脊椎動物は、川や湖などの淡水、海及び陸上に広く繁栄している動物門である。それらの体液組成は海水のほぼ1/3に保たれているが、それは内分泌器官から分泌される種々のホルモンにより巧みに調節されているためである。陸上動物は進化の過程で水中から陸に進出するにあたり、体液量を保持する、すなわち水やナトリウムを保持する機構を発達させた。これまでに、水やナトリウムを保持するホルモンはいくつか知られていたが、1981年、ラットの心抽出物をラットに投与すると利尿及びナトリウム利尿が惹起され、心臓には保持されるべき水やナトリウムを捨てさせるホルモンが存在することが初めて明らかとなった。心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)と名付けられたそのホルモンは、同じファミリーに属するB型及びC型ナトリウム利尿ペプチド(BNP、CNP)と共に、哺乳類の水・電解質代謝や血圧調節に重要な役割を果たしていることが明らかにされている。 一方、魚類は淡水や海水に広く分布する脊椎動物であるが、それぞれの環境に適応するために独自の浸透圧調節機構を進化させてきた。特に淡水と海水を往来するウナギなどの広塩性魚類は、体液量を一定に保つために、淡水中では過剰な水は常に尿として排泄し、ナトリウムは保持する方向に調節し、海水中では過剰なナトリウムは鰓や腎臓から排泄し、水分は保持する方向に調節している。従って、魚類は、淡水中と海水中で常に水かナトリウムかどちらか一方を排出するという特殊な浸透圧調節を行っている。ANPは魚類の心臓にも存在するが、ウナギでのみANPとその類似ペプチドである心室性ナトリウム利尿ペプチド(VNP)が同定されている。これらのペプチドは、ウナギにおいて独自の浸透圧調節作用を示すことが投与実験によって次第に明らかになってきている。従って、ANPは哺乳類では水とナトリウム双方を捨てるホルモンであったが、水とナトリウムの調節方向が淡水と海水で異なるウナギを用いることにより、ANPの作用の本質が水を捨てることにあるのか、あるいはナトリウムを捨てることにあるのかを明らかにできると考えられる。本研究は、分泌調節という観点からANPの作用の本質を検討するものである。 まず最初に、ANP、VNPそれぞれのホルモンに特異的なラジオイムノアッセイ系を用いて、それらのホルモンの分泌に影響を与えると考えられる条件(麻酔、採血部位、採血方法、季節変動)の検討を行なった。その結果、血漿ANP、VNP濃度は麻酔によって上昇すること、背大動脈の血漿ホルモン濃度は腹大動脈よりも低下することなどが明らかとなった。そこで、最もよく分泌を反映する採血条件、即ち腹大動脈にカニュレーションを施し、無麻酔で、淡水あるいは海水に適応させたウナギにおける血漿ANP、VNP濃度を検討した。その結果、血漿ナトリウム濃度や血漿浸透圧は、海水ウナギで明らかに高いにもかかわらず、血漿ANP、VNP濃度は淡水ウナギと差がなかった。従って、ANPやVNPの分泌は、慢性的な血漿ナトリウム濃度や血漿浸透圧の上昇では促進されないことが示唆された(第一章)。 ホルモンの血漿濃度は、分泌速度と代謝速度のバランスにより決定される。従って、分泌速度は上昇していても代謝速度が上昇しているために、見かけの血漿ホルモン濃度に差が見られなかった可能性がある。そこで、淡水、海水それぞれに適応させたウナギの血管内にANPあるいはVNPを投与して、血中ホルモンの消失曲線から代謝速度を計算した。その結果、両ホルモンの代謝速度は、淡水ウナギと海水ウナギで差が認められなかった。また、血漿ホルモン濃度と代謝速度から算出される分泌速度にも差は認められなかった。従って、両環境水中でANPとVNPの分泌は促進されていないことが明らかとなった。また、ANPとVNPの代謝速度を比較すると、VNPの方がANPの約3倍代謝速度が速かったことから、VNPのほうがANPよりも多量に分泌されていることが明らかとなった(第二章)。 ANPやVNPの分泌は、血漿ナトリウム濃度や血漿浸透圧が高いレベルで安定した際には促進されない。そこで次に、ウナギを淡水から海水、あるいは海水から淡水に移行させ、血漿ナトリウム濃度や血漿浸透圧を急激に変化させた際の血漿ANP、VNP濃度の変化を調べた。その結果、淡水ウナギを海水に移行させると、急激な血漿ナトリウム濃度の上昇に伴い、血漿ANP、VNP濃度の増加が認められた。海水移行後、血液量は脱水により一時的に減少するが、それでもANPの分泌は促進されるらしい。また、血漿ナトリウム濃度は海水移行後数日間高いレベルが持続したが、上昇した血漿ANP、VNP濃度は淡水ウナギのレベルに戻った。一方、海水ウナギを淡水に移行させた際には、血漿ナトリウム濃度が急激に低下したが、血漿ANP、VNP濃度に顕著な変化はみられなかった。海水ウナギを淡水に移行した際には血液量の増加が起きていると考えられるが、それによってANPやVNPの分泌は促進されていないように思われる。以上の結果より、ANPやVNPの分泌は、急激な血漿ナトリウム濃度や浸透圧の上昇により促進されるが、血液量の変化には大きな影響を受けないことが示唆された(第三章)。 そこで、血漿ナトリウム濃度、血漿浸透圧、血液量の変化が、ANPやVNPの分泌に与える影響を更に詳細に検討するため、淡水ウナギの血管内に少量の高張なNaCl、マンニトール及び尿素溶液や多量の生理食塩水を投与して、電解質バランスや血液量を急激に変化させてみた。その結果、血漿ANP、VNP濃度は、NaClやマンニトールのような細胞膜を通過しない物質による急激な浸透圧の上昇により増加するが、尿素のように細胞膜を容易に通過する物質による浸透圧の上昇では血漿ホルモン濃度の増加は小さかった。また、血液量を増加させた際にも血漿ANPとVNP濃度の増加が認められたが、その増加は、浸透圧刺激による増加と比較するとはるかに小さかった。血液量の増加によるANPやVNPの分泌反応が小さいことは、海水ウナギを淡水に移行しても血漿ANP、VNP濃度に変化が見られなかった第三章の結果と一致する。また、急激な浸透圧の上昇によるANPやVNPの分泌の促進は、海水移行後の血漿ホルモン濃度の上昇と一致する。高張なNaClやマンニトール溶液には反応し、高張な尿素溶液では反応が小さかったことから、ANPやVNPの分泌は、血漿浸透圧の急激な上昇による細胞性脱水に反応する浸透圧受容体により調節されていると考えられる。また、血液量の増加によっても分泌が促進されることから、容量受容体によっても分泌調節が行われているようである(第四章)。 次に、浸透圧の上昇を感知する部位、すなわち浸透圧受容体が心臓自身にあるのか否かを検討するため、2種類の潅流心臓標本を用いて分泌調節を調べた。まず摘出した心臓をそのまま潅流して、潅流液の浸透圧を変化させたところ、ANPとVNPの分泌は浸透圧の上昇に伴い増加した。従って、心臓自身が直接浸透圧の上昇を感知して分泌が調節されていることが明らかとなった。次に、細切した心房と心室を別々に潅流したところ、浸透圧の上昇に反応してANPやVNPの分泌が促進され、心房からはANPとVNPが、心室からはVNPが分泌されていることが明らかになった。ANPは心房のホルモンであるが、VNPは心房と心室でほぼ等量貯えられている。しかし、心室からのVNP分泌がはるかに多いことから、心室からの分泌は、分泌顆粒に貯えられることなく継時的に分泌する構成性経路をとっていると予想される。また、ゲル濾過クロマトグラフィーの分析により、心房からは主にプロセッシングを受けた成熟型ANPとVNPのプロホルモンが、心室からはVNPのプロホルモンが分泌されていることが明らかとなった(第五章)。 以上の実験結果より、ウナギにおけるANP、VNPの分泌は主に血漿浸透圧の上昇によって促進されることが明らかとなった。また、血漿浸透圧の上昇は、心房や心室筋自身が浸透圧受容体として細胞性脱水を感受して、直接、ANPやVNPの分泌を調節していることが明らかとなった。この結果は、哺乳類におけるANPの分泌調節が主に血液量の上昇によって促進されるのとは異なる。投与実験により、ANPはウナギにおいてナトリウムを排泄させるホルモンであることが次第に明らかになってきている。従って、浸透圧刺激により分泌されたANPやVNPは、上昇した浸透圧を低下させるべく直接あるいは二次的に浸透圧調節器官に作用して、体液浸透圧を調節している可能性が高い。これまでの哺乳類における研究により、ANPは血液量の上昇により分泌され、水とナトリウム双方を排泄させることにより血液量を元に戻すホルモンであると信じられてきた。しかし、ウナギでは、ANPの分泌は血液量よりも血漿浸透圧に対してより感受性が高かった。すなわち、ANPの作用の本質が「ナトリウムを捨てる」ことにあることが、分泌調節の検討によっても支持された。 |