授乳期には乳腺への栄養の取り込みが亢進すると同時に、その他の母体組織の栄養代謝などにも協同した様々な変化が生じて、乳腺への栄養供給を助けている。この協同的変化は、単に乳腺での栄養消費から生じた血中栄養濃度の低下を補うホメオスタシスによってのみ生じるのではなく、授乳期に特異的な神経内分泌系の働きを介して調節されていると考えられる。こうした協同的定方向性の調節機構はホメオレシスとよばれる。プロラクチンは、乳腺の発達・乳汁の合成促進に働くばかりでなく、乳腺以外の組織にも働いて栄養代謝を変化させる作用をもつことから、授乳期のホメオレシスに大きく関わっていると考えられる。 授乳期には、摂餌量の増加がおこり、授乳により生じた栄養需要の増加を賄っている。論文提出者は、プロラクチンが消化機能増進にも働き、授乳期の栄養のホメオレシスに寄与しているのではないかと考え、そのマウス膵臓に対する作用を調べた(第1部)。その結果、下垂体移植が、摂餌量増加以前に膵臓外分泌細胞の増殖を促進し、膵臓重量を増加させること(第1章)、また、膵臓の消化酵素含量の増加、特にタンパク質・脂質の消化に関わる酵素含量を増加させること(第2章)が明らかになった。さらに、プロラクチン投与が膵臓外分泌細胞の増殖と消化酵素含量の増加、および膵島B細胞・小腸上皮細胞の増殖促進に働くことが明らかになった(第3章)。これより、プロラクチンが迅速に膵臓の消化機能(あるいは予備能)さらには消化吸収機能全般を量的にも質的にも高めることで、授乳初期の栄養需要の急激な変化への対応を可能にし、栄養のホメオレシスに寄与していることが示唆された。こうした消化器官に対するプロラクチン作用の機序はまだ不明であるが、プロラクチン受容体に対する抗体を作製し受容体の消化器官での分布を調べた結果、プロラクチンが膵臓外分泌部に直接作用している可能性は低く、一方小腸上皮には直接作用する可能性の高いことが示唆された(第6章)。 さて、マウスの授乳期には摂餌量の増加だけでなく、貯蔵組織からの栄養放出や一部の組織で栄養利用の制限が生じて、乳腺への栄養供給を助けるホメオレシスを担っている。論文提出者が、脂肪や血糖調節に対する下垂体移植の影響を調べた結果、プロラクチンのインスリン分泌促進作用と脂肪分解作用が示峻された(第4章)。また、プロラクチンはマウスの発達した乳腺以外の組織に抗インスリン作用をもち、特に、糖代謝に関連する主要な組織で、エストロゲンとの協同してインスリン感受性を低下させることが明らかとなった(第5章)。以上のことから、プロラクチンはマウス授乳期の栄養のホメオレシスを起こす「引き金」であり、乳腺への糖や脂肪の積極的な分配を司っていることが示唆された。 さらに、論文提出者は、授乳期の栄養調節にとって重要である膵島の、プロラクチンに対する感受性の調節に興味を広げ、膵島のプロラクチン受容体発現に関する研究を行った。少ないプロラクチン受容体の発現量を定量するにあたり、競合PCR法を用いたcDNA量の高感度定量法を確立し、さらに、競合PCR法を応用した、プロラクチン受容体長短2型cDNAの量比の定量法を確立した(第7章)。次に、マウス膵島の初代培養系をもちいて、膵易プロラクチン受容体mRNAの発現に対する妊娠・授乳期のホルモンの影響を調べた(第8章)。その結果、膵島におけるプロラクチン受容体mRNAの発現は、プロラクチンおよび成長ホルモンによって促進的調節を受けることが明らかとなった。また、膵島ではプロラクチン受容体の大部分が長型であり、肝臓と異なりプロラクチンによる長型と短型の量比の変化は認められなかった。したがって、膵島のプロラクチンに対する感受性は、プロラクチン自体による促進的調節を受けていることが示唆された。 以上のように、論文提出者は、プロラクチンが乳腺だけでなく栄養貯蔵器官や消化吸収器官の機能にも作用をもち、マウス授乳期にはプロラクチンの血中濃度上昇が引き金となって、他のホルモンと協同して乳腺への栄養供給が急速かつ円滑になされるようホメオレシス的な栄養調節が行われていることを実験的に示した。本研究はプロラクチンの新たな作用を含めた多様な作用の総括的理解を試みたものであり、当分野の発展に大きく貢献したと認められる。また、本研究の一部は守隆夫(全体)・朴民根(第1,2,4章)・川島誠一郎(第1,2章)・坂本忍(第4章)雨左秀司(第4章)・矢内原昇(第1章)(敬称略)との共同研究になっているが、終始主体的に取り組んだのは論文提出者であることを確認した。したがって、論文提出者、松田学は東京大学博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格をもつと判定した。 |