学位論文要旨



No 111715
著者(漢字) 寺田,貴帆
著者(英字)
著者(カナ) テラダ,タカホ
標題(和) 複合糖質におけるKDN残基形成機構の解明及びKDN残基形成・分解に関与する酵素の反応特異性の解析
標題(洋)
報告番号 111715
報告番号 甲11715
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3079号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 助教授 室伏,擴
 東京大学 助教授 岩森,正男
内容要旨

 KDN(2-keto-3-deoxy-D-glycero-D-galacto-nononic acid)は、1986年、ニジマス卵表層胞局在ポリシアロ糖タンパク質(PSGP)分子中に微量成分として初めて発見された新規シアル酸で、N-アシルノイラミン酸のC-5位のアミノアシル基が水酸基で置換された構造をもつ(図1)。 バクテリアから哺乳動物に至るまで、KDNが生物界に広く分布していること(表1)、 また、KDN残基は特定の糖タンパク質、糖脂質に存在し、それらが時間的・空間的に発現制御されて機能することが明らかにされつつある。 一方、KDN複合糖質の生合成・異化過程、及びそれらの諸過程に関与する酵素の基質分子認識機構はこれまで全く解明されていない。 本研究は、KDN複合糖質の生合成機構の解明、KDN複合糖質の生合成・異化過程に関与する酵素の反応特異性の解析を目的として行い、以下のことを明らかにした。

図表図1 KDN及びN-アシルノイラミン酸の構造 / 表1 KDN複合糖質の存在分布及び結合様式[1]ニジマス精巣CMP-KDN合成酵素の同定及び酵素学的性質の解析

 KDNはN-アシルノイラミン酸の構造アナログであることから、N-アシルノイラミン酸と同様、まず、KDNとCTPを基質とするCTP:CMP-KDNシチジル酸転移酵素(CMP-KDN合成酵素)の働きで活性化糖ヌクレオチドであるCMP-KDN(図2)が生成し(式1)、次いでCMP-KDNをドナーとするKDN-転移酵素の働きでアクセプターグリカンに取り込まれKDN-グリカンが生成する機構(式2)が推定される。

図2 CMP-KDNの構造

 

 そこで、まず、CMP-KDN合成酵素の検索に着手した。 その結果、(KDN)GM3を主要糖脂質成分とするニジマス精巣の可溶性画分に、CMP-KDN合成酵素活性が存在することが明らかとなった。 超遠心操作、硫安分画、ゲル濾過によってこの酵素の部分精製を行い、比活性は粗抽出画分の116倍に上昇した。 部分精製した酵素を用いて諸性質を調べたところ、分子量は約26万であり、至適pHは9.0-10.0,最適温度は25℃,二価陽イオンとしてMg2+またはMn2+を要求することが明らかとなった。 この酵素はNeu5Ac及びNeu5Gcに対しても高い活性を示すが、Vmax/Km値を比較するとKDNに対する値がNeu5Ac,Neu5Gcに対する値よりも高く、このことは、KDNがNeu5Ac及びNeu5Gcよりも良い基質であることを示している。 また、KDNとNeu5Acの混合基質を用いた競合実験から、CMP-KDN合成反応とCMP-Neu5Ac合成反応には単一の酵素が携わっていることが示された。 CMP-Neu5Ac及びCMP-Neu5Gcを効率よく合成する酵素として仔ウシ脳CMP-N-アシルノイラミン酸合成酵素が頻用されているが、この酵素のCMP-KDNの合成活性は極めて低く、ニジマス精巣CMP-KDN合成酵素と対照的であった。また、精子形成過程におけるCMP-KDN合成酵素の発現パターンは段階特異的であり、(KDN)GM3の発現パターンとほぼ一致し、この酵素が(KDN)GM3合成過程に関与する酵素であることが示唆された。

[2]ニジマス精巣CMP-KDN合成酵素の基質特異性の解析

 ニジマス精巣CMP-KDN合成酵素の基質特異性についてC-4及びC-5位の置換基を改変した種々のKDNアナログ、N-アシルノイラミン酸アナログを用いて酵素反応速度論的解析を行った。 その結果、ニジマス精巣CMP-KDN合成酵素はKDN及びKDNアナログを基質とし、これらを基質としない仔ウシ脳CMP-N-アシルノイラミン酸合成酵素に比べてC-5位の置換基の違いに関して広い特異性をもつことが明らかとなった。

[3]ニジマス精巣CMP-KDN:ラクトシルセラミド2→3KDN-転移酵素の同定及び酵素学的性質の解析

 CMP-KDN合成酵素の存在が示されたことから、 KDN複合糖質の生合成機構として、CMP-KDNをドナーとし、KDNのアクセプターグリカンへの取り込み反応を触媒するKDN-転移酵素の存在が強く示唆された。 そこで、ニジマス精巣CMP-KDN合成酵素を用いて調製したCMP-[14C]KDNをドナーとして、KDN-転移酵素活性を検索したところ、ニジマス精巣のゴルジ膜画分に、ラクトシルセラミドをアクセプターとして(KDN)GM3を合成する酵素活性(CMP-KDN:ラクトシルセラミド2→3KDN-転移酵素活性)を見出した。 この酵素の至適pHは7.0であり、0.5-0.6%Triton CF-54の添加により活性の上昇が認められた。 また、精子形成過程における2→3KDN-転移酵素活性の発現パターンは、CMP-KDN合成酵素活性・(KDN)GM3の発現パターンと一致していた。 CMP-KDN合成酵素及びKDN-転移酵素は(KDN)GM3の生合成の時期と量を規定する重要な制御因子であると考えられる。

 以上、 KDN-転移酵素の存在が判明したことから、KDN複合糖質における KDN残基の形成は、上記(1),(2)の反応によって行われることが証明された。

[4]KDN残基特異的加水分解酵素(KDNアーゼSM)の反応特異性の解析

 KDNアーゼSMは、N-アシルノイラミン酸複合糖質を基質とせず、KDN複合糖質のKDN-ケトシド結合を特異的に加水分解する酵素として、最近、バクテリアに初めて発見された。 一方、N-アシルノイラミン酸のケトシド結合に作用するN-アシルノイラミニダーゼ(シアリダーゼ)は多数知られているが、試みた全ての市販のシアリダーゼはKDN-ケトシド結合には殆ど作用しなかった。 これらのことから、KDNアーゼSMによる基質認識機構は興味深く思われ、天然及び合成基質、阻害剤を用いて酵素反応速度論的解析を行った。 KDNアーゼ活性はKDNのC-2,3位の間に二重結合をもつ2,3-didehydro-2,3-dideoxy-D-glycero-D-galacto-2-nonulopyranosonic acid(KDN2en)により拮抗的に阻害され、KDN2enの阻害定数Kiが基質のミカエリス定数Kmより小さいことから、KDN2enは遷移状態アナログであるとみなしえた。 また、KDNアーゼSMの基質認識には、KDN残基のC-5位の水酸基、及びC-4位の水酸基が関与していることが示された。

審査要旨

 KDNは、1986年、ニジマス卵ポリシアロ糖タンパク質分子中に微量成分として天然で初めて発見された新規シアル酸で、Neu5Ac,Neu5Gc等N-アシルノイラミン酸のC-5位のアミノアシル基が水酸基で置換された構造をもっている。 バクテリアから哺乳動物に至るまで、KDNが生物界に広く分布していること、KDN残基は特定の糖タンパク質、糖脂質に存在し、それらが時間的・空間的に発現制御されて機能することが明らかにされつつある。 一方、KDN複合糖質の生合成・分解機構、及びそれらの諸過程に関与する酵素のKDN分子認識機構はこれまで全く解明されていなかった。 本研究は、KDN複合糖質におけるKDN残基の形成機構を解明すること、即ち、生合成過程に関与する酵素を同定し、その性質を明らかにすること、KDN複合糖質の生合成及び分解過程に関与する酵素のKDN及びN-アシルノイラミン酸に対する反応の特異性を解析すること、を目指し行ったものである。

 INTRODUCTIONの研究の背景と意義、概要についての記述に引き続き、CHAPTERIからCHAPTER IIIにおいて、複合糖質におけるKDN残基の形成機構を明らかにしている。 即ち、KDNはN-アシルノイラミン酸アナログであることから、N-アシルノイラミン酸と同様、まず、KDNとCTPを基質とするCMP-KDN合成酵素の働きで活性化糖ヌクレオチドであるCMP-KDNが生成し(式1)、次いでCMP-KDNをドナーとするKDN-転移酵素の働きでアクセプターグリカンに取り込まれ、KDN-グリカンが生成する機構(式2)を推定し、

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 CHAPTER Iでは、KDN-ガングリオシド、(KDN)GM3を主要糖脂質成分とするニジマス精巣の可溶性画分に(1)の反応を触媒するCMP-KDN合成酵素活性の存在を明らかにしている。 この酵素を部分精製し、諸性質を調べ、Vmax/Km値の比較からKDNをNeu5Ac及びNeu5Gcより良い基質とすること、更に、KDNとNeu5Acの混合基質を用いた競合実験から、CMP-KDN合成反応とCMP-Neu5Ac合成反応には単一の酵素が携わっていること、を示している。 仔ウシ脳CMP-N-アシルノイラミン酸合成酵素をはじめ、CMP-N-アシルノイラミン酸合成酵素の存在は古くから知られているが、KDNに対し高い活性を示す酵素の存在が明らかにされたのは初めてである。

 CHAPTER IIでは、ニジマス精巣CMP-KDN合成酵素の基質特異性について、更に詳細な解析がなされている。 C-4及びC-5位の置換基を改変した種々のKDNアナログ、Neu5Acアナログを用いて酵素反応速度論的解析を行った結果、ニジマス精巣CMP-KDN合成酵素は殆どのKDNアナログ、Neu5Acアナログを基質とし、Neu5Acアナログに対しては高い活性を示すが、KDNアナログは殆ど基質としない仔ウシ脳CMP-N-アシルノイラミン酸合成酵素に比べ、C-5位の置換基の違いに関して広い特異性をもつことを明らかにしている。

 CMP-KDN合成酵素の存在は、KDN-転移酵素の存在を強く示唆した。

 従って、CHAPTER IIIでは、ニジマス精巣CMP-KDN合成酵素を用いることにより調製可能となったCMP-[14C]KDNをドナーとして、KDN-転移酵素活性を検索し、その結果、ニジマス精巣のゴルジ膜画分にラクトシルセラミドをアクセプターとして(KDN)GM3を合成する酵素活性、即ち、2→3KDN-転移酵素活性を見出すことに成功している。

 以上、CMP-KDN合成酵素、KDN-転移酵素の存在が判明したことから、KDN複合糖質におけるKDN残基の形成は、上記(1),(2)の反応によって行われることが明確となった。

 最後のCHAPTER IVでは、バクテリアに初めて発見された、N-アシルノイラミン酸複合糖質を基質とせず、KDN複合糖質のKDN-ケトシド結合を特異的に加水分解する酵素、KDNアーゼSMの反応特異性を解析した結果が述べられている。KDNアーゼ活性は、KDNのC-2,3位の間に二重結合をもつKDN2enにより拮抗的に阻害され、KDN2enの阻害定数Kiが基質のミカエリス定数Kmより小さいことから、KDN2enは遷移状態アナログであるとみなすことができること、KDNアーゼSMの基質認識には、KDN残基のC-5及びC-4位の水酸基が関与していること、を酵素反応速度論的解析によって明らかにしている。

 以上を要するに、本研究では、これまで全く未知であったKDN複合糖質におけるKDN残基の生合成経路を明らかにした。 更に、KDN複合糖質の生合成・分解過程に関与する酵素の基質特異性を酵素反応速度論的解析により明らかとし、これらの酵素によるKDN分子認識機構を構造化学的に解明するための基盤を確立したといえる。 従って、本論文の著者は博士(理学)の学位を受ける資格があるものと認める。

 なお、本論文のCHAPTER I及びCHAPTER IIは、既に2篇の共著論文として発表されており、CHAPTER III及びCHAPTER IVは2篇の共著論文として投稿中であるが、いずれにおいても論文提出者は主要な寄与をなしたものであることが認められる。

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