学位論文要旨



No 111734
著者(漢字) 林,誠
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,マコト
標題(和) 高分解能DNA 合成検出法による短期栄養生長植物Pectis papposaの花芽形態形成過程の研究
標題(洋)
報告番号 111734
報告番号 甲11734
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3098号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 助教授 箸本,春樹
 東京大学 助教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 助教授 河野,重行
内容要旨

 高等植物の花芽形成の研究が最重要課題の一つであることは、基礎科学上のみならず農業生産、環境問題などの面からも万人の認める所である。過去非常に多くの、特に光周に関係した研究が精力的になされてきたが(Bernier 1988)、花芽形成のメカニズムについての我々の本質的な知識は僅少である。この理由として考えられることの一つに、花芽形成開始の場である、茎頂分裂組織における、花芽形成開始以前の状態すなわち栄養生長期のキャラクタライゼーションが疎かであったことが挙げられる。花芽形成の最初のシグナルは、外部形態的に花芽形成を開始する以前の栄養生長時に存在するであろうことは非常に妥当な考えである。しかしながら、多くの植物は発芽後から花芽形成までの期間が非常に長く、茎頂分裂組織の経時的解析を困難にしてきた。したがって、栄養生長期の短い植物を材料として用いることで、花芽形成に関する重要な知見が得られると考えた。そこで生活環を短くすることで環境に適応している砂漠の植物Pectis papposaを材料とした。

結果及考察1.P.papposaの生長様式

 北アメリカ大陸南西部の乾燥地帯に生育する、キク科の1年生草本P.papposaは夏期に見られる局所的な短期間の集中豪雨のあとにいっせいに発芽し、開花結実までを短期間に行う(Went 1948)。修士課程において、ソノラン・コロラド砂漠に生育する、P.papposaに代表される夏期短命植物を十数種採取し、栽培を試みた。そのうち比較的早く花芽を形成したAmaranthus fimbriatus、Bouteloua barbataおよびP.papposaを試験管内培養したところ、P.papposaが最も早く、種子吸水開始後わずか6日で花芽が観察され、かつ発芽が均一で栄養生長への投資が相対的に少なかった。そこでP.papposaを花芽形成過程の解析の材料として選んだ。

 植物は連続照明条件下、30℃で、MS無機塩にイノシトールと塩酸チアミンを補ったものにショ糖を3%加え、ゲランガムで固化した培地上で無菌培養した。種子発芽誘導は自然下の状態を模倣し、50mlの滅菌蒸留水に長さ3mmの痩果100個を1昼夜浸漬して発根を促した。吸水開始後1日目にはおよそ80%に発根が観察され、それを培地上に移植した。発芽幼植物体の生長の様子を、葉の発達で生長ステージを子葉、第1本葉対、第2本葉対、第3本葉対、花芽として、全体に占める割合で示した。移植した個体の50%が葉を展開するごとにステージが進むものとみなした。2日目には子葉が展開し、4日目には第1本葉対が明確に観察される。7日目には第2本葉対が、10日目には第3本葉対がそれぞれ観察された。第3本葉対の次には花芽が形成される。グラフの傾きから、毎日のサンプリングには生長の早い10%を指標個体として用いることにした。つぎに指標個体の生長の様子を示す。2日目には子葉が展開し、3日目には第1本葉対が肉眼で観察される。4日目には第1本葉対が展開して2mmに伸長し、5日目には5mm、7日目には1cmになる。第2本葉対は6日目に観察され、第3本葉対は8日目に観察された。9日目になると花芽が形成されていることが実体顕微鏡下の観察で明らかになった。

2.SEMとテクノビット・DAPI法による、茎頂分裂組織の経時変化の解析

 実際に器官形態形成の場である茎頂を観察することで、外部形態上いつ花芽形成が開始したかを明らかにするために、茎頂の経時形態変化を走査型電子顕微鏡で観察した。吸水開始後2日目にはすでに第1本葉対が200mに発達していたが茎頂分裂組織は平坦であった。3日目になると第1本葉対の間の分裂組織が隆起して、更にその両端には第2本葉対の原基が形成される。4日目には第2本葉対は発達して100mになり、茎頂分裂組織は2日目の状態と異なり、わずかに隆起している。5日目にはその隆起が更に著しくなり、また第3本葉対の原基も形成される。6日目になると茎頂分裂組織はドーム状になり、花のもっとも外側の組織である苞葉の原基が形成された。7日目には(キク科に特徴的な器官である)小花の原基が現れ始め、苞葉が発達して茎頂分裂組織を覆い始め、8日目には完全に覆ってしまう。播種後僅か6日目に花芽形成を開始したことは、P.papposaの栄養生長が極端に短く、しかしその間に3組の本葉対を形成しながらも花芽形成のための準備をしている(いわゆるコンピテントになること)と予想された。そこで、外部形態的に明らかになる花芽形成以前に、花芽形成の場である茎頂分裂組織の内部ではどのような予兆があるのかを解析するために、組織学的に茎頂分裂組織の経時変化を捉えた。

 テクノビット7100樹脂包埋した植物体の茎頂分裂組織切片をDNA染色色素DAPIで染色した。茎頂分裂組織は細胞核が球形で、細胞に対して核の占める割合が大きく、液胞が発達していない細胞質の緻密な細胞で構成されている。吸水開始後2日目の茎頂分裂組織は2〜3層の細胞で構成されており、表層は平坦である。3日目になると細胞屑が3〜4層に増加するが分裂組織の幅は余り変化せず、第2本葉対の原基を形成し始めている。4日目には第2本葉対が発達したために茎頂分裂組織の幅が狭くなり、見かけ上の構成細胞数が減少する。細胞層は顕著には変化しない。5日目になると分裂組織の幅が拡大し、隆起を始める。栄養生長期を通じて並層分裂が部分的に観察されるが、分裂組織層の増大にはあまり関与していないものと思われる。6日目になって生殖生長を始め、分裂組織がドーム状になると随所で並層分裂が見られ、分裂組織を構成する細胞が増大していた。7日目以降になると分裂組織は急激に増大し、細胞質に比較的小型の液胞が数個観察されるようになる。6日目に急激に分裂が盛んになり、分裂組織を構成している細胞数が増加する現象は、5日目以前の茎頂において茎頂分裂組織の細胞分裂周期が変化したことを示唆する。したがって、茎頂の個々の細胞の分裂周期をDNA合成パターンを指標にして解析することにした。

3.細胞核DNA合成の停滞している分裂組織の細胞-ドーマント・セル

 茎頂分裂組織のDNA合成パターンの経時的変化を、チミジンのアナログである5-ブロモデオキシウリジン(BrdU)をフルオロデオキシウリジン存在下で茎頂に直接取り込ませ、テクノビット樹脂包埋切片上でBrdUに対する蛍光抗体染色によって検出した。従来のトリチウムチミジン法と比較してBrdUテクノビット法は細胞核内のDNA合成様式や個々のオルガネラのDNA合成まで検出できるという特徴がある。さらに、P.papposaの茎頂は取込効率が非常に高く(例えばアラビドプシスと比較して)、わずか1時間のラベルでDNA合成が検出でき、12時間でほぼ全ての細胞に取込が見られるようになった。そこで12時間のラベルで経時的変化を観察した。

 吸水開始後1日目の植物体の茎頂分裂組織には全くDNA合成が見られず、種皮に覆われて未だ展開していない子葉のプラスチドのみがDNA合成をしている。これから12時間たった茎頂分裂組織ではDNA合成を開始した細胞核が観察され、かつオルガネラにも取込が見られる。さらに12時間経過した2日目の茎頂では多数の細胞核に取込が見られるが、分裂組織中央部分の数細胞の細胞核では全く取込が検出されず、DNA合成が停滞していることがわかった。この状態は3.5日まで続くが、その間、周囲の細胞は活発にDNA合成をして栄養生長の形態形成にかかわっている。さらに特異なことは、これらのDNA合成の停滞している細胞核が存在する細胞のオルガネラは周囲の細胞と同様にDNA合成を行っている点である。4日目になると細胞核に全く取込の見られない細胞群は観察されず、分裂組織中央部分にはBrdUを点状に取込んでいる、DNA合成を開始したとおもわれる細胞核が幾つか観察される。5日目にはDNA合成を指標にした、茎頂分裂組織内の区分は不可能になり、花芽形成の開始する6日目にはDNA合成が極大に達した。

 4日目以前の茎頂分裂組織中央部に存在する、細胞核DNA合成の停滞している細胞群は、5日目以降分裂を開始し、花芽形態形成の場である6日目以降の茎頂分裂組織の大部分を占めるようになると推定される。栄養生長期には分裂をせずに休眠しているという意味で、この細胞をドーマントセルと名付けた。栄養生長期の茎頂分裂組織中央部分-ドーマント域-に存在する数個の細胞は花芽形態形成の特異的な情報を持っている可能性がある。さらにドーマントセルは栄養生長期のスペシフィック・マーカーとしてとらえられる。

4.花芽形成開始以降の茎頂におけるDNA合成パターン

 7日目以降の茎頂分裂組織は全面的に分化に向かい、最後には茎頂分裂組織という概念はなくなり、集合花を形成する。7日目の茎頂の先端部では未だ層状構造が観察され、分裂組織であることを示していて、DNA合成に関しても大部分の細胞に取込が見られる。しかし、小花の原基が誘導される9日目になるとDNA合成が活発な領域は小花原基に限定され、他の領域では取込率が低下し、分化の進んだことが分かる。さらに小花の原基は11日目になると花弁・雄ずい・花柱の原基と子房の原基に2分される。より分化が進んでいるとおもわれる上部では取込が低下し、このあと胚珠の形成が始まる下部の子房の方がより取込がある。この時点ですでに茎頂分裂組織は認められなくなっている。さらに外部形態形成のほぼ完了した13日目の小花では、DNA合成パターンの差は明確になり、BrdUの取込が見られるのは主に子房である。胚珠の形態形成が始まっており、その部分の細胞核は4日目のドーマント域で見られたような点状の取込を示した。

まとめ

 本研究によって以下のことが明らかとなった。

 1.P.papposaは種子吸水開始後わずか6日で花芽形成を開始することが、SEMによる外部形態観察と、テクノビット・DAPI法による茎頂分裂組織内部の細胞分布によって明らかとなった。これは現在知られている植物の中で最短であるとおもわれる。

 2.BrdUテクノビット法による、花芽形態形成に関する茎頂分裂組織の経時変化を解析した結果、花芽形成開始以前の茎頂分裂組織中央部分に、DNA合成の停滞している、ドーマントセルが数個存在することが明らかとなった。この細胞群は花芽形態形成に特異的に関与していることが予想される。

審査要旨

 本論文は3章からなり、第1章ではPectis papposaの茎頂分裂組織における栄養生長から生殖生長にかけての組織形態学的経時変化について、第2章では栄養生長時の茎頂分裂組織における細胞核、ミトコンドリア核およびプラスチド核のDNA合成パターンの経時変化について、第3章では花芽形態形成時における細胞核DNA合成の局所性について述べられている。論文提出者は修士課程において、本論文で材料として用いられているキク科の砂漠短命植物P.papposaを導入し、無菌培養下で花芽形態形成を一斉におこなわせることに成功した。本論文は、DNA合成を指標とした茎頂分裂組織の形態形成を、特に花芽形態形成に注目して解析することを目的としたものである。

 第1章では、走査型電子顕微鏡観察およびテクノビット樹脂包埋切片の蛍光顕微鏡観察によって、種子吸水開始後2日目より花芽形態形成の開始する6日以降の茎頂分裂組織の経時的形態変化を解析している。十字対生葉序である本葉の第1対原基は成熟種子中で既に形成されており、3日目には第2対、5日目には第3対の葉原基が形成された。6日目には比較的平坦であった茎頂分裂組織表層が著しく隆起を始め、かつ花器官の最外周組織である苞葉の原基が輪生(あるいは螺旋)葉序で形成され、茎頂分裂組織が生殖生長に移行したことが明らかにされた。さらに7日目には苞葉原基の内周に小花原基が出現した。10日目には小花原基が杯状構造を成していることが観察され、13日目には基本的な体制である、花弁、雄蕊、雌蕊が形成され、キク科の特徴である舌状花と筒状花の分化が明確となった。DNA特異染色色素DAPIの染色による茎頂分裂組織正中縦断面切片の蛍光顕微鏡観察によって、栄養生長期の分裂組織層は2日目から3日目にかけて2〜3層から3〜4層に増加した後一定になり、垂層分裂が主であることが認められた。生殖生長に移行する6日目には並層分裂が頻発に観察され、分裂組織層は著しく隆起するとともにその領域を拡大するが層状構造は乱れてくることが観察された。茎頂分裂組織内部における細胞分裂パターンの急激な変化によってDNA合成パターンの変化が示唆された。

 第2章では、発芽後から花芽形成開始までの茎頂分裂組織における細胞核、ミトコンドリア核およびプラスチド核のDNA合成パターンの変化を解析している。DNA合成基質チミジンのアナログである5-ブロモデオキシウリジン(BrdU)を茎頂分裂組織表面から直接取り込ませ、BrdUに対する間接蛍光抗体法を用いてDNA合成が検出された。吸水開始後1日目の発根した植物体の茎頂分裂組織ではDNA合成が全く見られなかったが、種皮に被われている未展開の子葉のプラスチド核では盛んにDNA合成をしていた。1.5日目の植物体の茎頂分裂組織では細胞核、ミトコンドリア核とプラスチド核ともにDNA合成を開始した。2日目の植物体の茎頂分裂組織では細胞分裂に伴うと考えられる組織の層状化が観察され、かつ細胞核は活発にDNA合成をしていたが、分裂組織中央部にまとまって存在する数細胞の細胞核は全くDNA合成をしていなかった。しかしこれら数細胞の細胞中のミトコンドリア核とプラスチド核はいずれも盛んにDNA合成をしていた。この細胞群はドーマントセルと名づけられ、周囲のDNA合成が活発な細胞と区別された。ドーマントセルの存在は3.5日目まで明確に認められたが、4日目以降、細胞核DNA合成を開始したことが細胞核内でのスポット上のBrdU取り込みで確認された。以上のことからドーマントセルは栄養生長特異的に茎頂分裂組織に存在する細胞であることが示された。

 第3章では6日目の花芽形態形成開始以降の茎頂における形態形成に伴う細胞核DNA合成パターンの変化を解析している。7日目の茎頂では苞葉が発達し、分裂組織は軸方向に隆起するも細胞核DNA合成は全般に起こっていることが認められた。しかしながら小花原基の発達してくる8日目になると、細胞核DNA合成は原基に偏在するようになった。原基が球状になる9日目には原基基部には細胞核DNA合成が見られなくなり、杯状に変化する10日目には、原基内部においても細胞核DNA合成に偏りが見られるようになった。11日目には形態的に下位子房が認められるようになり、細胞核DNA合成はそれ以前と比較して頻度が低下した。花弁原基内部から雄蕊原基の形成されてくる12日目には、細胞核DNA合成が小花原基下部の子房形成域により多く見られた。この傾向は13日目にも引き続き認められ、筒状花、舌状花ともに主に子房において細胞核DNA合成が観察された。以上のことから花芽形態形成において、形態形成に向かう部位に細胞核DNA合成が存在することが示された。

 論文提出者は、発芽後から花芽形態形成にいたる茎頂分裂組織の経時変化を解析し、栄養生長時には茎頂分裂組織中央部に細胞核DNA合成のみが不活性化された細胞ドーマントセルが数個まとまって存在し、生殖生長時には形態形成と細胞核DNA合成が時空間的に密接に関連していることを明らかにした。DNA合成という観点から詳細に形態形成を解析した論文提出者の業績は優れているとみとめられる。なお、本論文第1、2、3章は黒岩常祥氏および河野重行氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って博士(理学)を授与できると認定する。

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