学位論文要旨



No 111710
著者(漢字) 小迫,英尊
著者(英字)
著者(カナ) コサコ,ヒデタカ
標題(和) アフリカツメガエルの卵成熟過程におけるMAPキナーゼキナーゼの機能
標題(洋)
報告番号 111710
報告番号 甲11710
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3074号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 講師 飯野,雄一
内容要旨

 酵母から浦乳類に至る真核生物に普遍的に存在するMAPキナーゼ(mitogen-activated protein kinase)は、増殖・分化などを誘導する様々な細胞外刺激によって共通に活性化し、Ras、Raf-1、Mosといった癌遺伝子産物の下流で活性化する分子量40〜45kDaのセリン/スレオニンキナーゼである。MAPキナーゼがc-MycやElk-1などの転写因子をリン酸化して活性制御することが示唆されており、また活性化したMAPキナーゼの細胞質から核内への移行が観察されることから、細胞膜上での受容体のリガンドとの結合から核内での遺伝子発現に至る、細胞内シグナル伝達経路の中枢にMAPキナーゼが位置していると考えられている。MAPキナーゼが活性化するためにはスレオニン残基とチロシン残基の両方にリン酸化を受けることが必要である。この活性化に必要なリン酸化部位であるTEYを含むキナーゼサブドメインVIIとVIIIの間のアミノ酸配列は、MAPキナーゼファミリーに特徴的で、かつ非常によく保存されている。以前当研究室において、大腸菌に発現させ精製したMAPキナーゼに対し、in vitroでスレオニン及びチロシンリン酸化を誘導して活性化させる蛋白質因子(即ちMAPキナーゼ活性化因子)として、アフリカツメガエル(Xenopus laevis、以下ツメガエル)の成熟卵より分子量45kDaの単一ポリペプチドであるMAPキナーゼキナーゼ(以下MAPKK)が同定、精製された。本論文において、MAPKKはセリン、スレオニン、チロシン残基全てに対する分子内自己リン酸化活性を有し、MAPキナーゼのスレオニン残基及びチロシン残基をリン酸化することから、新しいタイプのプロテインキナーゼ、dual specificity kinaseであることを明らかにした。精製蛋白質の部分アミノ酸配列からツメガエルMAPKKのcDNAクローニングを行い、推測されるアミノ酸配列を比較したころ、プロテインキナーゼのコンセンサス配列を全て含むこと、そして酵母の接合過程で機能する遺伝子産物などと高い相同性を有することが判明した。この遺伝子産物(MAPKKホモログ)の下流にMAPキナーゼホモログが存在することがすでに遺伝学的に示されていたので、MAPKK→MAPキナーゼというキナーゼカスケード(MAPキナーゼカスケード)が真核生物の細胞内シグナル伝達において普遍的に機能していることが示唆された。

 ツメガエルの卵母細胞(未成熟卵)は第一減数分裂の前期で停止しており、黄体ホルモンであるプロゲステロンの刺激を受けると減数分裂を再開始し、GVBD(germinal vesicle breakdown、卵核胞崩壊)を経て第二減数分裂中期まで進行して成熟卵となり、受精まで分裂中期で停止した状態となる。この卵成熟過程において、MAPキナーゼ及びMAPKKがプロゲステロン刺激によって顕著に活性化し、第二減数分裂中期で停止した成熟卵においても活性が持続しており、受精によって速やかに失活することが見い出されていた。十分に成長したステージVIの未成熟卵は直径1.2mm〜1.4mm、体積約11に達するため、微量注入を容易に行うことが可能である。そこで以下のように抗MAPKK中和抗体の作製を行い、これを微量注入することによって卵成熟過程におけるMAPKKの重要性を明らかにした。

 大腸菌に発現させ精製したツメガエルMAPKKに対する抗体を多数作製し、その中でツメガエルMAPKKの活性をin vitroで強力にかつ特異的に阻害するマウスポリクローナル抗体を見い出した。この抗MAPKK中和抗体はin vitroキナーゼアッセイにおいて濃度依存的にMAPKK活性のみを阻害し、MAPキナーゼやH1キナーゼ活性は阻害しなかった。またツメガエル未成熟卵より調製した無細胞抽出液にMAPKKを活性化するプロテインキナーゼの一つであるMos蛋白質を添加してインキュベートしたところ、MAPキナーゼの活性化が起きたが、抽出液にあらかじめ抗MAPKK中和抗体を加えておいてからMos蛋白質を添加したところMAPキナーゼの活性化が阻害されていた。従って、無細胞系においてMosはMAPKKを介してMAPキナーゼを活性化することが示された。この中和抗体を細胞内に導入すれば、ツメガエルのシグナル伝達経路におけるMAPKKの下流のシグナルのみを阻害することができるので、様々な細胞応答におけるMAPKKの機能を解析することができると期待された。

 そこで、抗MAPKK中和抗体またはコントロールのマウスIgGをツメガエル未成熟卵に微量注入した後、プロゲステロンを添加し、一定時間後に卵から抽出液を調製してそのMAPキナーゼ活性を測定したところ、中和抗体を微量注入した卵ではコントロールのIgGを微量注入した卵に比べて、プロゲステロン刺激によるMAPキナーゼの活性化が強く阻害されていた。この実験結果は、in vitroにおけるMAPキナーゼ活性化能を指標として単離されたMAPKKが、in vivoにおいてもMAPキナーゼの活性化を担っていることを明確に示したものである。さらに、このときMAPキナーゼだけでなく、プロゲステロン刺激によるH1キナーゼの活性化も抗MAPKK中和抗体によって阻害され、卵成熟開始の指標となるGVBDも阻害されることが判明した。従って、H1キナーゼ活性を有し、GVBDを直接引き起こすMPF(maturation promoting factor、卵成熟促進因子;p34cdc2キナーゼとサイクリンBの複合体)の活性化が中和抗体によって阻害されたと考えられた。また、プロゲステロンによるGVBDの誘導に必要かつ十分であるMos蛋白質を、抗MAPKK中和抗体と共に微量注入した未成熟卵では、Mos蛋白質と共にコントロールのIgGを微量注入した卵に比べて、MAPキナーゼの活性化及びGVBDの誘導が阻害されることも判明した。以上の結果から、卵成熟の開始にMAPKKの活性が必要であり、プロゲステロン→Mos→MAPKK→MAPキナーゼ→MPFというシグナル伝達経路の存在が示唆された。

 Mos蛋白質は、卵成熟の開始因子としての機能だけでなく、CSF(細胞分裂抑制因子)の分子的実体として、成熟卵(未受精卵)を第二減数分裂中期で停止させる機能も有することが知られていた。そこで抗MAPKK中和抗体を用いて、Mosが分裂中期停止を引き起こす上でMAPKKの活性が必要であるかどうか検討した。2細胞期のツメガエル胚の一方にMos蛋白質と共にコントロールのIgGを微量注入したところ、胚の大部分の領域が分裂中期で停止し、残りの領域は通常と同じく卵割を繰り返した。一方、Mos蛋白質と共に抗MAPKK中和抗体を微量注入したところ、分裂中期停止はほとんど起こらなくなるか、あるいはごく限定された領域だけとなった。このとき、微量注入した1個1個の胚について分裂中期停止の度合とMAPキナーゼの活性化の程度を検討したところ、強い相関関係がみられた。従って、ツメガエルの卵成熟過程においてMAPKKは、プロゲステロンによって誘起される卵成熟開始へのシグナル伝達に中心的な役割を果たすと共に、卵成熟の完了した未受精卵を第二減数分裂中期で停止させる機能も担っていることが示唆された。

 M13ファージの表面に一本鎖抗体(scFv)を提示させ、特異的モノクローナル抗体を作製するシステムは、107以上ものクローンを迅速にスクリーニングでき、人為的突然変異による親和性の改変も容易に行える方法である。そこでこのシステムを用いて、ツメガエルMAPKKに対する中和抗体のモノクローナル化を行った。大腸菌に発現させ精製したMAPKKを用いてマウスを免疫し、その脾臓からRT-PCRによって抗体のVHとVLをコードするDNA断片を得て、M13表面提示ファージミドベクターに挿入してcombinatorial libraryを構築した。このlibraryをスクリーニングすることによって、精製MAPKKに強く結合する4クローンの一本鎖抗体を得た。これら4クローンともツメガエル卵粗抽出液に対するイムノプロットにおいて、45kDaのMAPKKと特異的に反応した。この中の3クローンはMAPKKのN末端領域をエピトープとしており、in vitroでMAPKK活性を強く阻害することが判明した。各クローンのVHとVLのDNA配列を決定し、推測されるアミノ酸配列を比較したところ、VHのCDR3に中和活性を有する3クローンで保存されたアスパラギン酸が見い出された。そこで1クローンについてこの残基をリジンに置換したところ、中和活性が野生型の約1/9に減少した。この変異型scFvあるいは野生型scFvをツメガエル未成熟卵に微量注入したところ、Mosによって誘導されるMAPキナーゼとH1キナーゼの活性化及びGVBDが変異型scFvでは顕著に起こったが、野生型scFvでは強く阻害された。従って、卵成熟開始へのシグナル伝達におけるMAPKKの重要性が強く支持されるとともに、このM13表面提示ファージミドベクターを用いて一本鎖抗体を作製するシステムが、シグナル伝達因子の細胞内機能を解析する上で有用な手段となりうることが示されたと考えられる。

審査要旨

 MAPキナーゼは、様々な細胞外刺激によって共通に活性化するセリン/スレオニンキナーゼであり、細胞内シグナル伝達経路の中枢に位置していると考えられている。MAPキナーゼが活性化するためにはスレオニン残基とチロシン残基の両方にリン酸化を受けることが必要であり、in vitroでこの両リン酸化を誘導して活性化させる上流因子として、アフリカツメガエル(以下ツメガエル)の成熟卵より分子量45KのMAPキナーゼキナーゼ(以下MAPKK)が同定、精製されていた。ツメガエルの未成熟卵は第一減数分裂の前期で停止しており、プロゲステロンの刺激を受けると減数分裂を再開始し、GVBD(卵核胞崩壊)を経て第二減数分裂中期まで進行して成熟卵となる。この卵成熟過程において、MAPキナーゼ及びMAPKKが顕著に活性化することが見い出されていた。本論文は1章からなり、得られた結果は8部に分けて述べられている。

 第1部で論文提出者は、MAPKKのN末端ペプチドに対するウサギポリクローナル抗体の作製を行い、これを利用してMAPKKがセリン、スレオニン、チロシン残基全てに対する自己リン酸化活性を有することを示し、MAPKKがdual specificity kinaseであることを第2部で明らかにした。第3部では、ツメガエルMAPKKのcDNAクローニングを行い、酵母の接合過程で機能する遺伝子産物などと高い相同性を有することを見い出した。この遺伝子産物の下流にMAPキナーゼホモログが存在することがすでに遺伝学的に示されていたので、MAPKK→MAPキナーゼというキナーゼカスケードが真核生物の細胞内シグナル伝達において普遍的に機能していることが示唆された。

 そこで第4部で論文提出者は、大腸菌に発現させたツメガエルMAPKKに対するマウスポリクローナル抗体を作製し、この抗MAPKK抗体がin vitroにおいて濃度依存的にMAPKK活性のみを阻害することを示した。第5部において、この抗MAPKK中和抗体またはコントロールのマウスIgGをツメガエル未成熟卵に微量注入したところ、中和抗体を微量注入した卵ではプロゲステロン刺激によるMAPキナーゼの活性化が強く阻害されていた。さらに、このときH1キナーゼの活性化やGVBDも抗MAPKK中和抗体によって阻害されることが判明した。従って、MPF(卵成熟促進因子)の活性化が中和抗体によって阻害されたと考えられた。また、Mos蛋白質を抗MAPKK中和抗体と共に微量注入した未成熟卵では、MAPキナーゼの活性化及びGVBDの誘導が阻害されることも第6部で明らかにした。以上の結果から、卵成熟の開始にMAPKK活性が必要であることが示唆された。

 Mos蛋白質は、卵成熟の開始因子としての機能だけでなく、CSF(細胞分裂抑制因子)の分子的実体として、成熟卵を第二減数分裂中期で停止させる機能も有することが知られていた。そこで第7部において、Mosが分裂中期停止を引き起こす上でMAPKK活性が必要であることを抗MAPKK中和抗体を用いて明らかにした。従って、ツメガエルの卵成熟過程においてMAPKKは、プロゲステロンによって誘起される卵成熟開始へのシグナル伝達に中心的な役割を果たすと共に、卵成熟の完了した未受精卵を第二減数分裂中期で停止させる機能も担っていることが示唆された。

 第8部で論文提出者は、M13ファージの表面に一本鎖抗体(scFv)を提示させ、特異的モノクローナル抗体を作製するシステムを用いて抗MAPKK中和抗体のモノクローナル化を行った。精製MAPKKに強く結合する4クローンの一本鎖抗体の中で、3クローンはMAPKKのN末端領域をエピトープとし、in vitroでMAPKK活性を強く阻害することが判明した。各クローンのVHとVLのDNA配列を決定したところ、VHのCDR3に中和活性を有する3クローンで保存されたアスパラギン酸が見い出された。そこで1クローンについてこの残基をリジンに置換したところ、中和活性が野生型の約1/9に減少した。この変異型scFvあるいは野生型scFvをツメガエル未成熟卵に微量注入したところ、Mosによって誘導される卵成熟が変異型scFvでは顕著に起こったが、野生型scFvでは強く阻害された。従って、卵成熟開始へのシグナル伝達におけるMAPKK活性の重要性が強く支持されるとともに、このシステムが、シグナル伝達因子の細胞内機能を解析する上で有用な手段となりうることが示されたと考えられる。

 以上、本論文で論文提出者が新たに見い出した知見は博士(理学)の学位を得るに値するものと本委員会は全員一致で判断した。なお、共同研究としてなされた部分について、論文提出者が最も主要に寄与していることを確認済みである。

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