学位論文要旨



No 111746
著者(漢字) 李,国平
著者(英字)
著者(カナ) リー,コクヘイ
標題(和) 中国東北地区における炭田開発及び炭鉱工業地域の形成とその内部構造
標題(洋)
報告番号 111746
報告番号 甲11746
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3110号
研究科 理学系研究科
専攻 地理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田辺,裕
 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 助教授 荒井,良雄
内容要旨

 本論文は,まず中国東北地区鉱工業地域を代表する炭田地域を研究対象として,石炭資源の地域差に規定された石炭産業の立地展開と特徴,及び炭田開発を基盤とする炭田集中地域の形成と再編の実態を明らかにした.次に,撫順炭鉱工業地域に焦点を合わせ,炭田開発に伴う工業化の実態,鉱業地域から炭鉱工業地域への移行過程,及びその要因を究明した.さらに,開発歴史,立地条件,工業の進出度合等によって.炭鉱工業地域(都市)を類型化し,工業化が進んだ炭鉱工業地域である,撫順炭鉱工業地域の内部構造を解明したものである.

 炭鉱工業地域は,中国東北地区鉱工業地域の重要な一部門であり,その形成と発達は,産業及び産業地域の発達歴史において,重要な位置を占めていると考えられる.従来,地理学の分野では,鉱業地域と工業地域を,それぞれ個別に研究するものが多く,鉱業と工業を関連させながら,鉱工業地域を研究する例は多くない.中国東北地区を対象とする研究は,地誌学,経済史学にとどまり,特定鉱工業業種についての地域的研究はまだ進んでいない.中国の地理学における炭鉱業の研究は主に石炭資源評価,生産配置,炭鉱都市の分野で行われたが,研究地域のスケールが大きすぎて,詳細な実証研究・地域の事例研究はほとんど見られなかった.本論文は,撫順炭鉱工業地域に焦点を合わせ,実証的な地域の事例研究を試みた.

 本論文では,東北地区炭田集中地域の形成・再編について石炭資源の面から,同時に市場構造及び流通構造の面から分析を行った.確認された事実は以下のとおりである.

 (1)炭田地域の基幹産業である石炭産業は石炭資源の賦存状況と密接に関連し,その立地展開は炭田の位置及び炭質により左右される.東北地区の石炭資源には大きな地域差があり,埋蔵炭量,炭質,層厚,傾斜及び構造状況により,三つの類型に分けられる.東北地区の19の主要な炭田に対して評価した結果,撫順炭田は東北地区において最良の炭田であることが分かった.

 (2)石炭産業の発展は,石炭資源を基盤とする一方,社会体制,政策などの影響を受けてきた.

 (3)東北地区の石炭流通の基本方向は北→南,及び西→東である.中国の流通現況(運送力不足,高運送費)により,市場需要と流通の合理化は石炭生産配置にかなり大きな影響を与えた.

 (4)撫順炭田,遼源炭田,北票炭田を除いた東北地区の炭田地域では,採炭業と電力工業の2種が,鉱工業の主体である.石炭開発の歴史が長い遼寧省中,西部炭田集中地域は,鉄法炭田と瀋陽炭田の紅陽地区,瀋北地区を除いて,石炭資源の限界によって炭田開発が停滞し,採炭業の規模が縮小しつつあるが,石炭資源が豊富な黒龍江省北東部と内蒙古自治区東部の炭田集中地域では,採炭規模が拡大し,炭田開発がいっそう増強されてきた.

 (5)東北地区の炭田開発の時代区分,及び炭鉱工業地域(炭鉱都市)の分類を行った.この研究では炭田開発の時代として,撫順炭鉱独占時代,多極共存時代,黒龍江省北東部炭田集中開発時代及び内蒙古自治区東部露天掘の開発時代と,四つに区分した、炭鉱工業地域(炭鉱都市)の類型としては,単純採炭型,採炭・電力型,総合重工業型の三種類に分けられる.

 炭田地域の中には,数十年石炭を掘り続けた結果,それまで地域経済を支えてきた炭鉱が閉山し,炭田地域に衰退をもたらしたケースは少なくない.一方,工業化の方策が採られて,炭鉱業に起源を発し,炭鉱工業地域へと方向転換した炭田地域もある、撫順炭田地域はその代表的な例である.撫順炭田地域は採炭業のほか,電力工業,その他重化学工業,電機工業及び軽工業も立地し,総合的な炭鉱工業地域(炭鉱都市)にまで発展してきた.撫順炭鉱工業地域における炭鉱開発は,今世紀初の1901年に,民族資本により開始した.撫順炭田は約九十年間にわたり採掘を続けたため,埋蔵量の限界に達し,出炭量は七十年代の1,000万トン台から現在の800万トン台に減小した.かつては油母頁岩(オイルシェール)を原料とする製油工業で知られたが,その後新たに天然石油精製の分野で発展した.撫順炭鉱工業地域の場合,炭鉱から出発したが,石油精製及び鉱山機械へと生産機能が多様化する中で,多くの関連工場(部品などの下請け工場)を地域内に立地させ,地方工業地域を形成した.炭鉱工業地域は,炭鉱開発を経て形成され,従来の一鉱山,一企業,一村落という分散式立地状況と都市形態が.採炭以外の鉱工業の進出を契機に大きく変化した.本論文では,撫順炭田開発に伴う工業化の実態を分析した結果,以下のことを明らかにした,以下は,従来行われてきた研究とは一線を分かつものだと自負している.

 (1)撫順炭鉱工業地域における石炭生産力の展開は炭田の資源の賦存状況と,炭鉱への投資,石炭市場,政治体制などと緊密に関連している.大規模な投資,炭鉱用設備の進歩,採掘法の改善は,戦前の撫順炭鉱の急成長の主な要因であった.撫順炭鉱工業地域の工業化は炭鉱付随工業から始まったが,その後電力工業,機械工業,石油工業を中心として発展してきた.油母頁岩製油工業から,天然石油精製へと発展してきた石油化学工業は,撫順炭鉱工業地域が鉱業地域から鉱工業地域へ転換する契機となった.長年の採掘による石炭資源の枯渇と,採鉱条件の悪化に伴う鉱山の衰退で,撫順炭鉱は経営の多角化が進行しつつある.女性及び炭田地域労働者の子女と家族の就業に配慮するため,撫順炭鉱工業地域の軽工業,紡績工業企業と企業内集団所有制企業は急速な発展を見せると同時に,集積の利益で電力工業,鉱山機械製造企業も撫順炭鉱工業地域に進出,発展してきた,こうした工業化を加速したのは国家重点建設プロジェクトであり,特に第1次五か年計画期間中の重点建設が,石炭工業,電力工業及び金属工業の回復と発展の基礎を築いたことが分かった.

 (2)鉱業と工業に分けて,それぞれの発達過程を明らかにする一方,撫順炭鉱工業地域における鉱工業化の時代区分を行った.各時代の特質としては,まず鉱業の形成期において,石炭採掘を中心に,撫順炭鉱一社が独占する開発であった.次に,工業の形成期において,石炭資源の開発はまだ主導的であったものの,素材重工業が急速に確立し,発展してきた.鉱工業時代においては,鉱業の衰退によって鉱業が地域経済に及ぼす影響が小さくなった.工業,特に石油工業は,採炭業に変わって,撫順炭鉱工業地域の支柱産業となってきた.

 (3)炭鉱工業地域の形成にとって,政治体制,エネルギー生産構造の変化,利潤追求(経済原理),労働力の獲得等の影響が大きいことが分かった.戦前の撫順炭鉱工業地域は東北地区全体と同じように,植民地経済の枠に組み込まれて,宗主国の需要を満たすため,鉱山開発を中心とした重工業体系が確立されてきた.戦後,安全保障第一,及び地域自立型の工業体系づくりという政策の下で,重化学工業の発展が加速された.工業化政策と,撫順炭鉱工業地域の鉱工業発展との関係はきわめて深い.一方,市場メカニズムの影響で,炭鉱の衰退,油母頁岩製油工場の生産停止に追い込まれている.現在,炭鉱労働者の確保がますます困難になり,鉱業地域としての存在の基盤も次第に弱くなった.撫順炭鉱工業地域は鉱業地域から鉱工業地域と徐々に移行してきた.

 (4)撫順炭鉱工業地域の鉱工業の立地展開は戦前の坑南地区における採炭業,河南地区の電力,機械,石油,その他工業,望花地区の冶金工業などであるが,戦後,戦前の三地区を含み,さらに河北地区の機械工業,東洲地区の石油化学工業,田屯地区の化学工業,章党地区の電力工業が立地を展開した.撫順炭鉱工業地域における重工業優位の鉱工業構造は,近年,軽工業のシェアを少しずつ増加させてきたとは言え,重工業生産額は,なお鉱工業生産額の85%前後を占め,重工業中心の鉱工業構造は変わっていない.鉱工業業種別構造としては採炭業の比率の低下と石油化学工業の上昇が目だつ.撫順炭鉱工業地域には石炭,石油化学,冶金,機械等の大企業が集中するが,企業の経営状況は業種によって差が大きい.赤字企業は,採炭業,鉄鋼業,金属精錬業,紡績工業,化学工業に多く見られる.

 (5)撫順炭鉱工業地域は七つの鉱工業区(旧城老鉱工業区,河北機械工業区,望花冶金工業区,田屯化学工業区,坑南石炭工業区,張甸石油化学工業区,章党電力,建築材料工業区)に区分され,同業種の鉱工業企業が集中する傾向を示している.撫順炭鉱工業地域の産業,人口の帯状形態の形成については,自然条件と自然資源の影響も大きい.市街化地域の形成は,鉱工業立地の展開,都市計画の実施との関連がきわめて深い.炭鉱開発に伴い,数多くの炭鉱労働者住宅集中区を形成した.撫順炭鉱工業地域は,採炭地区の多極連担型構造及び工業地区の多核心的圏構造をなしている.

審査要旨

 本研究は、石炭鉱業地域が、鉄鋼業・機械工業など重工業の発展に続いてエネルギー転換にともなう石油工業への傾斜を強めつつ鉱工業地域へと発展して行く経過を、鉱業地理学・工業地理学と系統的に分析するのではなく、植民地から社会主義中国への政治的あるいは政策的背景を含めて、総合的に、かつ広大な中国東北地域からさらに撫順地域へとしぼりこみつつ鉱工業地域の内部構造まで踏み込んで詳細な地誌的研究を行ったものである。とくにこの地域は、初期の資料や文献が日本にあり、しかもその後の資料は中国にあるということから、日中両国の資料・文献に通じ、両国に現地調査が必要となるという、研究対象としてもなお困難な地域であり、その意味でも貴重な成果をあげている。

 地理学の分野においては、天然資源の存在状態、資本・技術・労働力など多様な要因が分析されねばならない鉱業地理学にくらべて、自然条件を捨象して経済的要因のみに限定して分析を進める工業地理学の業績は多いが、その多くは日本国内の研究に限定され、歴史性と政治体制の異なる外国研究は決して十分とは言えなかった。それは中国の地理学界に置いても同じ状況であって、経済史学あるいは鉱業地理学・工業地理学などが個別的に研究を行っては来たが、個別地域の実証的研究を通して総合的な研究はなお不十分であって、この研究は中国地理学界においても新たな研究方向を示しているといえよう。

 全体は5章からなっている。

 第一章では、本研究の目的・方法を述べる。中国東北地方の鉱工業地域に関する従来の研究を概括しつつ、鉱工業の総合的研究が不十分であることを指摘し、また小地域の実証的事例研究がなお欠けていることから、対象地域を撫順鉱工業地域にしぼり、総合研究としての鉱工業地誌をめざすことを表明している。

 第二章では、中国東北地区炭田開発の自然的基礎を分析・評価し、各炭鉱の立地展開とその特徴、石炭市場構造と消費構造、炭田集中地域の形成と再編の実態を明らかにした。諸炭田を生産量ではなく潜在力によって評価し、撫順炭田をそのほぼ中位にあるものの、経済的・技術的条件では、消費市場に近くしかも開発の先発地域である撫順に総合的にもっとも高い評価指標を与えられるとしている。

 第三章は、対象として選んだ撫順炭田の開発から鉱工業地域の形成に至る実態を分析した。3回にわたる石炭生産の成長と後退に、投資・市場・資源賦存・政局がいかに大きな影響を与えているのかを実証的に明かにし、炭鉱から炭鉱付随工業による工業化の開始、とくに第一次5カ年計画の国家重点建設プロジェクトによる電力工業・機械工業の発展、さらに油母頁岩製油工業から石油精製業、さらに石油化学工業へとエネルギー転換に対応することよって経営の多角化を示した。また市場メカニズムが一部炭鉱の衰退・油母頁岩製油向上の生産停止・炭鉱労働者の確保の困難を顕在化させていることも明らかにした。

 第四章は、まず東北地区の炭鉱都市をクラスター分析によって類型化し、前章で明らかにした撫順炭鉱工業地域を、産業発達の程度が高い総合重工業型として位置づけ、その発達過程と内部構造を分析した。その結果、撫順鉱工業地域は7地区に区分され、もっとも開発の古い鉱工業地区を別にして、各地区ごとに機械工業・化学工業・石油化学工業・電力建築材料工業・冶金工業・石炭工業など同業種の鉱工業企業が集中し、市街がほぼ東西に帯状に連続的に発達して、自然条件と石炭の賦存状態との関連を明らかにした。ここでは採炭地区の多極連担型構造、工業地域の多核心的圏構造と要約している。

 第五章は以上の記述と分析から得られた知見のまとめである。とりわけ、「重厚長大」型の中国第一の工業地域が、中国南部沿岸を中心に発達してきた新進工業地域に取り残されてきた実状を明かにし、また生産優先で大気汚染や水質汚濁などの環境問題が深刻となっていること、それが優秀な労働力を流出させ、技術的にも付加価値の低い鉱工業製品を中心とする粗加工段階に低迷する要因となっていることを指摘している。

 以上、本論文の提出者李国平は、中国東北地区、とくに撫順鉱工業地域における実証的な地理学的現地調査・分析に基づいて、撫順の鉱工業を中国あるいは東北地区全体の視点から位置づけ、内部構造を明らかにし、きわめて独創性の高い知見を鉱工業地理学にもたらし、さらに戦後地理学の空白地域であったこの地域に関して地誌的成果をあげ、とくに日中両国に賦存する資料と研究論文を活用して外国研究の手法の深化に寄与するところ大である。よって李国平は、博士(理学)の学位を授与される資格があると認める。

 なお、本論文第3章第3・4節は、宋玉祥氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって論考したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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