pka1は体細胞分裂期においてGad7を直接または間接的にリン酸化して負に制御することにより、有性生殖の開始を阻害している可能性が考えられる。humanのATF-2はMAP kinase familyに属するJNKによってリン酸化される。Wis1 MAP kinaseカスケードがCad7を制御しているのであれば、Gad7はWis1の下流で機能しているMAP kinaseであるSty1によってリン酸化されると思われる。ただしgad7破壊株とwis1破壊株の表現型は部分的に類似しているが、他の点においては異なっているため、Sty1 MAP kinaseのターゲットは複数存在していると申請者は推論している。Pka1に関しても同様に、有性生殖の開始に必要な複数のタンパク質をリン酸化して負に制御しているのではないかと考えられ、Gad7は標的のひとつであろうと推論している。

 以上、申請者の研究成果は、分裂酵母が増殖から分化へ移行する過程における複雑なシグナル伝達機構を解き明かす大きな足掛かりを築いたものであるということができ、申請者は博士(理学)の称号を得るに値するものと委員会は全員一致で判断した。なお、共同研究としてなされた部分について、申請者が最も主要に寄与していることを確認済みである。

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