学位論文要旨



No 111733
著者(漢字) 柘植,知彦
著者(英字)
著者(カナ) ツゲ,トモヒコ
標題(和) アラビドプシスを用いた葉身の伸長制御に関する発生遺伝学的解析
標題(洋)
報告番号 111733
報告番号 甲11733
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3097号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 教授 長田,敏行
 東京大学 教授 長戸,康郎
 東京大学 助教授 河野,重行
内容要旨 序論

 植物の地上部は、基本構造単位の積み重なりとして理解することができる。この構造単位は、葉、節間部、腋芽により構成されている。被子植物の中で最も複雑な構造をとる花もその例外ではなく、葉の変形した器官の集合体としてとらえることができる。その意味で葉は、植物の地上部の形態形成を理解する際に、鍵となる重要な器官である。しかし双子葉植物の葉の発生は、細胞の分裂と伸長とを、同時的かつ非局在的に伴う複雑な現象(Poethig and Sussex 1985)であるために、従来の解剖学的な研究(Avery 1933.Foster 1936)のみでは、その発生過程の解明は不十分であった。これを打開するためには、発生過程を遺伝学的な素過程に分割して解析を行なう、発生遺伝学的手法が有効と考えられる。本研究では葉の展開過程に注目し、アラビドプシス(シロイヌナズナ、Arabidopsis thaliana(L.)Heynh.)を双子葉植物のモデルとして用いて発生遺伝学的な解析を行なった。その結果、葉身の伸長時に、細胞レベルで機能する制御機構を明らかにした。

結果と考察1・細胞の極性伸長の制御を介した葉身の形態形成機構

 葉形態形成において鍵となる制御機構を解析する目的で、まず、葉身の展開過程に注目して研究をすすめた。その際、葉身の主脈方向(縦方向)と、主脈に対して垂直な方向(横方向)の伸長に着目して発生遺伝学的解析を行なった結果、以下のような極性伸長の制御機構の存在を明らかにした。

1-1)葉身の横方向の伸長を制御するANGUSTIFOLIA遺伝子

 はじめに、アラビドプシスの野生株を用いて葉の形態を解析した。その結果、各葉位において葉形態が安定していること(図1)、組織構造が解剖学的解析に適したサイズであることなどの利点が見いだされた。これらから、アラビドプシスが葉の発生遺伝学的解析に適した材料であると判断し、解析をすすめた。

 まず野生株の解析に基づき、1962年にRedeiにより単離された後、詳細な解析がなされていなかった細葉の劣性変異体、angustifolia(an)変異体(図1)を比較解析した。その結果、an変異体の本葉は縦方向の長さに異常は認められなかったが、横方向の長さが野生株と比較して著しく短く、厚さも増していることが判明した。この表現型はan変異体のすべての葉と、葉が変形した花の各器官において認められたが、胚軸や根の伸長には異常が認められなかった(図2)。従ってAN遺伝子は、葉および葉の変形した器官の形態形成に特異的な制御を司っていると考えられた。

 次に細胞レベルでの解析を行なった。an変異体の葉身を構成する総細胞数に異常が認められなかったことから(表1)、an変異の細葉の表現型は細胞分裂の欠損ではなく、細胞伸長の欠損であることが示唆された。柵状組織を構成する細胞の形状を比較した結果、実際にan変異体の細胞では、野生株に比べ横方向の伸長に欠損があり、むしろ厚さ方向に伸長することが認められた(表2)。また葉の表皮細胞においても、横方向への極性伸長が抑えられており、その一部から分化する単細胞性の毛でも、横方向への分枝の欠損が認められた。

 そこでan変異の表現型が現れる時期を特定する目的で、葉原基の発生から葉身の展開まで、an変異体の葉形態を野生株のそれと比較した。その結果、AN遺伝子は葉原基が0.5〜1.0 mm長に達した時期から葉形態に影響を及ぼし始めることが推定された(図3)。解剖学的解析からこの時期は、細胞が横方向に伸長し始める時期と一致することが、確認された。従って、an変異体の表現型は全て、細胞における横方向への極性伸長の欠損に帰着された。以上から、AN遺伝子は葉と葉の変形器官に特異的に働く遺伝子であり、葉身の細胞の横方向への極性伸長過程を、特異的に制御している因子であると推定された。

1-2)葉身の縦方向の伸長を制御するROTUNDIFOLIA3遺伝子

 以上の解析結果からAN遺伝子は、葉およびその変形器官で、細胞の横方向の伸長を特異的に制御しており、縦方向の伸長には影響しないことが判明した。このことは、葉身の縦方向の極性伸長を制御する遺伝子の存在を示唆する。そこで、葉身の横方向が正常で縦方向のみに異常のある変異体の存在を予測し、スクリーニングを行なった結果、新たにrotundifolia(rot)変異体を単離することができた。このrot変異体はいずれも劣性で、アレリズムテストから3つの座位に整理された。これらの中で、rot3変異体は典型的な表現型を持ち、野生株に比べて葉の幅が正常で、長さが著しく短い形態を示した(図1)。また、rot3変異体では花の各器官で葉と同様の形質が認められたが、胚軸や根の伸長には異常が認められなかった。従ってROT3遺伝子は、葉およびその変形器官に特異的に働き、縦の長さを制御する機能を持つと考えられた。

 解剖学的解析の結果、rot3変異体の葉身を構成する細胞の数は、野生株に比べ厚さ方向にやや多いものの、横方向と縦方向とでは野生株との差が認められなかった(表1)。従って、rot3変異体の葉形態異常は葉身を構成する細胞の数の異常によるものではなく、細胞の伸長異常によるものであると考えられた。実際に柵状組織細胞の形態を観察した結果、rot3変異体においては細胞の横方向の伸長は正常で、縦方向の極性伸長が抑制されていることが明らかになった(表2)。また柵状組織細胞の経時的観察より、rot3変異の表現型が現れる時期は、an変異体のそれとほぼ一致し(図3)、葉細胞が縦方向に伸長を始める時期とも一致することが判明した。

 以上のことから、ROT3遺伝子は葉とその変形器官の形態形成において特異的に機能する遺伝子であり、葉身の細胞の縦方向の極性伸長を制御していることが推定された。

1-3)葉身展開時に細胞の極性伸長(縦・横)制御機構は独立に働く

 AN遺伝子とROT3遺伝子の各制御の相互関係を明らかにする目的で、an変異体とrot3変異体の二重変異体を作成した。その結果an rot3二重変異体の表現型は、両親の形質を和の形で示し、葉は細く短い形態を(図4)、葉の細胞は縦横両方向に伸長が抑えられた形態を示した(表2)。このことは、AN遺伝子とROT3遺伝子が葉形態形成時に独立に機能していることを意味する。

 そこで、これらの遺伝子の機能をさらに詳細に解析する目的で、植物細胞の極性伸長に重要な役割を担っていると考えられている細胞壁表層微小管を、間接蛍光抗体法を用いて解析した。観察は葉の横縦断面の各面で行ない、特に柵状組織細胞に注目して行なった。その結果、an変異体の細胞壁表層微小管の配向は、野生株に比較して著しく異なっていることが認められた(表3)。an変異体において柵状組織細胞の伸長が、横方向に抑制され厚さ方向に促進される現象は、この微小管の配向の異常により説明することができた。一方rot3変異体では、野生株との間に有意差は認められなかった(表3)。

 以上の結果から、葉身の展開過程にはAN遺伝子とROT3遺伝子の二つの遺伝子が関与しており、それぞれ葉身を構成する細胞の、横方向と縦方向との伸長を制御していること、またそれらはお互いに独立に作用することが明らかとなった。そのうちAN遺伝子は、細胞の横方向の極性伸長を、細胞壁微小管の配向の制御を通して行なっていることが示唆された。

2・細胞の無極性伸長を制御するACAULIS1遺伝子

 葉形態形成時の細胞伸長に必須な遺伝子としては、上記遺伝子以外にACAULIS1(ACL1)遺伝子が知られている。acl1変異体は、花序の形態形成等に異常のある変異体として単離され、その表現型は細胞伸長の欠損に起因することが報告されていた(Tsukava et al.1993)。そこで葉の解剖学的な解析を行なった結果、この伸長欠損に方向性がないことが確認された。さらに、葉形態形成において、細胞の無極性伸長を司るACL1遺伝子と、横方向の極性伸長を司るAN遺伝子との相互関係を明らかにする目的で、二つの遺伝子の変異体の間で二重変異体を作成した。解析の結果二重変異体は、葉形態と細胞形態の双方において両親の形質を和の形で示すことが確認された。以上から、ACL1遺伝子とAN遺伝子とは独立に葉身展開の制御を行なうことが明らかとなった。

3・葉形態形成を司る遺伝子ネットワーク

 植物の細胞は、主に細胞壁のたががはずれることで、膨圧に促されて伸長すると考えられている。またan変異とrot3変異とが共に劣性の変異であることから、AN遺伝子およびROT3遺伝子の機能を推定すると、これら二つの遺伝子は、細胞の極性伸長を抑制する未知の因子を解除することで、細胞の極性伸長を促すものと推定される。そのうちAN遺伝子は細胞壁表層微小管の配向に変化を与えることで、細胞の横方向の伸長を制御している可能性が高い。一方ACL1遺伝子は細胞内の膨圧などの制御を介して、極性に無関係な伸長を制御していると推定される。今回の知見をもとに、アラビドプシスの葉の展開に関する鍵となる遺伝子の制御機構についてモデルを提唱した(図5)。

図表図1 アラビドプシスの葉形態。上から野生株(wt)、angustilolia変異体(an)、rotundilolia3変異体(rot3)を示す。左から2枚の子葉、8枚のロゼット葉、3枚の茎薫を葉位順に示す。 / 図2 野生株、an変異体、rot3変異体の胚軸(A)と根(B)の成長の比較。それぞれの器官の成長において、野生株と変異体との間に差がないことが認められる。 / 表1 野生株および各変異体の展開葉における細胞数の比較 / 表2 野生株および各変異体の展開葉における柵状組織細胞の形態比較(単位:m) / 図3 野生株、an変異体、rot3変異体の葉身の成長の比較。葉身長が0.5-1.0mmとなった時を境にan、rot3両変異体の表現型が現れることが確認できる。その後、an、rot3両変異体はそれぞれ、葉身の横、縦各方向への伸長が一貫して、抑制された形態を示した。 / 図4 an変異体(左)、an rot3変異体(中央)、rot3二重変異体(右)の葉形態の比較。an rot3二重変異体において、細く短い葉身の形態が確認できる。 / 表3 野生株および変異体の細胞壁表層微小管の配向の比較 / 図5 葉形態形成における遺伝子制御系のモデル図。細胞の伸長を極性に従って抑制する因子として、横、縦の各方向にそれぞれXおよびYを仮定した。野生株では、AN遺伝子は抑制因子Xを、ROT3遺伝子は抑制因子Yを解除する。
結論

 本研究では、葉形態形成の解析にアラビドプシスを用いた発生遺伝学的手法を導入することで、葉身の伸長過程を遺伝学的素過程に解剖することを試みた。その結果、植物細胞における極性伸長の遺伝学的制御機構の存在を明確に示すことができた。すなわち、横方向のAN遺伝子による制御と、縦方向のROT3遺伝子による制御とである。さらにAN遺伝子の機能に関して細胞壁表層微小管の配向との関連を見い出した。

 また葉身展開時には、極性によらない細胞伸長の制御機構も機能しており、これが少なくともAN遺伝子による横方向の極性伸長制御とは、独立に働くことを明らかにした。

 これらの結果は、葉の発生における重要な鍵となる過程を明らかにし、葉の複雑な形態形成過程を理解する上で基礎を築くものと考えられる。

審査要旨

 本論文は、アラビドプシスを双子葉植物のモデルとして用い、葉の展開過程に関する発生遺伝学的な解析を行なっている。その結果、葉身の展開時に、細胞レベルで機能する伸長制御機構の存在を明らかにしている。

 本論文は3章よりなり、第1章ではまず、細葉の劣性変異体、angustifolia(an)変異体の表現型を野生株と比較して解析している。その結果、an変異体の表現型は葉および葉の変形した器官に特異的であること、また、本葉では、縦方向の長さが正常で、横方向の長さが短く、厚さも増していることを見出している。解剖学的解析より本論文は、an変異体の細葉の表現型を、細胞レベルで働く横方向への伸長機構の欠損に帰着している。また、AN遺伝子は葉原基において細胞の横方向への伸長が開始する時期から葉形態に影響を及ぼし始めることを確認している。従って、AN遺伝子は葉形態形成時に特異的に働き、葉の横方向への細胞の極性伸長を司る因子であると推定された。

 本論文では、以上のan変異の解析結果より、葉身の縦方向の展開を制御する機構の存在を予測して、そのような機構に変異を生じた株のスクリーニングを行なっている。その結果、葉身の短い表現型を示す劣性の変異体を新たに3座位単離して、rotundifolia(rot)と命名している。rot3変異体は中でも、その表現型が葉および葉の変形した器官に特異的に現れること、本葉では横方向の長さは正常で、縦方向の長さが短いことが示された。解剖学的解析より、本論文では、rot3変異体の表現型が、細胞レベルの縦方向の伸長機構の欠損によるものであることを明らかにしている。また、柵状組織細胞の経時的観察より、rot3変異の表現型が現れる時期は、an変異体のそれとほぼ一致し、葉細胞が縦方向に伸長を始める時期とも一致することを明らかにしている。よって、ROT3遺伝子は葉形態形成時に葉の縦方向の細胞極性伸長を特異的に司る因子であると推定された。

 また、an rot3二重変異体の解析より、AN遺伝子とROT3遺伝子とが独立に機能することを明らかにしている。植物細胞の伸長は、細胞壁のたがが外れることがその主たる引き金になると考えられる。このことと、an変異とrot3変異とが共に劣性の変異であることから、本論文では、細胞の極性伸長をそれぞれ葉の横と縦の方向で抑制する未知の因子を想定し、それらの因子の解除が、AN遺伝子とROT3遺伝子の機能ではないか、と推定している。

 第2章では、細胞伸長に欠損を持つことが報告されていたacaulis1(acl1)変異体について、葉形態に注目した解剖学的解析を行ない、この伸長欠損に方向性がないことを明らかにしている。すなわちACL1遺伝子は、葉形態形成において、細胞の無極性な伸長を制御すると推定されている。さらに、acll an二重変異体を作成し解析した結果、ACL1遺伝子とAN遺伝子とは、独立に葉身の細胞の伸長制御を行なうことを明らかにしている。

 第3章では、第1章で解析した遺伝子の機能をさらに詳細に解析する目的で、植物細胞の極性伸長制御に重要な役割を担うと考えられている、細胞質表層微小管の配向を解析している。その結果、an変異体の細胞質表層微小管の配向は、野生株に比較して著しく異なっていることが明らかにされた。一方rot3変異体では、野生株との間に有意差は認められていない。以上の結果からこの章では、AN遺伝子が細胞質表層微小管の配向の制御を通じて細胞の極性伸長を制御している可能性について論じている。

 本研究は、葉形態形成の解析にアラビドプシスを用いた発生遺伝学的手法を導入して、葉身の展開過程を遺伝学的素過程に解剖している。その結果、植物細胞における極性伸長の遺伝学的制御機構、すなわち、AN遺伝子による横方向の制御と、ROT3遺伝子による縦方向の制御との存在を明らかにし、それぞれ独立に働くことも見出している。また、AN遺伝子の機能に関して細胞壁表層微小管の配向との関連を見い出している。一方、葉身展開時には、ACL1遺伝子による無極性な細胞伸長の制御機構も機能しており、これが少なくともAN遺伝子による横方向の極性伸長制御とは、独立に働くことを明らかにしている。これらの成果は、葉の発生において重要な鍵となる過程を明らかにした点、葉の複雑な形態形成過程を理解する上での基礎を築くものと考えられる。

 尚、本論文は、塚谷裕一氏と内宮博文氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、分析および検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分あると判断する。

 よって、審査委員会は全員一致をもって、論文提出者に対し博士(理学)の学位を授与できると判断した。

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