学位論文要旨



No 111749
著者(漢字) 仲江川,敏之
著者(英字)
著者(カナ) ナカエガワ,トシユキ
標題(和) 多様な地表面領域における物理量分布を考慮した水文モデルに関する研究
標題(洋)
報告番号 111749
報告番号 甲11749
学位授与日 1996.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3547号
研究科 工学系研究科
専攻 土木工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 ヘーラト A.S.
 東京大学 助教授 河原,能久
 東京大学 助教授 柴崎,亮介
内容要旨

 人々が期待している、そして水文・水資源工学が貢献し得る研究成果の社会への還元は社会生活に支障を来さないよう水資源の安定供給と水災害の回避を図ることである。とりわけ、温暖化に伴う気候変動の結果としての降雨の増減も考慮に入れた水資源の長期的展望は社会基盤計画にも重要な影響を与えずにはおかない。

 この様な問題に対処すべく将来の必要水量と使用可能量を予測し、水利用計画を立てることは水文・水資源工学の究極的な目標の一つである。しかし長期的な予測をするには、水文予測はもとより、水文過程より水の滞留時間が短い気象や気候の予測無しには考えられない。気候変動の数値シミュレーションや日々の天気予報を行なうモデルの境界値を計算するために用いられる大気大循環モデル(GCM)は、将来的に長期的な水資源予測のために水循環モデルの入力値として利用できることが期待されている。

 現在のGCMの陸面水文過程は当初のバケツモデルよりは改善され、植生の効果も入れた水文モデルが使われるようになり、水文過程の多様性については主要なものはほぼ取り込まれた。しかし、現在最も解像度の良いGCMの水平分解能でさえ100kmを切る程度であり、現実の陸面で見られる物理量の多様性から考えると、100kmの陸面を一様として扱うことは、物理過程に基づいた水文モデルが陸面モデルとして使われたとしても、充分な精度で物理量が算定できないことを意味している。

 水循環を予測するために物理過程に基づいた分布型水文モデルが開発され、土地利用変化に伴う水循環の変化を小流域でシミュレートすることが盛んに行なわれている。その応用性が高いことから大流域への、更にはGCM陸面水文モデルとして分布型モデルを適用する機運が高まりつつあるが、分布データとしての水文量取得の困難さに加え、離散化距離を大きく取る際に物理量の多様性の取り込みを如何にするかが懸案となっている。

 大気モデルの陸面水文モデルと水循環モデルとが抱えている共通の問題は、支配方程式自体が一様な領域に対して成り立つ式形であって、物理量が一様でないところでは支配方程式が成り立つかどうかは不明であり、領域平均の物理量を用いても領域平均のフラックスが求まる保証もない点である。前者はより細かいスケールを如何に取り込むかという問題で、後者はより粗いスケールに如何にまとめるかという問題である。この両者の方向は異なるが多様な陸面での水文過程を統合化するという問題の本質については同じである。本論文では多様な陸面の物理量分布がフラックスに与える影響を定量化し、その統合化手法を提示することが研究の目的である。ここでは水文過程として最も重要な地表面熱収支と土壌の水-熱移動とに着目し、領域平均の物理量を用いて領域平均のフラックスを算定する手法を一貫して用いている。

 地表面熱収支についてはまず観測された物理量データから領域平均フラックスを算定する式を導出し、それを用いて物理量が分布している影響について検討を加えた。領域平均フラックスを算定する式には領域平均物理量のみならず、非線形性を考慮した領域平均物理量と物理量間のモーメント項も表れ、領域平均物理量だけでは領域フラックスが算定できないことを示した。この導出した式を用いて、物理量が分布している多様な領域と一様であると仮定した領域とで算定フラックスの差異を裸地からの蒸発に関して検討し、土壌水分分布と土壌温度の影響を明らかにした。

 地表面温度は熱収支の結果として定まるものである。そこで線形化された熱収支モデルを用いて地表面毎に地表面温度を算定し、熱収支のシステムも考慮した多様な領域での領域平均フラックスについて検討を加えた。様々な土地被覆での熱フラックスに対する各々の物理量の寄与並びに感度をパラメータ感度解析を行なうことによって明らかにした。これを踏まえて、線形化モデルを摂動展開することにより領域平均フラックスに対する多様な領域の統合化について検討を行い、フラックス許容誤差範囲に対する地表面パラメータの分布可能範囲を示した。

 土壌の水-熱移動については支配方程式に基づいて、物理量の分布を考慮した式を導出し、導出した方程式を時間積分して物理量分布の影響について検討を加えた。地中熱伝導を日変化させた時の地温、浸透並びに乾燥過程での土壌水分変化に対する数値実験を行ない、分布を考慮した結果としない結果を比較して算定量の違いを明らかにした。さらに浸透や熱伝導に対して分布形状がどのように変化するかをモデルの計算結果を基に統計解析し、その分布形状のモデル化を試みた。

 この様に本論文の成果は水文・水資源工学の分野において新しい見地をもたらすばかりでなく、観測計画、フラックス算定にも大きな示唆を与えるものである。今後行なわれるGCM陸面水文過程モデル並びに分布型物理過程水循環モデルでの多様性の統合化及び物理量の分布を考慮したモデル化を行なう際の指針として大きく貢献するものである。

 本論文の結果をまとめると以下の通りである。

 ・多様な地表面から構成される領域での熱収支に関わる領域平均フラックス計算式を導出し、表層土壌水分量や地表面温度の分布が算定フラックスに与える影響を検討した。

 まず領域平均物理量とその偏差で領域フラックスを算定する式を導出した。この式は非線形性を考慮した領域平均物理量と物理量間のモーメントで表され、領域平均した物理量だけを用いてフラックスを算定しても、領域平均のフラックスにはならないことを示した。

 導出された式のうち非線形性を考慮した領域平均物理量と考慮しない平均物理量を用いた場合の算定フラックスに及ぼす影響について検討した結果、表層土壌水分または地表面温度の分布が影響を与えるのは短波放射収支と蒸発量だけで、その他のフラックスには殆んど影響しないことが示された。蒸発量については表層土壌水分量の分布を考慮しない場合、乾燥時には過小評価、圃場容水量付近では過大評価されるという結果が得られた。また地表面温度の分布を考慮しないと常に過小評価されるという結果が得られた。このように土壌水分と地表面温度の分布を考慮することは領域蒸発量算定に必須であることを示した。

 ・線形化地表面熱収支モデルを用いて地表面パラメータに関する熱収支の感度特性を明らかにし、その結果を踏まえて線形モデルを摂動展開することによって多様な土地被覆の統合化に関する検討を行なった。

 比湿と地表面からの長波放射の算定を線形化したモデルを用いて、地表面パラメータの熱物理係数、アルベド、バルク係数、蒸発効率を変化させた場合に熱収支がどのように変わるかを検討した結果、熱物理係数とアルベドに対して各地表面フラックスはほぼ線形に変化したが、バルク係数と蒸発効率については非線形な振舞いを示し、他のパラメータが分布していなくても、物理量の算術平均からだけでは領域平均のフラックスは求めることができず、物理量のモーメント項も考慮しなければならないことを示した。

 多様な土地被覆の領域を最低限幾つの土地被覆に分類しなければならないかについて線形モデルの摂動展開を用いて検討した。モーメント項の寄与が許容誤差範囲内にあれば一つの統合化された地表面として扱うことができるとした時の地表面パラメータの範囲を各パラメータに対して提示した。この手法を実流域に適用し、5種の土地被覆を1〜3つに統合して扱えることを示した。

 ・多様な領域での地表面温度を予報するモデルを導出し、土壌温度と土壌水分量の分布を考慮した場合と考慮しない場合とで予報される地表面温度の違いについて検討を加えた。

 前述と同じ手法を適用して分布を考慮した熱伝導方程式を導出し、水移動を考えない場合は非線形性だけを考慮すれば良いことを示した。このモデルに時間変化しない土壌水分分布を仮定し分布の影響を検討した結果、分布を考慮しない場合と比べて、比較的乾燥した時に地表面温度が数K過大あるいは過小評価されることを示した。

 土壌温度と土壌水分が分布している場合の地中熱伝導の日変化に対する土壌温度分布の日変化を数値計算結果の統計解析から検討した。水平方向の土壌温度が分布している場合、平均値は変化するものの土壌温度分布形状は日変化を示さず不変である。水平方向に土壌水分が分布している場合、土壌温度分布は日変化するものの、その分散は蒸発量算定に有意な影響を与える程大きくないことを示した。

 ・多様な領域での土壌水分を予報するモデルを導出し、土壌水分の分布を考慮した場合と考慮しない場合とで浸透に伴う土壌水分の違いについて検討を加えた。

 導出された領域平均の土壌水分移動モデルは非線形平均項と、不飽和透水係数とサクションの積などのモーメント項からなる。時間的に変化しない土壌水分分布を与え、このモデルを用いて浸透計算を行なった結果、分布を考慮しないとどの土壌に対しても浸透量が減少するが、その分排水量も小さくなり、土壌水分の貯留量が増加することが示された。

 土壌水分が分布している領域に降雨があった際の浸透に伴う土壌水分分布形状の時間変化を、数値計算結果の統計解析から検討し、分布形状のモデル化を試みた。

 多様な領域での土壌内の水-熱輸送モデルを導出し、土壌水分の分布を考慮した場合と考慮しない場合とで、蒸発過程での土壌乾燥過程の違いについて検討を加えた。水-熱のカップル移動は考慮せず、土壌水分量を分布させた場合、分布を考慮しない場合は地表面に乾燥土層が表れるが、分布を考慮すると土壌下層からの水分供給により領域平均として、乾燥土層が表れないことが示された。

審査要旨

 大気大循環モデルあるいは局地循環モデルを用いた水文・水資源予測の精度向上のためには、陸面水文モデルの改良が一つの重要な鍵であるとの認識のもとに、観測データの取得とモデル化に関する地球規模での国際共同研究が始められている。大気大循環モデルでは50〜100kmグリッド、局地循環モデルでは1〜10kmグリッドで大気-陸面の相互作用が取り扱われており、大気側ではそのスケールでパラメタリゼーションが行われているが、陸面水文過程については、そのスケール内に種々の物理量が分布しており、それらからいかに領域(1グリッド)を代表するフラックスを算定するかが基本的な問題である。本研究は、領域内に物理量が多様に分布する場合に、それが算定フラックスに及ぼす効果を明らかに示すと共に、領域内代表フラックス算定法の構築に向けての基本的問題を取り扱ったものである。

 第1章は、序論であり、本研究の必要性についての背景と目的を述べた後に本論文の構成と内容を要約している。

 第2章では、領域内の状態量の多様性とそれを用いたフラックスの算定手法について、観測・実験の面と陸面水文過程のモデル化の面に分け、既往の研究をレヴュー・整理している。各種の陸面水文過程について一様な領域での研究は進んでいるが、領域内の多様性に関する研究は未解決の部分が多いことを指摘し、本研究の意義を強調している。

 第3章は「多様な地表面における物理量分布を考慮した地表面熱収支」と題し、冒頭で物理量の領域平均とそれからの偏差を用いて陸面過程の方程式を統一的に記述する手法が提示される。この手法では、領域フラックスに対するサブ領域での物理量分布の影響は、物理量のパラメタリゼーションに含まれる非線形効果と異なる物理量間のモーメント効果として表現される。次いで、地表面熱収支に係わる各物理量にこの算定式を適用して、土壌水分と地表面温度の分布がフラックスに及ぼす影響を吟味した結果、それらの分布が非線形効果としてフラックスに影響を及ぼすのは短波放射収支と蒸発量のみであることが明らかにされている。また、それぞれの分布の効果を定量的に検討することにより、短波放射収支と蒸発量の算定に当たっては、領域内の土壌水分量と地表面温度の分布を考慮することが必要不可欠であると結論している。

 第4章では、「線形モデルを用いた熱収支の多様性とその集約化」と題し、地表面熱収支について、線形化モデルを適用することにより、物理量間のモーメントの効果を検討するとともに、モーメント項の寄与の程度に基づき、土地被覆分類の集約化手法を提示している。具体的には、まず、下向き短波並びに長波放射と気温の日変化が与えられるものとして、顕熱および、潜熱フラックスと地中熱伝導に関する線形化モデルを導入し、その中に含まれる各地表面パラメータ(熱物理係数、アルベド、バルク係数、蒸発効率)の感度解析を行った。その結果、バルク係数と蒸発効率は地表面フラックスに対して極めて強い非線形性があり、他のパラメータが分布していなくても状態量のモーメント項を考慮する必要があることを明かにした。物理量の時空間分布に関する観測データが殆ど得られていない現状では、モーメント項を直接パラメタライズすることは極めて難しい。そこで、ここでは線形化モデルの摂動展開を用いることにより、フラックス算定の許容誤差範囲内でモーメント項の影響が無視できる各地表面パラメータの分布規範が解析的に示される。この規範を尺度としたクラスター分析の適用によって、実領域を対象に土地被覆の集約化手法を具体的に示すことにより、この規範ならびに手法の有用性を明かにしている。

 第5、6章では、土壌内の水・熱移動に対する状態量の分布の影響が取り扱われている。

 第5章は「多様な地表面における物理量分布を考慮した土壌温度モデル」と題し、まず、Fourierの熱伝導を基に領域平均熱伝導方程式を導出し、水移動とカップリングしない場合には熱伝導率の非線形性だけを考慮すれば良く、土壌水分が与えられれば領域平均土壌温度が求められることを明示した後、領域内で土壌水分量が分布している場合と一様な場合に対する数値実験を3種の土壌を対象に実施し、地温変化への影響を調べた。主な結論として、両者の差は地表面温度で数Kであり、地表面熱収支の解析上、土壌水分分布の効果を無視し得ないことが指摘される。ここで用いた土壌温度モデルは、地温、土壌水分ともにその分布型が時間的に変化しないとの仮定の下に扱われたが、初期条件の異なる100コラムに対する数値計算の結果の統計解析(モーメントの効果)により、土壌温度と土壌水分が分布している場合にそれらが土壌温度分布の日変化に与える影響について検討されている。結論として、水平方向に土壌温度が分布している場合には、そのモーメントは時間的に一定であり、土壌温度分布は日変化を示さず不変であること、水平方向に土壌水分が分布している場合には、平均地中温度でモーメントの時間変化が記述可能であること、また、土壌温度分布は日変化を示すがその分散は蒸発量算定に有意な影響を与えるほど大きくないこと、などを指摘している。

 第6章は「多様な地表面における物理量分布を考慮した土壌水分移動モデル」と題し、土壌内水分の浸透過程と乾燥過程を取り扱っている。まず、Richardsの不飽和浸透方程式を基に、非線形平均項と不飽和透水係数とサクションの積などのモーメント項からなる領域平均フラックスの算定式を導出し、土壌水分量が分布している場合に分散の相違による領域平均の水分特性曲線と不飽和透水係数の変化を明らかにした。分布を考慮しないと、どんな土壌に対しても特性曲線の勾配は大きく、不飽和透水係数は小さく算定され、その結果として浸透量が減少し土壌水分の増加が過小に見積もられることを明示した。次いで、100種の異なる初期条件を与えた浸透数値計算結果を用いて、各次モーメント項の特性を吟味することにより、土壌水分分布モーメントのパラメタリゼーションを行い、方程式系を閉じる試みをしている。さらに、同様な手法で領域平均水-熱輸送モデルを導出し、初期の土壌水分分布と地中温度分布が乾燥過程の地中温度プロファイルの時間変化に与える影響を調べた結果、分布を考慮しないと蒸発抑制が生じ易いことを明らかにしている。

 第7章には、本研究で得られた結論と今後の研究方向が要約されている。

 以上のように、本研究は、大気-陸面相互過程のモデル化に当たり、一貫して領域内の物理量分布の効果を支配方程式に組み込むという新たな目標の下に、幾多の知見と手法を提示したものであり、水文・水資源工学と気象学の学際領域を埋める先駆的研究として高く評価されるとともに今後の発展が期待される。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54508