学位論文要旨



No 111713
著者(漢字) 舘野,賢
著者(英字)
著者(カナ) タテノ,マサル
標題(和) クラスIアミノアシルtRNA合成酵素によるtRNA認識の分子機構 : コンピュータモデリングおよび分子動力学シミュレーションによる研究
標題(洋)
報告番号 111713
報告番号 甲11713
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3077号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 渡辺,公綱
内容要旨

 アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)は,特異的なアミノ酸とtRNAとをきわめて厳密に識別し,ATPのエネルギーを用いることによってこれらを結合する。aaRSによるこうした厳格な基質認識が,遺伝情報の正確な翻訳のために必須のものであることから,その詳細な機構を明らかにすることは,生体高分子の精密な分子認識によるその機能発現機構の解明において,重要なターゲットである。

 近年我々の研究室において,高度好熱菌グルタミルtRNA合成酵素(GluRS)の立体構造が,X線結晶構造解析により解明された(酵素単体の構造解析)。これによって,大腸菌グルタミニルtRNA合成酵素(GlnRS)の立体構造(tRNAGlnとの複合体で解明された)との著しい類似性(両者のN端側にある活性部位ドメイン)が明らかになると共に,方でC端側のドメインについては,逆にまったく異質な構造をもつことが明らかになった(1)。さらに大腸菌の系を用いて,GluRSによる特異的なtRNAの認識部位(アイデンティティ決定因子)が検索された(2)。その結果,アクセプタステム(C1・G72,U2・A71),アンチコドンアーム(U34,U35,C36,A37)以外に,Dステム(U11・A24,U13・G22)にもtRNAGluのアイデンティティ決定因子の存在することが明らかになった。しかしながら,GluRS・tRNAGlu複合体の立体構造が解明されていないために,原子解像度におけるそれらの認識機構は,ほとんど不明であった。

 そこで本研究においては,computer modelingを駆使して,GluRS・tRNAGlu複合体のモデルを作成した。このモデルを用いて両者の特異的な認識機構を解析し,さらに水溶液における分子動力学シミュレーションを実行することにより,GluRS・tRNAGlu複合体の溶液構造モデルの構築を試みた。さらにもうひとつの重要な視点として,生体システムにおいて本質的な機能を担っているaaRSが,どのようにしてそうした精密な基質認識システムを構成しえたのかという問題は,きわめて興味深い。本研究で構築したモデルに基づき,aaRSの分子進化過程におけるこうしたシステム構成原理の解明に挑戦した。

方法および結果1.tRNAGluの分子モデルの構築とGluRSとのドッキング(文献3)

 GlnRS・tRNAGln複合体(X線構造)におけるGlnRSの活性部位ドメインに,GluRSの同ドメインを重ね合わせた。これらの重ね合わせは,Rossmann algorithmをC programに実装することによって,定量的かつ自動的に精密な計算を行った。これによって,ふたつの酵素のそれぞれに特異的な構造(2次構造を単位としている)が,厳密に同定された。

 他方,エネルギー最小化計算とcomputer graphicsを対話的に用いることにより,RNAモデリングに最適化された手順(本研究において開発された)に従い,tRNAGluの分子モデルを構築した。これをtRNAGln(GlnRS・tRNAGln複合体を形成している)に重ね合わせることによりGluRSとのドッキングを行った。さらにこの複合体モデルに対して,多段階にわたるエネルギー最小化計算を注意深く実行することにより,精密化した。

 こうして得られたGluRS・tRNAGlu複合体モデルにおいて,興味深いことに,先に述べたGluRSの活性部位ドメインに特異的にみられる2次構造(上記の重ね合わせによって同定されたinsertions 2 and 3)が,tRNAGluとの他の分子間接触にまったく影響を与えることなく,このtRNAの構造によく適合することが,定量的に明らかになった。しかも,insertion3はtRNAGluのアイデンティティ決定因子に強く接触し,したがってその認識に寄与することが示唆された。実際この結果は,生化学的な実験結果(GluRSおよびtRNAGluのそれぞれの分子に対して,部位特異的変異を導入した変異体の活性測定実験が行われた)(1,2)との比較においてもよい一致がみられ,モデルの正当性が示された。

2.アクセプタステムおよびDステムに存在するアイデンティティ決定因子の特異的な認識機構の解析

 上記のモデルを初期構造として,tRNAGluのアクセプタステム(Gl・C72,U2・A71),Dステム(U11・A24,U13・G22)に存在するアイデンティティ決定因子の認識機構を解析した。各部位において,近傍の分子表面に見られる相補性を,その形状および静電相互作用などの観点から解析し,computer modelingによって特異的な結合に必要なコンフォメーション変化の可能性を調べた。さらには,その結果得られたモデルに対し,水溶液の環境における分子動力学シミュレーションを実行することにより,特異的な相互作用に対する溶媒水分子の効果を直接解析した。

 こうして得られたGluRS・tRNAGlu複合体の溶液構造モデルによれば,いずれのアイデンティティ決定因子部位においても塩基とアミノ酸残基とが水素結合のネットワークを形成し,さらにその近傍においては,両者の凹凸が噛み合うことによる結合(van der Waals相互作用)の形成が示唆された。特にUl3・G22の塩基対は,分子表面が完全にフィットすることによって,同時に水素結合が形成され,特異的な認識に到るものと考えられる。さらに興味深いことに,U2およびU11を特異的に認識するためには,(溶媒)水分子によってGluRSとの水素結合が仲介される必要のあることが示唆された。

 以上述べたモデルは,生化学的な実験結果(2)とよい一致がみられることから,原子解像度におけるその説明を与えているものと考えられる。さらに,tRNAGluの各ヌクレオチド残基に対するaccessible surface area(ASA)を,tRNAGluの遊離状態およびGluRSとの複合体において計算し,その差(以下ではASA1とよぶ)をプロットした(図1)。これをfootprintingのパターン(2)と比較すると,両者はよく一致している。したがって,塩基特異的な相互作用のみならず,リン酸骨格との結合についてもまた,その正当性が検証された。

図1.モデルを用いて計算されたtRNAGluの各ヌクレオチド残基に対するASA[A2](本文参照).
3.GluRSによるアンチコドンの認識機構の解析

 1.において構築したモデルでは,アンチコドンはGluRSのC端側ドメインから空間的に離れており,両者は結合していない(3)。そこで生化学的な実験結果を説明するために,C端側ドメイン(その上のドメインとヒンジによって連結されている)が回転することによってアンチコドンに結合するものと考えられていた(1,3)。そこで,2.で確立された特異的認識の解析方法にしたがい,ドメインの回転運動の可能性と,それによるアンチコドンの認識機構を解析した。

 その結果,C端側ドメインは,そのコンフォメーションをほぼ保持したまま,ヒンジを中心とした回転運動によってアンチコドンに接近した。同時にその相互作用により,アンチコドンヌクレオチド残基がコンフォメーションを大きく変化させ,これらにより両者は特異的に結合しうることが明らかになった。ここできわめて興味深いことに,C端側ドメイン内に存在するヘリックスターンヘリックス(HTH)モチーフは,モデルにおいて,U34に特異的に結合している。すなわち,HTHモチーフはDNAのみならずRNAにも結合し,生物学的に重要な機能を果たすケースのあることが,その相互作用機構の原子解像度における描像とともに,はじめて示唆された。

 このモデルにおいて,アンチコドンはGluRSのポケットに結合し,さらにそこで水素結合のネットワークを構成している。その認識機構は,生化学的な実験結果(2)とよい一致がみられたことから,その原子解像度における説明を与えていると考えられる。

4.クラスIアミノアシルtRNA合成酵素によるtRNA認識の共通機構

 こうして,巨大な生体高分子の複合体全体に関する溶液構造モデルが完成された(図2)。そこでこのモデルを用いて,クラスIaaRSのtRNA認識機構における保存性を調べた。

図2 GluRS・tRNAGlu複合体の溶液構造モデル.アイデンティティ決定因子の認識に直接関与する溶媒水分子も描かれている。

 最初に,GlnRSとの重ね合わせにより明らかになった,GluRS(活性部位ドメイン)に特異的で,しかもtRNAとの相互作用に寄与する構造(insertions 2 and 3;1.を参照)を欠失させたモデル(以後このモデルをdelGluRSとよび,野生型のGluRSはwtGluRSと書く)を,computer modelingによって作成した。次に,wtGluRS・tRNAGlu複合体およびdelGluRS・tRNAGlu複合体のそれぞれにおいて,tRNAGluの各ヌクレオチド残基に対するASAを計算し(2.で用いた方法にしたがった),それらの差を求めた(これをASA2とよぶ)。このASA2は,Gluの系における特異的なtRNA認識部位に対応している。最後に,ASA1ASA2との差(これをASAとよぶ)を求め,残基番号に対してプロットすることにより,GluRSとGlnRSが共通に接触するtRNAの部位を同定した(図1)。

 さらに他のクラスIの系に関する既知のfootprintingパターンを参照することにより,それらにおいても同様な接触様式が保存されているかどうかを検証した。これによって次の事柄が明らかになった。すなわち,Trp,Tyr(芳香環をもつアミノ酸)の系以外の8種類のクラスI aaRSは,それらに特異的なtRNAのアクセプタステム,Dステム,アンチコドンステムの3点に対し,共通に接触する。しかもきわめて興味深いことに,これらの共通認識部位の近傍には,特異的な認識箇所が存在している。これはすなわち,クラスI aaRSがその祖先酵素のtRNA認識部位を保持しつつ,その近傍に特異性を決定する因子を配置することによって進化してきたものと考えることができる。

考察

 本研究においては,特異的な相互作用を含むGluRS・tRNAGlu複合体全体の溶液構造モデルを構築することに成功した。この複合体は分子量約8万であり,生体高分子複合体において,こうした巨大なかつ精密なモデルの構築は,これまでにまったく例がない。またこの結果は,両者の特異的な相互作用において,水分子がそれらの水素結合を仲介することにより,重要な役割を果たしうることを示唆している。これは,幾つかのタンパク質-RNA複合体のX線構造によって既に明らかにされていたが,分子動力学シミュレーションによって解析された例は本研究が最初であり,今後,分子生物学における他の多くの系への適用が期待される。

 こうして構築されたモデルを基礎にして,本研究ではさらに,クラス I aaRS(芳香環をもったアミノ酸の系を除く)に保存されているtRNA認識部位を同定することに成功した。こうした基本的かつ堅固な相互作用を保持しつつ,しかもこれらの近傍に特異的な結合を配置することにより,系統的で確実なtRNA認識を達成しているものと考えられる。このように,aaRSの精密な基質認識機構とその分子進化とは独立なふたつの視点ではなく,両者を統一的に理解することによって,はじめてそのシステム構成原理の一端を明らかにすることが可能になったといえる。これは今後のaaRS研究を飛躍的に発展させるための重要な視点となるであろう。

文献(1)Nureki,O.et al.,Science,267(1995),1958-1965.(2)Sekine,S.et al.,J.Mol.Biol.,in press.(3)Tateno,M.et al.,FEBS Letters,in press.
審査要旨

 アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)は,特異的なtRNAとアミノ酸とを厳密に識別し,両者を結合させる。aaRSのこうした厳格な基質認識によって,遺伝暗号の正確な翻訳が保証されているのである。近年,tRNAのアミノ酸特異性がアイデンティティ決定因子とよばれる数残基のヌクレオチドによって決定されていることが,多くのアミノ酸の系において報告されている。そのため,aaRSによるtRNA認識の分子機構の解明にあたっては,残基レベルからの視点に重点が置かれてきた。

 そこで本論文においては,aaRSにおけるtRNA認識に関し,原子解像度における解析を飛躍的に進展させるために,実験的に解明されていないGluRS・tRNAGlu複合体の立体構造を,理論的かつ合理的に推測しようと試みた。そのためにまず,コンピュータモデリングを駆使してtRNAGluのモデルを構築するとともに,GlnRS・tRNAGln複合体のX線構造に基づき,このtRNAGluのモデルをGluRSのX線構造にドッキングさせた。こうして,GluRS・tRNAGlu複合体の精密な理論的モデルを構築した。次には,このモデルに基づいて,アイデンティティ決定因子を特異的に認識するために要請されるコンフォメーション変化を解析し,さらにモデリングを進めた。ここで特に著しい成果は,GluRSとtRNAGluの相互作用において,溶媒水分子の果たす役割を分子動力学シミュレーションによって解析し,その結果,生化学的な実験結果をうまく説明するモデルを得ることに成功した点にある。こうして,巨大なGluRS・tRNAGlu複合体の溶液構造モデルを完成させた。

 さらに本論文においては,このGluRS・tRNAGlu複合体モデルとGlnRS・tRNAGln複合体のX線構造とを比較解析することによって,クラスIaaRS(aaRSは,10種類ずつの酵素からなるふたつの異なるクラスに分類される)が共通に保持する,tRNAとの相互作用を同定することに成功した。これによって, aaRSのtRNA認識において,その認識システムの構成原理がはじめて示唆された。同時にまた,aaRSの詳細な分子進化過程を解明するための有力な手掛かりが得られたのである。

 以下,各章を概説する。

 本論文の第1章においては,コンピュータモデリングを駆使することにより,まずtRNAGluの初期構造モデルを構築した。この後,本章で開発されたRNAの構造最適化の手順にしたがって,エネルギー最小化計算を多段階にわたって実行し,このモデルを精密化した。また他方で,GluRSおよびGlnRSの活性部位ドメインどうしの重ね合わせをコンピュータによって自動的に実行することにより,GluRSと先のtRNAGluのモデルとをドッキングさせた(注:tRNAGluのアクセプタステムには,GlnRSに結合したtRNAGlnの同部分を鋳型に用いていることから,GluRSをGlnRSに重ね合わせることによって,GluRS・tRNAGlu複合体モデルの初期構造を得ることができる)。こうして得られたモデルを,再びコンピュータモデリングの技術とエネルギー最小化計算を多段階にわたって実行することにより,エネルギーにおいてきわめて安定な状態へと到達させることに成功した。しかもこのモデルは,アミノ酸およびヌクレオチドの残基レベルにおいて,生化学的な実験結果とよい一致をみたのである。ただし,アイデンティティ決定因子の特異的な認識のためには,両分子においてコンフォメーション変化の生じることが必要であることも,モデルは同時に示唆した。

 そこで第2章においては,tRNAGluの3ヶ所に存在するアイデンティティ決定因子のうち,Dステムおよびアクセプタステム部位に存在する因子の特異的な認識に関し,モデリングをさらに進めた。まず,溶媒の遮蔽効果を陰に導入し分子動力学計算を実行することにより,特異的な認識のために要請されるコンフォメーション変化の可能性を解析した。その後,水分子を露わに配置した分子動力学シミュレーションを実行することにより,GluRSとtRNAGluの相互作用における溶媒水分子の役割をも直接解析した。以上により,アイデンティティ決定因子は,GluRSのアミノ酸残基と共に水素結合のネットワークを構成することによって,特異的に認識されることが示唆された。このとき,水分子が仲介することにより,はじめて強固な水素結合ネットワークの形成される場合もあることが示唆された。また,アイデンティティ決定因子の近傍においては,GluRSとの緊密な接触のみられる場合が多い。特に,両分子の局所的な形状の相補性が,特異的な認識において重要であるケースもまた,同時に示唆された。

 続く第3章においては,さらにアンチコドン(アイデンティティ決定因子)の認識機構を解析した。その結果,驚くべきことに,GluRSのC端側ドメインは,その手前のドメインとの接続箇所(ヒンジ構造をとっている)を支点として回転することにより,アンチコドンに接近することが示唆された。しかもこうした相互作用によって,アンチコドンヌクレオチドにおいても大きなコンフォメーション変化が誘導され,その結果,両者が特異的な結合を形成するに到ることが,モデルにより示唆された。アイデンティティ決定因子は,ここでもGluRSのアミノ酸残基および溶媒水分子と共に水素結合のネットワークを構成することによって,特異的に認識されるものと考えることができる。さらには,GluRSのC端側ドメインにはヘリックス・ターン・ヘリックス(HTH)モティーフの存在することが従来より知られていたが,きわめて興味深いことに,このHTHモティーフがU34(アンチコドン1字目)の認識において重要な役割を担うことが,モデルより示唆された。すなわち,HTHモティーフはDNAとの結合ばかりではなく,RNAの認識においても用いられている場合のあることが,その原子解像度の相互作用様式とともにはじめて示唆されたのである。

 こうして,GluRS・tRNAGlu複合体の溶液構造モデルが完成された。ここで得られたモデルは,いずれのアイデンティティ決定因子においても,生化学的な実験結果とよい一致がみられることから,原子解像度におけるその説明を与えていると考えられる。

 これまでクラスIのaaRSにおいては,tRNAとの複合体構造は,Glnの系においてのみX線構造として明らかになっていたに過ぎなかった。そのために,他の系におけるtRNA認識機構との比較を行うことができなかった。そこで本論文ではさらに,第3章までにおいて完成されたGluRS・tRNAGlu複合体の理論的モデルをGlnの系のX線構造と比較解析することによって,両者に共通する分子間相互作用の解明を試みた(第4章)。そのためにaccessible surface area(ASA)を用いた解析法を新たに開発し,tRNA分子上においてaaRSと接触しているヌクレオチド残基のうち,GluとGlnのいずれの系においても共通にみられる接触部位(本論文では,共通接触部位とよんでいる)を抽出することに成功した。それらは,アクセプタステム以外に,Dアームおよびアンチコドンアーム部分に存在する。しかもこれらの分子間接触は,その他のクラスI aaRSにおいても同様に保存されていることが,既知のfootprintingパターンを検証することによって明らかになった(ただし芳香環をもったアミノ酸の系においては,tRNAのaaRSに結合する向きが,他のクラスIの系とは逆であることから,これらの系は除く)。さらに興味深いことに,これらの共通接触部位の内部または近傍には,特異的な認識箇所,すなわちアイデンティティ決定因子の存在することが明らかになったのである。これは,クラス I aaRSの祖先酵素におけるtRNAとの接触部位を堅固に保持しつつ(共通接触部位),しかもその内部または近傍に特異的な認識部位を配置することによって,これらの酵素が進化してきたものと考えることができる。

 このように,本論文における成果はめざましいが,以下の点は特筆すべきものである。まず,本論文において構築されたGluRS・tRNAGlu複合体の分子量は,約80,000であり,このような巨大な系において,同様に精密なモデルの構築がなされた例は,従来見あたらない。さらには,タンパク質とRNAとの複合体のX線構造において,両分子の特異的な相互作用における水分子の役割が明らかにされてはいたが,分子シミュレーションによって理論的にその解析が可能であることを示したのは,本研究が最初である。今後,生物学的に重要な多くのタンパク質・RNA複合体においても,同様な解析により,それらの精密な溶液構造モデルの構築が可能であることを示したものといえる。またこれらの成果に加えて,これまでのaaRSの研究においては,各系に特異的な相互作用を明らかにすることのみに視点が集中していたが,さらに"系に共通の相互作用"というまったく異なる視点の重要性が示された。本論文における複合体モデルとASAを用いた上記の解析結果(第4章)は,クラス I aaRSにおける共通のtRNA認識機構に基づいた,新しいaaRS研究の方向性と領域とが開拓される可能性のあることを意味するものである。こうした点において,本論文における結果は画期的なものといえる。

 以上の研究において,コンピュータモデリングによる生体高分子のモデル構造の構築,またそのモデルに関する分子シミュレーションなどの計算,およびモデルに基づいた理論的解析などは,すべて論文提出者が主体となって行なったものであり、審査委員会は本論文提出者が博士(理学)の学位を受ける資格があるものと判定した。なお本論文は、東京大学の横山茂之教授,濡木理博士,関根俊一氏,名古屋大学の郷通子教授,金田和明氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行なったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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