学位論文要旨



No 111730
著者(漢字) 原田,帆佐巳
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,ホサミ
標題(和) アブラムシ腸内細菌の系統学的、微生物生態学的研究 : 細胞内共生体の起源を求めて
標題(洋) Phylogeny and Microbial Ecology of Gut Bacteria of the Pea Aphid,Acyrthosiphon pisum : An Implication for Origin of Intracellular Symbiont
報告番号 111730
報告番号 甲11730
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3094号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 教授 東江,昭夫
 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 小柳津,広志
内容要旨

 真核生物は共生の産物であり,すべての真核細胞が保有するミトコンドリアと植物が獲得した葉緑体は最も成功した共生体とみることができる.そればかりではなく,相互依存の程度に差はあるものの,「共生」は広く生物界で観察されるきわめて一般的な現象でもある.また一方で「共生」は進化の原動力として注目されている重要な現象でもある.生物の進化を促す要因としては他にも「突然変異」や「性」等があげられるが,「共生」は,ある生物に高次の代謝系を一挙に獲得させ,新たな生態的地位を開拓させるという点において,ダイナミックな生物進化を実現させうる現象と言えよう.従って共生現象の成立と維持機構を解明することは,真核生物の起源と多様性を理解する上できわめて重要と考えられる.こうした共生現象の一つの解析系としてアブラムシ(アリマキ)と微生物の共生があげられる.

 アブラムシは腹部,特に消化管の背側面に存在する,菌細胞という直径約100mの大型化した浮遊細胞の中に,直径約2mの原核性の共生微生物を無数に保有している.菌細胞は成虫1匹当たり約60個であることが知られており,アブラムシの体内にぎっしりと詰まっている胚の中にも無数の共生体がいることを考えあわせると,わずか体長3mmの昆虫の体内には大雑把に見積もって,実に107のオーダーの微生物が存在することになる.

 共生体はアブラムシの正常な生育と繁殖に必須である.一方,共生体はもはや昆虫体外では増殖することは出来ず,経卵感染によってのみ昆虫の次世代に伝えられる.このように両者が絶対的共生関係にあることは確かであるが,この相互依存関係の起源と物質的な側面は,依然として明らかではない.その主な原因は,共生体はin vitro純粋培養が出来ないため,その機能,性状の直接的な調査は不可能という事実に求められている.そこで私はこの問題に別の角度からアプローチすることを試みた.それが以下に述べる,「起源微生物の検索」という方法である.即ち,細胞内共生体を分子系統学的に同定し,次に,その宿主生物の腸内や周囲に共生あるいは寄生している自由生活性微生物のフロラを検索し,分子系統学的な解析から細胞内共生体と共通の起源を持つものを同定する.そして,その自由生活性微生物の性状,機能などを調べることによって,細胞内共生体の役割,共生関係成立の起源を類推し,検証するというアプローチである.

 菌細胞が消化管に近接して存在しているという解剖学的な観察から,細胞内共生体は,かつては腸内細菌だったものが相互依存の程度を増し,絶対的共生関係に到ったと考えられてきた.また一方で,アブラムシ共生体は腸内細菌科の微生物である大腸菌に近縁であることが,Untermanらの16S rDNAに基づく分子系統学的な解析によって示されていた.こうした状況の下に私は,現在も実際にアブラムシには細胞内共生体と共通祖先を持つ,腸内細菌が存在するのではないか,存在するとすればその微生物を調べることによって,共生体の起源,機能,性状,そして共生関係成立の機構にアプローチ出来るのではないかと考え,検索を始めた.

 その結果,アブラムシはその消化管の中に少なくとも7種類の腸内細菌(暫定的にX,T,W,U,Y,Z,Vとする)を保有することが明らかになった.16SrDNAをPCR法を用いて増幅,塩基配列を決定し,分子系統学的解析を行ったところ,このうちX,T,Wは腸内細菌科に属し,Uは蛍光性シュードモナスであり,グラム陽性を示したY,Z,Vは予想通り代表的なグラム陽性菌種であるBacillus属の微生物に近縁であることが示された.また同時にこの解析結果から,アブラムシ細胞内共生体は腸内細菌科の微生物と共通祖先を持ち,この共通祖先はビブリオ,バスツレラといった他の通性嫌気性グラム陰性桿菌と分かれた後,腸内細菌科の微生物が多様化するのに先だってアブラムシと共生関係を結んだことが明らかになった. (第1章)

 さらに,アブラムシ細胞内共生体と共通祖先を持つX,T,Wについて解析を進め,糖の分解性,有機酸の利用性など,計64項目の性状試験を行い,既知の微生物と比較したところ,これらは腸内細菌科の中でもEnterobacter,Serratia,Klebsiella,Erwinia属の微生物に近縁であることが分かった.そこでこれらの属の微生物とゲノムDNAの相同性試験を行ったところ,TはErwinia herbicolaと同定された.残り2種X,WについてはDNA相同性で高い価を示すものはなかったが,性状試験の結果から,これらの属に近縁な新種と考えられた.Erwinia herbicolaは自然界では主に健康な植物の表面に生息している微生物であり,この事実はアブラムシ細胞内共生体が宿主の餌である植物に関連した細菌に由来する可能性を強く示唆している.また,Erwinia herbicolaは株によっては窒素固定能,真菌に対する抗生物質生産能を持つことが知られており,アブラムシ細胞内共生体も元来は同様な能力を持つ可能性も示唆された. (第2章)

 上記のように,細胞内共生体の祖先がかつて餌とともに取り込まれた微生物だと仮定して,この微生物が宿主生物と共生関係に入る第一の条件は,宿主から排出されることなく体内に定着することである.そこで,腸内細菌のいない状態で飼育したアブラムシに人工飼料を用いて微生物を感染させたところ,Erwinia herbicolaと同定されたTと,アブラムシ腸内で圧倒的な優勢菌種であったXはアブラムシの腸内に非常によく定着,増殖することが明らかになった.両者は非常によく似た生化学性状を示したが,さらにこれら2種の微生物に共通した性質として,アブラムシの餌である植物師管液に多量に含まれるシュークロスや,昆虫のエネルギー源や貯蔵炭水化物として重要なトレハロースとその構成単糖の存在下では,多量に菌体外多糖を分泌することが観察された.一般にこうした菌体外多糖の機能として,微生物の固体表面への付着能,食作用や抗生物質に対する抵抗性の獲得などが示唆されているので,これが宿主消化管への接着,さらには感染のステップに重要な役割を果たしている可能性が考えられる.

 XとTはともにアブラムシに感染したが,Xはアブラムシ腸内の優勢菌種であり,昆虫体内によく適応しているのに対し,Tは黄色色素を生産し,太陽光線下での生存に適応した微生物と言える.Erwinia herbicolaの合成する黄色色素(カロテノイド)は微生物に近紫外線に対する抵抗性を与えることが示されている.また,両者の感染力には著しい差があり,XではTがアブラムシに感染するのに要する菌数の1/100程度の濃度で感染が成立する事が明らかになった.両者の違いを探る目的で,微生物の表層タンパク質を観察したところ,Xでは昆虫体内に関係の深い糖の存在下で,菌体表面に約16.9kDaと17.2kDaのタンパク質が出現することが観察された.これらのタンパク質は大きさから判断して線毛タンパク質,ピリンではないかと思われる.従ってこうした微生物の定着因子も,宿主体内環境を示す因子(この場合は糖と考えられる)がシグナルとなって誘導される可能性が考えられる. (第3章)

 以上がアブラムシ細胞内共生系について,現在までに得られた知見であるが,これらを総合して,その成立の起源についての一つの仮説を以下に述べる.アブラムシ細胞内共生体の祖先は,かつては微生物Tのように主には植物の葉の表面に生息する微生物であった.そしてある時この微生物は昆虫腸内にも定着する能力を獲得した.シュークロス濃度が高い,アブラムシの消化管内では,この微生物は盛んに菌体外多糖を分泌するはずであり,消化管に接着しやすくなると考えられる.当初この微生物にとっては昆虫腸内への定着は単なる長距離移動の手段に過ぎなかったのかもしれないが,やがて腸内環境をより好むものが現れた.この微生物は腸内の高シュークロス濃度下おいて多量に定着因子を生産し,効率よく昆虫への感染を果たし,腸内で増殖するようになった.これと同時に黄色色素の合成能は失われ,太陽光線下での生存には不適当となった.方法については定かではないが,腸内への定住を果たした微生物が,ある時,昆虫の体腔内に侵入する.昆虫の体液中にはトレハロースが存在するため,やはりここでもこの微生物は菌体外多糖を分泌すると思われる.これによって微生物は抗生物質に対する抵抗性を獲得し,食作用を受けてもなかなか消化されないでいると予想される.昆虫の側からすれば,しばらくは慢性的な感染症に苦しんだに違いないが,やがて微生物のある機能(窒素固定能や真菌に対する抗生物質生産能などの可能性が考えられる)に依存するようになり,自分の体内の一部に菌細胞という安定した生活の場を与え,共生関係が成立したのではないだろうか.

 以上のように本研究は,共生進化の研究分野に起源微生物の検索という新しい方法の導入を試み,それが有効な研究手法となりうることを示した.こうした角度からの共生現象へのアプローチは今後,共生の起源と進化の研究一般に応用できると考えられる.

審査要旨

 本論文は3章からなり,第1章はアブラムシ腸内細菌の分子系統学的同定,第2章は第1章で腸内細菌科に属することが示された微生物の生化学的同定,第3章は腸内細菌のアブラムシへの再感染能と定着因子についてそれぞれ述べられており,全章を通じてアブラムシ細胞内共生体の起源について,系統学的,微生物生態学的な考察がなされている.

 アブラムシは菌細胞という特殊な細胞の中に無数の原核性の共生微生物を保有しており,この昆虫と微生物は絶対的共生関係にある.こうした共生系の起源と機構の追究は昆虫生理学的に重要であるばかりでなく,真核生物の起源と多様性を理解する上でも極めて有用と思われるが,一般に共生体は昆虫体外での培養が出来ないため,その性状,機能の直接的な調査は不可能であり,研究は非常に困難であった.そこで論文提出者はこの問題に別の角度から,すなわち,共生体と起源を共にする微生物を検索し,これを糸口として,共生系の起源と機構へのアプローチを試みた.

 第1章で提出者は現在アブラムシ消化管に生息している自由生活性の微生物を単離し,16S rDNAの塩基配列を決定した上で,分子系統学的に同定を行っている.その結果,それらの微生物のうち3種はアブラムシ細胞内共生体と最も近い共通祖先を持つ腸内細菌科に属すことが示された.また同時にこの解析結果から,アブラムシ細胞内共生体は腸内細菌科の微生物と共通祖先を持ち,この共通祖先はビブリオ,パスツレラといった他の通性嫌気性グラム陰性桿菌と分かれた後,腸内細菌科の微生物が多様化するのに先だってアブラムシと共生関係を結んだことが明らかにされた.

 第2章では,第1章で腸内細菌科と同定された3種の微生物についてさらに解析が進められた.性状試験,DNAの相同性試験を通してアブラムシ腸内に生息する微生物が腸内細菌科の中でもEnterobacter,Serratia,Klebsiella,Erwinia属の微生物に近縁であることが示され,そのうちの1種はErwinia herbicolaと同定された.E.herbicolaは自然界では主に健康な植物の表面に生息している微生物であり,この事実により,アブラムシ細胞内共生体が宿主の餌である植物に関連した細菌に由来する可能性が強く示唆された.E.herbicolaは株によっては窒素固定能,真菌に対する抗生物質生産能を持つことが知られており,このことよりアブラムシ細胞内共生体も元来は同様な能力を持つ可能性も示唆された.

 上記のように,細胞内共生体の祖先がかって餌とともに取り込まれた微生物だと仮定して,これが宿主生物と共生関係に入る第一の条件は,宿主から排出されることなく体内に定着することである.そこで第3章ではこれらの微生物のアブラムシへの定着能が検討されている.その結果,アブラムシ腸内で最優勢菌種であった微生物と,第2章でE.herbicolaと同定された微生物にはともにアブラムシ腸内への定着能があることが明らかにされた.また,両者の共通した性質として,昆虫の腸内や体内環境に関係の深い糖の存在下で多量に菌体外多糖を分泌することが見いだされ,これが宿主消化管への接着,さらには感染のステップに重要な役割を果たしている可能性が示唆されている.またさらに,これら2種の微生物の感染効率についても検討されており,その結果,アブラムシ腸内の最優勢菌種は高い感染力を持ち,アブラムシ腸内に非常に適応したバクテリアであることも示された.この微生物では昆虫の腸内や体内環境に関係の深い糖の存在下で菌体表面にE.herbicolaではみられないタンパク質が誘導されることも見いだされており,このタンパク質が昆虫腸内への高度の適応を可能にした因子であることも示唆されている.

 最後に総合考察において,各章から得られた知見をもとに,アブラムシ細胞内共生系の起源についての一仮説というかたちで,いかにして微生物と昆虫が共生関係を結びうるかが述べられている.

 以上のように本研究は,共生進化の研究分野に起源微生物の検索という新しい方法の導入を試み,それが有効な研究手法となりうることを示した.こうした角度からの共生現象へのアプローチは今後,共生の起源と進化の研究一般に応用できると考えられ,この点においても本研究の意義は大きい.またこれらの研究を通じ,提出者が生物学の幅広い分野に充分な学識を持つものであることが確認された.本研究は石川統氏らとの共同研究ではあるが,いずれの場合も提出者が中心となって研究を進めており,また同意承諾書も完備している.以上を総合して,提出者の業績は博士(理学)の学位の授与に値するものであることが確認された.

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