本論文は、アラビドプシスを双子葉植物のモデルとして用い、葉の展開過程に関する発生遺伝学的な解析を行なっている。その結果、葉身の展開時に、細胞レベルで機能する伸長制御機構の存在を明らかにしている。 本論文は3章よりなり、第1章ではまず、細葉の劣性変異体、angustifolia(an)変異体の表現型を野生株と比較して解析している。その結果、an変異体の表現型は葉および葉の変形した器官に特異的であること、また、本葉では、縦方向の長さが正常で、横方向の長さが短く、厚さも増していることを見出している。解剖学的解析より本論文は、an変異体の細葉の表現型を、細胞レベルで働く横方向への伸長機構の欠損に帰着している。また、AN遺伝子は葉原基において細胞の横方向への伸長が開始する時期から葉形態に影響を及ぼし始めることを確認している。従って、AN遺伝子は葉形態形成時に特異的に働き、葉の横方向への細胞の極性伸長を司る因子であると推定された。 本論文では、以上のan変異の解析結果より、葉身の縦方向の展開を制御する機構の存在を予測して、そのような機構に変異を生じた株のスクリーニングを行なっている。その結果、葉身の短い表現型を示す劣性の変異体を新たに3座位単離して、rotundifolia(rot)と命名している。rot3変異体は中でも、その表現型が葉および葉の変形した器官に特異的に現れること、本葉では横方向の長さは正常で、縦方向の長さが短いことが示された。解剖学的解析より、本論文では、rot3変異体の表現型が、細胞レベルの縦方向の伸長機構の欠損によるものであることを明らかにしている。また、柵状組織細胞の経時的観察より、rot3変異の表現型が現れる時期は、an変異体のそれとほぼ一致し、葉細胞が縦方向に伸長を始める時期とも一致することを明らかにしている。よって、ROT3遺伝子は葉形態形成時に葉の縦方向の細胞極性伸長を特異的に司る因子であると推定された。 また、an rot3二重変異体の解析より、AN遺伝子とROT3遺伝子とが独立に機能することを明らかにしている。植物細胞の伸長は、細胞壁のたがが外れることがその主たる引き金になると考えられる。このことと、an変異とrot3変異とが共に劣性の変異であることから、本論文では、細胞の極性伸長をそれぞれ葉の横と縦の方向で抑制する未知の因子を想定し、それらの因子の解除が、AN遺伝子とROT3遺伝子の機能ではないか、と推定している。 第2章では、細胞伸長に欠損を持つことが報告されていたacaulis1(acl1)変異体について、葉形態に注目した解剖学的解析を行ない、この伸長欠損に方向性がないことを明らかにしている。すなわちACL1遺伝子は、葉形態形成において、細胞の無極性な伸長を制御すると推定されている。さらに、acll an二重変異体を作成し解析した結果、ACL1遺伝子とAN遺伝子とは、独立に葉身の細胞の伸長制御を行なうことを明らかにしている。 第3章では、第1章で解析した遺伝子の機能をさらに詳細に解析する目的で、植物細胞の極性伸長制御に重要な役割を担うと考えられている、細胞質表層微小管の配向を解析している。その結果、an変異体の細胞質表層微小管の配向は、野生株に比較して著しく異なっていることが明らかにされた。一方rot3変異体では、野生株との間に有意差は認められていない。以上の結果からこの章では、AN遺伝子が細胞質表層微小管の配向の制御を通じて細胞の極性伸長を制御している可能性について論じている。 本研究は、葉形態形成の解析にアラビドプシスを用いた発生遺伝学的手法を導入して、葉身の展開過程を遺伝学的素過程に解剖している。その結果、植物細胞における極性伸長の遺伝学的制御機構、すなわち、AN遺伝子による横方向の制御と、ROT3遺伝子による縦方向の制御との存在を明らかにし、それぞれ独立に働くことも見出している。また、AN遺伝子の機能に関して細胞壁表層微小管の配向との関連を見い出している。一方、葉身展開時には、ACL1遺伝子による無極性な細胞伸長の制御機構も機能しており、これが少なくともAN遺伝子による横方向の極性伸長制御とは、独立に働くことを明らかにしている。これらの成果は、葉の発生において重要な鍵となる過程を明らかにした点、葉の複雑な形態形成過程を理解する上での基礎を築くものと考えられる。 尚、本論文は、塚谷裕一氏と内宮博文氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、分析および検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分あると判断する。 よって、審査委員会は全員一致をもって、論文提出者に対し博士(理学)の学位を授与できると判断した。 |