学位論文要旨



No 111739
著者(漢字) 生形,貴男
著者(英字)
著者(カナ) ウブカタ,タカオ
標題(和) 二枚貝の成長と形
標題(洋) Growth and forms in bivalve shells
報告番号 111739
報告番号 甲11739
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3103号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 棚部,一成
 国立科学博物館 室長 加瀬,友喜
 東京大学 助教授 加瀬,友喜
 愛媛大学 講師 岡本,隆
 千葉県立中央博物館 主任技師 森田,利仁
 東京大学 助教授 大路,樹生
内容要旨

 生物形態の多様性に対する説明として、Seilacher(1970)は、適応論・系統論に加えて構造構築論の重要性を強調した。生物における形相の科学ともいうべきこの構造構築論は、主にRaupによって始められた理論形態学によって議論されてきた。これまでに貝殻の形と成長に関する様々な理論形態学的モデルが提出されてきたが、それらの多くは殻のマクロな成長規則を幾何学的に記述したものであり、形態形成のモデルというよりはむしろ機能形態学や古生態学などの道具として用いられてきた。こうした研究は、基本的には生態上の要請と形態形成のマクロな規則との関係を議論したものであり、いささか全体論的であるように思われる。一方実際の貝殻の形態形成は、殻皮の分泌・結晶の成長・外套膜の成長・外套膜の変形といった要素間の相互作用の結果であるが、こうした相互作用を考慮した研究例は極めて少ない。そこで本研究では、二枚貝類を材料として、その殻体成長に関する個々のプロセスと貝殻形態との関係を解析し、微視的な成長プロセスと巨視的な成長の幾何学との橋渡しを目的とする。

 まずその第一歩として、現生二枚貝類72種を用いて、殻体の成長方向断面での微視的形態の解析を行った。まず殻体を構成する微細構造ユニットの成長様式を把握するために、走査型電子顕微鏡で殻の成長方向断面と成長縁とを観察した。また殻全体の付加成長に対する各微細構造ユニットの相対成長を万能投影器で計測した。その結果、様々な微細構造において、それぞれの構造ユニットは微細結晶のクラスターを形成しながら成長していき、幾何学的選別作用によって構造ユニット全体の配列及び成長線の方向が決まることと、結晶成長速度が殻の内側への結晶の伸長に従って減衰し、そのために構造ユニットや成長線が湾曲するということがわかった。また結晶成長速度が速いほど、概してその減衰も速いという傾向が見られた。更に殻体断面で見たときに個々の微細構造ユニットがほぼ球晶状に成長すると近似した上で殻断面の微視的形態をシミュレートし、成長線と微細構造ユニットとのなす角度に注目して標本の観察結果と比較したところ、結晶成長速度の減衰が微細構造ユニットの伸長方向へのみ差別的に生じるという仮定のもとでの理論的パターンが、最も良く実際のパターンを再現することがわかった。こうした結果から、殻断面での成長線プロファイルは、殻体内部で成長する炭酸カルシウム結晶の成長速度とその減衰率によって決まるものと思われる。また結晶成長速度の減衰が微細構造ユニットの伸長方向へのみ生じるというシミュレーションの結果は、構造ユニットの伸長に伴う結晶成長の減衰が、外套膜の部位による分泌活性の違いよりもむしろ有機物等による物理的な阻害に由来する可能性を示唆する。おそらくこうした結晶成長の阻害作用が成長線のプロファイルすなわち微小時間における殻の付加パターンをコントロールしているのではないかと思われる。殻全体の形は微小時間の付加パターンの集積の結果であることを思えば、結晶成長とその阻害作用に関する特性は、殻体微細構造の構築のみならず殻体全体の形態形成においても重要な要因となりうることが予想される。

 次に殻体の局所的な付加成長パターンの変動の効果を見積もるために、殻の縁に平行な共心円状貝殻彫刻の形成機構について考察した。これまでも貝殻の表面装飾形成についていくつかのモデルが提出されてきたが、それらのほとんどは二次元的なパターンの時間発展規則を記述するものであった。しかし三次元的な貝殻彫刻の形成について考える際には、殻体を形成するときの殻と外套膜との関係について解析しなければならない。殻体形成の際の殻と外套膜との関係は、殻体の内部に成長線として時系列的に記録されている。そこで現生および化石二枚貝類72種を用いて、特に貝殻内の成長線と表面彫刻との関係に注目し、殻の成長軸方向の切片を顕微鏡で観察した。また貝殻表面彫刻の形成要因となりうるものとして、外套膜の伸縮・外套膜の成長率の変化・炭酸カルシウムの沈着率の変化の3つを想定し、局所的には外套膜の運動の軌跡が一定のプロファイルに保たれるという仮定の下で、それぞれの場合について貝殻切片の幾何学的パターンのコンピューターシミュレーションを行った。彫刻の位相と貝殻内成長線の間隔との関係や、切片で見たときの表面彫刻のプロファイルなどについて、シミュレーションの結果と顕微鏡観察の結果とを比較したところ、外套膜の成長率の変化や炭酸カルシウムの沈着率の変化を貝殻表面彫刻の要因として想定した場合に形成される理論的なパターンは実際の標本に見られる多くのパターンと一致せず、外套膜の長さを周期的に伸縮させた場合のシミュレーションの結果が最も良く実際に見られるパターンを再現することが分かった。また、外套膜の運動が一定の軌跡を描くという仮定のもとでは、貝殻内成長線のプロファイルを再現できないものが若干見られた。これらの結果から、二枚貝の共心円状の三次元的な表面彫刻の多くは、主に外套膜の伸縮の結果形成されるものと考えられる。またコンピューターシミュレーションによって再現できなかった一部のパターンについては、外套膜表面の形状の変化によって説明できるものと思われる。いずれにせよ、二枚貝における共心円状貝殻彫刻は、成長を通じた外套膜の周期的な弾性変形に帰着できると結論される。従って、こうした表面彫刻の形成は、殻全体の形態形成に対して累積的な効果を持たないと考えられる。また外套膜の変形は、外套膜の殻への付着位置や外套膜を動かす筋肉のタイプ、さらには貝殻微細構造に由来する殻体の物性などによって規制されると考えられることから、共心円状貝殻表面彫刻の進化は、機能的制約のみならず系統的・発生的制約を強く受けるということが示唆される。

 次に以上の微視的形態の解析結果をもとに、殻体の巨視的な形態形成について考察した。まず殻体成長のキネマティクスを記述するために、成長線湾曲度・結晶相対成長速度・外套線前進率の3つのパラメターを設定して殻断面の成長をモデル化した。そして実際の標本で各パラメターを計測し、その計測値からモデルに従って殻の膨らみと厚さの予測値を計算し、殻の膨らみや厚さの実測値と比較することでモデルの妥当性を検討したところ、計算値と実測値は良く一致した。このことから、二枚貝殻体の形態形成過程は、外套膜の成長・殻体結晶の成長・外套線の前進の単純なバランスで機械論的に説明できることがわかった。またこのモデルのもとでのシミュレーションから、それぞれのパラメターが成長を通じて一定ならば、初期条件を変えても最終的に描かれる殻体断面は同じ形に収束することがわかった。このことは、成長を通じて殻の形を一定にたもつような負のフィードバック機構がはたらくことを示している。Ackerly(1992)は、二枚貝と腕足類の殻の膨らみの変異を解析し、小さいときには変異が大きいにもかかわらず大きくなるとある決まった形に収束していく現象を報告しているが、本研究の結果はこうした現象に対する説明を与えるのではないかと考えている。さらにシミュレーションの結果から、殻の膨らみが成長を通じた成長線湾曲度や結晶成長速度の平均値の変化に対して敏感に変わってしまう場合があるという予想を得た。このことは、殻体結晶の成長様式をわずかに変化させるような生化学的進化が、場合によっては急速な形態の進化を引き起こす可能性があることを示唆するものである。すなわち本研究で提出された形態形成システムのモデルは、初期条件の変異に対する安定性と成長パラメターの平均値に対する変異性といった2面性を有する。また上記の各パラメターを連続的に変化させて、モデルに従ってシミュレートされた殻の膨らみ・厚さ・外套線の内側の広さについてそれぞれ計算し、これら3つの形態値が占めうる理論形態空間の範囲を求めた。また202種の実際の二枚貝標本について、それら3つの形態値を計測して、それらが占める実形態空間の範囲を理論形態空間の範囲と比較した。その結果、実際の貝殻の厚さはある程度以下に限られているものの、その限られた範囲内においては両者は良く一致した。これら形態空間の範囲から、殻の膨らみを最大にするための最適な殻の厚さが、外套線の内側の広さによって変わることがわかった。すなわち、外套線の内側が広いものではある程度殻が薄いほうがより殻を膨らませることが可能であるのに対して、外套線の内側が狭いものでは極めて殻を厚くしないと膨らんだ殻を作れないと結論づけられる。また外套線の内側の広さについては、外套膜の筋肉のタイプごとにその範囲が著しく異なる傾向が見られた。外套膜の筋肉のタイプは大分類群ごとに決まっているので、もし殻の厚さに結晶成長上の制約があるのだとすれば、どれだけ膨らんだ殻を作れるかということは系統的に制約を受けると考えられる。

 本研究から、二枚貝の殻体形成において、殻体中の炭酸カルシウムの成長様式や結晶成長上の制約などが、貝殻の微細構造パターンの形成においてみならず、貝殻の巨視的な形態の形成や形態進化においても重要な役割を果たすであろうことが予想される。そういった意味で、本研究の結果は、単に殻体の形態形成における異なる階層間の関係についての仮説を提唱しただけでなく、形態学と物質科学との橋渡しの可能性を示した点に意義があると思われる。今後更に結晶成長と形態進化との関係を明らかにするためには、絶対時間を導入した殻体成長速度論を展開する必要があろう。

審査要旨

 生物の形やその成長の規則性を数理的に記述し、形態形成を支配する物理的要因を明らかにしようとする試みは古くはMoseley(1838)やThompson(1917)に遡るが、それを体系化して生物硬組織の成長を支配する幾何学的要素や制約条件を探ることを目指す理論形態学を確立したのはRaup(1962,1966)である。しかし、Raup以降行われた理論形態学は生物形態のマクロな幾何学の記述とそれを支配する機能的・生態的要素との関係の解析に主眼が置かれ、ミクロなレベルでの形態形成との関連性についてはあまり注意が払われなかった。

 本論文は、軟体動物二枚貝類を対象として、殻体成長に関与する種々の要素と貝殻の全体形との関係を実際と理論の両面から解析し、微視的な構造のパターン形成がマクロな形態の成長の幾何学といかに関連しているかを詳細に検討した国際的にも注目される画期的な研究成果である。二枚貝類の殻は付加成長により形成され、マクロな殻形態は微視的な貝殻の成長の時系列的積算であるといえる。その微視的形態は殻皮の分泌・結晶の成長・外套膜の成長・外套膜の変形といった要素の相互作用の結果、構築される。

 本論文の前半(第一部)では、まず貝殻の微視的構造の形成過程に注目し、現生二枚貝72種の貝殻の最大成長軸に沿った微細構造ユニットの配列と成長様式を光学顕微鏡・走査型電子顕微鏡・万能投影機を用いて詳細に観察・計測した。その結果、どのタイプの殻体微細構造においても、微結晶の成長に伴う幾何学的選別作用により微細構造ユニットの全体的配列や成長線の方向が決定されること、結晶成長速度の減衰によって構造ユニットや成長線が湾曲することを明らかにした。このような観察事実に基づき、貝殻断面上での個々の微細構造ユニットの微視的形態をコンピュータによりシュミレートし、実際の標本の観察結果と比較した。その結果、結晶成長速度の減衰が微細構造ユニットの伸長方向へ選択的に生じるとし仮定した場合に描かれる幾何学的パターンが実際の微細構造を最もよく再現することを明らかにして、断面上での成長線の付加様式は微結晶の成長速度と減衰率により決定されると結論づけた。

 論文の第二部では、二枚貝類の殻の縁に多く発達する平行な共心円状貝殻彫刻の形成機構について考察している。まず多数の現生・化石二枚貝類の殻の成長軸方向の切片を作成し、成長線の付加様式と共心円状貝殻彫刻との関係を顕微鏡下で観察した。さらに、貝殻表面彫刻の形成要因として外套膜の伸縮・外套膜の成長率の変化・炭酸カルシウムの沈着率の変化の3つのパラメータを想定し、局所的には外套膜の運動の軌跡が一定のプロフィールに保たれるという仮定の下で、それぞれの場合について微視的殻形態のコンピューターシミュレーションを試みた。そして、得られた結果と顕微鏡観察結果との比較から、外套膜の長さを周期的に伸縮させた場合のシミュレーションの結果が最も良く実際のパターンを再現することを示した。この研究により、二枚貝の共心円状の三次元的な表面彫刻の多くが、主に外套膜の周期的な伸縮の結果形成されることを理論と実際の両面から見事に説明した。

 論文の後半では、前半の微視的形態に関する研究成果を発展させて、殻体の巨視的な形態形成について考察している。まず、成長線湾曲度・結晶相対成長速度・外套線前進率の3つのパラメータを設定して殻断面の成長をモデル化を試みた。それは、成長のスカラー量があらかじめ決まっていても、成長の方向は結晶成長速度や外套膜の成長速度などのバランスによって決定されるというモデルであり、成長の運動学に基礎を置いた理論形態学的モデルとしては初めて、殻の成長方向自体がどのように決定されるかということにも言及している。さらに、実際の標本で各パラメータを求めて、その値からモデルに従って殻の膨らみと厚さの予測値を計算し、殻の膨らみや厚さの実測値と比較することによりモデルの妥当性を確認した。さらに、このモデル下での計算機シミュレーションにより、それぞれのパラメータが成長を通じて一定ならば、初期条件を変えても最終的に描かれる殻体断面は同じ形に収束することを明らかにして、二枚貝類では成長を通じて殻の形を一定に保つような負のフィードバック機構が働いていることを理論的に明らかにすることに成功した。また、上記パラメータのわずかな変化が、時として大きな形態変化をもたらす可能性を示唆している。申請者が提起した形態形成システムのモデルは、初期条件の変異に対する安定性と成長パラメータの平均値に対する変異性といった2面性を持つことを示している。申請者はさらに、二枚貝類の殻の巨視的形態の多様性とそれを規定している要因を探るため、実形態空間と理論形態空間の比較を試みた。まず、モデルに従って各パラメータを連続的に変化させて得られた殻の膨らみ・厚さ・外套線の内側の広さについてそれぞれ計算し、これら3つの形態値が占めうる理論形態空間の範囲を求めた。また202種の二枚貝標本の殻の計測値を基に、それらが占有する実形態空間の範囲を描き、理論形態空間の範囲と比較した。その結果、理論形態空間のパターンは実形態空間とそれとほぼ一致することが確かめられ、また外套線の内側の広さに依存して殻の膨らみを最大にするための最適な殻の厚さが変化することが明らかになった。また外套線の内側の広さと外套膜の筋肉のタイプとの関係の比較から、殻の膨らみについては系統的に制約を受けている可能性を示唆している。この研究の結果、二枚貝類の殻の微視的構造から巨視的な形態にわたるパターン形成が実際と理論の両面から統一的に説明することが可能となり、それに微視的結晶成長の速度・外套膜の成長率や伸長様式・結晶成長における幾何学的選別作用などの要素が強く関与していることが明確になった。

 申請者が本論文で導入した方法と概念は理論形態学と形態構築論の新しい領域を開拓し、進化古生物学の発展に関して一つの規範を示したと言える。よって、審査委員全員は申請者が博士(理学)の学位を受けるに十分な傑出した論文を提出したと判断した。

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