学位論文要旨



No 111718
著者(漢字) 福田,真
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,マコト
標題(和) Ras/MAPキナーゼカスケードの活性化経路及び機能の解析
標題(洋)
報告番号 111718
報告番号 甲11718
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3082号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 横田,崇
内容要旨

 MAPキナーゼ(MAPK)は種々の増殖因子で共通に活性化される分子として見い出されたセリン/スレオニンキナーゼである。MAPKは増殖刺激のみならず、PC12細胞における分化刺激やXenopus卵の卵成熟過程で活性化することが示されている。このように様々なシグナル伝達系でMAPKは活性化するが、その活性化にはチロシン残基とスレオニン残基の両方のリン酸化が必要であり、それを担っている分子はMAPKキナーゼ(MAPKK)というセリン/スレオニン/チロシンキナーゼである。MAPKKもやはり、増殖刺激のみならず、PC12細胞における分化刺激やXenopus卵の卵成熟過程で活性化することが示され、MAPKK及びMAPKがキナーゼカスケード(MAPKカスケード)として多彩な系で機能することが示唆されていた。

 原癌遺伝子産物Rasは、種々の増殖及び分化刺激によってGDP結合型(不活性型)からGTP結合型(活性型)へ変化することが知られていた。我々は、以下の観察事実から、RasとMAPKカスケードの関連に着目した。Rasを活性化させる刺激のほとんどはMAPKも活性化させること、PC12細胞では、NGF刺激によって、RasとMAPKは急速に活性化し、活性化状態はともに長時間持続するが、一方、EGFで刺激するとRasとMAPKは一過的な活性化のみを示す事である。さらに、活性化型RasをXenopus未成熟卵に微量注入すると、S6キナーゼの活性化及びM期促進因子(MPF)の活性化が起こり、卵成熟することが示されていた。MAPKは卵成熟にともなって活性化することから、RasがMAPKカスケードを活性化させる可能性が推測された。

 そこで、RasとMAPKの関連を、まず哺乳類培養細胞を用いて検討した。v-Ki-ras遺伝子をラット線維芽細胞3Y1に導入したところ、Rasの発現にともなって43 kDa MAPK(ERK1)と41kDaMAPK(ERK2)の活性が検出されることがわかった。従って、RasによってMAPKの活性化が起きることが明らかになった。さらに、無細胞系でRasによるMAPKの活性化を起こすことを試みた。Xenopus卵母細胞抽出液に活性型RasとATP再生系を加え、加温したところMAPK及びMAPKKの活性化が見られた。無細胞系中でのRasによるMAPKの活性化は、v-RasやGTP結合型Rasのみでみられ、GDP結合型Rasやc-Rasでは観察されなっかた。また、Rasの活性を阻害するY13-259抗体を無細胞系に添加するとRasによるMAPKの活性化は引き起こされなかった。従って、無細胞系中で、RasによるMAPKの活性化を起こすことができた。

 1992年、活性型Raf-1を細胞に発現させるとMAPKK/MAPKの活性化が起こること、及び活性型Raf-1の免疫沈降物中にMAPKKキナーゼ活性が存在することが示され、Raf-1がMAPKKキナーゼ(MAPKK-K)として機能するという報告がなされた。Raf-1は、癌遺伝子産物として見い出されたc-raf遺伝子産物で分子量74kDaのセリン/スレオニンキナーゼである。最近、Raf-1のN端ドメインとRasのGTP結合型とが直接結合することが示された。しかし、Rasと結合することでRaf-1のMAPKK-K活性が活性化するという報告はなく、Raf-1のMAPKKK-K活性がRasによって調節されているかは不明であった。そこで、本無細胞系においてRasによってRaf-1のMAPKK-K活性が上昇するか調べた。v-Rasを添加した抽出液より抗Raf-1抗体による免疫沈降を行い、MAPKK-K活性(脱リン酸化させ失活させたMAPKKを再活性化させる活性)を測定すると、Raf-1のMAPKK-K活性の上昇が見られた。一方、バッファーを添加した抽出液ではRaf-1のMAPKK-K活性の上昇は観察されなっかた。Y13-259抗体を無細胞系に添加すると、RasによるRaf-1のMAPKK-K活性は上昇しなかった。これらのことから、無細胞系中でRasによるRaf-1の活性化が起こりうることが示された。無細胞系からイムノデプリーションを行いMAPKKを除去すると、RasによるMAPKの活性化が起きなかった。従って、RasによるMAPKの活性化にMAPKKが必須であることを明らかにした。以上の結果からRas→Raf-1→MAPKK→MAPKというカスケードが存在することが示された。

 Ras/MAPKカスケードの生理的役割を検討するために、PC12細胞を用いた。神経分化のモデル系として知られるPC12細胞は、神経成長因子(NGF)存在下に培養すると突起を伸長し神経様細胞に分化することが知られている。PC12細胞の神経分化にRasが必要で十分であることが明らかにされている。Rasの下流には、MAPKカスケード以外にも様々なシグナル伝達分子が存在すると考えられている。従って、Rasによる神経分化がMAPKカスケードのみで十分であるかは明らかではなかった。そこで、第2章においてMAPKカスケード構成因子の活性型分子を作製し、PC12細胞に導入することでMAPKカスケードによる神経分化を突起伸長を指標に検討した。

 MAPKの活性化のみでPC12細胞の突起伸長が起こるか、チオリン酸化MAPKを作製し検討した。チオリン酸化されたタンパク質は一般にホスファターゼ抵抗性となることが知られているので、チオリン酸化MAPKがホスファターゼ抵抗性であるか検討した。チオリン酸化MAPK又は精製したリン酸化MAPKをPP2Aで処理し、キナーゼ活性を測定すると、リン酸化MAPKは失活したが、一方チオリン酸化MAPKではキナーゼ活性の低下は見られなかった。従って、チオリン酸化MAPKはホスファターゼ抵抗性であることが分かった。チオリン酸化MAPKをPC12細胞に微量注入したところ、約60%の細胞に顕著な突起の伸長が観察され、約40%の細胞では形態変化のみが見られた。一方、バッファーを注入した細胞の80から90%は何の変化も示さなかった、またリン酸化MAPKを導入してもいかなる細胞形態の変化及び突起の伸長も見られなかった。また、構成的活性型MAPKK-K(N-STE11)又は活性変異型MAPKK(S222E-MAPKK)タンパク質をPC12細胞に微量注入した場合にも、PC12細胞の突起伸長が観察された。これらの結果は、MAPKの持続的活性化がPC12細胞の突起伸長(おそらく分化)にとって十分であることを示した。

 PC12細胞では、NGF刺激でMAPKの核移行が観察され、EGF刺激では核移行は起こらないことが報告されている。また、EGF受容体やインスリン受容体をPC12細胞に高発現させると、EGFやインスリン刺激で神経分化するとともにMAPKの核移行が起こることが示された。従って、PC12細胞の神経分化とMAPKの核移行に何らかの関連がある可能性が考えられた。細胞質から核へのシグナル伝達機構を理解する上で、MAPKの核移行は重要なステップであると考えられるが、どのような機構で核移行が達成されるのか不明であった。また、キナーゼ不能型MAPK及び非リン酸化型MAPKも血清刺激で核移行することが示され、MAPKの核移行にMAPKのリン酸化や活性が必要であるか確定していなかった。そこで、MAPKの核移行制御機構の解析を行った。

 構成的活性型MAPKK(SESE-MAPKK)又は野生型MAPKK(WT-MAPKK)を持つ発現ベクターを作製し、Xenopus MAPKとともに静止期ラット3Y1細胞の核へ微量注入し発現させた。6時間後にMAPKの細胞内局在を検討した。SESE-MAPKKを発現した細胞ではMAPKは核に集積していたが、WT-MAPKKを発現した細胞では、MAPKは細胞質に留まっていた。従って、MAPKKの活性化がMAPKの核移行に十分であることが明らかになった。

 さらに、MAPKの活性化に必要なリン酸化部位を置換した変異型MAPKも、SESE-MAPKKによって、核に集積することがわかった。これらの結果は、MAPKのリン酸化は、核移行自体には必須ではないことを示している。次に、内在性のMAPK活性が核移行に必要であるかを検討するために、MAPK活性を阻害する抗活性型MAPK抗体(P抗体)を用いた。P抗体又はコントロールIgGを野性型MAPKタンパク質とともに静止期3Y1細胞に微量注入し、導入されたMAPKの細胞内局在を検討した。コントロールIgGとMAPKを導入した細胞では、血清刺激依存的なMAPKの核移行が見られた。一方、P抗体とMAPKを導入した細胞では、血清刺激存在下でもMAPKは細胞質に局在していた。さらに、P抗体では認識されない非活性型MAPK(TA-MAPK)を用いた場合でも、血清刺激依存的なMAPKの核移行がP抗体によって阻害された。以上の結果は、P抗体が内在性MAPKの活性を阻害し、その結果外来性MAPKの核移行が阻害されたことを示している。これらの結果は、活性化したMAPKによる細胞内リン酸化反応がMAPKの核移行に必要で十分であること、つまり、MAPKの核移行はMAPK活性の下流の事象であることを示している。我々は、本研究で得られた結果から、MAPKの活性化が起こると未知の因子をリン酸化し、リン酸化された因子は、MAPKのリン酸化や活性化状態によらずMAPKの核移行を促進する、という仮説を提唱した。

審査要旨

 MAPキナーゼ(MAPK)および原癌遺伝子産物Rasは、種々の増殖及び分化刺激によって共通に活性化することが知られていた。申請者は、本研究においてRasの下流でMAPKカスケードが活性化することを見い出し、RasによるMAPKの活性化を無細胞系で再現した。無細胞系を用いRasによるMAPKの活性化経路を解析することで、Ras→Raf-1→MAPKK→MAPKというカスケードの存在を示唆した。ついで、MAPKカスケードの生理的役割をPC12細胞を用い検討し、MAPKの持続的的活性化がPC12細胞の神経分化に必要十分であることを示唆した。次に、MAPKの機能発現にとってMAPKの核移行が重要であると考え、MAPK核移行の解析を行ない、MAPKの核移行の調節機構を考察している。得られた結果は、3章に分けて述べられている。

 第1章で申請者は、RasによるMAPKの活性化経路について述べている。v-Ki-ras遺伝子をラット線維芽細胞3Y1に導入したところ、Rasの発現にともなってMAPKの活性が検出され、RasによってMAPKの活性化が起きることが明らかになった。さらに、ツメガエル卵母細胞抽出液に活性型Rasを加えたところ、MAPK及びMAPKKの活性化が見られ、無細胞系中でRasによるMAPKの活性化を起こすことが判明した。癌遺伝子産物Rar-1がMAPKKキナーゼ(MAPKK-K)として機能するという報告がなされていたので、申請者は、本無細胞系においてRasによってRaf-1のMAPKK-K活性が上昇するか検討した。抽出液にv-Rasを添加するとRaf-1のMAPKK-K活性の上昇が見られた。一方、バッファーを添加した抽出液ではRar-1のMAPKK-K活性の上昇は観察されなっかた。したがって、申請者は、無細胞系中でRasによるRaf-1の活性化が起こりうることを示した。また、無細胞系からMAPKKを除去すると、RasによるMAPKの活性化は観察されなかった。従って、RasによるMAPKの活性化にMAPKKが必須であることを明らかにした。第1章で得られた結果から、Ras→Raf-1→MAPKK→MAPKというカスケードが存在することが示唆された。

 第2章において、PC12細胞を用いRas/MAPKカスケードの生理的役割を検討した。PC12細胞は、神経成長因子によって突起を伸長し神経様細胞に分化することが知られ、神経分化にRasが必要で十分であることが明らかにされている。そこで、申請者は、MAPKの活性型分子を作製し、MAPKによる神経分化を検討した。まず、チオリン酸化MAPKがホスファターゼ抵抗性であることを示した。チオリン酸化MAPKをPC12細胞に導入したところ、突起の伸長および形態変化が見られた。一方、バッファーもしくはリン酸化MAPKを注入した細胞では、いかなる細胞形態の変化及び突起の伸長も観察されなかった。これらの結果から、申請者は、MAPKの持続的活性化がPC12細胞の突起伸長にとって十分であることを示した。

 第3章で申請者は、MAPKの核移行制御機構の解析を行った。構成的活性型MAPKK(SESE-MAPKK)を静止期細胞に発現させると、MAPKは核に集積していた。一方、野生型MAPKKを発現した細胞では、MAPKは細胞質に留まっていた。従って、MAPKKの活性化がMAPKの核移行に十分であることが明らかになった。次に、申請者は、MAPK核移行とリン酸化の関連を検討している。非リン酸化型MAPKも、SESE-MAPKKによって、核に集積し、MAPKのリン酸化は、核移行自体には必須ではないことを示した。また、申請者は内在性MAPKの活性を阻害したところ、外来性MAPKの核移行が阻害されることを示した。第3章で得られた結果から、申請者は、MAPKの活性化が起こると未知の因子をリン酸化し、リン酸化された因子は、MAPKのリン酸化や活性化状態によらずMAPKの核移行を促進する、という仮説を提唱した。

 申請者が以上行った研究から、Ras→Raf-1→MAPKK→MAPKというカスケードの存在を示唆し、このカスケードがPC12細胞の神経分化に中心的な役割を担っていると結論できる。また、Ras/MAPKカスケードを、細胞質から核へのシグナル伝達機構という観点から捕え、MAPKの核移行の制御機構を明らかにし、先駆的な研究を行ったといえる。以上、本研究で申請者が新たに見い出した知見は博士(理学)の称号を得るに値するものと委員会は全員一致で判断した。なお、共同研究としてみなされた部分について、申請者が最も主要に寄与していることを確認済みである。

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