学位論文要旨



No 111719
著者(漢字) 松田,達志
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,サトシ
標題(和) アフリカツメガエル卵成熟過程におけるMAPキナーゼ活性化経路の解析
標題(洋)
報告番号 111719
報告番号 甲11719
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3083号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 堀田,凱樹
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 山本,雅
内容要旨

 MAPキナーゼは種々の増殖・分化因子により共通に活性化するセリン/スレオニンキナーゼであり、活性化にスレオニン残基とチロシン残基の両方の残基のリン酸化を必要とするという際立った特質を持つ。高等動物においてMAPキナーゼのクローニングが行われ一次構造が明らかにされた結果、MAPキナーゼが酵母から哺乳類に至るまで高度に保存された分子であることが明らかとなった。MAPキナーゼの示す広範な刺激応答性、及び種を越えて普遍的に機能している分子であるという事実は、MAPキナーゼが真核生物の細胞内シグナル伝達系において重要な役割を担っていることを示唆する。また、MAPキナーゼは通常は不活性型として細胞質に局在しており、外界からの刺激に伴い活性型となり一部が核内へと移行することから、細胞外からのシグナルを核内へと伝搬し遺伝子発現を引き起こすという、細胞内シグナル伝達系における中心的な過程への関与が示唆されている。MAPキナーゼの活性調節メカニズムを明らかにすることで細胞内シグナル伝達機構の基本的な骨組みを理解できるものと考え、MAPキナーゼの活性化経路の解析を行った。本研究においては、生化学的な取り扱いが容易で、かつ細胞周期に伴う活性変動の解析に適した、アフリカツメガエル(Xenopus)の卵成熟過程を対象とした解析を行った。

 当研究室の後藤等により、Xenopusの卵成熟過程の進行に伴いMAPキナーゼの活性が上昇することが見い出されている。MAPキナーゼの活性化が見られる成熟卵中にMAPキナーゼを活性化する因子が存在すると考え、成熟卵を材料に組み換えMAPキナーゼを活性化する因子の検索を行った。成熟卵抽出液をDEAE-celluloseにより分画したところ、MAPキナーゼ活性化活性がDEAE-celluloseの未吸着画分に溶出することを見い出した。MAPキナーゼ活性の変動が観察される卵成熟過程及び受精後の過程において、DEAE-celluloseの未吸着画分に見い出されたMAPキナーゼ活性化活性の変化の有無を検討した。その結果、両過程において共に、MAPキナーゼ活性化活性がMAPキナーゼの活性変動にやや先行した活性変動を示すことを見い出した。したがって、DEAE-celluloseの未吸着画分に見い出したMAPキナーゼ活性化活性が、細胞内におけるMAPキナーゼの活性調節に関与していることが示唆された。

 MAPキナーゼ活性化因子の精製を進め、MAPキナーゼを活性化する活性が45kDaの単一のポリペプチドにより担われていることを明らかにした。また当研究室の小迫との共同研究により、45kDaMAPキナーゼ活性化因子がタンパク質キナーゼとしてMAPキナーゼに作用していることを見い出し、MAPキナーゼキナーゼ(MAPKK)と名付けた。MAPキナーゼはその活性化にスレオニン残基とチロシン残基のリン酸化が必要であることから、当初はセリン/スレオニンキナーゼとチロシンキナーゼの二つの因子が活性化に関与していると考えられていた。本研究により、MAPKKがセリン/スレオニン/チロシンキナーゼとしてMAPキナーゼのスレオニン残基とチロシン残基の両方をリン酸化して活性化することが明らかとなった。

 M期開始因子であるMPFはセリン/スレオニンキナーゼであり、卵成熟過程においても様々な事象がセリン/スレオニン残基のリン酸化により引き起こされることが知られている。成熟卵におけるMAPKKの活性化がリン酸化によって制御されている可能性を検討するために、成熟卵より精製した活性型のMAPKKをセリン/スレオニン特異的ホスファターゼであるPP2Aによって処理した。PP2Aとのインキュベートに伴いMAPKK活性の顕著な低下が見られたことから、MAPKKの活性にセリン/スレオニン残基のリン酸化が必須であることが示唆された。

 次に、成熟卵より精製した活性型MAPKKの、未成熟卵へのマイクロインジェクション及び間期無細胞抽出液への添加を行った。MAPKKの添加に伴い内在性のMAPキナーゼの速やかな活性化が観察された。すなわち、MAPKKが細胞内環境において実際にMAPキナーゼの上流として機能しうることが示唆された。後藤等は、MAPキナーゼがMPFの下流で活性化されることを報告している。MPF添加に伴うMAPKK活性の変動の有無を、未成熟卵へのマイクロインジェクション及び間期無細胞抽出液への添加、の二つの系により検討した。その結果、MAPキナーゼと同様にMAPKKの活性もMPFの添加により誘起されることを見い出した。すなわち、MPFの下流のシグナル伝達経路においてMAPKK/MAPキナーゼカスケードが機能していることが示唆された。

 MAPKKの機能をより詳細に解析するために、抗MAPKK抗体の作製を行った。得られた抗MAPKK抗体は成熟卵抽出液中で45kDaのMAPKKを特異的に認識し、抽出液中からMAPKK分子を免疫沈降しうることが見い出された。MAPKKの組織特異的な発現を調べたところ、MAPキナーゼの発現と同様のパターンを示し、脳神経系及び血球系において多量に発現していることが明らかとなった。次に、卵成熟過程の進行に伴うMAPKK活性の変動を、抗MAPKK抗体を用いた免疫沈降により検討した。その結果、MAPKK活性が卵成熟過程の進行に伴い顕著に活性化することを見い出した。なお、MAPKKの存在量は卵成熟過程を通じて一定であった。また、[32P]正リン酸ラベルした卵からのMAPKKの免疫沈降により、MAPKKが卵成熟に伴いリン酸化されることを見い出した。以上の結果及び先のホスファターゼ処理の結果より、MAPKKが卵成熟過程の進行に伴いリン酸化による活性化を受けていることが強く示唆された。すなわち、MAPKKの上流にMAPKKをリン酸化し活性化する因子が存在することが示唆された。MPFはそれ自身セリン/スレオニンキナーゼであることから、MAPKKがMPFによって直接活性化される可能性を検討してみたが、有為な活性化は観察されなかった。したがって、卵成熟過程におけるMAPキナーゼ活性化経路においては、MPFとMAPKKの間に少なくとも一つ以上の因子が存在することが示唆された。

 成熟卵を材料に、MAPKKを活性化する因子の検索を行った。MAPKKをリン酸化し活性化する活性が、ゲルろ過において見かけの分子量〜400kDaの高分子量域に溶出することを見い出した。また、この部分精製したMAPKK活性化因子が、セリン残基のリン酸化によりMAPKKを活性化することを見い出した。

 MAPKK活性化活性が卵成熟の進行に伴い顕著に上昇することを見い出した。MAPKK活性化因子、MAPKK-キナーゼ(MAPKK-K)の同定を行うべく、カラムクロマトグラフィー及び抗体を用いた解析を進めた。その結果、Xenopus成熟卵中には、癌原遺伝子産物であるMos、Raf-1、B-Raf相同分子の少なくとも三種類のMAPKK-Kが存在していることを見い出した。Mosは細胞質画分に存在しており、卵成熟過程の進行に伴いMAPKK-K活性の顕著な上昇が見られた。Raf-1は細胞質画分・膜画分の両方に存在しており、膜画分のRaf-1のみが卵成熟の進行に伴うMAPKK-K活性の弱い上昇を示した。一方、B-Raf相同分子のMAPKK-K活性は本来MAPKK-K活性を示さない未成熟卵を用いた場合にも見い出された。したがって、B-Raf相同分子の活性は細胞内においてはマスクされており、細胞抽出液の調製、カラムクロマトグラフィーによる分画等の操作により出現するアーティファクトであることが示唆された。成熟卵に存在するMAPKK-K活性はその大部分が細胞質画分に存在していることが見い出された。また抗Mos抗体によるMosタンパクの免疫除去により、成熟卵細胞質画分に存在するMAPKK-K活性はほぼ消失することが見い出された。さらに、卵成熟の進行時にMosの合成をブロックすることで、MAPキナーゼ及びMAPKKの活性化が抑制されることを見い出した。以上より、Xenopus卵成熟過程においては癌原遺伝子産物であるMosが主たるMAPKK-KとしてMAPKK/MAPキナーゼカスケードを活性化していることが強く示唆された。

 MAPKK-Kの精製途上において、MAPKKを活性化する活性は持たないが、リン酸化する活性は持っている因子を見い出した。ゲルろ過の溶出パターン及びその後のDEAE-celluloseにおける溶出パターンより、この因子がMAPキナーゼであることを見い出した。ホスホアミノ酸分析により、MAPキナーゼはin vitroにおいてMAPKKのスレオニン残基をリン酸化することが明らかとなった。実際、MAPKKのC末端側にはMAPキナーゼによるリン酸化コンセンサスに完全に合致するスレオニン残基が存在していた。In vivoにおけるMAPKKの32Pラベルから、MAPKKは細胞内においてもスレオニン残基のリン酸化を受けていることが見い出された。すなわち、MAPKKは卵成熟の進行に伴い、上流の因子であるMAPKK-Kによってセリン残基をリン酸化され活性化されるばかりでなく、下流の因子であるMAPキナーゼによってもスレオニン残基のリン酸化を受けることが示唆された。MAPKKのMAPキナーゼによるリン酸化の持つ生理的意義については、現在までのところ明らかとなっていない。

審査要旨

 MAPキナーゼは、当初静止期培養細胞に種々の増殖刺激を与えた際に共通に活性化されるセリン/スレオニンキナーゼとして見い出され、その後の解析から神経細胞の分化過程、胚発生、卵母細胞の成熟過程など、さまざまな局面で中心的な役割を担っていることが明らかにされた。またMAPキナーゼは酵母から哺乳類に至るまで広く真核生物に保存された分子であることが示されており、細胞内情報伝達機構における基本経路の一つに関与すると考えられている。本研究では、細胞内情報伝達機構の基本的戦略を明らかにすることを目的とし、アフリカツメガエル(Xenopus)の卵成熟過程におけるMAPキナーゼの活性化経路の解析が行われた。

 §1〜7において申請者は、Xenopus卵成熟過程におけるMAPキナーゼ活性化因子であるMAPKKの同定及び活性調節機構について述べている。申請者は成熟卵抽出液をカラムクロマトグラフィーにより分画し、組み換え型MAPキナーゼを活性化する活性を見い出し、その活性が新規のタンパク質であるMAPKKによって担われていることを明らかにした。さらに、卵成熟の進行に伴いMAPKKの活性が顕著に上昇すること、及びMAPKKの活性変動がMAPキナーゼの活性変動に常に先行していることを見い出した。また、本来MAPキナーゼの活性化が起こっていない未成熟卵に精製したMAPKKを微量注入することでMAPキナーゼの活性化が引き起こされることを示し、MAPKKが細胞内において実際にMAPキナーゼを活性化しうることを明らかにした。申請者は次にMAPKKの活性調節機構について検討を加えた。MAPKKをセリン/スレオニン特異的ホスファターゼであるPP2Aを用いて処理することで、MAPKKの活性が顕著に低下することを見い出し、また卵成熟の進行に伴いMAPKKの活性化と完全に一致したリン酸化が生じていることを見い出した。この二点から、申請者はMAPKK分子がリン酸化により活性調節を受けているものと結論づけている。

 §8〜9において申請者は、卵成熟過程においてMAPKKをリン酸化し活性化する因子、MAPKK-Kの検索を行った。成熟卵抽出液をカラムクロマトグラフィーにより分画したところ、MAPKKを活性化する活性を検出することができた。さらに分画を進めたところ、MAPKKをリン酸化し活性化する因子が、ゲルろ過において見かけの分子量〜400kDaの位置に溶出することを見い出した。この、MAPKK-K活性はMAPKKのセリン残基をリン酸化することによりMAPKKの活性化を引き起こすことが示された。さらに、申請者は成熟卵抽出液中にMAPKKをリン酸化はするが活性化は引き起こさない因子が存在することを見い出し、その因子がMAPキナーゼそのものであること、及びMAPキナーゼがMAPKKのスレオニン残基をリン酸化することを示した。

 §10〜24において申請者は、MAPKK-K活性を担う分子の同定を行った。まず、MAPKK-K活性が卵成熟過程の進行に伴い活性化することを示し、またその際MAPKK-K活性の約80%が細胞質画分に局在することを見い出した。膜画分に存在するMAPKK-K活性は、抗体を用いた解析から癌原遺伝子産物のRaf-1によって担われていることが示唆された。ついで、申請者は細胞質画分に見い出されたMAPKK-K活性が、陰イオン交換クロマトグラフィーを用いた分画により三つのピークに分離できることを見い出した。このうち主要な二つの活性ピークについて解析を進め、各々の活性が癌原遺伝子産物であるMos及びB-Rafにより担われていることを明らかにした。さらに申請者は、抗体を用いた免疫除去の実験を行うことで、卵成熟過程の進行に伴いMAPKKを活性化する主要な経路においてはB-RafではなくMosが機能していることを示した。

 申請者の行った以上の研究から、卵成熟過程においては癌原遺伝子産物であるMosがMAPKKをリン酸化・活性化し、ついでMAPKKがMAPキナーゼをリン酸化・活性化するというタンパク質キナーゼカスケードが機能していることが明らかとなった。MAPキナーゼが様々な細胞応答に関与していることは知られているものの、どのような分子がMAPキナーゼ活性化の主要な経路に位置しているかについては未だ混沌としているのが現状である。本研究は、Xenopusの卵成熟過程におけるMAPキナーゼ活性化経路を他の細胞応答の系に先駆けて明確に示した点で評価される。また、本研究の中で、MAPキナーゼカスケードにおける下流の因子による上流の因子のリン酸化という、フィードバック機構の存在を示唆する知見が得られている。酵素学的に新しいタイプの活性調節機構である可能性も考えられ、生理機能との関連等今後の研究の進展が期待される。

 以上、本研究で申請者が新たに見い出した知見は博士(理学)の称号を得るに値するものと委員会は全員一致で判断した。なお、共同研究としてなされた部分について、申請者が最も主要に寄与していることは確認済みである。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54505